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不良と化した生徒会長(1)

 闇の中に、一筋の強烈な光が差し込んでいた。

 誰かがスポットライトを照射しているのだ。目を背けるのだが、白い光線は眼球めがけて飛んでくる。もうこれ以上我慢はできなかった。

 叶美は思わず目を開いた。

 不思議な光景が広がっていた。

 コンクリートの壁が四方を囲む狭い空間だった。高窓からは強い朝日が差し込んでいた。

 ここは女子更衣室だ、叶美はようやく気がついた。

 身体は明らかに睡眠を欲しがっているが、もはや諦めるしかなかった。

 じわじわと意識が戻ってくる。

 次の瞬間、慌てて背中に手を回した。ナイフの傷は致命傷ではなかったか。しかし背中には何も残っていなかった。

 頭の中が混沌としていた。

 深夜に音楽準備室のピアノが鳴っていた。それは古くから伝わる学校の怪談である。真実を突き止めようと、窓を割って校舎に入った。

 しかしそこで待ち構えていたのは、十七人を誘拐した犯人たちだった。

 彼らとは二度目の遭遇である。最初の失敗を踏まえ、今度は互角以上に戦った。だが最後の詰めが甘かった。背を向けたところ、容赦なくナイフで突き刺された。

 あれは全てが夢だったのか。だとしたら、とんでもない悪夢である。

 待てよ、叶美はふと思った。

 ひょっとすると、ボーリング場の廃墟で彼らと対峙したのも夢ではないのか。

 いや、そんな筈はない。自宅にも帰らず、こんな所で一夜を明かしたのが何よりの証拠である。

 額には細かい汗が浮いていた。それをハンカチで軽く拭き取った。

 立ち上がって時計を見た。

 もうすっかり朝を迎えていた。外のグランドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。

 これ以上ここに留まっている訳にはいかない。

 叶美は更衣室の扉を開いた。

 すると女子生徒数人と鉢合わせになった。どこかの運動部員だった。みんな体操服を着込んでいる。

「あれ、森崎先輩じゃないですか?」

 一人がそんな声を上げると、互いに顔を見合わせた。

「こんな所で何していたんですか?」

「顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」

 そんな声が上がった。

「ごめんなさい。ちょっと眠ってしまって」

 さすがの生徒会長も咄嗟の出来事にうまい言い訳が思いつかなかった。

 案の定、彼女らは納得がいかないといった表情を並べている。

「制服が凄く汚れてますよ。何かあったのですか?」

「ううん、何でもないの。ご心配ありがとう」

 叶美は好奇の目に耐えられなくなって、早々とその場を後にした。

 校門の方からは続々と生徒たちが登校してくる。彼らの視線を避けるように校舎の反対側に駆けていった。

 昨夜割った窓がどうなっているか確認したかったのである。どうしても納得がいかなかった。それほどあの夢は現実味を帯びていた。

 校舎はいつもと変わらぬ姿だった。どこにも異変はない。

 やはり夢だったのだ。

 叶美はまだ信じられない気分で校舎の正面玄関へと向きを変えた。

 その時である。

「おーい、森崎!」

 馴染みのある声に振り返った。視線の先には、柔道着姿の久万秋進士が立っていた。

 思わず駆け出していた。途中で何度も足がもつれた。

 白い巨漢の前で立ち止まると、しばらく顔を見つめた。長年別れていた旧友に出会ったような気分だった。自然と涙が湧いた。

 叶美の異変に、クマも気づいたようだった。何かを言おうとしたが、それよりも先に叶美が抱きついていた。

「私、怖かった。本当に死ぬかと思った」

 そう言って泣き崩れた。

 クマは呆然と立ち尽くすばかりであった。

「おい、森崎、落ち着けよ。一体どうしたってんだ?」

 しかしすすり泣くばかりで返事がない。

「大丈夫か? いつものお前らしくないぞ」

 クマは彼女を自分の身体から引き剥がした。

「あれ、制服が随分と汚れているじゃないか。誰かと喧嘩でもしたのか?」

 嗚咽するばかりで答えられずにいると、

「誰にやられたんだ? お前をこんな目に遭わせた奴は許さねえ。仇を取ってやる」

 クマは泣きじゃくる叶美を座らせると、小さな頭を撫でるようにした。

 遠くで運動部員たちが歩幅を緩めて二人の様子に目を向けていた。

「おいおい、そんなに泣くなよ。とりあえず落ち着け。お前が取り乱すと、俺まで不安になるだろうが」

 クマはいつも正直である。嘘がつけない性格なのだ。それに比べて、私は欺瞞に満ちている、自然とそんなことを考えた。

 叶美は泣くのを止めた。

「いよいよ今日は投票日だな。お前が生徒会長になるのも時間の問題だ。安心しな」

「ありがとう、クマ。でも、もういいのよ」

 涙を拭って言った。

「何がいいんだよ? お前は絶対、橘雅美に負ける訳にはいかんのだぞ」

 叶美の口元に笑みが浮かんだ。

「それにしても、その格好は何とかしないとな。着替えはないのか?」

「そんなのない」

「体操服とかは?」

「ないわ。それどころか、今日は鞄も持ってきてない」

 学生鞄は、隣町の駅のロッカーに預けたままである。

「森崎、お前も随分と大胆な行動するよな。今日の授業はどうすんだよ?」

「授業には出ないわ。保健室に行って寝るつもり」

 クマは目を丸くして、

「お前、いつからそんな不良になっちゃったんだよ。昨日までは優等生だっただろう?」

 叶美は小さく笑った。

「実は昨日の晩、学校に忍び込んで校舎の窓ガラスを割っちゃった」

「な、何だって!」

「それとね、こっそりプールに入って、真っ裸で泳いだのよ」

 叶美は嬉しそうに語った。

「そうそう、プールで身体を洗うとね、気持ちがいいものよ」

 クマはどう応えてよいのやら、分からなくなってきた。今日の叶美はまるで誰かが乗り移ったようだった。

「それからね、更衣室で寝ちゃったのよ」

「まさか、お前、それって家出じゃねえのか?」

「そうよ、学校で寝泊まりしたんだもの」

「おい、突然どれだけ不良になったんだよ。やってることのハードルがいきなり高過ぎるだろ」

 クマは非難をどれだけぶつけても足りないようだった。いやむしろ、そんな言葉を浴びて叶美は喜んでいるように見えた。

 正面から両肩を揺さぶるようにして、

「森崎、一体どうしちまったんだ? 選挙疲れで頭が変になっちまったのか?」

 叶美は答えなかった。

「多喜子も骨折するし、お前も不良になっちゃうし、一体どうなってんだ?」

 これまでうつろな目をしていた叶美もその言葉にだけは鋭い反応を示した。

「何ですって! クマ、今何て言った?」

「いや、だから多喜子が昨日足を骨折しただろ。あれ、まだ森崎は知らなかったのか?」

「一体どういうことなの?」

 叶美はクマを睨みつけた。

「昨日、晶也と一緒に鏡見谷旅館に行って、穴から転落して大怪我をしたらしいんだ」

 それを聞くと、部長はクマを放ったらかして走り出した。


 廊下は登校したばかりの生徒らでごった返している。そんな制服たちをかき分けるようにして叶美は沢渕の教室にやって来た。

 泥だらけの生徒会長が肩で息をしている異様な光景を目の当たりにして、周りは騒然となった。

 しかし当人はそんなことは一切気にならなかった。今は多喜子のことで頭が一杯だった。

 前扉から教室の中へ入った。大股で黒板の前を通過すると、教室中の誰もが一斉に話を止めて彼女の動きを見守った。

 叶美は沢渕の姿を捉えると、真っ直ぐに突き進んでいった。

「沢渕くん!」

 一体何が起きているのか分からず、後輩は驚いた表情を浮かべた。

「タキちゃんが怪我をしたって本当なの?」

 まるで掴みかかるような勢いで迫った。

 沢渕はこれほど激しい形相の叶美をこれまで見たことがなかった。圧倒されながらも何とか口を開いた。

「実は昨日、天井から床へ落ちて右足を骨折しました」

「あなたが一緒だった筈よね。それなのにどうして?」

 叶美は詰め寄った。

 しばらく何も答えられずにいると、叶美は突然、沢渕の頬を叩いた。

 沢渕はよろめいて、机と椅子が悲鳴を上げた。

「あなたは最低よ。タキちゃんに、もしものことがあったらどうするの。部員を危険な目に遭わせるような人は探偵部に必要ないわ。即刻辞めてもらいます!」

 大きく肩で息をしながら、それだけを言い放った。

 教室は水を打ったように静まりかえっていた。

 彼女の頬を涙が伝った。どうして涙が溢れるのか分からなかった。

 ただ、教室に居た誰もが叶美の乱暴な行為を目の当たりにして、不信感を抱いたことだけは確かであった。

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