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叶美と晶也の共同捜査(1)

 金曜の朝。

 沢渕は人混みを縫って駅を出ると、立ち止まって一呼吸した。毎日の儀式とはいえ、朝のラッシュには未だ馴染むことができない。これがこの先三年も続くと思うと途端に気が滅入る。

 駅前は多くの学生でひしめき合っている。空から見れば、彼らの制服は色とりどりの点であり、ある種の幾何学模様を生み出していることだろう。やがてその模様は色別に一本の線となり、それぞれの学校目指して流れていくのだ。

 沢渕は自分の決めた歩幅で進んでいく。この時間は彼に自由な思索を許してくれる。時には新しいアイデアが浮かぶこともある。

 今彼の頭を占拠しているのは、やはり誘拐事件に他ならない。

 十七人の誘拐に成功した犯人グループは、この四年間どのような暮らしをしてきたのだろう。人質は少なくとも最近まで生存していたことが確認できている。すなわち犯人たちは人質を生かし続けていることになる。もっと言えば、四年間生活を共にしている訳である。

 これは一体何を意味するのだろうか。

 一般に誘拐事件では、犯人にとって人質の処遇は困るべき筈のものである。確かに人質は大事な金づるだが、厄介な存在であることに変わりはない。そのため犯人は身代金の受け取り後、素直に人質を解放するか、あるいはすでに殺害しているか、そのどちらかである。

 しかし今回の事件は違う。

 明らかに犯人たちは人質を殺さずに生かし続けている。その目的は一体何なのか。身代金を手に入れられなかったとはいえ、四年も共に暮らす理由が果たしてあるだろうか。

 一つ考えられるのは、今もなお人質を利用しているということである。以前直貴が指摘した、人質を洗脳し、犯罪に利用するというものである。もしそれが成功しているなら、一部の人質は実は犯人と結託して自由に外界を飛び回り、犯罪に手を染めていることになる。

 いや、そんなことはあり得ないのだ。沢渕は頭を振った。

 それでは女子高生が書いた隠しメッセージの説明がつかない。雑誌にははっきりと「カンキン」と書かれていた。「監禁」とはある場所に閉じ込められ、自由を奪われている状態である。建物の外へ出ていける道理はない。

 それでは十七人を二つのグループに分けて、一方のグループの命と引き替えに、もう片方に犯罪の片棒を担がせてはどうか。

 いや、これも難しい。なぜなら十七人は偶然選ばれた者に過ぎず、そのほとんどは面識のない者ばかりだからである。家族のような強い人間関係ならともかく、この程度の関係では、犯人の指示に従うどころか、外へ出た瞬間全員が逃げ出しているだろう。

 思考を続ける沢渕の耳を突然、威圧的な声が襲った。一人の世界に埋没していただけに、内容がまるで聞き取れなかった。

 反射的に振り返ると、すぐ間近に制服姿の女子が迫っていた。

 朝日を顔に受け、やや眩しそうな表情を浮かべているのは、森崎叶美だった。

 唖然とする沢渕の顔に、

「こら、そこの新入生。思い悩んでいると溝に落っこちちゃうわよ」

 そんな一声を浴びせた。

「何か悩み事があるのなら、一度生徒会にいらっしゃい」

「生徒会長っていうのは大変なんですね。朝から新入生が溝に落ちないように気を配らなければならないんですから」

「ちょっと、沢渕くん。あなた最近、先輩に対する敬意が希薄じゃない?」

「そうですかね?」

「そうよ。以前は緊張して、『はい、はい』って可愛かったのに、今じゃ悪態までつくようになっちゃって」

 叶美は少し早歩きで隣に並んだ。

「事件のこと、考えていたんでしょ」

 決めつけるように言った。顔は前を向いたままだった。

「ええ、まあ」

「それじゃあ、今日の放課後、例の調査しない?」

「いいですよ」

「学校が終わったら隣町の駅前で待ち合わせ。いいわね?」

「はい」

 叶美はその返事を合図に、さらに歩幅を大きく取って沢渕を抜き去っていった。以前は左右に大きく揺れていた長い髪が、今では短く上下にふわふわと動いている。

 彼女は沢渕の方を一度も振り返ることなく、ひたすら前に進んでいった。今、大通りから合流した学生の中に友達を見つけて足早に合流した。両手を大袈裟に動かしながら、友達の冗談に応えている。

 そんな姿を目で追って、沢渕は不思議な感覚にとらわれた。

 入学式で初めて叶美と出会った時、互いに住む世界が違うのだと考えていた。生徒会など自分には無縁なものだと決めつけていた。

 それがどうしたことだろう。今では彼女と共に行動をするまでになった。お互いに言いたいことが言える仲でもある。彼女は過去の秘密まで包み隠さず語ってくれた。

 しかし、考えてみれば、それもこれも探偵部という組織上の間柄であって、果たして真の人間関係と言えるのであろうか。

 その証拠に、先ほど叶美は周りに人気がないことを確認した上で、追い抜きざまに声を掛けてきた。そして一方的に指示を与えると、すぐさま立ち去った。これではまるで会社の上司と部下である。どこまでいっても、二人はそんな関係でしかないのだ。

 沢渕は心のどこかにぽっかりと穴が開いているような感じがした。


 夕方になって、沢渕は駅を目指して歩いていた。校門を出た頃は同じ制服に囲まれていたのだが、商店街を抜ける頃には、すっかり一人きりになっていた。

 券売機で切符を買って、自宅とは逆方向の電車に乗った。この時間はまだラッシュ前である。座席はいくらでも空いていた。

 鞄を足下に置いて、窓の外に目を遣った。列車は加速すると、田園地帯をあっという間に通り抜けて市街地へと滑り込んだ。十分も掛からないうちに隣町に到着した。

 重要なのは、いかに効率よく監禁場所を特定するかである。こればかりは人海戦術に頼るしか他はない。住宅地図をプリントアウトして、面積の広い、監禁に適する建造物には予め赤丸を付けておいた。今日は二人でどれだけ廻れるだろうか。

 改札口を出ると、真正面の壁を背に森崎叶美がうつむいて立っていた。チェック柄の短いスカートからすらりと伸びた足を交差させている。ヘッドフォンを耳から垂らして、時折改札口に目を遣ることも忘れない。

 ありふれたデザインの制服も彼女が着るとまるで違って見える。ファッション雑誌から飛び出してきたモデルのようだ。駅構内の最も激しい往来の中にあっても、彼女の姿は人目を惹くのに何の苦労もなかった。沢渕の前を行く男子高校生は、誰もが彼女に強い興味を示しているのが分かった。

 叶美は沢渕の姿を捉えると、すぐさま壁から剥がれた。ヘッドフォンを外す。

「それじゃあ、行きましょう」

 駅を出るとまだ西日は高かった。駅前の騒音が二人を包み込む。

 叶美は少し前を歩き出した。沢渕は足早に真横に並んだ。

「アバンダン」

 突然、叶美が口を開いた。

「はい?」

 沢渕は聞き返した。

「アボリッシュ」

 彼女は構わず続ける。

「何ですか、それは?」

「あなた、全然英語の勉強してないじゃない。もうすぐテストなのよ」

 叶美は冷ややかな視線を浴びせた。

「英単語よ、英単語。アバンダンは『見捨てる』。アボリッシュは『廃止する』でしょ。これ単語帳の最初のページよ」

「もちろんこれから勉強するつもりですよ」

 沢渕は憮然として言った。

「ひょっとして先輩がさっき聞いてたのは、英語のリスニングですか?」

「そうよ、当たり前じゃない。何だと思ったの?」

 さすがは生徒会長。不真面目な男子には手厳しい。

 二人はバスターミナルを抜けて大通り沿いを歩いた。しばらくして捜索エリアへと入った。

 沢渕にとっては以前歩いた道である。風景もしっかり覚えている。

「さあ、ここから調査開始ね」

 叶美が言った。

「ここで二手に分かれましょう。私はこの道を真っ直ぐ行くから、あなたは一本隣の道を同じように進んで頂戴」

「分かりました」

「二つの道はこの先の公園でぶつかるから、そこを合流地点にしましょう」

 叶美は小さく折り畳んだ地図を確認して言った。

「あの、先輩?」

 早速二、三歩進み始めた叶美の背中に声を掛けた。

「なに?」

「一人で無茶しないでくださいよ」

「大丈夫よ、滅多なことはしないから」

「もし怪しい場所を見つけたら、一人で行かず、僕に連絡をください」

「分かったわよ。沢渕くんって心配症なんだから、もう」

 そう面倒臭そうに言ったが、顔は笑っていた。

 沢渕は叶美と別れて、バス大通りを奥へと入った。地図を片手に対象となる物件を探した。

 最初の大きな敷地は近づいてみると何のことはない、ただのマンションだった。あちこちのベランダには洗濯物が干してある。何とも平和な光景である。これは探し求めている建物ではない。

 さらに行くと、「仕出屋」の古看板を掲げた商店に出くわした。木造家屋の店は最早商売をしている様子はない。店の裏側が民家になっていたが、ここに十七人もの人質を監禁することは不可能である。沢渕はそのまま通り過ぎた。

 続いて訪れた場所は工事現場になっていた。地図には広大な敷地として載っている。四方は全て白いテント生地の布で覆われて、中を窺い知ることはできない。壁に掲げられた看板には、完成予想図として五階建てのマンションが誇らしげに描かれている。工事開始日は先月の日付となっていた。

 しばらく沢渕は道路を隔てた反対側に立って様子を見ることにした。五分ほど経ったところで、中から白いヘルメットを被った背広姿の男性が出てきた。作業員というよりは設計士のようだった。丸めた図面を抱えている。

 沢渕は駆け寄った。

「すみません」

 その男性は道路の真ん中で立ち止まってくれた。眼鏡の奥の目は柔和で、どうやら人と接することに慣れたビジネスマンのようだ。若い高校生の話でもしっかり聞いてやる準備ができているようだった。

「私、こちらに住んでいた方とは親戚でして、数年ぶりに会いに来たら、工事中だったのでびっくりしました」

「ああ、そうでしたか」

 男は頷くように言った。

「高嶋さんの親戚の方?」

「はい、そうです」

「今、高嶋さんは駅裏のアパートに一時的に引っ越してましてね。ここにマンションが建ったら、管理人としてお入りになるのですよ」

「ああ、そうですか。それを聞いて安心しました」

 沢渕はわざとホッとした表情を見せた。

「前の建物はいつ取り壊したのですか?」

「あの八百屋は、ちょうど一年ぐらい前に解体して、しばらくは更地になってましてね。なかなか次の物件が決まらなくて」

「そうだったのですか。あの店は子供の頃から知っているものですから、なんだか惜しい気がします。マンションの完成はいつ頃になるのですか?」

「来年春に入居者募集の段取りです」

「なるほど。では、その頃にまた来ます。ありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」

 沢渕は一礼するとその場を離れた。男の視界からすぐに消えるように最初の辻を折れた。

 元々八百屋ということなら、建物自体はそれほど大きいものではないだろう。注目すべきは、取り壊しが一年前という点である。例の女子高生のメッセージは去年の秋頃と推定されるので、その時点ですでに八百屋は存在していない。この物件も事件とは無関係だ。

 突然、沢渕の携帯が鳴り出した。森崎叶美からである。

 彼女の身に何か起きたのだろうか。恐る恐る電話に出た。

「沢渕くん、お疲れさま」

 叶美の無事な声がした。しかしいつもとは違う緊張感が伝わってくる。

「どうかしましたか?」

「あのね、一軒怪しい建物を見つけたの。今すぐ来て頂戴」

「了解。僕が行くまで待っていてくださいよ」

「分かってるわよ」

 叶美は地図上のある場所を伝えた。

「すぐに行きます」

 沢渕は猛然と駆け出していた。

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