第3話
呪文を唱えたマックスが、高らかに杖を掲げた。
すると吹きすさぶ突風が、魔王を中心に円を成し、突如として竜巻が現れた。
竜巻は徐々に直径を狭め、魔王に迫る。風の刃が、その身体をすり潰したかに見えた次の瞬間――竜巻は不自然に膨張し、ぱあんと破裂して霧散した。
直後、当然の如く無傷の魔王に、迫る一つの影。シーナである。
シーナは渾身の斬撃を放つが、対する戦槌のほうが速い。
しかしどういうわけか、戦槌は轟音を立てて空を斬った。シーナの姿は、一瞬にして魔王の真後ろにあった――マックスの転移魔法である。
転移された本人も驚いたが、状況を理解するより先に身体が動いた。
シーナの剣が、魔王の脇腹辺りを斬り付けた。
ギイィンという、金属の激しく擦れる音が鳴り響く。
――くそがっ!
僅かに怯んだ様子はあったが、鎧には傷一つ入らず、ダメージを与えた手応えは皆無であった。
間髪入れず、柄尻による攻撃が飛んでくる。剣で防いだものの衝撃は凄まじく、シーナの身体は軽々と吹き飛び、地面を激しく転がった。
追撃を加えようとする魔王。その側面に、斧が飛んできた。難なく弾き落とされるが、その隙にブルータスが肉薄する。
傷付いた身体に満身の力を込め、山刀を振りあげる。
しかしその攻撃は戦槌に迎え撃たれ、真っ二つに叩き折られた刀身が宙を舞う。
素早く身を翻し、斧に手を伸ばすブルータス。その背中目がけて、戦槌が振りさげろされる。
凄まじい衝撃音と土煙が起こり、地面に大きな亀裂が走った。
「――ナイスアシストだ。ハルニレ万歳」
遠巻きに土煙を眺めながら、ブルータスが呟いた。斧を握る右手には、マックスの杖の兄弟樹である、ハルニレの小枝が括りつけられていた。
「完全なまぐれだ、次はないぞ」
ぼやきながら、マックスが冷や汗を拭った。その隣にはシーナも立っている。彼も同じく転移されたらしい。
「……二人は、休んでてくれ」
「おい! 一人でやる気か!?」
マックスの制止も聞かず、シーナは走り出す。
土煙の中から、魔王が姿を現した。
睨み合うと、改めて背筋が凍りつく。
大上段から斬りかかるシーナに、魔王は右手にぶら下げた戦槌を雑に振りあげた。
先手を打ったはずのシーナが、大きく退いて躱さざるを得ない。風圧が額を薄く裂いた。
戦槌は素早く切り返され、轟音を立てて横に振るわれる。
紙一重で身を屈めて躱し、懐に飛び込んだシーナだったが、次の瞬間には戦槌が顔面を吹き飛ばした。
――怪物め……
身の丈ほどもある戦槌を片手で操る魔王と、それを忌々しく睨むブルータス。
負けじとシーナも、身体ごと吹き飛ばされそうになるも踏み止まり、一瞬で頭部を再生させると、喉元目がけて突きを繰り出した。
しかしその剣は届かない。魔王の左手が、剣を硬く握りしめていた。
剣が握り砕かれると同時に、黒い右拳が顔面を襲う。
シーナの身体は、ボールの如く地面を跳ね、壁に叩き付けられた。それでもすぐさま立ち上がると、また魔王に向かっていった。
「まさか本当に不死身なのか、アイツは……」
吹き飛ばされては立ち上がり、血反吐を吐きながら敵に喰らい付くシーナの姿に、ブルータスは目を見張る。
「そんなわけがない」
マックスが苦い顔で否定した。
「アイツの身体はとうに限界を超えている。このままでは本当に――」
そのとき、シーナが魔王の前に跪いた。攻撃を受けたわけではなく突然、倒れたのである。
「おい! まずくないかっ、先生!」
「しまっ……間に合わ――」
慌てて魔法を展開するマックス。
それよりも早く、大上段に構えられた戦槌。シーナ目がけて振りさげろされようとしたそのとき――矢の雨が、魔王に襲い掛った。
降り注ぐ無数の矢を、魔王は戦槌のたった二振りで、すべて叩き落とす。しかし続けて、鬨の声と蹄の音が轟いた。
「ミュール王宮騎士会、ネイサン・ハモンド! いざ参らん!」
銀鎧の騎馬隊を率いるハモンドが槍を手に、高らかに名乗りを響かせた。
「――おい! しっかりしろ、大丈夫か!?」
自らの元へ転移させたシーナの背をさすりながら、マックスが呼びかける。
「……ああ。ああ、大丈夫。問題ない」
剣を杖にして、血を吐きながら答えるシーナ。青白い顔に脂汗を浮かべている。
「それより、あれは……」
「王宮騎士会のクソッタレどもだ。シャクだが、これ以上ないタイミングだったな」
ブルータスの視線の先で、騎馬隊と魔王が衝突の瞬間を迎えていた。
聖堂の扉が強く、何度も叩かれていた。
扉を叩く音とともに聞こえてくるのは、無数の亡者たちの唸り声である。
長椅子でバリケードを設けてはいるが、それもいつまでもつかわからなかった。扉が音を立てて軋むたび、人々が不安の声を漏らす。
幼女は姉の胸に顔をうずめ、小さく震えていた。
「おねえちゃん、おとうさんとおかあさんは?」
「大丈夫よ、キャリー。心配しなくていいわ」
「アーネストさまが、まもってくれるよね?」
「大丈夫よ。ここにいればきっと大丈夫――ですよね? アーネスト様」
姉が縋るように見上げる先には、祭壇に祭られた荘厳なアーネスト像。
「どうか……」
そう祈る背後で、音が数を増し、強くなっていく。人々はただ祈り、抱き合い、すすり泣き、終わりの時を待つばかりとなっていた。
しかし、叩く音がぴたりと止んだ。
すると代わりに、何かが突き刺さる音と、亡者たちの悲鳴のような声が聞こえてきた。
しばらくそれが続いた後、辺りは静寂に包まれた。人々は不安げに外の様子を伺っている。
「敵はもういません! ここを開けてください!」
聞こえてきたのは、透き通る少女の声である。
恐る恐るバリケードをどかし、扉を開くとそこには、大勢の人々の姿があった。
「おとうさん、おかあさん!」
「ペギー、キャリー! 無事だったのね!」
両親と娘たちが喜びの声を上げ、硬い抱擁を交わす。
「驚くなよ、ペギー。アリア様が……あのアリア様が、私たちを助けてくれたんだ」
「え……?」
姉・ペギーが、驚きの表情を浮かべる。
扉の外にはたしかに、都を去ったはずの友人、アリア・ウォーカーの姿があった。
弓を手にしたアリアは、華奢な身体のあちこちに擦り傷を負い、黒髪を風にたなびかせながら、鋭い視線で辺りを警戒している。
「アリア……?」
「ペギー! よかった、キャリーも無事だったのね!」
別人のような気迫をまとってはいるが、その輝く笑顔は間違いなく、誰よりも見知った親友であった。
すると、再会を喜ぶ人々の耳に、遠くから地鳴りが届いてきた。音のほうを見ると、騎馬隊がこちらに迫ってきている。
皆がパニックに陥る中、アリアの凛とした声が場を制した。
「みなさん落ち着いて、早く中に!」
「――ま、待って! アリア!」
ペギーが止める間もなく、アリアは市街地へと駆けだした。その背中を、騎馬隊が追っていく。
遠ざかるアリアの手で、弓が翡翠の光をまとっていた。
「アーネスト様、どうか……どうかアリアにご加護を」
「臆するな! ここで我らが臆せば、誰が王を、民を、都を守るか!」
馬上から檄を飛ばすハモンド。それに応えるように部下たちも果敢に、あるいは無謀に突っ込んでいく。
当初こそ、勢いに任せた波状攻撃で魔王を圧していた騎士会だが、今や人も馬も、戦槌の餌食となって蹴散らされるばかりであった。
やがて痺れを切らしたハモンドが槍を構え、自ら突撃を仕掛けた。
「ええぃやぁっ!!!」
気合声とともに、馬上から凄烈な突きを繰り出す。
しかしあえなく槍先を砕かれ、先に馬を潰された。
落馬したハモンドに、魔王が戦槌を構える。
ハモンドが死を覚悟したその瞬間、魔王の背後に転移したシーナとブルータスが、渾身の剣と斧を放った。
魔王は咄嗟に身を翻し、柄で攻撃を受けるが、僅かに後退る。
「うおぁあっ!」
二人は叫び、力を込めて前進する。
しかし威勢がいいのも束の間で、すぐに押し返され、まとめて大きく突き飛ばされた。
すると直後、魔王の背中を衝撃が襲った。ハモンドが剣で斬り付けたのだが、あいにくと手応えは薄い。
カウンターの戦槌がハモンドを襲ったが、庇うように割り込んできた騎兵が犠牲になった。
間髪入れず、ブルータスが大上段から斧を振りさげろす。それは肩口を深く捉え、初めて魔王の体勢が大きく崩れたが、すかさず放たれた裏拳が、ブルータスを軽々と殴り飛ばした。
「いけるぞっ!」
「今だっ! 押せ押せぇっ!」
シーナやブルータス、ハモンドや騎士たちの決死の奮戦に、マックスのサポートも加わり、ようやく戦いが戦いがらしくなってきたとき――異変が起こった。
戦場の真っただ中で、魔王が戦槌を大きく掲げたのだ。
曇天に向かって投げ出すように掲げられた戦槌が、黒く禍々しい光をまとう。
そして稲妻の如き速度で、戦槌が地面を叩いたとき、大地をひっくり返すような衝撃波が、周囲の何もかもを吹き飛ばした。
石畳も煉瓦造りの家々も、シーナもブルータスもハモンドも、騎士も馬も、離れていたマックスさえも、すべてを吹き飛ばした。




