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Episode14 抑えられないキモチ

「ちょっと、楓?」

 困惑する私のそんな言葉は聞こえていないかのように、私の手を強めに引いてどんどん歩く楓。映画館の自動ドアを抜けて、ソファーが置かれた中央のスペースまでやって来る。そこでようやく楓は立ち止まって、私も止まる事が出来た。


「……楓?」

 私は楓の少し後ろに立っているから、ここからじゃ楓の表情は分からない。でも、機嫌を損ねている事くらいは分かる。何かを訴えるように、楓の左手がぎゅっとその力を増す。

 映画館はクリスマスイブという日故に混み合っていて、その中心で手を繋いだまま立ち尽くす私達には様々な目線が向けられてくる。羞恥に頬が熱を帯びるのが分かった。


「ねぇ、楓」

「明美はさ、私と佳子どっちが大事なの」

 私が口を開くとほぼ同時に、楓が早口にそう言い切った。その言葉に、私の思考は停止する。

「……え?」


 一瞬で理解した。楓はきっと、デート中に私が佳子と話していた事にすねていると。

 前に部屋でキスをした時、私が佳子の名前を出した時と同じだ。あの時楓は、二人きりの時くらいは私だけを見て欲しいと言っていた。だから今回も、デート中は私に楓だけを見て欲しいのだろう。

 でも、

「……楓のことはとっても大事に思ってるよ? でも、佳子だって私達の友達……親友でしょ?」


 これが私の本当の気持ち。恋人だって、親友だって両方とっても大事だ。どっちも失いたくない。

 楓だって私と同じ気持ちだって思ってたのに、これじゃ楓はまるで私に佳子のことは忘れろって言っているみたいだ。


「そうだけど……そうだけど……!」

 楓は手を離して、私に振り返る。その目には涙が浮かんでいた。どきりと私の心臓が脈打つ。

「明美はいつもいつも佳子のことばっかりじゃないか!」

 その言葉が、私の胸に突き刺さった。


 思い出してみれば、私は楓と付き合い始めてからずっと佳子のことを考えていた。私達に気を遣って距離を取ろうとしている佳子がこのまま遠くに行ってしまうような気がして、ずっと。

 楓との会話やメールの時もしょっちゅう佳子の話をしてしまう。でもそれは私達にとって佳子はすごくすごく近くて、大切な存在だからだ。

 楓はそれが不満だったのだ。楓と二人でいる時も、私はここにいない佳子を追っていた。ずっと好きで、今は恋人である楓と一緒にいるというのに。


「そんなに佳子が好きなら、佳子と付き合えば良かったじゃん」

「ちがっ、そんなつもりじゃ……」

 声が震えて、最後まで言うことが出来なかった。楓は私の目を睨むように見つめてから、私の横を走り抜けて出口の自動ドアへと消えて行ってしまった。


 私は喧騒の中に一人取り残される。

 周りの人が、私を見てひそひそと何かを話している。でも私はショックで動くことが出来なかった。すぐに楓を追いかけなくちゃいけないと頭では分かっているのに、身体が動いてくれない。


 私は、最低だ。

 恋人も親友も求める私の欲張りは、結局どちらも傷つけてしまうだけだった。私は本当に最低だ。目が涙で潤む。とっさに手で拭って、重い足を出口へと向けた。

 楓に会って何を言ったらいいのだろう。もう楓の前で佳子の名前は出さない、と言えば良いだろうか。

 でも私はきっと、そんな事は言えない。三人でいた時間を、無視するだなんて出来そうにない。

 でも楓にだって、佳子は親友の筈だ。前にだって「佳子とだって出来る限り一緒にいたい」と言っていた。

 ……だから、きっと話せば分かってくれるよね。

 自動ドアを抜けた私を、冷たい空気が包んだ。


 あちこちから流れるクリスマスソングが、一層私の気持ちを焦らせる。白い息を何度も吐き、荒い呼吸がすぐ耳元で聞こえた。さっきから走り続けているけど、この溢れるカップル達の中で楓を見つけるのは至難の技だ。

 それでも、絶対に見つけなくちゃ。


「はぁ……はぁ……」

 必死に視線を左右に動かして、見慣れたその姿を探す。カラオケ店の隣を通り、複合ビルの下を抜け、楓の行きそうな場所を必死に巡る。その途中何度も電話を入れたりメールを入れたりしてみたけれど、何の反応も返っては来なかった。

 携帯を閉じてコートのポケットに入れ、必死で走り続ける。また涙が自然と溢れて出てくる。でも必死でこらえて、口元を押さえながら駆ける。

 胸が苦しい。呼吸が途切れ途切れになる。肺が酸素を求めている。

 何度前を通ったか分からない複合ビルの前で、私の足は遂に止まってしまった。


「はぁ……はぁ……うぅ、楓ぇ……」

 街行く人をぼんやり見つめながら、一段高くなった花壇の横に腰を下ろしてしまう。そのまま顔を伏せて、静かに涙を流す。小さく恋人の名前を呼びながら。


 その時、私の手に冷たいものが触れた。


 少し顔を上げてみると、ビルの隙間から雪がちらほらと舞い降りていた。周りの人達は皆、思い思いの声を上げている。

 そういえば今日は、雪が降るかもしれないと天気予防で言っていた気がする。

 楓と一緒だったら「綺麗だね」なんて言って、笑い合っていたのだろうか。でもたった一人の私には、この雪は私を更に冷たくさせるものでしかない。

 また私は顔を伏せる。


 その時、私の首に温かい何かが掛けられた。

「……え?」

 少しだけ顔を上げると、赤いマフラーが私の冷えた首から垂れ下がっている。このマフラーには見覚えがあった。再び顔を上げて、その姿を見据える。


「よ、佳子……」

「明美……何があったの?」

 本当に心配そうに私を見つめる佳子の顔が、目の前にあった。



「さっきファミレスから出て来た時に明美が走って行くのが見えてさ。ただ事じゃ無いと思って追いかけて来たんだ」

 佳子は私の隣に腰を下ろしながら、そう説明した。明るい茶色の髪に白い雪が散っている。

 そこでふと、佳子が鈴音ちゃんと一緒だったことを思い出した。

「……鈴音ちゃんは?」

「……しばらくファミレスの前で待ってるって」

 申し訳なさそうに、佳子は目線を逸らした。それって、雪の降る中で待たせてるってことだよね。

「……駄目だよ、早く戻らないと。鈴音ちゃんに悪いよ……」

 せっかく二人で遊んでいたのに、私が邪魔をしてしまっているようだ。佳子が心配して来てくれたのは嬉しいけど、佳子の邪魔まではしたくない。でも佳子は少し目を見開いて、ぽつりと小さく呟いた。

「……明美も同じこと言ってる」

「え?」


 何が同じことなんだろう。「それってどういう……」と訊こうとしたけど、その前に佳子は私を見つめて口を開いた。

「で、楓と何かあった?」

「え、えっと……」

 流石に言えない。私が佳子をずっと気にかけているから、楓が不満に思って怒ってしまったなんて。佳子は何も悪く無いのに、きっとこの子は責任を感じてしまうだろう。


「……ちょっと、喧嘩しちゃって」

 だからそれだけしか言えなかった。佳子は少し寂しそうな顔をして、「そっか」と前の道に目線を落とす。

「……楓も意地を張るところがあるからねー」

 くすりと笑う佳子。 

 何だかこうしていると、前の三人に戻ったような気持ちになる。そんな状況じゃ無いと分かっているのに、少し嬉しくなってしまう。

 私と楓が付き合い始めたことによって変わり始めた三人の関係。またあの三人に戻れる日は来るのだろうか。

 でも、どうすれば。

 

「……佳子、私どうしたらいいのかな」

 また涙が溢れてくる。佳子は慌てて、私の顔を覗き込んだ。

「ちょっ、どうしたのほんとに」

 私にはもう分からない。楓と恋人でいたいのに、三人でも一緒にいたい。でも楓は私と二人でいることを望んでいる。佳子は、私達から離れて鈴音ちゃんと一緒にいる。私はただ一人で、あがいているだけ。

 私、おかしいのかな。


「……明美」

 その時、ぐっと私の体が佳子の腕によって引き寄せられた。佳子の胸に頭を預けるように、私はそのままもたれかかる。確かな温もり。慣れた佳子の優しい匂いに、気持ちがすっと軽くなる。

 こんな風に抱き寄せられるのは、いつぶりだろうか。小学生の時はふざけて抱き合ったりしてたけど、最近じゃ佳子は恥ずかしがって全然やろうとしなかったのに。

「……ごめんね」

 ふいに、佳子が謝った。

 どうして謝られるのかは分からないけど、口を開くことが出来ない。ただその優しさに体を預けるだけ。涙が流れて、佳子のコートを濡らしてしまう。

「明美、私は……」


 突然、佳子の言葉が途切れる。

 まるで何かを見てしまったように。

 腕の力が抜けて、私も体を起こす。佳子の目線は正面に向けられていて、見開かれたまま瞳が揺れていた。私もその目線の先を追って、

「……あっ」

  

 雪の降る歩道の通行人の向こうに、黒髪のショートカットに雪を散らした人が立っている。その目は鋭く一点に、密着する私達を見つめていた。

 その拳に力が込められて、震えている。


「楓……!」

 私と佳子は同時に、その名前を呼んだ。

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