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狙われた森崎叶美(3)

 しばらくすると車が停車した。沢渕は乱暴に後部座席から引きずり出された。アイマスクで視界を奪われて、その上両手の自由が利かないため、無様に地面に転げ落ちた。

 両脇を市川と進藤に抱えられて、部屋の中へと押し込まれた。つまずいた時にテーブルの脚で顔面を殴打した。

「おいおい、お客様に乱暴はよくないぞ」

 聞き覚えのある声が近づいてきた。アイマスクが外されて、視界が開けた。

 目の前には、白衣を着込んだ男、佐伯佳克が立っていた。

「確か、沢渕君とか言ったね?」

 声を出そうにも、頭の中が混沌としてうまく言葉が出せない。どうやら車にも酔ったらしい。

「君の仲間はどうしたんだい?」

 沢渕が口も利けずにいると、

「こいつしか来ませんでした」

と市川が報告した。

「まさか、あの小娘。何か細工をしてこいつだけ呼んだのかもしれないわ」

 進藤が忌々しげに言った。

「いや、それは違います」

 ようやく声になった。

「他のメンバーはそれほど深く捜査に関わってはいません。ですから彼らは何も知りません。最初からその程度の熱意しかなかったのです。でも僕は違います。この事件にはどっぷりと首を突っ込んでますから、最後を見届けたくて指示に従ったのです」

 所々で声がかすれた。叶美に危害が及ばないよう、沢渕は必死の思いだった。

「それなら、それでいい、少なくとも二人揃ったのだから、それぞれから話を聞こう」

 佐伯は手近な椅子に腰掛けた。

「君たちはどこまで掴んでいるんだ。正直に教えてくれたまえ」

 市川に殴られてからすっかり調子が狂ってしまった。さっきから頭の痛みが消えない。それでもここは全てを話すのが得策のような気がした。包み隠さず情報を渡せば、叶美だって拷問に掛けられることはないだろう。

「五年前の夏、この街で発生した大量誘拐事件の主犯は佐伯さん、貴方だ」

 うまく呂律が回らない。それでも何とか言葉を繋いだ。

「正確には、拉致の実行犯は貴方ではない。ここにいる市川、進藤、そして植野老人だ」

 周りに居た連中に緊張が走ったのが分かった。

「続けたまえ」

「佐伯医院には、昔から一般病棟とは別に秘密の病室があった。おそらく戦後まもなく、結核患者を隔離する場所として使われていたのでしょう。結核が不治の病でなくなった現在、それは無用の長物となってしまっていた。

 医科大学で薬学の研究をする貴方は新薬の開発を迅速に行いたかった。そこで直接人体実験を試みようとした。つまり昔の隔離病室が再び日の目を見ることになったのです。貴方は元々真面目な研究医だったが、おそらく病院の専属調理師である市川にそそのかされて、街の人を一人、二人と拉致して実験を開始したのでしょう。

 薬学の研究成果が認められるようになると、大規模な人体実験がしたくなってきた。そこで貴方は大胆な行動に出る。市川と共謀して大量誘拐を計画したのです。

 実際、計画を考えた中心人物は市川だったのかもしれません。なぜ単なる調理師である彼がそこまでして悪行に手を染めるのか分かりませんが、障害を持った息子のことで、貴方に何らかの恩義を感じていたからと思います」

「それはお前には関係ないことだ」

 市川は我慢ならないという調子で言い放った。

 沢渕はなおも続ける。

「貴方の父上と友人関係にあった植野老人は、その昔タクシーの運転手をやっていて運転技術には確かなものがあった。おそらく病院の送迎バスの運転も手伝っていたのでしょう。そこであの夜、進藤が車椅子の乗客に成りすまし、本物のバスを十分以上遅延させ、植野が運転手となって路線バスの前にマイクロバスを走らせた。

 しかし本来正規のバスを待っている乗客がそのまま小型のマイクロバスに乗る訳がない。そこで市川の息子の出番となる。おそらく彼は乗用車で先回りして、交通事故のため路線バスが来られなくなったため、臨時のマイクロバスに乗るように指示をしたのです。

 乗客は彼の言うことを信じてバスに乗り込む。そこで今度は市川の出番となる。車内で乗客に化けていた父親は客を武器で脅して黙らせた。

 マイクロバスが満員になると、佐伯医院に一旦戻って人質を降ろし、隔離病室へ連れて行った。その役目を行ったのが佐伯さん、貴方だ。マイクロバスは空になると、もう一度正規の路線に戻って、同じ手口で人質を回収して戻って来た」

 全員は黙って聞いている。

「さて次は人質の監視だ。十七人の人質をたった数人で見守ることは難しい。当然通常業務を行っている看護師らに世話をさせる訳にもいかない。だが食事については調理の責任者である市川が水増しして作ったところでバレることはない。

 問題となるのは日常の世話です。そこで貴方は人質十七人を半々に分け、片方には強い薬を、もう片方には弱い薬を投与する実験を行った。比較的薬物の影響が少ないグループには、もう一方の人質の世話を手伝わせた。従わない者には、生死に関わる一番過酷な実験の被験者にすると脅したのではないでしょうか。また友人関係があった女子高生は、自ら望んで相手に献身的な世話をしたケースもあった」

「どうしてそこまで分かるんだね?」

 佐伯は不思議そうな顔をして訊いた。

「僕を甘く見ない方がいいですよ。貴方のやったことは全てお見通しなのですから」

 沢渕はわざと大胆不敵に答えた。

「それから一年が経ち、資金も底をついてきた。それもその筈、ただでさえ病院の経営が上手くいってなかったことに加え、十七人もの入院患者を無償で受け入れることになったのですからね。そこで人質のことを詳しく調べ上げ、その中に地元の名士である新野工業社長の娘、悠季子がいることを突き止めた。

 貴方は警察抜きの取引を持ちかけ、社長もそれに応じた。しかし身代金だけ手に入れておきながら、悠季子を返さず、進藤真矢という人物を送り返した。考えてみれば、それは当然そうなるでしょう。人質を返そうにも、誰もがあまりにも多くのことを知り過ぎている。病室に入れられて、妙な薬を打たれたなどと証言されれば、すぐさま病院が捜査線上に浮上する。だから最初から誰も返す気などなかったのです。

 そこで進藤に被害者を演じさせることで、警察の捜査状況の確認と、さらには偽の証言をさせた」

 沢渕は一息ついて、

「どうですか、ここまで何か訂正するべき所はありますか?」

と訊いた。

「いや、実に素晴らしい。まったく君の言う通りだ」

 佐伯はわざとらしく大袈裟に言った。

「しかし沢渕君。私や市川はともかく、どうして彼の息子が事件に関与していると分かったのだ?」

「市川親子については僕の勘です。廃ボーリング場で森崎さんを襲ったのは、その背の高さからすぐに調理師の市川だと分かりました。しかし能面の若者が誰なのか分からなかった。ただ二人は息が合っているようだったので、もしかして家族関係ではないかと疑ってかかったのです」

「市川が私に協力する理由も知っているのか、君は?」

「院長、もうその位でいいでしょう」

 横から市川が苛ついた声を出した。

「こう言っては何ですが、息子さんはある病いを患っていたのではないですか。難病と言ってもよい。その治療を快く引き受けたのは佐伯さん、貴方だ。彼にはどうしても心の病気を治す強い新薬が必要となった。それで市川は研究にひどく協力的だったのです」

「どうして心の病気だと?」

「院長!」

 再び市川が声を荒げた。

 沢渕はそれに構わず、

「能面ですよ」

と言った。

「森崎さんは植野老人に騙されて、廃ボーリング場に向かうことになりました。それを待ち伏せしていたのは市川親子だった。しかし彼の息子はどうして能面なんて物をつけていたのか。それは彼にとって、人に顔を見られたくない、恐怖から人を寄せ付けないため、日頃から必要な道具だったのです。つまり彼は人前に出ることを躊躇うほどの病気を抱えていたことになります。

 僕たちは市川という若者を探し求めました。暮らしているアパートも、通っている学校も掴めなかった。それもその筈です。彼は外界とは隔離された場所、佐伯医院の入院患者だったからです。それだけではない、人質と同じ隠し病室にいて、彼らの監視役をしていたからなのです」

 市川は今にも飛びかかってきそうな勢いで沢渕を睨んでいた。

 佐伯はそれを目で牽制しつつも、

「君の推理は立派だが、警察が動くに足る証拠はあるのかね?」

と言った。

「この病院のマイクロバスです。車内から人質十七人全ての指紋が検出される筈です」

「しかし犯行から実に五年の歳月が流れているんだ。すでに当時のバスは処分した可能性だって考えられるんじゃないか?」

「常識的には確かにそうでしょうね。しかし駐車場のバスは当時のままでしょう。なぜなら貴方たちは完全犯罪に酔いしれて、警察の手が及ぶことはないと高をくくっていたからです。ところが我々が嗅ぎ回るようになって身の危険を感じ始めた。つまりバスは手つかずのまま残っている可能性が高い。それに当面病院の業務に必要な物ですから、そうそう簡単には手放せないでしょう」

「なるほど。ご忠告ありがとう。あのバスは早速廃車にしよう。どのみち車と衝突事故を起こしてね。ボディに大きな損傷を負ったのでね」

 沢渕は思い至った。

「まさか、あのバスを使って佐々峰姉妹を?」

 それには市川がにやにやしながら、

「踏切で停まろうとしたが、うっかりブレーキを踏むのが遅れてねえ。そうそう、前に停車していた軽自動車に追突したら、そのまま踏切内に入ってしまったよ」

 沢渕は拳を固く握りしめた。我慢ならなかった。市川に身体ごとぶつかっていた。

 両手が固定されている高校生の身体など、市川は事も無げに避けてしまった。そして軽々と押し戻した。

「他に証拠はあるのかい?」

 沢渕は口をつぐんだ。人質が救助を求めて書いたメッセージの件は伏せておいた方がいいだろう。事実を知った連中が人質を痛めつけるという心配がある。

「踏切で事故を起こした二人は、人質が外部と連絡を取っていたとか言ってたわ。そんなのハッタリでしょう?」

 進藤が鼻息も荒く訊いた。

「それは初耳です。自由に携帯電話を使えたのですか?」

 沢渕はとぼけた。

「やっぱりね」

 進藤がニヤリと笑みを浮かべた。

「しかし、君は頭がいい。どうだい、これは提案なのだが、我々の仲間になる気はないか? そうすれば君の命だけは助けてやる。そして私の助手を務めてはどうかね?」

「人質十七人と森崎さんはどうなるんです?」

「彼らには君ほどの価値はない。だが君が捜査を止めて、我々に従うというのであれば、殺さずに今まで通り研究に利用させてもらう」

「森崎さんは?」

「彼女にも新しい被験者となってもらう」

「仲間に入れるというのはどうですか?」

 沢渕はすかさず提案した。

「我々の側に引き入れるのは難しいだろうね。何と言っても、山神高校の生徒会長で君たちのリーダーだからね。正義感は人一倍強いだろう。それとも君に説得ができるかね?」

「そうですね、僕も命は惜しいですから、助かるためには何だってしますよ。一応、彼女を説得してみましょうか」

「院長!」

 市川が沢渕を睨みつけて言った。

「こいつの言うことを信じるのですか?」

「いや、まだ信じた訳じゃないさ。もし裏切るようなことをすれば、人質らと一緒に殺してしまえばいいだけのことだ」

 佐伯は冷静に言った。

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