探偵達 七
「ああ、ちくしょう、降ってきやがった」
馬車の窓から外を眺めていたミワさんが、ガス灯の周囲を舞う雪に声を上げた。
田所達の乗る馬車はすでに銀座の領域に入っており、道路には多くの人々や、たまに自動車の姿があった。自然と馬車の速度はゆるみ、事故を避けるための停止を繰り返している。
三村が座席のへりをつかみながら、壁越しに御者の女形に声を上げた。
「おい! とろとろし過ぎだぜ、これじゃ走った方が速いくらいだぞ!」
「仕方ないのよー、なんたって天下の銀座ですもの。この近くはビヤホールもあるし、いい気分のお父さん達がいきなり飛び出してくるから安全運転は御者の常識よ」
「こっちは緊急事態なんだぜ、冗談抜きで降りた方がよくねえか」
「目的地までまだ結構あるわよ。あと十分も進んだらまた道がすくから、乗ってた方が結局早いって」
三村がちぇっ、と肩をすくめ、再び座席に深く腰を沈めた。
窓の外はにぎやかで、確かに酒の入っているらしい人々が多く見受けられる。
ビール瓶を提げた、くりっとした文鳥のような目をしたオヤジが、連れの少年に身を支えられながら馬車の窓越しに笑顔で敬礼してくる。
ミワさんが律儀に会釈を返しつつ、田所に不安げな顔を向けて言った。
「銀座の警察は、もう現場に向かってるかな。こう言っちゃ何だけど、古烏組の連中は並の犯罪者じゃねえし、真っ当な警官がどうこうできる相手には思えねえんだがな」
「……どんなに殺しに慣れてようが、しょせん三人の人間に過ぎないさ。鬼やバケモノじゃないんだから」
「金橋は一人で何人も殺したぞ。あいつらはさ、たぶん、単に腕っ節が強いとか、そんなんじゃねえんだ。まともな人間なら踏みとどまるはずの所を、何のちゅうちょもなく跳び越えていく。情け容赦も保身の心もなく全力で殺しに来るから、ふつうの人間は対応できないんだと思うんだ」
「めちゃくちゃなんですよ、あいつらは」
田所達の前に座っていた極道の一人が、話に割り込んでくる。
背の低い、目の焦点がわずかにずれている、みょうに高い声の極道だった。
「うちの若頭も言ってましたが、とにかく人の命を……自分の命も含めて、屁とも思ってねえんです。簡単に殺すし、死ぬ。金橋は拷問の苦痛に負けて情報ゲロゲロしましたが、たぶんこの後隙を見つけて自決すると思います。
仲間の居場所を吐いたなんて知れたら、組長に殺されますからね。責任を取らされるくらいなら自分でカタつけるのが、やつらなりの矜持ってやつでして」
「てめえの命をゴミ同然に放り捨てられるやつらなら、この世のどんなものだって叩きつぶせるってわけだ。だから警察だって殺しまくるし、無関係の女子供だって平気で手にかけると」
「『災害』でさあ。古烏組は」
背の低い極道の隣で腕を組んでいた、二人目の極道が声を上げる。
表情の乏しい、どこか素朴な顔つきの男だ。声は低く、良く通る。
「寄桜会が生み出した、ヤクザ世界の災害ってやつで。へえ。頭のイカレた鉄砲玉集団が手綱もつけられずに世に放たれたら、そりゃ今回みたいな混沌とした事態も起こるってわけで。ふつう大事件にはそれなりの理由、火種ってもんがありやすが、古烏組が起こす騒動に大した理由なんざありやせん」
「あいつらホントささいなことで人殺すからな。今回のことだって結局、てめえらの金づる潰されてむかついたってだけだろ?」
「間宮百合子が既に殺されてたから、その一族と三村探偵社に八つ当たりしてるだけだあね」
「と言うかさ、単に殺しまくって景気づけしてるだけかもな。あいつら殺すために理由探してるフシあるからなあ」
声を交わす極道達の前で、突然田所が座席から腰を浮かし、立ち上がった。
三村と万佐の体を圧迫しつつ、巨体を馬車の扉の方へ移動させる。
目を丸くして「どうした?」と訊くミワさんに、田所は目も向けずに答えた。
「ちょっと外に出て来る。すぐもどるよ」
「出て来るって……」
「このまま道を進んでくれ。また飛び乗るから」
田所は女形に声をあげながら、車の扉をがこん、と押し開けた。
動いている馬車から飛び降りると、呼びかけてくる車内の連中の前で扉を勢い良く閉める。
そのまま人の間をぬい、頭に降りかかる雪を払いながら道路の端へと急いだ。
華やかな夜の街の片隅、電柱のそばに、ゴミ捨て場となっている一角があった。
田所が昼間、築地署に連行される前に立ち寄った場所だ。
駆け寄ると、うち捨てられているゴミの内容が変わっている。誰かが回収し、片付けたのだ。田所は顔をゆがめながら、自分の日本刀を捨てた壊れたタンスを探した。
一番近いガス灯は背後にあるため、ゴミの小山の大半は闇に沈んでいる。
手探りでゴミをあさると、衣装棚や本棚は見つかるが、タンスがない。
やはりなくなってしまったのか。後方からミワさんが、馬車の窓越しに田所を呼んでいる。
深く息をつき、振り返ろうとすると、視界の端に何かの光が見えた。
ゴミ捨て場のわきの、ドブの中だ。
田所はゆっくりとそちらへ歩み、闇とドブの中にある光を見下ろした。
遠いガス灯の火をかろうじて反射しているのは、確かに抜き身の日本刀だった。
かがみ込み、柄をつかんでドブから引き抜く。泥にまみれた刀身には小さな虫が這っていて、鞘はどこかにいってしまっていた。
ゴミを片付けた者が、タンスを運ぶ際にでも引き出しの中に何かが入っていることに気づいたのだろう。大きな日本刀を見つけたその者は、おそらく興味本位で鞘を抜き、刃を確かめ……模造刀ではない、本物の刀だと知り、ドブに投げ捨てたのだ。
値打ち物であっても、真剣は廃刀令に引っかかる。ネコババするのは危険と見て、放棄したに違いない。
田所は汚れた刀身を見つめ、やがて自分の服の右のそでを引きちぎり、泥と虫を一気に、力任せにぬぐった。
捨てられ、泥にまみれていた日本刀は、すぐに鋭い輝きを取り戻す。
田所はそでを破いた上着を脱ぎ、刃を厳重に包むと、すぐに踵を返して馬車の方へと走り出した。
相変わらずのろのろと人を避けて進む馬車の扉を開け、中に戻る。
銀座に降る雪は、次第にその勢いを増していった。
「――遅えな」
長い間寝台の上で目を閉じていた大男が、不意に声を上げた。
食事を終えた二人のヤクザが、同時に大男の方を振り向く。
鯉の刺青の男が、ワインの栓を指であけながら首をかしげた。
「金橋のことですか。何かつかんだんじゃないですか。便りがないのは良い便りってやつですよ」
「でなきゃ下手こいたか、働いてるふりして遊んでるかだ。あのデブ、前に俺を待たせて岡場所に入ってたことがあったんだ」
「へっ、下半身は粗末なくせにいっぱしに女は抱くんですね。……でも、流石に今回は岡場所はねえでしょう。そんな所に行かなくたって、今回はよりどりみどりだ」
鯉の刺青の男がワインを口に含みながら、直子と美耶子を交互に見る。東城の針のような視線をあざわらう彼に、大男は寝台から立ち上がりながら「いやあ」と眠たげな声を出した。
「何か嫌な予感……いや、良い予感がするよ。虫の知らせってやつか? 何となく、金橋はもうダメな気がするな」
「ダメって」
「高岡の入院してる病院に行って、何かしら吐かせて帰ってくるなんてのは、金橋には造作もねえ仕事だよ。でも、何か情報をつかんだならとりあえず俺に一報入れるはずだ」
大男は首をぼきぼきと鳴らしながら、ホールの出口へと歩いて行く。「どこへ行くんで」と問う舎弟に、大男は片手をひらひら振って答える。
「タバコ買ってくる。俺は『ゴールデンバット』以外は吸わねんだ。ついであるか?」
「別に。兄貴は」
「歯ブラシ壊れたんで、一本お願いします。馬毛のやつ」
「買って来てやるから、戻ってくるまでに探偵から何か聞き出しとけ。女どもには手ぇ出すな。それと、万が一誰かに殺される時はそれと分かるように死んどけ。ホールに戻った瞬間異常に気づけるようにな」
「目立つところで死んどきます。行ってらっしゃい」
大男が扉を出て行くと、残されたヤクザ達はワインを回し飲みしてから、気だるげに伸びをしたり、柔軟体操をし始めた。
関節を鳴らし、食後の体をほぐすと、床に座った東城に近づいて来る。
青面のヤクザが拳を固め、わずかに口角を吊り上げて、言った。
「さて、再開しようか。何か喋りたくなったら遠慮はいらん。いつでも叫んでくれ」




