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別の世界で生きていく条件  作者: 招きダンボー
勇者とストーカー数名
21/25

第18話 天駆ける

「マスター、もう一杯」

「……はいはい」


黒いコートに黒いスーツ、黒いネクタイに黒いシャツを着たクロスは、30杯目の酒に口を付けた。


「うう、ちくしょう。これが息子が旅立った時の親の気持ちか。俺ぁ全国のお父さんを尊敬するぜ」


柄にもなく、カウンター席でクロスは俯く。他にも客はまばらに居るが、カウンター席に腰掛けているのはクロス一人だ。自然と、向かい側でコップを洗うマスターの目を引いてしまう。


「……その歳で息子さんがいるのかい?」

「泥棒猫に取られた……」


そのセリフは母親が言う物ではないかと突っ込みたい酒場のマスターであったが、伊達に数十年接客業を営んでいる訳ではない。言うべきことと、隠すべきことの違いくらい心得ている。


「勘定頼む」


横から金を出してきた常連の客の会計を済ませながら、マスターは黙って女々しい男の頭を眺めることにした。


「マスター。この酒、少ししょっぱいな……」

「そういう酒だからさ」


涙目のクロスは、30杯目を一気に飲み干す。

顔の赤くなった彼が思いだすのは、つい数時間前の出来事。













「あー……。空気になりてえ」

『旦那、動いてくだせえ』


宿屋の一室で、クロスはだらしなくベッドに転がっていた。


「観光だってさぁー。こう、なんかイベントあるかと期待してたわけよ。だけどさぁ、殺してばっかりだとか、暗いイベントやりたいわけじゃないのよぉ。分かる?」

『わかりやせん』


明らかに王女と思われるお方の護衛はまだ良かった。流血沙汰やらトラブルが少々あったが、あの王女は幼いとはいえ中々の美貌の持ち主。そして何より……。


「学生服はいいよねぇ」

『旦那……?』

「気にするな」


個人的な嗜好は置いておき、まだいたいけな少女の命が狙われるような事態に遭遇しておきながら、見て見ぬ振りをするのはあまりに人の道を外れている。そのため、不敬な輩どもに少々お仕置きをしてしまった訳だが……。


「まあ、あれだけやったんだ。命令した連中も動けんだろう」


クロスが知ったのはつい先日のことだが、継承権の争いといえども、そう何度も殺すような事態には陥らないそうだ。それに加えて、あれだけの制裁を加えてしまえば、セリュレイアの背後を警戒して迂闊に動くこともできないだろう。とある組織に乗り込んで性癖の欲求を満たすついでに訊いたことだが、有力な後継ぎ候補はセリュレイアの上に十人以上も居る。無理をしてまで狙う必要も無いはずだ。恨みなどの個人的感情ならば、予測の範疇を超えてしまうが。


命令を加えた者の詳細は分からなかったが、これで仮初ながらも、兄弟間の中で均衡状態はできたと言ってもいい。いや、均衡までとは行かなくとも、小康状態くらいは作れただろう。「セリュレイアに後ろ盾ができた」と噂されるのがベストだが。まだ王族の関係の把握が曖昧なクロスができるのは、ここまでだった。


「そういえば、まだ代金貰ってなかったな……」


アサシンの一党を、一夜にして殺しつくした不明確な存在としてセリュレイアの背後に控えてしまった今、新顔がのこのこ王城へ行くわけにはいかないだろう。そんなことをすれば、恐らく日夜スパイとの心理戦の毎日だ。となると結論は……。


「金……いや、もういいや。外行こう……」

『はいはい、それがいいですぜ』


諦めるしかないだろう。解決まで持って行きたいところだが、そもそもクロスに情報が少なすぎる。セリュレイア一人に偏る見方で物事を考えている今、これ以上の何かはお節介にも程があった。ともかく、ある程度の時間の猶予ができたことは間違いない。であれば、今後の方針についてじっくり考えようではないか。どのようにこの問題を解決すればいいのか、あるいは……見捨てればいいのか。


立場ってめんどくせえという言葉は飲み込んだ。クロスはかつての自分ならば間違いなく助けに行くという事実に気付かずに、夜の外へと向かって扉を開けた。








「そういえば大事なことに気付いたんだけどさ」


既に日の沈んだ街並み。二人は宿屋の前に立っているが、人は見当たらない。見ているものと言えば、電気も無いのに一体何で出来ているのか、不思議な街灯の光だけだ。クロスがかつて暮らしていた社会程ではないが、夜でも十分明るい。そんな状況のせいか、人目を気にせずにクロスはヤハタに話しかけていた。物に話しかけるという奇特な人間は好かれないだろうから。


『はい?』

「お前はどうやって渡せばいいんだ?」


そもそも居場所も分からないが、クロスが今心配しているのはそこではなかった。つまり、気まずいということ。「戦利品だ」とかドヤ顔で強奪紛いのことをした手前、どんな顔して渡せばいいのか。

クロスはそこまでメンタルの強い人間ではない。


「お前、魔力内蔵してるんだから空くらい一人で飛べるだろ。頼む、そうだと言ってくれ」


懇願にも近い様子で、クロスは腰から変わり果ててしまった直剣……ヤハタを、鞘ごと抜き出す。


『いやいや、まさかそんなこと出来るわけ……』


クロスが手を放した直後。

ヤハタは、その場で浮いたまま停止することに成功した。


「お、おおおおおおお!?」

『なんじゃこりゃあああああああ!?』


まさに驚愕。ヤハタの焦りに合わせてか、直剣の動きは左右に揺れている。


「やればできるじゃないか! 俺も改造した甲斐があったもんだぜ!」

『なんてこった……。なんてこった…………』

「嬉しいからって泣くな! さあ、飛んで行け!」

『あの、これでも武器としてのプライドがあったりするもんで、別に嬉しいってわけじゃ……いやもういいです』


コツを掴んだのか、ヤハタはその場でくるくると動き回り始める。そんな動きをしばらく繰り返していたかと思うと、ヤハタはクロスの前で停止した。


『旦那、お世話になりやした』

「慣れない敬語は使うもんじゃないな」

『……茶化さないでくだせえ』


その言葉に合わせて、ヤハタは若干柄の頭を落ち込んだように下げる。


『では、お元気で』

「おう、またな」


言い終えるのと同時に、ヤハタは上昇し、飛んで行った。恐らく、あの飛んで行った方向にアルテマは居るのだろう。現在のヤハタの相棒と呼ばれる者の元へ。


「ああくそ、妬けるな」


あれほど信頼を置いてくれる相棒が居るなんて、心底羨ましい。遮ってしまうかとも考えたが、そんな信頼を置ける相手との再会を、ちっぽけな嫉妬で許さないほどクロスも子供ではない。陰鬱になった気分を少しでも晴らそうと、クロスは街へ繰り出していった。

















「もったいねえ……。あんな武器2度と手に入らんよ……」


既に40杯目に突入したクロスは、グラスを手で弄びながら中身を眺める。グラスの動きに従い、くるくると中の酒が回転し、キンと酒に入った氷から甲高い音が鳴る。


「見栄を張り過ぎたぜ俺……マスター、もう一杯」

「お客さん、今日はこれくらいにしたほうが……」


残りの酒を一気に飲み干し、クロスは追加の酒を注文しようとする。しかし、これ以上はマズイのではないかと判断したマスターが、ここで止めるようにと口を挟みかけた時だ。


「マスター、いつものくれ」

「……また君はギャンブルをやってたのかい?」


バタンと勢いよく扉が開いたかと思えば、新たに金髪の男がクロスの横の席へと腰掛けた。ほろ酔いの頭で、クロスは隣に座った男の姿を横目で見やる。どうやら、宗教の関係者の様だ。

クロスも、かつてテレビでよく見たことがあった。黒くロングコートとも学生服とも似つかない、あの神父独特の衣装は、確かスータンと言ったか。といっても、別に服の名称を知っていたのはクロスが博識だからでもなんでもなく、ただ単にそういう衣装の人物がアポロのパーティに居たというだけのことだ。


しかし、横に座った男も神父らしくない。金色の髪は逆立っているし、耳にはピアスのようなものを付けている。更にそれ以上に目についたのが、一見タバコにも見えるが、明らかに薬物と思われるものを吸い、その効果かは分からないが、足取りは酔っ払いに近いという点だ。

横からもまったく瞳を覗くことができないほどの太いフレームのサングラスをかけた姿は、神父と言うよりチンピラという言葉がピッタリ当てはまる。


そのチンピラの様な雰囲気が、どこかかつてのアポロが集ったパーティメンバーに似ていた。これで「神の供物としてくれる!!」とか叫びながら、背丈ほどの十字架を鈍器として振り回せば、かつてのメンバーそっくりなのだが。


「んー?なんだい兄ちゃん。一本欲しいのか?」


どうやらじっくり見過ぎた様だ。黒いサングラスの神父が、クロスの方を向いた。


「……気にすんな。酔っぱらってるだけだ」


そういえば状態異常無効の装備は整っているが、薬物は吸ったらどのようになるのだろうと、クロスの脳裏に一瞬だけ馬鹿なことが過った。今はアルコールに関しての状態異常は解除しないようにしているが、そんな廃人行為に手を出して間違って状態異常を治せなくなっては大変なので、さすがにやろうとは思わないが。


「もう40杯ですからね。少しお休みになった方が良い」


マスターが口を挟んでくる。ただでさえ度数の高い酒を頼んでいたのだ。休憩は必要だろう。そんな心配した様子のマスターの気持ちを察したのか、クロスはついに酒に口を付けるのをやめる。


「ああそうだな……。マスター、なんか食う物ある?」

「お待ちを」


マスターの言葉も一理あるなと、クロスは手に持っていたグラスをそっと降ろした。


「兄ちゃん、あんたどこ出身だ?ここらじゃ見かけないな」


マスターから受け取ったばかりの酒に口を付け、チンピラ兼神父の男は、クロスにニヤリと笑う。


「……そうだな、東から来た」


マスターから受け取った脂もののつまみを食べながら、クロスは焦点の合わない目で答える。

あえて「東から」と答えたのは、クロスにも望郷の念があったということか。


「ああ、気を悪くすんなよ。別に兄ちゃんがよそ者だからとかそんな理由じゃねえ。単純に興味があったんだぜ」


クロスはまだ知らないが、肌どころか種族の違う者たちが入り乱れるこの国では、外国人だからとかそういう偏見はまったくと言って良いほど無い。サングラスで目が隠されているため、どんな表情をしているかは判別しにくいが、この男は間違いなくただの興味で調べているのだろう。好奇心がその全身から見え隠れしている。


「なに、まだこっちに来てから日も浅そうな割には、こんな店に来るなんて中々珍しいと思ってよ」

「それはどういう意味だろう。ちょっと僕にも詳しく聞かせてくれないか」


マスターがカウンターから身を乗り出し、サングラスの神父へと顔を近づけた。

クロスの方からは表情を覗くことができないが、中々の雰囲気を醸し出している。


「お、おお落ち着けマスター!こんな見つけにくい店に来るなんて、中々通な奴だなって意味だぜ!」

「……なるほどね」


どこか腑に落ちない様子ながらも、飲み終えたのであろう客が立ち上がったのを確認したマスターは、身を乗り出すのをやめる。マスターは数名の客がこちらに来るのを確認すると、レジ打ちに近いマジックアイテムを使い、会計を行っていった。既に客はチンピラ風味の神父とクロスだけ。先ほどよりも静かになった店内で、2人の会話は続いていた。


「でだ、あんた相当腕が立つだろう?」

「ああ、そこそこな」


マスターは先ほどの客が使ったグラスを手に取り、丹念に洗っている。


「実はちょっと厄介ごとがあってな」

「ああ、なるほど」


瞬間。店の窓と扉が爆発した。同時に飛び乗る様にカウンターの反対側へと移り、身をかがめて破片と爆風を回避した2人は、慌てた様子も無く互いの顔を見やる。


「つまりこれをなんとかしろと」

「予想より2時間くらい早いけどな……そういうことだぜ兄ちゃん」


8号クラスの魔法だろうか。ドドドドドドと、止むことのない光弾が機銃掃射の如く飛んでくる。次々に飛んでくる光弾の嵐は、彼らの身に直接当たらなくとも、棚に飾ってあった酒瓶に直撃し、カウンターにはアルコールとガラスの雨が降りそそいだ。


「どうだ、一か月こんくらいで」


だが、そんな中でも平常運転を忘れない。そう言った神父は、頭に降り注ぐ酒も最初から無いかのように無視し、懐から多めの金貨を取り出す。4人暮らしの家庭でも、それなりの贅沢をしながら1年は暮らせる額だ。それだけの金貨を見せられたクロスは、わずかに逡巡して返事を伝えようとするが……。


「もう2倍」


同じくカウンターの裏に隠れていたマスターが口を挟んできた。こころなしか、マスターのにこやかなはずの表情が冷たく見える。


「へ?」


思いがけない横槍に、神父も驚いたように口を開けて、マスターの方を見た。


「僕のお店の修理代と、君の今までの酒のツケね。これくらいだからよろしく」


伊達に80数年の年月を過ごしていない。この窮地にして請求など、恐るべき胆力だ。そしてマスターから神父へと渡された紙に書いてあった額は、神父の現在の手持ちよりも更に多かった。


「ま、ままままじかよ」


恨めしそうに、その紙に書かれてある数字を見つめ続ける神父。


「おー、こりゃすごい」


他人事のように、クロスも神父が持つ紙を覗いた。しかし、ここで思いもよらない言葉が降りかかる。


「あ、君も払ってね」


新たにもう一枚、紙が渡された。そこに書かれていたのは、神父に負けず劣らずの凄い数字。

詳細を見ると、今夜の酒代だった。……調子に乗って高い物を頼み過ぎたか。


「ま、ままままじかよ」

「妖精の一級品を、あんなにガバガバ飲むからだよ」


マスターの呆れた声も、今のクロスには届かない。クロスにしてみれば払えない額でもないが、遊行費と考えるには大きすぎる出費だ。……本音を言うなら、払いたくない。


「…………こうなりゃ予定変更だ!俺を襲った奴らの身ぐるみ全部剥ぐぞ!俺に続け兄弟!」


神父がトチ狂ったように叫んだ。クロスにしてみれば、いつから兄弟になったんだだとか、なんで俺も払うんだよだとか言いたいことはたくさんある。あるのだが……。


「それは名案だ!行くぜ……ええと」

「フーヴィスだ! 兄弟は!?」

「クロスだ!」

「よっしゃ! 行くぜ兄弟!」

「変わんねえのかよ! まあいいや、行くぜフーヴィス!」


光弾が止むのと同時に、2人はカウンターの外へ飛び出した。


「あーこのカウンター、鉄で作ったのに……穴まで空いちゃって…………」


フーヴィスとクロス程ではないが、このマスターも中々修羅場を経験してきたのだろう。

命の心配など、欠片もしていなかった。













「撃ち方やめ!」


襲撃の一団を率いる隊長である男は、発射される魔法の轟音にも劣らぬ勢いで声を張り上げた。

彼らの任務は、とある神父の抹殺。そのために、この場には男が率いる傭兵団の9割に当たる40人が集められた。人一人を殺すのには、いささかオーバーキルな気もする人数だ。しかし、確実に仕留めろと依頼主からの注文だ。前金も多すぎるくらいに手に入れた。それこそ、前金だけで部下の装備を買い直すことが出来るほどだ。成功報酬はさらにそれの5倍。しかし似たような話は、他の傭兵団にも流れていると噂されている。恐らく依頼主は、早い者勝ちでもさせようとしているのだろう。神父一人にそれだけの価値があるかは知らないが。


しかし相手は、一部で有名な「あの」名物神父。何が起きるか分からない。この場にいる全員が、布などで顔を覆い隠しているのは、失敗したときに身元が割れないようにするための配慮でもある。

ようやく収まった魔法の嵐。店内の明かりは先の攻撃で全て失われたのか、薄暗い中の人影を確認することが出来ない。頼りになるのは、こちら側の街灯だけだった。


「どうします隊長?」


傭兵団なのだから「隊長」は違うだろと思うが、既に男のあだ名のようなものだった。

男がそう呼ばれるのは結成当初からで、傭兵団を結成してもう十年を超えてからは数えていない。


「よし、先鋒は中に入って死体が無いか確認しろ。生きていたら―――」


その時だった。隊長は中から、2つの人影が一直線に突っ込んでくるのを確認した。


「―――殺せ」


命令が下される。


「おおおおおおおおおおお!!」


誰の物かも分からない。怒号が混ざり合った。先ほどまで前線で魔法を撃っていた10人の魔法使いは、鎧を身に着けた男たちと入れ替わる様に後ろに下がる。元よりここまでしか使うつもりは無い。あれだけの魔法を使っては、魔力の枯渇も近いだろうという隊長の判断だ。

男たちの装備は一様に固められている。種類までは同一ではないが、全身を覆うように鎧が着せられ、兜をしている者もちらほらいた。


「うっひょー! 当たりだぜ兄弟! 鎧には傷を付けるなよ、安くなっちまう!」

「分かってる!」

「舐め腐ってんじゃねえぞ!!」


男の一人が、迫り来るクロスへと槍を振り下ろす。

だが、クロスはその槍を右に回転しクルリと紙一重で躱し、がら空きの男の顔を殴り飛ばした。


「死なない程度に空を飛べ!!」

「ぶっ!?」


それだけで、男は数メートルの距離を、空中でプロペラの様に回転しながら吹き飛んだ。

鎧に傷や血を付けないためとは言え、あの吹っ飛び方は気の毒だろう。


「やるじゃねえか! 流石俺の見込んだ男だぜぃ!!」

「隙アリだぜ糞神……ぷっ!?」


サングラスの神父……フーヴィスもクロスほどの迫力はないが、複数人に囲まれながらも次々と拳でダウンさせていく。


「ありがとよ! ……お前は死にかける程度に空を飛べ!!」

「ぶっ!?」


クロスの蹴りで、全身鎧の男は紙のように空に舞う。


クロスとフーヴィス。予定より1人多いが、踏んだ戦場の数は伊達ではない。傭兵団の狙いは少しでも多くの隙を作るために、彼らを分断することにあった。だが、未だにそれまでだ。決定打を与えるどころか、逆に気絶した傭兵の山が出来上がりつつある。ちぎっては投げちぎっては投げ。その様は、まさに喧嘩であった。とても暗殺を仕掛けてきた集団との戦いとは見えない。暗殺対象ともう一人が笑いながら殴りかかっているのが、余計にそう見えさせた。


その様子に、痺れを切らしたように二人の人影が前に出る。


「情けない男どもだ……」

「これだけの人数で囲っておいて、手傷も負わせられないとか」


亜麻色の髪の女達だった。薄暗い街灯の光でも、白い布で顔が覆われていても、隠し切れない美貌が目から垣間見えた。そして街灯の光で照らされた銀色の鎧は、彼女らの幻想的な雰囲気を演出するには充分な働きをしている。


「おお、美人さんだぜ兄弟! ここは俺に任せろ!」


そう言ったフーヴィスは、一直線に美人さんの2人に突っ込む。理由は不純だが、障害物の男たちの間をするりと抜けていく技術は大したものである。あまりにも速い蛇のような移動に、男たちの攻撃はスルスルと躱されていく。


「舐めるのも大概にしろ!」


女の片方が前に躍り出た。ハルバードを横なぎに振り、フーヴィスの身体を引き裂かんとする。

着込んだ鎧のせいでクロスも判断しにくいが、女にはそれほど筋肉が付いている様には見えない。

それなのに大型の……しかもハルバードを振り回すなど、余程の鍛錬を積んでいなければできない。その振りの速さは、思わず賞賛を送りたくなるほどの物だった。


「甘いぜ!」

「なっ!?」


だが、フーヴィスはハルバードを掻い潜り、一瞬の内に女の横を通り過ぎた。どこかに打撃を加えたわけでも、他に魔法的な意味があったようにも見えない。喧騒は未だ止まないが、その空間だけが静寂に包まれたように停止した。


「今のって……いやまさか、ねえ?」


フーヴィスが行ったと思われる行動を捉えたクロスは、若干顔を引きつらせながらも、周りの男たちを殴っては気絶させていく。


「てめえこっち見ろや……ぐあ!!」


少なくとも、攻撃したようには見えなかった。事実、女も何をされたのか分からないといった表情で困惑している。その間にも、クロスは男たちを片っ端からぶん殴っていった。


「ふふふははははは!!」


フーヴィスは、高らかに笑いクロスとハルバードの女の方を見た。


「これぞ我が奥義……『マスターハンド』だ」


そしてフーヴィスは、自信満々にこちらに両手を開いて見せる。

……女物の上下の下着をつまみながら。


「きゃああああああああああああああああああああ!?」

「……くだらねえ。いや、凄いんだけどさ」


ハルバードの女はしゃがみこみ、クロスは呆れたようにため息をついた。

他の傭兵たちも、残らず固まっている。これは最早戦闘の雰囲気ですら、ましてや喧嘩ですら無い。


その漫才でもやっているかのような様子も、隊長にはバッチリ見られていた。隊長は呆れも混ぜながらも、この状況を分析する。

先ほど下着を盗られたハルバードの女は、彼の団でも一、二を争う実力者だった。

どうやったかは知らないが、フーヴィスに余裕があるのは明らかで、傭兵団も既に半分以上が倒されている。


失敗したとて、他の傭兵団がまた彼らを襲撃するだろう。

失敗のペナルティが無い以上、たった2人にやられたという多少の汚名を被るだけで丸く収まるなら、それが上々か。今後の活動に支障が出るレベルで悪い噂が流れるだろうが、何よりも大事なのは部下の身の安全。このままでは、この街の治安維持をしている騎士団のお世話になる可能性もあるが、自分は騎士団にも顔が利く。


何が最善の選択で、何が最良か。


「……ケーレイルド」


そこまで考え、隊長は自らの右腕たる男に、意見を言うように促した。傍から見れば言葉足らずかもしれないが、これだけでこちらの意図を汲んで助言を挟んでくれるのが、ケーレイルドが隊長の右腕たる理由だ。


「……はい、素晴らしい技でした」

「は?」


だが、自らの右腕……ケーレイルドから返ってきたのは予想外の言葉。

隊長は思いもよらない返答に、口を開けたまま固まった。


「ああいえいえいえ!!自分も学びた……違った、あのそのええと……!」


隊長の様子に、思わず自分が何を口走ったか理解したケーレイルドは咄嗟に言い直すが、そちらにも少々本音が混ざっていたようにも感じる。


「ケーレイルド、後でお前と話したいことが……」

「何をやっとるか貴様らああああああああああ!!」


突如、怒号が響いた。

一瞬何者かと警戒するが、答えはすぐに見つかった。


「げ、騎士団だ!」

「隊長!」

「うむ、撤退だ! 退くぞ!」

「へい兄弟! 俺らも撤退するぜ!」

「まて、その頭に被った下着はどうするんだ!」
























「くそ、これでも駄目だった」


アルテマは、自分の妹が経営する店で、何杯目かも分からない酒を喉に流し込む。

きっかけは、クロスとかいう男にやられた事。あれからアルテマは、屈辱を晴らさんと毎日鍛錬を続けている。かつての師の元へ出向き、一から修行を始めた。今まで以上に危険なモンスターが生息する地域へ出向き、ソロで狩りを続けた。気難しいとされるドワーフに、頭を地面にこすり付けるほど下げ、新たな武器を見繕ってもらった。


それでも。その中でも。実力は未だに足りなかった。そして、彼女に合う武器が見つからなかった。

あの時に壊された彼女の元愛刀ヤハタは、今はもう無い。イーストウッドの最深部に眠ると噂の伝説の武器も、性能はヤハタに遠く及ばなかった。その時に初めて、彼女はあまりにも恵まれていたと認識したのだ。


「まだ駄目だ……何もかもが足りない。『あいつ』はもっと強かった。もっと速く動かないと追いつけない。武器だって…………」


考えないようにしていた。

武器として、相棒として、ヤハタは彼女には出来過ぎた存在だった。


「……もっとだ、もっと強くならないと」


立ち上がる。こんなところで腐っている場合ではない。1分1秒で長くく体を苛め、『あいつ』に追いついて見せる。アルテマがカウンターまでフラフラと歩く。そこで、カウンター席で酒を飲む男の背が目に付いた。


「……その歳で息子さんがいるのかい?」

「泥棒猫に取られた……」


マスターである妹が、どうやら彼の愚痴を聞いているらしい。

それにしても「泥棒猫に取られた」とは、いったいどういうことか。望まぬ婚姻は珍しくないが、よもや娘が取られるのではなく、息子が取られるとは。まったく嘆かわしい。貴族かどうかも知らないが、婚姻の際の挨拶は一つの礼儀だろうに。お互いの両親としても、しっかりと納得のいく条件で結びたいものだ。そんなことを、アルテマは酔いの回った頭で考える。

父親にしては若い声だが、いろいろあるのだろうか。訊くのは無粋だなとアルテマはそちらを見ることはしないようにした。泣き顔はあまり見られたいものでも無いと、実体験によって知っていることも関係しているが。


「勘定頼む」


妹も忙しい身だ。アルテマなりの気遣いで、飲んだ額より少々多めの額の金貨を差し出し、お釣りも受け取らずにその場を素早く立ち去る。外は薄暗いが、街灯の光で照らされ、帰るのには不自由しない。

それにしても、先ほどカウンターで酒を飲んでいた男に、なんだか見覚えがあるような気がした。

アルテマは自分の記憶に当てはまる男が居ないか辿っていくが、酒を呷りすぎたのだろう、頭の奥からガンガンと唸る痛みが、アルテマの思考を遮った。


「まあ、いいか……」


肌寒い空気が、アルテマの火照った体に突き刺さる。だが、不思議と心地良い風だ。なんだか清々しい気持ちになったとアルテマは、ふと空を見上げた。薄らと見える星、そして大きな三日月と空を飛ぶ棒が目に入った。


「……ん、棒?」


自分で見た物に、自分自身で疑問を持った。目を凝らす。よく見ると、棒ではない。直剣だ。直剣が空を飛んでいる。しかもこちらの視線に気づいたのか、なんだかこちらに向かってきているような気がする。


「な、なんだ……?」


気のせいではない。しかもかなりの速度だ。


『見つけたぜええええええ! 相棒おおおおおおおお!!』

「うわあああああああああああああ!?」


傭兵団が、アルテマの妹の店に襲撃する数十分前の出来事である。

暑いですね

熱中症には気を付けましょう

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