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晶也とクマ(2)

 二人は駅前から徒歩で武鼻自動車まで向かった。

 沢渕にとっては、一度叶美と来た道である。クマは黙って後ろからついてきた。

 歩くこと十数分、川が見えてきた。工場はこの川向こうにある。沢渕の案内で二人は大橋を渡った。

 堤防に沿って歩いていくと、途端に視界が開ける。工場の敷地全体が土手の上から見下ろせるのである。

 沢渕はその瞬間、「あっ」と声を出していた。自分の目を疑った。当然あるべき物がそこにはなかったからである。鏡見谷旅館の送迎バスが二台とも消え失せていた。

 以前来た時、白いマイクロバスが行儀よく建物の壁に寄せてあった。それはスクラップの順番待ちをする普通車とは違った扱いのように見受けられた。

 しかし今その場所には、ただぽっかりとした空間があるだけだった。まさか処分されてしまったのだろうか。

 沢渕は焦り始めた。武鼻は探偵部の動きを察知し、証拠隠滅を計ったのだろうか。

 もう少し早くに来るべきだった。後悔の念が湧いた。

 工場の近くまで来ると、重機のエンジンが低いうなり声を上げていた。どうやら武鼻社長は仕事中のようである。

 先を行く沢渕は振り返った。

「クマ先輩、基本的に僕一人で社長と話します。隣に居て、彼の証言に矛盾がないかどうか確認してください」

「分かったぜ。俺は記憶力に自信がないから、とりあえずこれで会話全てを録音しておくよ」

 クマはそう言うと、携帯電話を取り出した。

 以前梶山らと不法侵入した時には、入口は固く閉ざされていた。しかし今日は仕事中のためか、門は大きく開かれている。

 果たして武鼻はこの事件に関わっているのだろうか。もし彼が犯人の一人だとしたら、自分たちも叶美と同様に犯人の懐に飛び込むことになるのだ。

 門をくぐって事務所の横を通り抜けた。それとなく中を覗いてみたが、室内に人の姿はなかった。やはり武鼻は従業員を雇わずに一人で仕事をしているのだろう。

 重機の作動音に吸い寄せられるように奥へ進むと、鉄のアームが忙しく右に左に動いていた。運転台で操作しているのが武鼻なのだろう。ヘルメットは顎ひもをつけず、ただ頭に載せているだけでずり落ちている。顔は赤土色に焼けていて、腕が足ほど太い大男だった。

 沢渕とクマはそのクレーン車の正面に立った。

 すぐに二人に気がついたのか、アームの動きが止まった。男は運転台から顔だけ出すと、

「お前たち、何の用だ?」

 と大声を上げた。

 沢渕は丁寧に頭を下げて見せた。クマも慌てて同じ動作をする。

 男は渋々といった様子で、重機から飛び降りて二人に近づいてきた。一段と浅黒い顔がそこにあった。

「お仕事中にすみません。以前こちらに白いマイクロバスが停めてあったと思うんですが、あれはどうなったのですか?」

 男は鋭い眼光を沢渕に向けて、

「ああ、あれはもう解体しちまったよ」

 と面倒臭そうに言った。

「それがどうかしたのか?」

「いえ、今度学校の文化祭で演劇をやるのですが、大道具としてバスが必要になりましてね」

「あのバスは壊れていて走らねえぞ」

「別に動かなくてもいいんです。舞台の後ろに置くだけですから。さすがに本物のバスでは大き過ぎますから、手頃なのを探していたんですよ。そしたら、堤防から白い小型のバスが見えたので、譲ってもらえないか、と相談に来たのです」

「残念だったな、あれはもうない」

「近所の方から、随分長い間置いてあったと聞きましたが、いつ解体したんですか?」

「先週だったかな?」

 男は空を見上げるようにして答えた。

 沢渕にはそれは少々演技臭く思えた。

「学生さんよ、随分とあのバスにこだわるじゃねえか?」

「そりゃそうですよ、僕は演劇部の大道具担当でして、あれほど適したバスはどこにも見当たりませんからね。それが調達できないと鬼の部長に叱られるんですよ」

 沢渕は困った表情を浮かべた。

「ふん、とにかくバスはないんだ。これでもう用は済んだだろ? とっとと帰ってくれ」

 男はさっさと背を向けて、クレーン車に戻ろうとした。

「ちょっと待ってください。あのバスはどこから手に入れた物なのですか?」

 男は振り返った。

「どうしてそんなことを訊くんだ?」

「もし他にも同型のバスがあるのなら、そちらに行って直接交渉しようかと思いまして」

「ふん」

 男は冷たい視線を向けた。どうやら沢渕の話は信じていない様子である。

「どこかの潰れた旅館から来たと思うが、詳しくは覚えてない」

「取引の記録は帳簿とかに書いてないのですか?」

「そんな面倒臭いものはねえよ」

 吐き捨てるように言った。

 しばらく沈黙ができた。男は沈みゆく夕日に目を細めていた。顔は一段と赤く焦げている。

「しかし解せねえな。どうしてそんなにあのバスのことが気になるんだ?」

「今まで放置していたバスを、随分と慌てて処分したものだな、と思いまして」

「そりゃ、どういう意味だ?」

「何か、急いで処分する理由でもできたのか、ちょっとそんな気がしまして」

 男は顎の辺りを擦るようにして、

「なるほどな、実は何度かこの敷地内に不審者が入り込んだ形跡があるんだが、ひょっとすると、それはお前たちじゃないのか?」

 沢渕は首を横に振って、

「いいえ、僕は学校帰りに堤防を歩いていて、ちょうどいいバスが置いてあるなって思っただけです。でもいつも門が閉じているから、お声が掛けられなかったのです。そしたら今日は門が開いていたからチャンスとばかりにやって来たのです」

「ふん、そうかい」

「ところで、不審者が出たのはいつ頃のことですか?」

「二週間ほど前だ」

「どうして侵入されたと分かったのですか?」

「敷地内に靴跡が残っていたんだよ。前日に雨が降って地面が少しぬかるんでいたんだ。それで靴跡がしっかり残っていたんだ」

「その靴跡はどこに残されていたのですか?」

「ちょうどその辺りだ」

 男は顎でクマの立っている辺りを指した。確かにここはマイクロバスが停めてあった場所である。

「事務所が荒らされた形跡は?」

「なんだい、お前。刑事みたいなこと訊くんだな」

「ああ、すみません。実は僕の親戚もこの町で工場を経営しているのですが、やはり賊が侵入したことがありましてね。金庫を一つ持っていかれました」

「へえ、そうか。そんなことがあったのか」

 男はその話に興味を持ったようだった。

「事務所には目もくれず、足跡は門からまっすぐここまで来ていた。まあ、この敷地内には金目のものは一切置いてないんだが」

「何か盗まれた物は?」

「いや、これといって何もねえ」

「今度、あの堤防の上で張り込むってのはどうです?」

「バカバカしい。ここには何も盗る物がないんだから、別にどうってことはない」

「そうですか」

 沢渕は素直に応じた。

「ところで武鼻さんは毎日どうやってここへ来ていらっしゃるのですか?」

「自転車だよ。自宅は近いからな。何でそんなことを訊くんだ?」

「いえ、もし事務所辺りに車でも停めておけば、賊も警戒して中へは入ってこないのではないかと思いまして」

「なるほど。まあ、車なら腐るほどあるんだから、今度はそうしておくか」

 武鼻は一人で納得して言った。

「社長、それでは最後に一つお願いしてもいいですか?」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

「名刺を頂けると助かります」

「貰ってどうするんだ、そんなもの?」

「しばらくしたら電話を掛けて、別のバスが入ってないかどうか尋ねたいんですよ。お願いします」

「分かったよ、お前の情熱には負けたよ」

 武鼻は沢渕を事務所に案内してくれた。そして名刺を一枚くれた。

「ありがとうございます。今日はこれで失礼します」

 沢渕はクマを促して会釈をすると武鼻自動車サービスを後にした。


 堤防に戻ったところで、早速クマが口を開いた。

「結局、あの社長は白か黒か、どっちなんだ?」

「どうやら事件には関係なさそうです」

 沢渕には確信があった。

「でも見るからに怪しそうな奴だったぜ」

「バスのことをしつこく訊いた時、どんな反応するか注目していたんです。もし犯人なら誘拐事件の重要な証拠だから、その存在を隠そうとしたり、嘘の証言をする筈なんですよ。しかしあの人はそんな様子は見せなかった。ただ我々のことを警戒していたに過ぎません。それは以前、工場に侵入した者がいたから無理もないと思います」

「ところでその不法侵入者って、お前らのことじゃないのか?」

「いいえ、それは違いますね。僕たちも確かに侵入はしましたが、前日に雨など降っていませんから足跡は残していません。それに社長は複数回入られたと言ってました。つまり僕らの他にも入った輩がいるということです」

「そうだな、犯人の一人ならそんな話を延々とお前に話す必要はないわな」

「そうですね」

「そうそう、どうして社長の通勤手段を訊いたんだ?」

「僕らが不法侵入した時、堤防の上で車が急発進したんです。どうやら誰かがそこで僕らの行動を見ていたらしいのです」

「それが武鼻社長かどうか、確かめた訳だな?」

「ええ、そうです。社長は自転車で通勤してますから、堤防の車は彼のものではなかった」

「それじゃあ?」

「侵入者だったのかもしれませんね。たまたま僕らとかち合って、何をするつもりなのか見守っていた」

「すると、どうなるんだ?」

 クマが頭を抱えた。

「武鼻社長が誘拐事件と無関係だとすると、何故犯行に使われたバスが敷地に置いてあったのか、ってことになるぜ」

「あの鏡見谷旅館のバスは犯行には使われていないのでしょう」

「えっ?」

 クマは沢渕の顔をじろりと見た。

「しかし、バスの中から片比良七菜のメモが見つかったのは事実だろ?」

「はい。でもそれは犯人たちの偽装工作の可能性があります」

「何だって?」

「あの敷地に入った賊というのは、犯人の一味かもしれません」

「どういうことだ? 俺にはさっぱり分からんが」

「つまり犯人たちは武鼻自動車サービスに停めてあったバスに、わざとメモを残していったのです」

「何のために?」

「我々に鏡見谷旅館のバスが犯行に使われたと思わせるためですよ」

「では、犯人が使ったバスは他にあると?」

「そうなりますね」

「じゃあ、俺たちは無駄な捜査をしていたということか?」

「いえ、あながち無駄とも言えませんよ。あのバスではない、別のバスを探さなければならないことが分かっただけでも一歩前進ですから」

「お前は楽天家だよ、まったく。また捜査は振り出しに戻ったってことなんだぜ。一体いつになったら事件は解決するんだ。俺たちはまだ何も掴んでないんだからな」

 沢渕は黙って考えてみた。

 どうしてここ二週間の間に、犯人グループは突然偽装工作をし始めたのだろうか。それは探偵部の動きを察知したからに違いない。つまり探偵部が犯人に直接的、あるいは間接的に接近したからこそ、奴らは危機感を持ち始めたのではないだろうか。

 ではこれまでの探偵部のどんな動きに、彼らは身の危険を感じたというのだろうか。

 叶美が襲われたのは一昨日のことであるから、それ以前に探偵部は犯人に迫っていた訳である。それは一体どんなことだろうか。

「どうして社長の名刺なんか貰ったりしたんだ?」

「指紋ですよ。念のため、鍵谷先生に監禁場所から出てきた雑誌の指紋と照合してもらうためです」

「ふうん、お前は何も考えていないようで、色々と考えているんだなあ」

 そこで、クマの携帯が鳴り出した。

 クマは電話に応じてから、

「ボーリング場からの報告だ」

 と手短に言った。

 何度か相槌を打ちながら聞いている。

「梶山さんたちは無事ですか?」

 そんな沢渕の質問に、

「場内を全部捜索したが、人の居る気配はなかったらしい。犯人グループが長期間潜伏していた形跡もないそうだ」

「部屋の中に大型犬の死骸はありましたか?」

 クマは同じ台詞を電話の向こうに伝えた。

「いや、あるにはあったが、小さな犬が一匹死んでいるだけだった」

 叶美は、大型犬が放し飼いにしてあると聞かされていたが、行ってみると室内で殺されていたと報告した。しかしそれは植野老人たちの暗示のせいで、暗がりに閉じこめられた彼女が勝手に思い込んだのかもしれない。

「どうする?」

 クマが沢渕の顔を覗き込むようにした。

「もうすっかり暗くなりましたから、帰るよう伝えてください。ありがとうございました」

 クマはその通りに指示を出した。

 もう一度始めから出直しだ、沢渕はそう考える。

 犯人グループは探偵部の動きに恐れをなしている。今後様々な妨害工作が行く手を塞ぐだろう。また部員が危険に晒されることにも十分注意しなければならない。第二の叶美を出してはならないのだ。

 沢渕は心を引き締めた。

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