16 過去とトラウマと……
ルディアはルキストに導かれるようにタペストリーの中に手を進めると、いつものように指先が握られ、優しく爪が撫でられる。
その感覚にほっと息がもれると、後ろでルキストがクスリと笑う声が聞こえた。
「この状況だからな、こうして魔女殿の指先からゆっくりと治療するしか出来ないんだ。わたしが行う予定の治療と違い、何年かかるやら」
「うるさい。仕方がないだろう、この【境界】から抜け出せばルディアに悪影響が出る。今はな」
ルキストがからかう言葉に対して反論するブルアムだが、否定をしないところを見ると事実ではあるのだろう。
今回はなぜか爪だけではなく指を優しく撫でられ、ルディアはなんだか手が温かくなる感覚に不思議な安心感を覚えた。
今回に限って爪だけではなく指にもしっかり触れてくるのはルキストがいるからなのか、それとも話にある治療が進んでいるからなのかはルディアにはわからないが、触れてくれる箇所が増えるのは純粋に嬉しく感じてしまう。
されるがままになっているルディアに、ルキストは嬉しそうな呆れたような微妙な表情を浮かべているが、止めない部分を見るに本当にブルアムを信頼しているのだろうことが分かる。
「……やっぱり境界越しだと治療は難しいな」
魔力操作はお前の得意技なのに、と呟くルキストだが止めることはしない。
「魔女殿はどうやらこのことを目が覚めると覚えていない。そうだな?」
「そうですわね。夢を見れば思い出すけれど、目を覚ましている時は忘れていますわ」
「と、いうわけでわたしが来た」
ルキストの言葉にルディアが「どういうことですの?」と振り向かずに尋ねる。
「わたしの魔力で魔女殿の記憶を補助する。ちなみに、そいつ以外の事は覚えているか?」
「ええ、不思議とブルアムの事だけを忘れておりますの」
「その原因だが、境界越しの治療の副作用だな。境界越えはそこそこ代償が必要だし、そいつが抜け出すことが出来ない分、魔女殿の現実での記憶を代償にしているのだろう」
「そうか、ルディアは私の事を覚えていないのか」
しょんぼりとした声になったブルアムにルディアは焦ってしまいそうになるが、背後からポン、と優しくルキストに頭を撫でられた。
「その代償にわたしの魔力を出してやる」
「「え?」」
ルディアとブルアムの声が重なる。
「そのための鈴だ。そいつに会いたい時はアレを置いておけば忘れることなく会えるぞ」
「「おお」」
またもや二人の声が揃ってしまう。
「まあ、わたしは魔女殿の味方だからな。お前と会った記憶がある方が魔女殿は喜ぶだろうし、あの鈴ぐらいならわたしにとっては大したものではないからな」
「鈴……ああ、夢渡りの鈴か」
ルキストの言葉にブルアムがすぐに分かったのか鈴の正体を当てる。
「あの鈴はなんですの?」
「魔法具だ」
「魔術具ではなく、魔法具?」
ルディアは言い間違いではないのだろうかと尋ねるが、ルキストは頭から手を離すと「そう、魔法具。魔女たちが残した奇跡の道具だ」と言う。
「魔術具ならわたしたちだけじゃなく魔術が使える人間でも作れるが、魔法具を作れるのは魔女か、神女か、それこそ神ぐらいだ」
それはとんでもないものなのでは? とルディアは顔を引きつらせてしまう。
「魔法具をわたくしにわたしてよろしかったんですの?」
「なにを言う。あれはそもそも魔女殿の私物だ」
「いえ、わたくしはあのような鈴を持っておりませんわ」
「……正確には、魔女であった時の私物だ」
ルキストの言葉にルディアはブルアムが言った一つ前という言葉も含め、もしかして自分は何度も転生しているのかと考え始める。
前世では輪廻転生という言葉があるほどだったし、転生自体は受け入れることは容易だ。
覚えていないことがほとんどらしいが、前世でもこの世界でも記憶がある事も稀にあるようだし、そこまで驚くこともないのだろう。
しかし、現時点でルディアが覚えているのは異世界の太陽系第三惑星の地球の日本に生まれた平凡な女性の記憶のみ。
ルキストが言うところの魔女であった記憶はない。
(この二人が慕っているのは、魔女であったわたくし?)
そう考えた瞬間、ルディアは胸が冷えていくのを感じた。
(わたくしを慕っているわけでは、わたくしを想っていてくれるのでは、ない?)
考えが深みにはまって行っていると自覚しながらも、考えることを止められないルディアは、胸だけではなく臓腑も冷えていくように感じてしまう。
(比べられている? わたくしじゃない過去のわたくしと?)
「ルディア?」
指先が震え始めたのを感じ取ったのか、ブルアムが名前を呼んだが、いつもなら暖かく感じるはずの声にルディアは不安を感じてしまう。
(わたくしが知らないわたくしと違うと思われたら、この人たちは離れていきますの?)
記憶にない自分を今の自分に投影され、それ故に気にかけられている。
それはルディアにとっては、否、前世を思い出したルディアにとっては、克服したはずの過去を思い出させるきっかけの一つになってしまう。
震える指を隠すためにいつもならされるがままにしている手を引いてしまい、ルディアは胸の前で両手を組み、ぐっと唇を結ぶ。
「ルディア?」
「魔女殿?」
「わっわたくしは知りませんわ」
震える声に気が付いたのだろう、ルディアの肩を支えるルキストの手に力がこもる。
「魔女なんて、わたくしは知りません!」
泣きそうな声で震えて言うルディアをルキストは驚きながらも優しく抱きしめる。
「大丈夫だ、魔女殿」
「ちがっ魔女じゃないっ。わたくしはっ」
震える声にルキストは少し考え、「ルディア殿」と名前を呼ぶ。
「すまない。わたしにとって魔女たちは尊敬し、敬愛し、尊重すべき存在だ。どこに何度生まれなおしてもそれは変わらない。特に貴殿はわたしにとっての最も守護する対象。名前で呼ぶことが失礼だと思っていた」
それが逆に傷つけた、とルキストは謝罪する。
「きっかけは過去の貴殿でも、わたしは今のルディア殿を見て行動している。ただ、わたしのこの命は盟約により貴殿を守護することを何よりも優先してしまう。それだけは理解して欲しい」
「わたくしは、そんな盟約は知りませんわ」
いまだに震える声で言えば、ルキストは「わかっている」と頷く。
「過去の盟約だ。だが、それだけがわたしの生きる希望だった。また会おうと言う言葉だけを希望に生きながらえた愚者の妄執だ」
そう言った後、ルキストはぐっと背後から抱きしめる腕に力を籠める。
「だが、その上でルディア殿はルディア殿だ。一つ前の記憶を思い出そうとも、魔女であった時を思い出そうとも、今を生きているのはルディア殿で、わたしはそのルディア殿と接している」
縋るような必死の言葉にルディアの震えが徐々におさまっていく。
いつのまにか浅く繰り返されていた呼吸が戻り、ゆっくりと深い息を吸えるようになる。
「ずるい」
不意にブルアムの不機嫌そうな声が聞こえ、ルディアは青で満たされたタペストリーに視線を戻す。
「私だってルディアをちゃんと理解して接しているのに。生まれた時から知っていても、きっかけを思い出せるまで我慢していたのに、ルキが美味しい所を持っていく」
境界さえ出ることが出来ればルキを殴るってでも代わるのに、と不穏なことを口にするブルアムに、ルキストは不敵に笑う。
「ルディア殿を大切に思うお前が、今の状態で境界を越えるわけがないだろう」
「当たり前だ」
自然に行われる掛け合い。
それがルディアの気を紛らわせようとあえてしているのだとわかり、ルディアは取り乱してしまった自分を恥じてしまう。
今世は五歳でも、前世では享年三十三歳の立派な大人だった。
幾分トラウマがあっても乗り越えているはずなのに、こんなささやかなことをきっかけに取り乱すなど、黒歴史なのではないだろうか。
(前世で元凶に会った時でも平気でしたのに、不思議ですわ)
自分でもここまで取り乱してしまった理由が分からない。
すっかり乗り越えていると思っていたトラウマが残っていたのかとも思うが、前世での原因を思い出しても先ほどのような不安は一切こみあげてこない。
今世でこの二人に思い入れがあるのかと言われると、会ってそこまで時間がたっていないし、ルキストに至っては今日会ったばかり。
思い入れなどほぼないはずなのになぜだろうと内心で首をひねってしまう。
「だいたい、ルディアの番は私なのに、いつもいつもお前らという引っ付き虫が邪魔をして」
「はぁ? ルディア殿はお前の番になると承諾していないだろう。勝手に番だと決めつけるなど、それこそルディア殿に失礼だぞ」
「うぐっ」
(番って、わたくしは鳥ではないのですが)
前世でファンタジー物の小説や流行り物のライトノベルをほとんど読んでいないルディアは、番と言われると文鳥などの鳥しか思いつかない。
背後からとはいえルディアを抱きしめているからか、ルディアの震えが治まったこと、そして今の会話を疑問に思っている事を察したルキストが、少しだけ抱きしめる力を緩める。
「ルディア殿、こいつが言う【番】というのは伴侶の事だ。魂でつながった相手、とでも言えばいいか?」
「そう言われましても、わたくしはブルアムをよく知りませんもの。困りますわ」
ルディアはバッサリと切り捨てる。
「そんなっ」
「ぶはっ!」
ショックを受けたような声を出すブルアムに対し、ルキストは我慢できないと言うように吹き出して笑い、ルディアを抱きしめながら体を震わせて笑う。
「ルディア殿。神聖国に来れば水鏡越しではあるがソイツと会えるぞ。もちろんこの大きな刺繍の作品越しのように境界を越えて触れ合う事も出来る」
「そうですの!?」
「ああ」
おかしくてたまらないと言うように笑いながらも、結局はブルアムとの仲を邪魔する気はないのかきちんとルキストはアドバイスをする。
「だがなぁ」
そこで言葉を切り、ルキトスはタペストリーを見る。
「この夢の中ではこのように大人の女性に成長した姿のルディア殿だが、現実ではまだ五歳。お前と並んでも親子にしかみえないぞ」
もっとも、そこからではこの状態のルディア殿も見えないだろうが、とルキストはからかうような声音で言う。
「ふんっ。手しか見えないが、ルディアのその姿が美しいのはわかる。子供の姿であってもルディアの美しさは変わらないに決まっている」
自信満々に言うブルアムだが、ルディアは顔を引きつらせてしまう。
(指先だけでわたくしの醜悪を識別されても困りますわ)
「相変わらずドン引きレベルの気持ち悪さだな。そんなんだから忠犬に警戒されてたんだぞ。ちなみに、忠犬も転生してきているからな」
「げっ」
ルキストの言葉に、心底嫌そうに、そして思わずという感じに声を出す。
ルディアは忠犬とは? と疑問に思ったが、ルキストは上機嫌で笑っているし、ブルアムは不機嫌そうに唸っているので聞くことは出来なかった。
変なところでトラウマスイッチって入りますよねぇ
ルディアは普段全然平気なんですけど、ブルアムに関連すると弱くなるかもしれませんw




