第2話
「――それでホントのとこ、アンタは何でここにいるんだ?」
壁にもたれて、気だるそうにシーナが尋ねる。
「戦いが苦手なんでね。逃げて逃げて……逃げ続けてたら、ここに辿り着いたんですよ」
壁の向こうから自嘲気味な声で、要領を得ない返答が返ってきた。
「そっちはどうなんです? ホントのとこ」
「俺は……何でだろうな」
しばし熟考した後、シーナは自分でも意外そうに答える。
「好きな子のため、とか?」
するとクックの笑い声が響いた。
「私も惚れた女性のせいで酔って暴れた経験は多々ありますが、女性のために酔って暴れた経験は流石にありませんね」
「色々と事情があるんだよ」
「何かわけありで?」
「話せば長い……いや、短いのか?」
「どんな話でも構いませんよ。檻を眺めながら、ただ身体が腐るのを待つよりずっとマシだ」
「う~ん、じゃ、まあ……」
そう言ってシーナは、この奇妙な旅のいきさつをぽつりぽつりと語りだした。
本来ならアリアのことなどは伏せるべきだと理解していた。理解していながらも、それでも彼は包み隠すことなくすべてを語り聞かせた。
この特殊な状況の所為なのか、それはわからないが――あるいはただ、この気の好さそうな隣人に話を聞いてほしかっただけなのかも知れない。
「――とまあ、そんなわけさ。お嬢に出会ってからは、失くしたはずの自分が次々と見つかっていってね。まったく最高だよ」
そう語りながら、シーナはあることに気が付いた。
――そうだ。さっきの夢だって
悪夢であって、悪夢ではなかった。あの夢は、失くしたはずの記憶だったのである。
すると付随して疑問が湧き起こる。
――俺はいったいいつ、どこであんな経験をしたってんだ
その答えは直ぐに出た。
――カルド山の砦に連れ去られたときに決まっている。それじゃあ、あの娘も……
シーナの脳裏に浮かぶのは、名も知らぬ赤毛の少女の姿である。
年若い少女までもがあの地獄を経験したかと思うと、胸の奥がじくりと傷んだ。
「そうでしたか、ウォーカー公のご息女と……」
クックの声で我に返る。話を飲み込みきれていないのか、彼の口調にはどこか戸惑いが滲んでいた。
「アンタも知ってるのか。やっぱ有名なんだな、お嬢の父上は」
「ええ、そりゃあ知っていますとも」
クックは懐かし気に呟く。
「そっちの話も聞かせてくれよ。何から逃げてきたって?」
「遠慮しますよ。話せば嫌われてしまうのでね」
「つまり、よほどの悪人ってわけだ」
「自分でも嫌気が差すほどのね――それで罪の意識から逃れようと、魔が差したんでしょうね。珍しく善行を積もうとしてみれば、このありさまというわけです」
「……俺もあんまり他人のこと言えないけど、ずいぶん自虐っぽいなアンタ。そんなんじゃツキが逃げちまうよ」
「ええ。だから我々はこんなとこにいるんでしょうね」
「ああ、なるほど。答えが出たな」
堪えるような笑いを漏らすクック。シーナもつられて笑い声を上げた。
「――感心しないな」
低く這うような声が、二人の耳に届いた。
いつの間にか牢の前に、男が立っていた。男は長身痩躯で、暗い紫のローブを目深に被っている。
顔立ちはハッキリとはわからないが、土色の痩せこけた長い顎が印象的であった。右手には、竜を模った金色の大きな杖をついている。
男の背後には、さらに四人の男が控えていた。
知恵の足りなさそうな筋骨隆々の大男や、半裸で小太りで下卑た顔立ちの双子など、みな異質な様相である。そしてその中には、酒場でシーナを打ちのめした十字槍の拷問執行官の姿もあった。
「その馬鹿に情が移れば、いずれ傷付くのはお前だぞ」
ローブの男がクックに向かって嘲笑を投げかけると、背後の小男二人もそれにならう。
「あんだけ痛めつけられて、まだ口を利く余裕があるとはな」
「ほかの連中の悲鳴がよっぽど心地よかったんだろう。この変態野郎がよ」
双子の下品な笑い声が牢に響くが、クックの憎まれ口は聞こえてこない。
「変態はアンタらだろ。鏡見たことねぇのか」
代わりに口を開いたのは、シーナであった。
わかりやすい挑発に、双子たちは激昂する。
「何だと、このクズがぁ!」
「シーナ君、よすんだ」
双子の怒声もクックの忠告も、シーナには聞こえない。
そして真っ直ぐにローブの男を睨みつけ、不敵な笑みで言葉を続けた。
「アンタが看守長だな? 会いたかったよ。色々と聞きたいことがあるんだ」
「どうやらお前も、立場をわかっていないようだな」
「ああ、何一つわかっちゃいないね。カルド山にお住まいの、アンタのお仲間のお蔭でさ」
「――ッ!?」
その予想外の言葉に、ローブの男――看守長はかっと目を見開く。
「どういうことだ。貴様、何を知っている……」
「フレイザー様! さっさとこいつを儀式に掛けちまいましょう!」
「そうだ! この生意気なツラを、苦痛に歪ませてやりましょう!」
双子がぎゃあぎゃあと喚きたてるが、十字槍の男がそれを制した。
「お待ちくださいフレイザー様。こやつは何か知っています。酒場での騒動も恐らく、仲間のエルフを逃がすための陽動だったに違いありません。私にご一任くだされば、すべて吐かせてみせましょう」
「そうだ、拷問だ! 俺たちにやらせろ!」
「爪剥ぎだ、鞭打ちだ!」
「ええい五月蝿い、黙れ! 今考えているんだ!」
苛立ったフレイザーが、執行官たちを一喝する。
すると突如、上方から鐘の鋭い音が届いてきた。
「フレイザー様、これは……緊急時用の警鐘です」
警鐘は何度も何度も響き続けている。
すると間もなく、一人の看守が焦った様子で駆けてきた。
「かっ、看守長様!」
「何だ、何が起こっている!」
「し、侵入者です!」
「いったい、どこのどいつだ! 状況は!?」
「詳しい状況は不明ですが、地下一階と二階にて数名の看守の死体が報告されております!」
「……貴様らの仕業か」
そう言ってフレイザーは、忌々し気にシーナを睨みつける。
「ついにマクスウェルが、ついに奴が来たか……お前たち、侵入者を捕らえろ! ほかは殺して構わんが、エルフは生け捕りだ! いいな!?」
「よっしゃあ! 侵入者狩りじゃあ!」
「皮剥ぎじゃあ! 指詰めじゃあ!」
フレイザーに命じられ、執行官たちが勇んで駆け出した。
「お前はこの牢を見張っていろ、誰も通すんじゃないぞ!」
フレイザーは看守にそう命じると、自身も足早に去っていく。
鐘の音が鳴り続ける中、シーナは手を縛る枷を見つめていた。
「……お嬢」
忙しなく走り回る看守たちから身を隠しつつ、アリアとマックスはスコールに従い、塔の最上階へと辿り着いていた。
最上階は牢の代わりに、大きな扉の部屋が幾つも並んでいる。
吹きぬけから中央の広場を見下ろすと、かなりの高さであった。
「いったい、何があったんでしょう」
「わかりませんが、急いだほうがよさそうだ。街にいた憲兵隊も鐘の音を聞き付け、ここへ向かってくるはずです。そうなれば僕の魔法でも脱出は困難でしょう」
するとスコールが、とある扉の前で立ち止まった。
「――ここに看守長が?」
「恐らくはヤツの部屋でしょう。魔法探知を仕掛ければ逆に気取られます。ここは先手を打つべきかと。……お嬢様、宜しいですか?」
アリアは息を飲み、力強く頷いた。
マックスの合図で扉を蹴破り、素早く弓を引き絞る――しかし部屋の中は無人であった。
広々とした部屋には巨大な本棚が並び、膨大な量の書物や書類が詰め込まれている。そのほかにも、アリアには用途のわからない不気味な法具なども並べられていた。
「シーナ、どこに……」
アリアは落胆の声を漏らす。
「ここはフレイザーの部屋には違いなさそうですが……ともかく手掛かりを探しましょう」
マックスはそう言うと、本棚から書類を引っ張り出し始めた。
「それよりもほかの部屋を探したほうが――」
「気持ちはわかりますが、当てもなく探すには些か広すぎます。看守もなにやら探し回っている。やみくもに動くのではなく、ここで的を絞りましょう」
「……」
反論が思い浮かばないアリアは歯噛みする。しかし逸る気持ちをなんとか抑え、看守長のデスクに取りかかった。
引き出しを勢いよく開けていくが、最下段だけ錠前が掛っていて開かない。
アリアはデスク上の燭台を手に取ると、力いっぱい叩き付けた。マックスとスコールが、怯える目つきで遠巻きに見守っている。
そして何度も打ち付けるうち、やがて錠前は無惨にも陥落した。
引き出しの中に収められていたのは、見覚えのある手帳である。
「これは……」
カルド山の砦の焼死体が抱えていた手帳と同じものであった。
一ページ目には「ジョン・ハリン・ブラムウェル」と、持ち主の名が書かれている。
内容のほとんどは砦で見つけたものと同じく他愛もない愚痴ばかりであったが、日付を見るにこちらが一冊目のようであった。
頁をめくっていくと、やがて気になる記述が目についた。
日付は約一ヶ月半前。この日記の中では、かなり新しめである。
『材料集めを依頼している奴隷狩り共が大きく稼ごうと考えたのか、大人数で近くの村の人間をまるまる攫ってきてしまった。騒ぎにならないよう、あちこちの集落から一人ずつ攫ってこいと言っていたのだが……材料が多いに越したことはないのでよしとする』
アリアの脳裏に、シーナと出会った廃村が思い起こされた。
「材料、ね……」
しかめ面で呟きながら、さらにページをめくると、最新の記述があった。日付は約一ヶ月前である。
『あの検体は、ほかとは異なる反応を示した。不規則に融解反応が起きたため柱化するかと慌てたが、結局何事もなく絶命したかの如く眠り続けた。いや正確には絶命していたのだが、その後一向に腐敗が進まず、それどころか日を追うごとに血色がよくなっていっているようだ。白くなった頭髪までもが、徐々に黒さを取り戻しつつある。石があの検体に何らかの作用を施したとすら思える。研究し甲斐がありそうだ――しかし材料も枯渇してきた。明日はいよいよ、あの娘を使わなければならない。妹が生きていればあれくらいだろうか。子供を使うのは初めてではないが、それでもやはり気が進まない』
アリアはこの記述を繰り返し読んでは、『あの検体』と書かれた箇所を指でなぞった。
「これって……」
すると次の瞬間、扉が音を立てて開かれた。
慌てて立ち上がり弓を構える。
そこに立っていたのは、紫のローブをまとった一人の男であった。
「やはり貴様だったか……マクスウェル・リー・マドメイ」
男はアリアやスコールには目もくれず、黄金の杖をマックスにだけ向ける。その震える声からは怒りや憎しみ、畏怖に覚悟、さらには歓喜さえもが滲み出ていた。
「久しいな……キウェテル・K・フレイザー。今は『看守長殿』だったか?」
マックスは手にしていた本を棚に戻してフードを取り、ゆっくりと男に向きなおった。そして険しい表情とともに、杖を取り出す。
フレイザーと呼ばれた男もまたフードを取り、顔を露わにした。
顔立ちこそまだ若いが毛髪は白く、目の下は黒ずんで肌は土色で、酷く痩せこけている。そしてその顔からは、あるべきはずの耳が欠如していた。
「待っていたぞ、マクスウェル。待っていたとも……このときをっ!」




