第1話
宴会の翌朝。アリア一行はユダの用意した朝食を食べながら、これまで得た情報を話し合っていた。
ロールパンにオムレツ、焼いたベーコンにトマトとシンプルな朝食である。
「それで結局、看守長サマはあの監獄島で何をやっていたんだ?」
パンをかじりながら、ぶっきらぼうに尋ねるブルータス。
答えながら紅茶をすするマックスの顔は、二日酔いで青ざめていた。
「奴は『賢者の石』を創造しようとしていたんだ」
するとアリアが、恐る恐るながら口を開く。
「先生、あの石は……賢者の石とはいったい何なんですか?」
「邪教徒共を中心に、古くから伝わる伝説の霊薬です。それを手にした者は人智を超えた魔力を授かると謂われ、そしてその材料は……」
「人間、ですか……」
言いながら、彼女は顔をしかめている。
「ええ。正確には人間の魂ですが。そしてその魂がとくに力を発露するのは、強い苦痛や絶望に曝されたときとされています。そこに目を付けたフレイザーは負の感情を最大限に引き出すため、エルフの禁術――『乖命の禁呪』をヴィリ・シアンから盗み出したのです。便りでそのことを知った僕は、この半年間ずっと奴を捜していました」
「ずいぶんと恐ろしい石ころがあったもんだ」
早くも料理を平らげたシーナは、空のティーカップを弄んでいる。
するとユダが、皆に紅茶を注いで回りながら皮肉っぽく笑った。
「しかもそんな非道を『聖王騎士団』が援助していると。よりにもよって、邪教を憎むべきはずの彼らが」
「ああ、そのようだ。フレイザーの部屋にもその記録が残っていた。各地の集団失踪は、騎士団と邪教徒どもの仕業に違いない。各地に拠点を設け、せっせと人を攫っては石の材料にしていたんだ。定期的に各拠点の石を監獄島に集めて、一つの石に魔力を集積していたらしい記録もあった」
「酷い……では、あちこちで小規模の絶界が発生しているというのは、やはり事故的な……?」
アリアの言葉に、マックスが深く頷く。
「ええ、お嬢様の見立てどおりです。どうやら石に人間の魂を吸着させる過程で逆転現象が起き、人間に膨大な魔力が流れ込むことで、事故的に柱もどきが産まれてしまっていたようです」
アリアは横目で隣人を盗み見た。
シーナはというと、とくに変わりなく紅茶をすすっている。
「こういう言い方はフレイザーを褒めるようでシャクですが、流石に監獄島ではそういった事故は起きていなかったようです」
するとユダがふん、と鼻で笑い飛ばす。
「なるほど。そしてそれらの事故をもみ消していたのが、『柱崩しの英雄』サマだったというわけですね。自作自演もいいところだ――しかし、その石を使って彼らは何をしようとしていたんでしょうか」
「石があれば、人間を柱に変えられるんだろう? あのクソッタレ共のことだ。柱もどき共を兵器利用しようとでも思っているんじゃないのか」
忌々しげに答えたのはブルータスであった。
ちなみに彼のカップのみ、紅茶ではなくウォッカが入っている。
「フレイザーを見る限り、柱というのは人間が制御できるような代物ではなかったが……何にせよ賢者の石というのは、数え切れないほどの魂の、いや怨念の結晶だ。恐ろしいほどの力を蓄えていることは――今さら言うまでもないな」
マックスの言葉に皆それぞれ監獄島の記憶を蘇らせ、そして一様に黙り込んだ。
「クックとオッサンに、ずっと聞きたかったんだけどさ――」
「女性のタイプ?」
「違う」
「好きな酒か?」
「違うし、知ってる」
「この杖は、氷竜の背骨をハルニレの枝で――」
「先生には聞いてない……じゃなくって! アンタら闇ギルドのことだよ! お嬢の父上と関係があったってのは本当なのか? どういうわけで捕まってたんだ? ほかのメンバーはどこにいるんだ?」
シーナがムキになって捲し立てると、アリアもうんうんと頷く。
マックスはなぜかしゅんとしていた。
「ああ、そのことですか。勿論お話ししましょう」
ユダはこともなげに快諾すると、アリアを見てふっと微笑んだ。
「そうですね……まず、ウォーカー公とギルドに関係があったか、という話ですが……」
アリアは息を飲んで、ユダの言葉を待つ。
「関係は……確かにありました。ですが安心してください。スパイの引き入れやら国家機密の裏流しなんてのは、まったくのでっちあげです」
その答えにアリアは複雑な表情ながらも、取り敢えずは胸を撫で下ろした。
「それは……よかった。でもそれなら、父とはいったいどんな関係で?」
「……初めてお会いしたのは、一年半ほど前でした」
ユダは儚げに笑って、馴れ初めを語りだした。
「王都の地下でつまらない裏家業に明け暮れていた我々に、ウォーカー公自ら接触してきたのです。現役の外務大臣の訪問にも驚きましたが、それ以上に驚いたのがその目的でした。彼は我々に、聖王騎士団を探るよう依頼してきたのです」
「闇ギルドに、聖王騎士団の調査を……」
「ええ。三年前の先王の逝去以来続いていた軍国主義復権派との政争の中で、彼はその裏で暗躍する存在に気付いたそうです。そしてそれは恐らく復権派とともに台頭してきた聖王騎士団ではないか、と彼は睨みました。しかし立場上、表立って追及するわけにはいきません。そこで白羽の矢が立ったのが、我々でした」
ユダの言葉を、ブルータスがしみじみとした口調で引き継ぐ。
「引き受けるべきか悩む俺たちにウォーカー公は言った。『この都とこの国を愛する者として、ともに戦ってほしい。この国に生きる者を、娘の未来を守ってほしい』とな」
「お父様……」
アリアは思わず、目頭が熱くなる。ユダがふっと笑みを漏らした。
「そして、それでも悩む私を無視して、君は勝手に引き受けたんでしたね。兄弟?」
「当たり前だ。俺は前からあのラインラントのションベン野郎の面が、気に食わなかったんだよ」
度し難い、と言った表情で首を振るユダ。
「ともかくそういうわけで、我々は調査を開始しました。あのラインラントという男、そして聖王騎士団という組織は一筋縄ではありませんでしたが、それだけに我々ものめり込んでしまいましてね」
「ああ、久々に歯ごたえのある仕事だった。ウォーカー公から色々と面白い話も聞けたしな」
「……話?」
「ええ、貴女やスコール殿の話ですよ。まさかこうして実際にお会いして、ともに戦うことになるとは思いもしませんでしたが」
「はは、そっか……私たちの話を」
アリアは照れて髪をいじっている。
「とくに兄弟なんかは、スコール殿の武勇伝に夢中でしてね」
「俺ん中じゃ彼はラ・ヴォルカンに並ぶ英雄様だ」
するとそれまで寝そべっていたスコールが突然起き上がり、すっくと背筋を伸ばしたので皆笑い声を上げた。
「そして調査を進める中、ついにラインラントの秘密の書斎と思しき場所を見つけました――がしかし、そのことをウォーカー公に伝えるより僅かに早く、あの疑獄事件が起こったのです」
ユダは表情こそ変わらないが、その眼には無念の色がありありと浮かんでいた。
「政変以降、俺たちギルドは狩られる側となった。地下を追われ仲間は次々と殺され、生きて捕えられら奴らも二度と戻ってはこなかった……だが今ならわかる。仲間たちはあのクソ監獄のクソ儀式で、クソ石の材料にされちまったんだとな」
込み上げる怒りを隠そうともしないブルータス。その表情にアリアは息を飲んだ。
「最終的に我々はギルドを解散し、生き残った仲間は王都を去りました。私と兄弟を除いてはね」
「おめおめと引き下がるわけにはいかなかったからな。もはや反撃の余地なぞ残されてはいなかったが、戦士としての意地がある。しかしやがて俺たちは騎士団の連中に追い詰められた……つい一週間ほど前の話だ」
「足を負傷していた私はとても逃げ切れず、ラインラントに挑むも敗れ捕まり――その際、彼の顔を下手に傷付けた所為で酷く怒らせてしまいましてね。後はご存知のとおりです」
ユダは自嘲気味に笑っている。
するとシーナが前のめりになって尋ねた。
「ラインラントの、秘密の書斎とやらを見つけたと言ったな。じゃあ、そこを調べれば奴らの真の目的が――賢者の石を使って何をしようとしているか、わかるんだな」
その真剣な眼差しに、ユダも確と頷く。
「ええ、恐らくは。案内しましょう。ただし、人数は少ないほうがいい」
「協力してくれるの?」
アリアが、縋るような視線を投げた。
「勿論です。依頼を途中で投げ出すほど、闇ギルドは不義理ではありませんよ」
「ラインラントのあんちきしょうが悔しがるツラも、まだ拝んでないしな」
「……ありがとう。ユダ、ブルータス」
朝日を受けて酒場を発つシーナとユダ。
その背中を見送りながら、「なあ、エルフよ」とブルータスが口を開いた。
「あいつも……シーナも、石から力を得た『柱もどき』なのか?」
「ああ。十中八九そうだろうな、オーク。お嬢様が見つけた手記にも、あの人間のことと思しき記述があった。それによれば魔力の逆転現象が発生し、そのショックで奴は仮死状態となった。しかし同時に特異な力を得ていたアイツは、時間をかけて復活を遂げたんだ。副作用で記憶を失ったようだが……それでもなお理性を保っているのは正直、奇跡としか言いようがない」
「一度死んだ男か――ずいぶんな男を引っかけたモンだな。ええ、お嬢? しかしアイツは自分が柱もどきだと知っているのか?」
ブルータスの問いに、アリアは俯きがちに首を横に振る。
「伝えるべきかどうかわからなくて……でも多分、シーナもそれとなく気付いているんだと思う」
二人が消えた後の雑踏を、アリアは複雑な表情で眺め続けていた。
すると再び沈黙を嫌ったのか、ブルータスが「話は変わるが」と声を発した。
「化物になったフレイザーを見て思ったんだ。人間がアレを倒せるのか、と」
「……」
「ラインラントは確かに腕が立つ。しかしだからと言って、ただの人間が柱に打ち勝てるものなのか? もし奴が本当に、各地に発生した柱を倒して回っているというのなら、ラインラントはいったい……何者なんだ?」
しかしその疑問に答える声はなく、皆ただ黙ってその場に立ち尽くしていた。




