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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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探偵達 十

「……おい、何か聞こえたか?」


 鯉の刺青のヤクザが、ホールの奥を振り返った。


 彼に腕を取られた東城が、床に膝をついたまま、そっと逆の手で床をなでる。

 割れた赤い眼鏡のぎやまんの破片を手の中に握り込み、じろりとヤクザを上げた。


 耳をすましていたヤクザが、やがて眉間にしわを寄せてうなる。防音機能に優れたダンスホールに、外の物音はほとんど響いてこない。


 悩んでいるヤクザに、東城は横目をやりながら声を飛ばした。


「何かあったのかもな。敵は多いんだろう、お前達」


「そりゃあな。憎まれることがヤクザの勲章だから。……しゃあねえ、見に行ってくるか」


 その言葉に安心するほど、東城は間抜けではなかった。腕をつかむヤクザの手にぎゅうっと力が込められた瞬間、膝と靴先で床を蹴り、体を回転させるように一気に立ち上がる。


 丸く見開かれたヤクザの右目に、とがったぎやまんの破片を全力で突き出した。


「――おいおい、何のつもりだよ」


 ぎやまんが届く前に、ヤクザの膝が、東城の腹にめり込んでいた。


 声もなく身を折る東城の手を、ヤクザががっしりとつかむ。


 ぎりぎりと馬鹿力で締め上げながら、ぎやまんの断面を逆に東城の顔に押し出した。


「ひょっとして、不意を突いたつもり? なあ、おい……ヤクザに喧嘩で勝てると踏んだのかい? 探偵ごときが?」


「……慣れないことは……上手くいかんな……!」


 ひきつる東城のほほに、ぶつりとぎやまんが突き立った。ゆっくりと肉を裂き始めるぎやまんに、東城が歯を剥いて抵抗する。


 だがヤクザは余裕の表情を浮かべて、少しずつ手を押し出してくる。


「頭でっかちの推理屋がよ、暴力で食ってる俺に何かしようってのが間違いだ。ほれ、ほれ、気取ったツラをきたねえ傷が横切るぜ」


「傷ぐらい、好きなだけつけるがいいさ」


 うめくように言う東城が、ぎりぎりと歯をきしませながら笑った。


 首を傾げるヤクザを、東城の血走った目がぎろりと睨む。


「だが、この天才的な素晴らしき東城蕎麦太郎に対して『勝ち』を収めようなど……身の程しらずはそっちの方だ」


「はあー? 殺されかけてんのに何言ってんの?」


「両手をふさいでるんだ! 馬鹿奴ばかめ!!」


 東城の手が、逆に手首と腕をつかんできた瞬間、ヤクザは自分の背後に迫る足音に気づいたようだった。


 振り返る間もなく、ヤクザの頭部の鯉に硬い七輪の角が叩きつけられる。「げっ!」と声を上げたヤクザが、東城のわきに倒れ込んだ。


「ちょっ……ぐわっ!!」


 何ごとか言おうとしたヤクザの頭部に、さらに七厘が振り下ろされる。二度三度と七輪を叩きつけるのは、首を絞められたせいで眼球の毛細血管が破裂し、真っ赤に染まった目をした、美耶子だ。


 彼女はヤクザが完全に突っ伏すまで七輪を振り下ろし続け、最後にヤクザの背中に丸ごと七厘を投げつけた。


 ごふっ、と肺から空気をしぼり出すヤクザのわきで、東城がふらふらと立ち上がり、壁際に逃げて行く。


「ひどい女だ……本当はとっくに気がついていたくせに、平気な顔でたぬき寝入りとは。助手は探偵のために身を投げ出すものなのに、これではまるで逆じゃないか」


「ご苦労さん、センセ。でも全部終わるまで、倒れちゃやぁよ」


 美耶子が、床に唾を吐きながらヤクザの周りを歩く。


 ヤクザは床に爪を立てながら、「冗談だろ」と血まみれで繰り返している。


「おい、何のつもりだ、何の……! 非力な糞女の暴力じゃねえか! たっ……立てないだと……!」


「そりゃあ立てんよ……後頭部を鈍器で殴打されたら、武道の達人だって失神する。人間はね、君が思っているほど頑丈じゃないのだよ」


 深呼吸を繰り返す東城が、のろのろと間宮直子に近寄り、その拘束を解き始める。悪態をつきまくってもだえるヤクザの眼前に、再び美耶子が立った。


 その手には、ヤクザ達が東城を拷問するのに使っていた、匕首が握られている。


 さっと顔色を変えるヤクザに、美耶子が醜く歪んだ表情で、残酷に言い放った。


「てめえ、よくもあたしの首をニワトリみてえに締め上げてくれたなあ。糞にたかるハエ以下の八九三の分際で……ふざけやがって……」


「て、てめえビョーキか!? 何だその口調! おいやめろ!!」


「その頭の鯉、引っぺがしてやる」


 手を伸ばしてくる美耶子に、ヤクザが意味をなさぬ声を吐き出しながら床を転がった。距離を取り、断末魔のような気合を上げて、震えながら床を拳と足で押す。


 血と唾液を垂らしながら、それでも立ち上がろうとするヤクザに、直子を解放した東城が声を張り上げた。


「気をつけろ美耶子! 腐ってもヤクザだ、不用意に近づくな! もう一人もじきに戻って来るぞ!」


「その前にぶっ殺してやりますよ」


 匕首を手元で返し、腰を落とす美耶子。だがヤクザは完全に立ち上がると、半ば千鳥足ちどりあしきびすを返し、玄関の方へ駆け出した。「逃げるぞ!」と東城が叫び、ヤクザが扉の取っ手に手をかけようとした、瞬間。



 扉が突然開き、ヤクザの前に、のっそりと巨体が現れた。


 目を丸くするヤクザと、東城達に視線を走らせながら、巨体は東城へ、ひょいと小首を傾げてみせる。


「ひょっとして、助けは必要なかったか?」


「冗談じゃない。……あと二時間早く来るべきだった」


 東城が、ふぅ、と息をついた直後、ヤクザが奇声を上げ、目の前の巨体に拳打を繰り出す。


 その拳を巨大な手で受け止めた田所が、逆の手で握っていた日本刀のみねを、ヤクザの肩に叩きつけた。


 鎖骨が砕ける音が響くと、間をおかずに田所がヤクザの腹を蹴り飛ばし、さらに室内に一歩踏み込みざまに、ヤクザを壁に投げ飛ばす。


 騒音を上げて寝台に叩きつけられたヤクザが、何度かうめいて、がくりと首を落とした。


 田所の後から、緋扇組の極道二人と、ミワさん、さらに三村達が入って来るのを見て、東城と美耶子が同時に息を吐く。


 田所はヤクザの確保を極道二人に任せて、東城達に歩み寄る。

 そして、自分を唇をかんで見つめる直子に、手を差し出して、言った。


「取り返しのつかないことは、されてないか?」


「……はい」


「俺は、君の危機に、間に合ったんだな?」


 直子はぽろっと涙をこぼして、ゆっくりとうなずいた。

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