第22話 活動報告
「こんの糞がぁ!!」
怒りに呑まれた男が、近くにあった花瓶を壁に叩きつける。
顔の中心にありとあらゆる皺があつまり、そこに彼のいささか常軌を逸したふくよかな体格も合わさることで、まさに必死の形相をした豚としか言い表すことが出来ない。
「フゥーっ! フゥーっ!」
どこから息を吐けば、あんな音が出せるのだろうか。もちろんそんなことは思っても声には出さない。この屋敷に護衛として雇われて、もう10年にもなるエリックにできることは、ただ直立の姿勢で不動を貫くことのみである。
「……片づけておけ!」
一時は沸点に達していた怒りが冷めてきたのだろう。一瞬だけばつが悪そうな顔を作り、豚はメイドに一言だけ命令を下すと、ズンズンと音を立てて自室へと足を運んだ。
「うわーお、今日はどうしたんですかねあのハムちゃん」
話しかけてきたのは、最近この屋敷に努めることになった新米の護衛である。
ちなみにハムちゃんとはあの豚に対するあだ名であり、この屋敷に働く者であれば、誰もが一度は使ったことがあるまでに浸透している。
当然、話しかけられたエリックも使っている。
「予想はつく。以前より行っていたクロス殿への妨害工作が失敗したのだろう」
「へえー、詳しいっすね」
「朝からなぜ荷物が無事に届いているんだと怒鳴っていたからな。大方、英知収奪の出発式にクロス殿も参加すると知ったに違いない」
「はい先輩! 質問いいすか?」
「……なんだ」
わざとらしいほどに全身をピンと張って腕を上げる新米。他人が見れば馬鹿にしているのかと怒鳴りたくなるような態度であるが、エリックは別段注意することはしない。それが新米なりに自分を信頼した結果の態度だとエリックは知っているからだ。
「英知収奪ってなんすか?」
(……なんだこいつ、頭おかしいのか?)
さすがのエリックも呆気に捉われた。
仮にもこの新米は、騎士団の訓練を受け、教育を受け、試験を通して最低限の学は修めているはずなのだ。確かに一般には馴染みの薄い単語だが、その道の専門的な教育を受けた人間は知っていなくてはおかしい。
例えば商人が商人に対して「仕入ってなんすか?」とは訊かないだろう。
いや、そこまで必要性のあるものでなくとも、入団試験に合格したのならば知っていなくてはおかしいのだ。
そんな考えがエリックの顔に出ていたのか、新米は恥ずかしそうにはにかんで頭をかく。
「……英知収奪は、使徒の血族に課せられる試練だ。…………さすがに使徒の血族は大丈夫だよな?」
「初代魔神討伐達成またはその協力者っす!大丈夫す!」
どこか教科書の文をそのまま音読しているような口調だが、さすがに知っていた様だ。エリックはホッとした様子で、続きの説明を始める。
「試練の内容も簡単だ。力を得るために旅に出し、その血を覚醒させる。まあ英知収奪なんて物騒な名前なのは……この試練を始めた奴が悪いらしい」
エリックも半信半疑であるが、この試練の元となった人物は、どうやら倒した相手の頭にかぶりつき、その知識を吸収していたそうだ。
所詮は過去の誇張に過ぎないのだろう。しかし、誇張であるということは、その元になった事柄があるということ。それなりに物騒なことをしていたに違いない。
「へえー、先輩さすがっす!かっけーっす!」
「やめんか、こんなもの常識だ」
とはいえ、エリック自身も褒められて悪い気はしない。子供のように無邪気に褒めてくる新米は、とても可愛いものに思えるからだ。
有害なことがあるとすれば、メイドたちの間で彼らを題材にしたある本が流行っていることくらいである。
もちろんエリックはそんな本が出回っていることは知らない。二人を遠目で観察している真面目そうなメガネをかけたメイド長が、顔を赤くしながら息を荒げていることも知らない。
監視対象経過報告。
「監視対象は、現在酒場にて泣いている模様。症状なし。また魔力計測による乱れも感知できません。単に情緒不安定な様です」
「了解しました。引き続き任務は続行」
秘書の1日は長い。まだ22歳であるというのに、既に賞味期限の切れた熟女の様な面持ちで、黙々と仕事を続ける。
「監視対象、朝になるまで警備兵から逃走。症状なし。また、魔力計測による乱れも感知できません。とても疲れました」
「了解しました。引き続き任務は続行」
秘書の1日は長い。掛け持ちで仕事をする上司のおかげで、未だに書類の整理が終わらない。しかし給金がその分どこよりも優れているため、転職は考えていない。
「監視対象、手作りのパンを食べている模様。症状なし。魔力計測による結果は誤差の範囲内です。パンおいしかった」
「了解しました。私は昨日から何も食べていません」
秘書の残業は長い。サービス残業で深夜帰宅のサラリーマンも真っ青の仕事量だ。
「監視対象とカジノに行ってきます」
「どうせお前の提案だろ、遊んでんじゃねえぞ」
秘書の気は長い。しかし、監視役の仕事内容から考えて仕方ないとはいえ、向こうは外でこちらは内職だ。ストレスが溜まるのは仕方がない。
「監視対象ぶっ倒れました。症状、吐き気をうったえています。魔力計測危険値に達しました」
「了解しまし……」
「監視対象倒れました」
「あなたは準備を急いでください! 我々もすぐに向かいます!」
短いです。まとめて投稿より区切りをつけようと思ったらこんなことに。表現を身に着ける前に、ストーリー展開が下手だということを痛感します。




