【30】 荒魂と和魂 12
荒魂と和魂。
祟る神と守護の神。
持つのは正反対の性質ながらも、二つは同じ魂ということなら。
それならばやるべきこととは──
「……李依瑠ちゃんのその……荒魂を鎮める?」
「まあ、そういうことだね。鎮めるというか……憎しみや恨みといった憎悪の念から解放してあげるんだ」
三大怨霊と呼ばれた神様たちもさ、人や世を呪った背景には、そうせざるを得なかったそれなりの理由がある。
怨念という呪いは、強い哀しみや無念から生まれる。少なくとも僕はそう思っている。そんな感情を抱えていることは、ものすごく苦しいよね。だから、そんな『泥』から彼女を解放してあげたいでしょう?
「それはきみ自身も解放することになる」
わたしを解放する……
李依瑠ちゃんだけではなくて。
思わず夜須さんをじっと見つめてしまった。
夜須さんはあの瞳をしている。
底のない深い淵のような瞳は、わたしを通り越して、ここでもないどこかを見ている。
初めて会ったときには、すべてを見透かされているようで怖いと思った。
今は……そうは思わない。
「具体的に……なにをすれば?」
「僕が触媒になる。きみは呼びかけるんだ。彼女には彼を自由にしてほしい、彼にはこちらへもどっておいでってね」
「そうすれば……中野くんの意識はもどるんですね」
「きみ次第だけどね」
わたし次第。
責任は重いが、李依瑠ちゃんのためにもやり遂げなければならない。
改めてそう決心をした。だがその気持ちと、やり遂げられるだろうかという不安は別物だと知る。
背後から巨大な蜘蛛にのしかかられているようだと思った。少しでも気を弛めてしまえば、細く長い八本の脚に絡め捕られてしまい、一歩も踏み出せなくなりそうだった。
「出来るか出来ないかは、きみ次第。だけど、出来るとすればきみだけだ」
夜須さんはわたしの気持ちを見透かしているのだろう。
「まあ、普通に考えたら怖いよね。いくら巫の性質を持っていたからって、きみにとっては経験したこともない未知の領域だ。でもさ、僕を信じてくれていいよ。出来るのは手伝いだけだけど、そんなに悪いようにはしないから」
あっけらかんとした軽い口調で笑う。
夜須さんなりに、緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれない。
背後の蜘蛛が糸を吐き出して、もしもわたしをその糸でぐるぐると巻き付けようとしてきたのなら。
わたしはその糸を解して、上手くつかむことができるのだろうか。
✾✾✾
店を出て車にもどってから和葉に連絡をした。
和葉を巻き込んでしまうことには、最後まで迷いがあった。
それでも中野に面会をするためには和葉に協力を頼むしかない。
和葉は快く応じてくれた。わたしを信じて力になってくれることにも、胸の奥が熱くなる。
夜須さんは甲原中央第一病院に向かう前に、加曽蔵神社に行くといって車を出した。
山道を下り、上ヶ丘駅並びのコンビニエンスストアに寄るために駅前のロータリーに車を停める。
タクシー乗り場の屋根付きベンチの下には、雨を避けたタクシー待ちの数人が座っていた。
雨のなかを足早に店内へと駆け込む。
お菓子売り場では子どもが好みそうなお菓子を選んだ。グミやチョコレート、ポテトチップスやポップコーンなどのスナック菓子。李依瑠ちゃんは特にチョコレートが好きだった。
果汁や炭酸の入った甘い飲み物なども手持ちのかごに入れる。スイーツのある棚では、大きな赤い苺が載ったショートケーキと、細かく削られたチョコレートがまぶされたケーキのセットが目についた。
花束もほしかったが、残念ながら置いてはいなかった。
李依瑠ちゃんと神社で遊んでいたとき。タンポポやレンゲ、スミレなどの道端の花や、名前も知らない雑草を摘んできて花束にしては社にお供えをしていた。それも遊びのひとつだった。
透明なジャンプ傘も買う。
雨はやみそうになかった。
加曽蔵神社へと続く石階段は、雨水に濡れた苔のために黒っぽい緑色へと変わっていた。
水を吸った苔は、グニョリとした不愉快な感覚を靴底から伝えてくる。
ただでさえ薄暗い石階段なのに、濡れた苔のせいで油断をすると足を取られて滑ってしまいそうだった。
空を隠して繁る笹葉は葉の上で水滴を重ね合う。その水滴と、葉の隙間を上手くすり抜けた雨粒は、ビニール傘の透明な小間を叩いた。水の弾ける音は傘の内でバラバラと大きく響く。軸を持つ手元にまで振動を伝えていた。
冷たい雨と土の匂いは混ざりあい、空気のなかに満ちている。
先にたって石階段をのぼる夜須さんは、思い出したように足を止めると振り返った。
「彼女にはよくお願いしといてね。きみと僕を守ってって。あと、お手柔らかにお願いしますって」
鳥居をくぐり抜けて境内へと足を踏み入れる。
昨夜は懐中電灯のライトに一部が照らされていただけでよくわからなかったが、雨に打たれてひっそりと佇む古びた社は、記憶のなかにあるものよりもいくらか小さく感じられた。
とんでもない目に遭った昨夜とは違い、その光景はどこかもの悲しくさえあった。
社の庇の下には、濃い飴色に変色した木製の小さな賽銭箱が置かれていた。
雨のかからない場所を探して、賽銭箱の横にケーキやお菓子、ジュースのペットボトルを並べていく。
ふと、賽銭箱の後ろの隙間に目がとまった。
細長く茶色いなにかが、隙間に挟まるように落ちている。
よく目をこらす。ところどころはまだうっすらと色素が残っている、干からびてしまった数本の花だった。




