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SHEENA!(シーナ!)  作者: コバンザメ
第4章 「灰になってもまだ燃えて」
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第1話


 いつからか、暗闇の中に立っていた。

 我が身すら見えぬ無明の中、何もわからず只じっと息を潜める。漆黒の静寂に身を包まれているうちに自我すら疑わしくなってきて、得も言われぬ不安が心を支配した。

 ふらつくように一歩後退ると、背中に冷たい感触が走る。

 それが何であるか確かめる間もなく腕を掴まれ、凄まじい力で後方に引き寄せられた。

 ガァン、と鈍い金属音が響く。

 鉄格子に叩き付けられたのだと直感するより早く、背後から伸びてきた無数の物体。それが人間の手のようだと理解したころには、全身余すところなく掴まれ、鉄格子に磔にされていた。

 目も耳も鼻も口も塞がれ、指一本動かすことさえできない。

 己の呻き声だけが、ただ虚しく響く。

 すると今度は、強引に瞼を見開かされた。

 瞳に映るのは暗闇だけである。何も見えていないに等しい。

 しかし前方に、何者かの確かな息遣いを感じた。

 刹那、全身を戦慄が駆け巡った。

 それの放つ気配の(おぞ)ましきは、生まれてきたことを呪いたくなるほどであった。

 本能的な恐怖と嫌悪に身を刺され気を失いかけるが、全身を締め付ける痛みがそれを許さない。

 それがゆっくりと、こちらへ近付いてくる。

 なんとか逃れようと満身の力でもがくが、叶うはずもなく再び目を塞がれた。

 右のあばらに感触を覚えたとき、震えるほどの悪寒が走った。触れたのはどうやら、人間の手のひらのようだった。

 そしてその手は止まることを知らないかのように我が身へ、さらに我が身へ……ゆっくり、ひたすらにゆっくりとあばらに押し付けられる。

 どれほどの時間が経ったころか。無理矢理に手を押し込まれ続けるうち、あばらの皮が裂けた。

 さらに時間をかけて、ついに皮膚が押し破られた。

 堪えようのない痛みが走るが、悲鳴を上げることも涙を流すことも許されない。

 体内に入ってきた手は肉を掻き分け、血を泳ぐ。

 やがて骨を押し退け、臓を潰し……また骨肉を潜って、背中の皮膚を貫いた。

 そこまでされても尚、気は遠くなるどころか鮮烈な痛みに全身が覚醒する。

 そしてまた、冷ややかな手のひらが左の脇腹に触れた。

 この苦痛は際限なく、未来永劫に続くのだ――確信に等しい予感を得たそのとき、シーナはようやく目を覚ました。


 半身を起こし、張り裂けんばかりに脈打つ胸をなんとか落ち着ける。

 全身は冷や汗に濡れ、窒息しそうなほどに呼吸が苦しい。

 先ほどの夢が脳裏に蘇り、不快感のあまり嘔吐した。しかしあの夢に比べれば、まだ吐けるだけとマシだと言わざるを得なかった。

 息を整えながら辺りを見回すと、ここが牢の中だと気付く。暗く、湿っぽい牢である。

 鉄格子の外には、薄暗い廊下だけが見えていた。

 両手には鉄製の枷が付けられ、枷からは鎖が伸びている。鎖は壁につながれているため移動できる範囲は制限され、鉄格子までは手が届かなかった。

 ――ずいぶんと自由になったもんだ

 衰弱したシーナの顔に苦笑が浮かぶ。

 するとそのとき、

「――目覚めましたか」

 男の声がシーナの耳に届いた。

「誰? 隣か?」

「ええ、お隣さん。ずいぶんとうなされていましたが、大丈夫ですか?」

 壁越しに聞こえてくるのは、か細く弱々しいが、落ち着きのある優しい声である。三十半ばくらいの中年男だろうか、とシーナは推測した。

「ああ、大丈夫。いや最高だよ。二日酔いの後頭部を思うさまブン殴られた気分だ」

 シーナもまた、弱った声で強がりを言ってみせた。

「この現状よりも悪い夢を見れるのなら、それはあなたにまだ余裕がある証拠ですよ」

 隣人は慇懃な口調で、感心するように笑った。

「お名前を聞いても?」

「シーナ。ただのシーナ」

「おや。野郎かと思いきやずいぶんとハスキーな声のお嬢さんだ」

「変わった名前で悪かったね。アンタは?」

「アール・クックと申します――それでシーナ君はどうしてこんなところに?」

「恥ずかしながら、酒場で酔って暴れてね」

「それはそれは……ずいぶんな悪党だ」

 クックと名乗った男は、押し殺したような笑いを漏らす。

「そっちは? 王都の罪人? それとも俺のお仲間か?」

「その両方といったところですかね」

 クックが曖昧な返答を寄越した直後、地の底から響くような凄まじい悲鳴が聞こえてきた。

 シーナは思わず言葉を失うが、

「可哀想に……」

 というクックの呟きだけが、やけに耳に残った。


 夕闇がクリーグの街を包むころ、アリア・スコール・マックスの三名は監獄島にかかる巨大な橋を渡っていた。

 空には星が輝き始め、下に臨むルブア湖も穏やかである。しかし島に近付くにつれ、空気が淀んでいくように感じられた。

 街が厳戒態勢ということもあってか、憲兵たちが時おり行き来している。ただ誰一人として、アリアたちを引き留める者はいなかった。

「……まるで透明になったみたい。私たちを見向きもしませんよ」

 アリアが感嘆の声を上げる。マックスは自慢げな笑みを浮かべていた。

「正確には、見えてはいるがとくに気にしていない、という感じですね。これは言わば、存在感を極限まで消す術式。僕らは今、蚊トンボ並の存在なわけです――かと言ってむやみに動いたり大声を出したり、近付きすぎれば気付かれてしまいます。慎重に進みましょう」

 マックスの言葉に、アリアは緊張の面持ちで頷いた。

 そうしてゆっくりと歩を進めるうち、一行は監獄島へと辿り着いた――のだが、島をぐるりと囲む巨大な塀が目の前に立ちはだかる。

 唯一の入口である鉄門は硬く閉ざされ、その脇には二人の門番が警戒に当たっている。

 彼らは憲兵隊とは異なり、黒の制服に革の帽子を身に付けていた。

「どうしましょう。開くのを待ちますか?」

「いえ、急いだほうがいいでしょう。僕から離れないよう、ついてきてください」

 マックスの指示に従い、彼の後を追う。

 マックスは門のすぐ前に立ち、杖を当てると瞑想を始めた。

 アリアはスコールを抱いて静かに座り込み、すぐそばに立つ門番たちを気にしていた。

 するとその片方と目が合った気がして、慌てて顔を伏せる。しかし門番のほうはとくに変わりなく、暇そうにあくびを漏らした。

「――よし、今なら」

 瞑想を終えたマックスが、ぽつりと呟く。

 すると彼は、肩に下げた鞄から二つの小枝を取り出した。

「お二人とも、これを離さぬように」

 片方をアリアに手渡し、もう片方をスコールに咥えさせる。

「僕の杖と同じ樹に生えていた、兄弟枝です」

「確か……法具の共鳴作用」

「よろしい。よく覚えていましたね」

 マックスは嬉しそうに笑うと、門に向かい呪文を唱えだした。

 やがて三名の身体を包みだす魔法の光。アリアは、さすがに門番に気付かれるのではと内心焦る。

 そして光が最高潮に達したとき、門番がこちらを向いた。

 ――見つかった……!

 アリアが観念したときにはすでに、その足は監獄島の地を踏んでいた。

「――どうした?」

「何か今ここに……いや、気のせいだな。交替はまだか?」

 門番たちの会話が、門の向こうから漏れ聞こえてきた。

 アリアは胸を撫で下ろし、また慌てて辺りを見回す。

 敷地内には、巨大な塀に沿っていくつかの兵舎が並んでいた。

 そして目の前には巨大な塔。本当に監獄島に潜入したのだという実感が、胸をきつく締め付けた。

 遠目に塔を守る看守たちの姿が見えるが、こちらには気付いていない様子である。

「さて、どこから手を付けたものか……」

 塔を見上げながら、マックスが呟く。

「スコール、シーナの匂いを追える?」

 アリアは縋るようにしてスコールを見つめるが、返ってくるのは自信なさげな弱り声ばかりであった。

「どうしたのかしら……」

「何はともあれ、塔に入ってみるしかありませんね」

 マックスはそう言うと、塔の入口に近付いて瞑想する。しかし今度は、不可解そうな表情を浮かべた。

「どうしました?」

「いえその、人の気配が数えるほどしか……」

「まさかそんな。ここはノルズヴァン最大の監獄ですよ……」

「理由はわかりませんが、この目で確かめてみるしかなさそうだ」

 予想外の事態に戸惑うマックスだったが、気を取り直して再び空間転移の魔法を唱える。

 アリアが気付いたときにはすでに、塔の内部に立っていた。

 侵入した三人を出迎えたのは、塔に充満する瘴気である。

「これは、きついな……どうりでスコール殿の鼻が利かなくなるわけだ」

 鼻をつまんで顔をしかめるマックス。狼には遠くおよばないが、エルフも匂いに敏感らしい。

 内部は中央が吹きぬけの構造となっていた。中央の大きな広場を囲むように無数の牢が並んでおり、それが幾重にも重なって巨大な塔を成している。

 しかし、特筆すべき点はほかにあった。

「囚人の姿が、どこにも……」

 アリアの言葉どおり、牢の中にいるべきはずの囚人が誰一人いないのである。

 するとどこかから笑い声が聞こえてきたので、三人は慌てて物陰に隠れる。

 気になって声のするほうを伺うと、詰め所と思しき部屋にて看守たちが酒盛りを行っていた。

「看守はいるようですが、これはいったい……」

「何にせよ、我々には好都合です――そうだ、スコール殿」

 マックスは何かを閃いたように、スコールに手を差し出した。

「エルフは人間とは異なる匂いをまとっています。エルフの匂いならば、追うことはできますか?」

 スコールはマックスの手を嗅ぐと、今度は地面を嗅ぎ始めた。しばらく辺りを嗅ぎ回った後、二人の顔をどこか自信気に見上げた。

「大丈夫みたい……ですけど、どういうことです? ここにはほかにもエルフが?」

 スコールの後を追いながら、アリアが低く尋ねる。

「ええ。お嬢様の言うとおり、この監獄島で何らかの魔術的な儀式が行われているのなら、それを取り仕切っているのは看守長・フレイザーのほかにありえません。もしあの人間が、その儀式の生贄として連れていかれたのであれば……」

「看守長とシーナは同じ場所にいる――てことは、その看守長はエルフなんですか?」

 アリアの問いに、マックスの表情が曇る。

「ええ、耳は人間より短いですが」

「……?」

故郷ヴィリ・シアンを出るとき、置き土産に耳を削ぎ落していったんですよ」


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