番外編 1 その感情に名前を付けるのなら
一章完結後、二章に入る前のお話です。
夢の中は様々なモノが溢れていて、前世の物、今世の物、人、道具、生き物、植物、色々。
乳白色の霧に包まれている時、鮮やかなどこかの景色の時、そして———
「今日はアナタですのね」
そう言ってルディアは目の前に現れたタペストリーに手を伸ばし、いつものように指先が吸い込まれていく。
すぐに指先を掬い取られる感触がして、そっと爪を優しく撫でられる感触に、やはりくすぐったくなってしまい、ルディアは「ふっ」と思わず笑ってしまう。
その日によってルディアの体は前世の死んだ頃の物だったり若い時の物だったり、また中高生時代、時には小学生時代のこともあった。
もちろん、ルディアという五歳の子供の姿の事も多々あったが、タペストリーの中にいるであろう人物は、いつだって変わりなくルディアの指先を掬い取って爪を優しく撫でる。
いつだったか、それは癖なのかと聞いたら、これ以上引き込むのは今はよくないからと、よくわからないことを言われたこともあり、今ではただこの行動を受け入れるだけにしているのだ。
(だって、いやではありませんもの)
顔を塗りつぶされた人の中には、吐き気すら覚える嫌悪感を抱く人もいるが、このタペストリーの中の人物はそれがなく、むしろ安心感すらあると思えてしまう。
「わたくしはりゅでぃア。そろそろアナタのお名前をおしえてはいただけませんの?」
何度目かの問いかけ。
帰ってくる言葉はいつでも「まだ」という簡素なもの。
それでも、少しずつこうして触れ合っている時間が長くなっているような気がしており、ルディアはそれだけでも心が温かくなるような思いをしている。
「このタペストリーのテーマは『あお』。だからアナタの事を『ブルアム』ってよんでもよろしくて?」
名前がないと不便だとルディアが言うと、タペストリーの中の人は笑ったような気配があり、ルディアはこの呼び名が気に入ったのだと思うことにした。
指先しか触れていないため、お互いの顔もわからない。
否、ブルアムからは見えているかもしれないと思いつつ、ルディアは子供にしては少々細さの目立つ指先を撫でてくる指に反抗するように押し上げる。
『どうした?』
自分で行動を起こしておきながら、何をしたいのか自分でもわからず、ルディアは少し考えた後にもう一度指先を押し上げて『その中は、過ごしやすいでしょうか?』と尋ねた。
青い空の下の青い海。それを見下ろす丘には青いネラフィモの絨毯のような花畑。
青の中に描かれるのは白い雲、そして葉や茎の緑、ネラフィモの中心部分の白や黄色。
前世でルディアが世界に認められた、その作品の名前は————
『とても、暖かいな』
「そうですの」
その言葉だけで充分な賛辞を贈られたような気がして、ルディアは柔らかい笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆
「ん~」
唸りながら目を開けながら、この体は寝起きがよくないとルディアは心の中で嘆息する。
前世は寝起きがよかっただけに、寝起きが悪いと言うだけで怠惰な気分になってしまうのだが、よく考えればルディアは虚弱体質なのだから仕方がないと思うことにした。
(今回もあまり夢の事を覚えていませんわね)
いやな夢は覚えているのに、心が温かくなるような、好ましい夢の内容に限って覚えていないと、ルディアは目が覚める度にがっかりしてしまう。
それでも最近はやっと前世で手掛けたタペストリーが登場しているという事を覚えているようになり、懐かしい気持ちは残るようになっている。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、パティー」
目覚め用の水の入ったコップを受け取って飲むと、「ふう」と軽く息を吐きだしてコップを返す。
パトリシアの手を借りてベッドを降りると、子供用のドレッサーの前に用意された椅子に座る。
そうすると数人のメイドがドレスを持ってきて確認をするので頷くと、軽く髪に櫛を通されてから着替えが始まった。
前世の記憶もあるので一人で着替えが出来ると言いたいのだが、ルディアの着用するドレスはレースやリボンも多く使われており、コルセットの締め付けはないものの、一人で着付けをするには少々難しいデザインのものが多い。
本日のドレスも各所のリボンで服を留めているため、一人では時間がかかってしまうし、ルディアの手ではまだ綺麗にリボンが結べないので着付けをしてもらうしかなかった。
「本日もかわいらしくていらっしゃいます」
「ありがとう」
着付けが終われば次は髪型を整える。
ルディアは高位貴族の令嬢らしく髪が長く、そして特徴的な髪色をしているため、メイド達はどのようにすれば見栄えが良くなるか日々研究しているという。
前世の知識を活用し、ルディアが髪型を絵で描いて説明すれば、その髪型を完璧に再現できるようにルディア以外で練習するほど、髪の扱いには気を使っているらしい。
本日の髪型は編み込みを組み合わせたポニーテールで、長さの半分ほどになるとクルリとくせ毛が出てしまうルディアは、あえて髪の毛をコテで緩く巻く作業を入れて仕上げた。
メイド三人がかりで行われた着替えと髪結いが終われば食事の時間で、乳母の手を離れた今はフィディスやアーストンと一緒に食べるため食堂に行く。
とはいえ、ルディアの歩く速度では時間がかかってしまうため、執事が抱えていくのだが、この抱えていく担当についてアーストンやフィディスの厳しいチェックが入っているのは言うまでもない。
本日も執事に抱えられて食堂に行くと、天気がいいからかガラス張りになっているサンルームで食事をとると言われ、入り口で下ろしてもらいそちらまで歩いていく。
サンルームというからには暑いのかと思えばそんなことはなく、やはり魔術具によって適温に調整されている。
ガラス張りではあるが上方は開けられるようになっている造りで、今は風を取り込むためか開放されており、そこから入り込む風は夏の香りがするとルディアは空気を吸い込んだ。
「おはようございます。おにい様、おじい様」
「「おはよう、ルディ」」
フィディスは本来であれば部屋まで迎えに行きたいのだが、ルディアが成長しないからと食堂で来るのを待っている。
しかも入り口で待っているのも止められており、近づいてきてやっと立ち上がってルディアの手を取って自分の席の隣までエスコートすることが出来る。
「今日もルディは可愛いね」
「ありがとうございます、おにい様」
ルディアを一日一回は褒めないといけない病気なのかと思えるほど、フィディスはルディアを褒める。
「可愛い」は挨拶のようなもの。ほかにもほっぺたの柔らかさが可愛い、目の潤み方が可愛い、声が可愛い、髪の毛が可愛いなど、とにかく褒める。
傍で聞いているアーストンは飽きないな、と思いつつも止めることはない。
フィディスにエスコートされるも、嵩を増された椅子にフィディスがルディアを座らせるのは難しく、後ろからついて来た執事が断りを入れてルディアを抱きかかえると座らせる。
その光景を見るたびに早く大きくなりたいと思うフィディスだが、体の成長は思うようにはいかないものだ。
食事が始まり、それぞれの好みの量や材料に調整されたものが提供される。
ルディアは量は少なめだが栄養バランスとカロリーをしっかりとれるもの、けれども消化にはよくするように油分は少なめ、という調理が難しいものを作ってもらっている。
和食が再現できればと思いはするが、材料があったとしても前世から料理が得意ではないのでアドバイスも出来ない。
他の家事は家電の発達もあってできるのだが、料理はどうしても上達しなかった。
というよりも、一人暮らしをするようになるまでする機会に恵まれなかったし、一人暮らしをしてからは忙しくて料理をする時間がなかったため、料理という物事にあまり触れていなかった。
(こんなことなら、もっと料理をしておくべきでしたわ)
料理が出来ない分、栄養価などには詳しいのだが、活用できる気がしないとルディアはやるせない気持ちになってしまった。
すべては便利になった世の中が悪いと責任転嫁をしてみるも、友人は料理が得意だったので、結局は自己責任なのだ。
「そういえば、昨晩の夢は見た?」
フィディスは毎朝ルディアに夢について尋ねるようになった。
ルディアも覚えている内容は隠さずに教えているため、前世の事も含めてフィディスとアーストンは夢の内容をきちんと把握している。
覚えていない内容について、フィディスは勘でしかないけれど気に入らないと言っており、暖かい気持ちになるから悪いものではないとルディアがかばえば余計に何か思うところがあるようだ。
アーストンも覚えていない部分に重要な何かがあると考えているようで、少しでも覚えていたら話すように言っているが、覚えていないのだから仕方がないとルディアは思っている。
むしろ覚えていたいのはルディアの方だ。
「おにい様」
「だめだ、ちゃんと食べなさい」
「むぅ」
この体になっても苦手な物は変わっていないのか、ブロッコリーを見つめてフィディスを呼んでみるが、ここでの甘えは許してくれないらしい。
もっともこれもいつもの事なので、なれたものだ。
しぶしぶと小さめに用意されたブロッコリーを口に含んで噛んでから飲み込み、口直しにパンをちぎって口に入れる。
(ブロッコリーは木ですのに)
幼い頃に読んだ本の影響なのはわかっているし、他にも野菜は葉っぱやら根や茎も多いのだと言う事もわかっているのだが、ブロッコリーだけはどうしても苦手なのだ。
若干涙目になりながらも、ドレッシングを大目に振りかけずに食べるのは体のため。
胃もたれなどした日には数日寝込んでしまう自信があるルディアは我慢するしかない。
「うん、がんばったな。偉いよ、ルディ」
ブロッコリーを食べたルディの皿に、フィディスがこれも口直しにとハムをひと切れ乗せる。
しっかりと焼かれた厚切りのハムは一口サイズに切られており、ルディアはお礼を言ってからそれを口にした。
ウィンタークの領地から送られてくるハムはルディアの好みの塩気に調整されており、ほかにも農業や酪農に力を入れているウィンターク公爵領から送られてくる品物は多い。
(わたくしが虚弱体質ということもありますが、王都のあるフラウム島から出たことがありませんわ)
領地は北の浮島であるメイラン島にあるのだが、公爵家当主一家は王都で暮らすことが多く、領地には年の四分の一いることがあればいい方である。
もっとも、行こうと思えばすぐに行ける手段はあるため、困りはしないのだが、領地の記憶がないので行ってみたいとルディアは思っているが、神聖国と同じで体調の面から飛空艇による移動の許可はまだ出ていない。
(心配しすぎと言えないところが、我ながら情けないですわね)
ルディアはそんなことを考えつつも、神官と連絡が取れたら絶対に旅行に行こうと心に決めるのであった。
ごめんよ、ティルム。
厳選なる選考の結果相手役は君ではなくヤツになったよ!




