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それぞれのきっかけ

俺の最後の抵抗も空しく終わった。もはや助けなどこないだろう……。もう抵抗する気力は全く残ってない。喉を酷使しすぎたのか、空咳が止まらない。その息苦しさとどうしようもならない感情のせいか、涸れ果てたはずの冷たい雫が頬を伝って落ちた。


 相場が声も出せなくなり、服も乱暴に脱がされる様を見ていることしかできない。耐え切れずにきつく目を瞑る。訪れる暗闇。すると思い出されるのは先程まで感じていた不快な男の体温。相場に庇われたため今は無事でいるが、次は俺の番。ただ先延ばしになっただけで状況は何にも変わってない。もう疲れた。もう何も見たくない。考えたくない。いっそ消えてなくなってしまえたら――。そんな完全に諦めかけていた俺に転機がついに訪れた。



 ふと部屋の外から小さな音が聞こえた気がした。それは気のせいではなく、徐々に近付き、大きくなっている。その音に気付いた俺は目を開ける。誰か誰かが来てくれたんだ!


「何か聞こえねーか?」

「誰か近付いてきてんな。おいおい、こんなとこに来るやつがいるとかマジかよ」


 男達もその音に気付き、相場から一旦離れる。男達は顔を見合わせると、互いに頷き合い入口の扉へと近付く。室外の様子を伺うためにスキンヘッドが扉へと手を掛けようとしたが、それよりも早く扉は大きく開け放たれた!


 切望していた第三者。助けに来てくれたのだろうか? それとも迷い込んだのか? それが前者であって欲しいと願い、入口を凝視していた俺の目に飛び込んできたのは肩で息をする陸哉の姿だった。


 陸哉は目の前にいる男達には目もくれず、室内にいた俺と相場の姿を確認した瞬間、今まで俺が見たことの無い顔、凄まじい怒りを表したかのような表情を浮かべ、雄叫びを上げながら目の前にいたスキンヘッドへと飛び掛った。


「ああああぁぁ!! 優人おおぉぉ!!」

「誰だてめぇは!」


 勢いよく飛び込んだ陸哉の前にスキンヘッドが立ち塞がり、飛び掛った陸哉を抱き止めるようにガッチリと掴んだ。掴まれた陸哉は遮二無二に暴れるが、体格差は埋めがたく、スキンヘッドはびくともしない。


「弱いくせにはしゃぐなよ」

「離せええええぇぇ! ぐっ!」


 スキンヘッドは陸哉を抱えたまま大きく振りかぶり、室外へとその体を思い切り放り投げた。強く廊下の壁に打ち付けられた陸哉は苦悶の表情を浮かべながらもすぐに立ち上がろうとする。それに対しスキンヘッドは追い討ちをかけようと廊下へ足を踏み出した瞬間、――その姿は何か赤く大きな塊が横切ったと同時に掻き消えた。


「俺の生徒に暴力ふるってんじゃねぇ!」


 その何か。それはいつもの赤いジャージを身に纏った先生だった! 先生がスキンヘッドを吹き飛ばしたのだ! 先生はそのまま吹き飛んだ男を追っていく。


「え、は……? 何が起きた?!」


 スキンヘッドが陸哉へ追い討ちを掛けようとしていたのを悠然と眺めていたホストは状況が理解できず呆然としている。そんなホストを見て、体勢を立て直した陸哉が飛び掛る。不意を突かれたホストはもろに陸哉の拳を顔面に受けて倒れ込んだ。


「ごっ、ぶべっ、ちょ、やめて! や、やめてぐだざいっ!」

「お前が、お前が、優人をおおぉぉ!」


 完全に火のついた陸哉は止まらない。倒れ込んだ男の上へと跨り、加減をしていない拳打を繰り返す。その度にホストの顔面がひしゃげ、涙と血とよだれで酷いことになっていく……。


 俺も頭が状況についていけておらず、呆然と殴り続ける姿を見ていたが、流石にやりすぎというか、このままでは殺してしまうのではないだろうかと思う程に容赦が無い。何とかして止めなければと思うが、未だに体に力が入らない上に、声も掠れた小さな声しか出ない。どうすればいいんだ……。


「おい、菖蒲! 無事か!」


 陸哉をどう止めるか焦っていたが、先生が帰ってきてくれた。スキンヘッドはどうなったのだろうか? いや、それよりも陸哉を早く止めてくれ!


「こら! 菖蒲! やりすぎだ! 殺す気か?!」


 俺と相場の散々な姿に驚いていた先生だが、陸哉がホストを殴り続けているのに気付くと慌てて陸哉を羽交い絞めにして男から離す。ホストは見るも無残な姿になっており、完全に気を失っていた。


「離せ! 離せええええぇ! こいつがこいつが優人を!」

「ええい! 落ち着かんか! 瑠璃原すまん! 俺はこの通り手が取れん! 相場が無事かどうか確認してくれんか!」


 なおも暴れる陸哉を必死に押さえながら、俺に相場の確認をするよう指示する先生。暴れ回る陸哉を見て、逆に少し落ち着いた俺は何とか身を起こす。そんな俺に対して相場の方はずっとベッドに横になったままだ。両手のガムテープを何とか口で剥がし、震える体に活を入れてゆっくりと相場の方へと近付く。


 最後まで抵抗していたからか顔が長い髪で覆われている。それをそっと払うと目を瞑ったままの顔が見えた。軽く肩を揺すってみるが、目を閉じたまま動かない。え、死、いや嘘だろ?! すぐにガムテープを剥がして真っ白なその手を取り脈を測ると、きちんと脈があることを確認できた。もう心配させるなよな……。


 恐らく限界状況を迎えて気を失ってしまったのだろう。本当によく頑張ったよお前……。眉根を寄せ苦しそうな表情を浮かべたまま気を失っている彼女の服装をできるだけ整えてやり、頭をそっと撫でてやると少しだけ表情が穏やかなものへと変わった。僅かでもゆっくりと彼女が休めるようしばらくそのまま続けることにした俺だった。



 随分と時間が掛かったが、陸哉の頭が冷えて落ち着きを取り戻した後、先生が気を失ったスキンヘッドを引き摺ってきた。先生はやつらが持ってきていたガムテープで二人の身動きが取れないように固定する。


「こいつらをどうにかしないとな……。先生は警察に連絡してくる。菖蒲! お前は廊下で他に誰かこないか見張っていろ! 二人ともすまない。すぐに家に帰してやるからな」

「はい、分かりました……」


 冷静になってばつの悪そうにしている陸哉と先生が部屋を出て行き、相場と二人だけになったことで息をつく。頭では分かってるし、恩人にこんなことを感じるのは最低だと思うが、今は正直、目の前に男がいるのは落ち着けない……。


 そんなことを考えていると、相場の頭を撫でる手が止まっていた。気を取り直して再開させると、ごそごそと身じろぎをした後に相場の目が薄く開かれた。誰かが傍にいることに驚いたのかびくっと体を硬直させるが、傍にいたのが俺だと気付くと、はっとしたような顔で頭を撫でていた俺の手を強く握り締めた後に泣き始めた。


「っごめんね。本当にごめんね……。あなたも女の子だったのに、私は……、私は!」


 相場はあの時に俺へ伝えた四文字の言葉、『ごめんね』という言葉を繰り返す。泣きながら謝る彼女を見ていた俺の視界もなぜかぼやけていた。

 そんな俺の変化に気付いた彼女は身を起こして俺を抱きしめると優しく頭を撫でてくれた。


「辛い思いをさせてごめんね。あなたが傍にいてくれたから頑張れた……。ありがとう――」


 彼女のその言葉が心に優しく入ってきた。それがすごく温かくて、安心できて、気付けば俺は大粒の涙を流し、自然と彼女を抱きしめ返していた。互いが相手を気遣い、もう大丈夫なんだよと伝えるように――。



 結局、あれだけ強がっていたけど、本当に本当に怖くて苦しくて嫌だったんだ。中身は男だからってごまかして、強がってたけど、俺っていつの間にか色んな意味で女になってたんだな――。

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