Episode21 強すぎたキモチ
親友を傷つけて、自分を守ろうとした私に幸せになる資格などない。
どんなに鈴音が思ってくれていても、それに応えてあげる資格もない。
私は、鈴音を愛してあげることが出来ない。
だって私が本当に愛しているのは、明美だから。
その気持ちだけはずっと変わっていない。湧き上がってくる様々な感情でぐちゃぐちゃになった私が、私であるための最後のキモチ。
どんなに隠して押し殺して逃げて誤魔化しても、ずっと近くを離れない、そんなキモチ。
私が明美を突き放しても、彼女はまた会いに来てくれた。もう会うことはないと思っていたのに、私のために泣いてくれた。
明美は本当に、優しい。
あんなに酷いことを言った私を責めもせずに、自分を責めて苦しんで。私を親友だって言ってくれたその言葉に偽りなんかなくて。そんな彼女を裏切った私は最低で。
楓は私から明美を奪った張本人。拭いきれない黒い感情が、今も彼女に向けられているのは確かだ。
しかし楓もまた来てくれた。私を叩いたあの日から、楓に何があったのかは知らない。でもあの謝罪の言葉が、彼女の本心であることは分かる。だって楓は良くも悪くもいつも自分の気持ちに真っ直ぐで、嘘をつくのが苦手だから。表では明るく元気に振舞っているくせに、内面ではずっと考えて悩んでいる私には、楓のそういうところが少し羨ましい。
明美を愛している私が、また二人と親友に戻れるかは分からない。
それでも私は二人を傷つけたことは確かだ。
謝らなくちゃ、いけない。
そして鈴音。
鈴音が私のことを本当に思って、相談に乗ってくれて、追い込まれた私を救い出してくれようとしたのには感謝してもしきれない。鈴音がいなかったら、私は胸の中の重い荷物に押し潰されて動けなくなっていたはずだ。
最後には全ての気持ちを打ち明けてくれて、私は中途半端な気持ちでそれに応えてしまった。こうすることで明美を忘れられるかもしれない、と。全ては自分のために。
そう、だから悪いのは私だ。
鈴音は悪くない。
薄暗い無機質な部屋の天井を見つめながら、何度もそう自分に言い聞かせた。
まだ意識がはっきりとしないのは、薬の所為だろうか。
霧がかかったようにぼんやりした意識と視界の中で、私は無機質な壁に寄りかかってただ天井を見上げていた。
壁から伸びた鎖に固定された手首と足首が、私の自由を奪っている。
ここに来てからどれほどの時間が経ったのかは分からない。一時間のような気もするし、半日以上過ぎているような気もする。
コンクリートの壁と床、天井。そして鉄のドアしかない六畳ほどのこの部屋には時計すらもなく、私から時間の感覚を奪っていく。窓も無いので、外では日が落ちているのか登っているのかも分からない。幸い天井で回る換気扇がこの部屋に新鮮な空気を送り込んでいた。
どうしてこうなったのだろう。
家を飛び出して明美と楓を探しに行った私は、突然路地に引きずり込まれて体の自由を奪われた。マズいと思ったのも束の間、なす術もなく何かを飲まされた私は、すぐに眠りに落ちるように意識が遠のくのを感じた。
そして視界が失われる直前に、見た。
光のない瞳で私を見つめる鈴音の姿を。
そしてその口元が小さく動いて、
『先輩が悪いんですよ』
と、彼女は確かに言った。
気がついたらこの部屋にいて、手足の自由を金属の道具に奪われていた。ただ壁に寄りかかり、ぼうっとしていることしか出来ない。
でも何故か、今この状況を冷静に見つめている私がいる。
幸か不幸か、意識を失う直前に鈴音の姿を見たことがそれに繋がっているのかもしれない。もし何も知らないのなら、私は知らない人に監禁されるという事態に怯えて泣き喚いていただろう。今この状況も、かなり悪いのだけど。
鈴音は生粋のお嬢様だ。だから使用人に車を用意させて、この何処か分からない部屋に私を連れてくることも出来るはずだ。使用人が鈴音に言われるがままに、この行為を行っていることがかなり気になるけれども、弱みでも握られているのだろうか。
そして私がここに誘拐され、監禁されている理由。
考えたくないけど、鈴音は明美と楓を邪魔者のように思っているらしい。それはあの時、攻撃的な言葉をかけて、無理やり私にキスをして二人を追い払ったことからも想像出来る。
だから鈴音の「私がなんとかします」という言葉を否定し、二人に謝ろうと言った私に彼女は怒って、私をここへ連れて来た。
否定したくとも、この状況を見ればそうとしか考えることが出来ない。
鈴音がいくら私の事を好きだからといって、ここまでするとは思えないけど。
でも、元はと言えば中途半端に鈴音の気持ちに応えた私が引き起こした事態だ。一概に鈴音が悪いとは言えない……ううん、悪いのは全て私だ。鈴音は何も悪くない。
私はこのままどうなるのだろう。ずっとこのままこの部屋で、明美にも楓にも謝ることが出来ないままなのかな。言いようのない恐怖が湧き上がってくる。想像しただけで背筋が凍った。
取り敢えず、今この場に鈴音が来たら言うことは決めていた。まず「ごめん」と謝ろう。私は鈴音の気持ちに応えることが出来ないと、はっきりと。これ以上二人の親友を邪険に扱うことは出来ないと。
全ての気持ちを正直に話せば、きっと鈴音は分かってくれる。ずっと二年間同じ部活でやって来た仲だし、ここで私のために将来を捨てるような真似はしないと信じている。
きっと、すぐに解放してくれる。
その確信もここまで冷静にいられる要因かもしれない。
その時、鉄の扉が軋みながら開く音がしたので、私は視線を下げた。
そこでは口元に小さく笑みを貼り付けた鈴音が、私を見下ろしていた。
「気分はどうですか? 先輩は大切な人ですから、丁重に扱ったのですが」
「……せめてもうちょっと綺麗な部屋で目覚めたかったかなぁ」
わざと冗談めかして笑って答えると、鈴音も可笑しそうに笑った。今この状況でなければとても平和な高校生の風景なのに。
「ごめんなさい、先輩に騒がれてしまうと流石に私の身が危ういのでこんな場所になってしまいました。ご希望であれば上の部屋でも良いですよ? 猿轡を噛んでもらうことになりますが」
「……ここで良いです」
そんな非日常の道具が名前を覗かせたことに、肝が冷える。
上の部屋、ということはここは地下室ということだろうか。確かにここならどんなに大声で助けを求めても外へは聞こえなさそうだ。
やっぱりお嬢様の家は違うなぁと感心してしまう。感心している場合ではない。
「……鈴音」
「はい?」
名前を呼ぶと、鈴音はにっこりと微笑んだ。今この状況を些細なことのように思っているような、そんな笑顔。
私はさっきまでの表の顔を取り払って、真剣な目で鈴音を見つめる。そして、ゆっくりと口を開く。
「……ごめん」
「どうして謝っているんですか?」
間髪を入れずに鈴音が訊いてくる。私は「えっ」としか言えなかった。鈴音は微笑んだまま、私の前にしゃがんだ。整った顔が目の前に迫る。手足の動かない私には、そんな彼女から距離を取ることも出来ない。
「別に私は怒っていませんよ?」
「え、そ、それって……どういうことなの?」
怒っていないなんて、意味が分からない。ならどうして鈴音はここへ私を連れて来たの? 私が明美と楓に謝ろうとしたことが気に入らなかったからじゃないの? 訊きたいことは山ほどあるのに、喉の奥が震えて言葉が出て来ない。
怖い。
この後輩が何を考えているのか分からない。感情の読めない笑顔。何か大きなことを隠しているような、そんな予感がする。今まで私は他人の気持ちを読み取ってから、頭でどうすればよいか考えるように生きて来た。でもこの後輩からは、何も読み取ることが出来ない。
頬の肉を噛んで、身体の震えを止めようとする。
この鈴音は、何かがおかしい。あのゲームセンターではしゃいだり、ドーナツを食べて喜んでいるような鈴音じゃない。
鈴音は私に覆いかぶさるように壁に手をついて、私の耳元に口を寄せる。そして囁き掛けるように、
「理由はただ一つですよ。先輩を私のものにしたいからです」
「え……?」
戸惑い。
あまりにも単純なその理由に言葉を失う。
まるで子供が欲しいおもちゃがあるから母親に買ってもらうような、そんな単純さだった。
絶句する私に、鈴音は黙ったまま笑顔を崩さない。
「これが最後の手段だったんですけどね」
「それ……どういう意味?」
鈴音は答えないまま私から離れて、意味深に微笑む。
最後の手段って、それじゃあまるで鈴音はずっと私を手に入れるために何かをしてきたみたいじゃないか。そんなもの、信じられない。信じたくない。
「もう完全に手に入ったと思ったんですけど……先輩のあの二人を思う気持ちは予想以上に強かったみたいですね」
「何を……言ってるの?」
身体の震えが止まらない。
まるで悪い夢を見ているようだった。この鈴音が、あの真面目でお淑やかな鈴音だなんて信じられない。
「知りたいですか?」
尋ねてくる鈴音に、私は首を振ることすらも出来ない。
「そうですね。知らない方が幸せかもしれません……どちらにしても、先輩にはもうどうすることも出来ないんですけどね」
泣くな。
そう自分に言い聞かせて、必死に堪える。今ここで泣いたら鈴音の思う壺だ。
冷静さを保っていれば、きっと鈴音は分かってくれる。悪いのは全て私なのだから、私が鈴音をいつもの鈴音に戻してあげなくちゃいけないんだ。
深呼吸して、目を閉じる。そしてもう一度開き、鈴音を見上げた。
「流石先輩ですね」
私の表情が変わったのを見てか、鈴音が感心したような声を出す。こんなことで褒められたってまったく嬉しくはないけど。
「鈴音、お願い話を聞いて」
「んー、じゃあそうですね。少し昔話でもしますか?」
私の言葉なんて聞こえていないみたいに、鈴音はそんな提案をする。昔話なんてしても仕方がないのに。今どうしてこうなっているかをちゃんと話をして、
それでも鈴音は勝手に言葉を続ける。
「先輩は、私と初めて会った時のことを覚えていますか?」
鈴音と初めて会った時。
鈴音と会ったのは文芸部の部室に彼女が来たのが最初のはずだ。そんなもの当たり前なのに、どうしてそんなことを訊くのだろう。
「……鈴音が一年生の時、」
「違います」
言葉を遮る鈴音。
意味が分からず、黙ってしまう。違うがはずがないのに、何を言っているんだろう。
寂しそうな顔をする鈴音。どこから演技でどこから本音なのかは分からないけど、なぜかその表情は本当にどこか悲しげに見えた。
「じゃあ教えてあげますね」




