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狙われた佐々峰姉妹(3)

 この市川という男は事件とは関係がなかった。しかし佐々峰姉妹は、薬学部を卒業し、今も院生として大学に残っている進藤真矢の存在を突き止めた。市川が彼女に引き合わせてくれるという。

 市川を始めとする実行委員たちは、佐々峰姉妹が学園祭を妨害する目的で大学内をうろついていると思い込んでいた。実は大学内の誰かが、姉妹の捜査を妨害するために流した噂だったのである。その人物はさらに脅迫状を送りつけることで、その話に現実味を持たせようとした。これら一連の策略は進藤真矢の手によるものだろうか。

 いずれにせよ、これから事件の容疑者と思われる人物に会うことができる。奈帆子は、はやる気持ちを抑えつつ、医大へ車を走らせていた。

 市川の案内で薬学部の実習棟へ入ることができた。彼はしばらく進藤真矢の姿を探していたが、見つけることができないと言った。これ以上広い構内を無闇に歩き回っても仕方がない。

 そこで三人は薬学部の事務局へ行き、館内放送で呼び出せないかと尋ねた。

 事務員は、本来緊急の用件でなければ放送は使えないとの一点張りだった。しかし奈帆子が死人が出る可能性があると食い下がると、渋々応じてくれた。

 静かな館内に女性のアナウンスが流れた。

「薬学部の進藤真矢さん、いらっしゃいましたら、至急事務局までお越しください」

 放送は二度繰り返された。

 果たして彼女は現れるだろうか。

 奈帆子は市川にそのまま残ってもらうことにした。そして多喜子には階段の踊り場付近から彼女を隠し撮りするように指示した。

 いざ進藤真矢を目の前にしたら、どう攻めるべきだろうか。これまで漠然と考えたことはあったが、実際どうするかを決めてなかった。時間が経つにつれて緊張は高まってきた。

 何しろ、彼女が犯人である証拠はどこにもないのである。全ては探偵部の推理に過ぎない。これまでの状況証拠だけでは犯行を立証するのは不可能である。しかしどんな手掛かりも今は大切にしたい。これは探偵部員である自分に課せられた仕事なのだ。何とかしてやる、奈帆子はそう心に誓った。

 時間が空しく経過していく。

 市川は腕時計に目を落としてから、

「来ないみたいですね。今日は居ないのかもしれませんよ」

「もう少し待ってみましょう」

 奈帆子は表情を変えずに言った。

 その時である。

 少し離れた場所で、女性の言い争う声が聞こえた。階段の方向である。その声の一つは紛れもなく妹のものだった。

 反射的に駆け出した。

「多喜子!」

 彼女が向き合っているのは、眼鏡を掛けた女性だった。奈帆子よりも年上だが、小柄な体つきであった。もし取っ組み合いの喧嘩となれば互角に戦えるのではないか、とすばやく計算した。

「あなたが、進藤真矢さん?」

 本来、隠れて撮影をする筈の多喜子が、先に彼女と出くわしてしまったのだろう。奈帆子はとっさに状況を飲み込んだ。

「一体、あんたたちは何なの?」

 神経質そうな目で奈帆子と多喜子を交互に睨んだ。

「初めまして、佐々峰と申します」

 奈帆子は努めて冷静に頭を下げた。

「あなたたちね。最近大学内をうろちょろしている輩は。事務局、いや、警察に突き出してやるわ」

 静かな館内に彼女の声だけが響いた。

「進藤さん、まあ、落ち着いてください」

「私は医学の研究で忙しいのよ。あなたたちと遊んでいる暇はないの」

「医学は人の命を救うためのものでしょう。私たちがこうして会いに来たのも人を救うため。お互い目指すところは同じじゃないですか?」

 真矢は少し落ち着いたようだった。それから階段の下に立っていた市川に気づいて、恨めしそうな視線を投げ掛けた。

「それで用件は?」

「単刀直入にお伺いします。十七人の人質は、今どこにいるのですか?」

 真矢は突然の質問に狼狽したようだった。奈帆子はそれを見逃さなかった。

「一体、何の話?」

「あなたは五年前の連続誘拐事件の人質の一人だった。しかし何故かあなただけ無事に解放された」

「その件について、話すことは何もないわ。全ては警察に証言しましたので」

「あなたはそうやって被害者面しているけれど、本当は犯人グループの一人なんでしょ?」

「馬鹿馬鹿しい。いい加減なことを言わないで!」

 真矢は感情に任せて声を張り上げた。しかし事務局のドアから職員が窺っているのに気づいて声を落とした。

「証拠はあるの?」

 一瞬躊躇した奈帆子を押しのけるようにして、多喜子が前に出た。

「もちろん、ありますよ」

 それは堂々たる姿だった。

「あなたたちは気づいてないでしょうけど、実は私たちは人質から連絡をもらっていたのです」

 真矢は一笑に付した。

「どうやって外部に連絡できるのよ? 私も一時は監禁されていたから分かるけど、あの密室から連絡を取る方法なんてある訳ないわ」

「その方法については内緒です。これからもまた連絡をもらうために、今は手の内を明かす訳にはいきませんからね」

 多喜子が自信を持って言うと、真矢は口元を歪めた。

「まあ、いいわ。でも、その連絡が私とどう関係するのよ?」

 真矢は強気な姿勢を崩さなかったが、それでも心に動揺が広がり始めているようだった。

「あなたを名差しで、犯人だと言ってました」

「それは何かの間違いじゃないかしら? 私は誘拐された被害者なのよ」

「いいえ、あなたは事件当夜、車椅子で路線バスに乗り込んでバスを遅らせた。そして十七人の誘拐の手助けをしたんです」

「黙って聞いていれば、全てが憶測ばかりじゃないの。私の名前を指摘したという証拠の品を見せなさい。そんなのある筈ないわ。外部へ連絡するなんて絶対不可能よ。全部あなたたちのでっち上げじゃない!」

 多喜子は不敵な笑みを浮かべて、

「いいわ、そう思っていなさい。いつかあなたの前に証拠を突きつけます」

「そう、この子の言う通りよ。私たちはあなたの尻尾を必ず捕まえて見せるわ」

 奈帆子も援護した。

「ふん、勝手になさい」

 進藤真矢は肩で風を切るようにして、その場を立ち去った。佐々峰姉妹はそんな彼女をずっと目で追った。

 立川が心配そうに近づいてきた。

「おいおい、あんなの怒らせて大丈夫かい?」

「いいのよ。これも作戦だから」


 夕焼け空の下、姉妹は車に乗り込んだ。

「お姉ちゃん、やっぱりあの進藤真矢って怪しいよね」

 多喜子が開口一番、そう言った。

「そうね」

 奈帆子は思い出して、

「そうそう、どうしてあなたたち喧嘩してたの?」

「進藤真矢が私の前に現れたから、市川さんに送られてきた脅迫状を手渡したの。『はい、これどうぞ』って」

「受け取った後、文面も禄に読まないうちにいきなり怒り出しのよ」

「どうしてそんなことをしたの?」

 多喜子は得意げになって、

「そりゃ、もちろん指紋を取るために決まっているじゃない」

「あんたもなかなかやるわね」

 奈帆子は笑った。

 確固たる証拠はないものの、多喜子が鎌を掛けた時、進藤には明らかな動揺が見られた。あの女は事件に無関係を装いながら、こちらがどこまで掴んでいるかを気にしていた。

 進藤真矢の存在はこれではっきりした。次は彼女を尾行したいと思う。仲間のアジトや人質の監禁場所に出向く可能性があるからだ。それは顔のバレていない男子部員の方が適任かもしれない。

「しっかし、あんたも凄い迫力だったわね」

「私も探偵部の一員として、やる時はやるんだから」

 多喜子は胸を張って言った。

「あ、そうだ。今日は親戚のおばさんの家に寄っていくからね」

 奈帆子はエンジンを掛けた。

「はーい」


「すっかり遅くなっちゃったわね」

 奈帆子はハンドルを握りながら言った。

 時刻は十一時半を回っていた。田舎道にはほとんど車は走っていない。すぐ目の前の踏切で赤の点滅が始まった。遮断機が下りてくる。

 白い軽自動車は、踏切手前で停車した。

 普段通らない道で、こんな時間に踏切に捕まるとは何という偶然なのだろう。家路を急ぐ奈帆子は少々苛立ちを覚えた。

「お姉ちゃん、今日の捜査は手応えがあったよね」

 助手席で多喜子が嬉しそうに言った。

「そうね」

 姉も頷いた。今日、捜査の駒を一つ前に進めることができたのには大いに意味がある。多喜子もメンバーに自慢できるからか、その余韻に浸っているようだった。

 踏切で待つ間、奈帆子は何気なくバックミラーに目を遣った。四角い影がこちらに向かってやって来る。ヘッドライトを点け忘れた車だった。かなりスピードが出ているようだ。見る見るうちに迫ってきた。

 どこか変な具合である。奈帆子はバックミラーから目を離せなかった。悪い予感がする。心臓の鼓動が速くなった。

 迫ってくる黒い影は普通車ではない。高さと幅からすると、マイクロバスである。

 奈帆子は、ようやく全てに思いが至った。

 次の瞬間、隣に居る多喜子の手を握った。

「危ない!」

 激突音と同時に車体の後方が持ち上がった。この世のものとは思えない衝撃。軽自動車は遮断機をへし折ると踏切の中へ突入した。

「お姉ちゃん!」

 奈帆子はありったけの強さでブレーキを踏み込んだ。もう車体の半分ほどはレール内に侵入している。さらに車は意志に反して前へ出ようとする。単調な警告音が、今は甲高い悲鳴に変わっていた。

 バスは後ろから全体重をかけて押してくる。間もなく列車が来てしまう。どうすればいい?

 奈帆子はパニックに陥った。

 一方、多喜子は恐怖の中、ドアミラーに映るバスを見た。黒い影が肩で息をする猛獣のように上下に揺れた。こちらに容赦なく牙を剥いている。

 恐らくもの凄いエンジン音を轟かしている筈だった。しかし今の二人には間近に聞こえる警報音がそれをかき消していた。

(そうだ、バックだ)

 奈帆子は咄嗟に思いついて、ギアを入れ直すと、ブレーキからアクセルに踏みかえた。一瞬車は大きく前へ出たが、今度はそれ以上に後ずさりを開始した。

 ボディの激しくきしむ音。四輪全てが一斉に悲鳴を上げた。

 左から列車のヘッドライトが迫っていた。もう間に合わない。多喜子の凍りついた顔が白い光に浮かび上がった。列車の警笛が闇夜を切り裂いた。

「多喜子、逃げて!」

 彼女はシートベルトを外すのももどかしく、ドアに取りついた。しかし追突されたボディはどこか歪んでいるのか、ビクともしない。

(もうダメだ)

 奈帆子は死を覚悟した。ハンドルを強く握りしめ、次に来る衝撃に備えた。

 鼓膜を破るほどの轟音が二人を襲った。目の前が真っ白になった。軽自動車は衝突と同時に宙に浮き上がると、まるで飴のようにねじ曲がった。

 列車のブレーキ音だけがいつまでも響き渡った。しかしどこまでも空走し続けた。

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