カエシウス家の一騒動4
「あ、あの……お母様……」
「なあに? カルミナ?」
カルミナが手を引かれて連れてこられたのはミスティの私室だった。
本来ならまだミスティは書類と睨めっこをしている時間だが……今はそれよりも優先しなければいけない事がある。
ミスティは当然のようにカルミナを膝の上に乗せて、カルミナはわかりやすい子供扱いに顔を赤くして照れていた。
「カルミナはもう十歳です……おやめください……!」
「そうね、カルミナにとってはもう十歳……こんな風にされたら嫌かもしれないわね」
「い、嫌というわけではありませんわ……ですがもう十歳なのに子供扱いされるのは――」
「でもねカルミナ。私にとってはあなたはまだ十歳なのよ」
離れようとするカルミナを抱きしめながらミスティは囁くように言う。
自分を慈しむように包む母の温もりに離れようとするカルミナの力も弱まって、次第にカルミナはミスティに寄り掛かるようになっていた。
「少なくとも私が子供の頃は……もう十歳と言われるよりも、まだ十歳と言われたかったわ。だから私はあなたをまだまだ子供扱いしていたの」
「お母様の……子供の頃?」
「ええ、私はあなたと同じ歳に血統魔法を継承したから……その時から子供でいられなかったの」
「でも、凄い事です……とても、名誉な事ではありませんか?」
そう言いながらカルミナがミスティの顔を見上げると、ミスティが眉を下げて微笑んでいた。
カルミナにとって母親のその表情は初めて見るもので、何故だがとても辛そうに見える。
「……カルミナは、アルムがお父さんだって信じられない?」
「っ……! ごめんなさい……ですが、去年にヴィオラを見に行った時……私達、姉妹全員がお父様と似ていないなんておかしいなって思ってしまいまして……それに、パーティで噂を聞いてから、本当に、そうなのかもと……思ってしまいました」
「そっか……不安だったのね?」
「はい……。決して、アルムお父様の事を、嫌っているわけではありません……ですが、もし……本当に違ったらと考えると、胸の奥が張り裂けそうになりましたわ……」
「安心してカルミナ……そんな事は無いの。ベネッタが少し説明してくれたかもいしれないけれど、アルムの髪や瞳の色とあなた達が似ていないのにはちゃんと理由があるのよ」
「……はい、聞きましたわ」
それでも半信半疑なのかカルミナはミスティから視線を逸らす。
そんなカルミナの様子を見て、ミスティは覚悟を決めた。
「カルミナはアルムに似て少し頑固ですからね……仕方ありません。こういった形で話すつもりはありませんでした」
「え……?」
カルミナは真剣な様子でこちらを見るミスティについ顔が強張る。
話さなければいけないというのは先程ベネッタから聞かされていた父の髪と瞳の色についての秘密か。それともカエシウス家という血筋の何たるか。
一体何を聞かされるのかとカルミナが緊張しながら見上げると、ミスティは頬をどんどんと赤らめさせていた。
「語らねばいけませんね……私とアルムがどう出会い、私がどう恋に落ちたのか……私がアルム以外の異性を愛するなど有り得ないという事を証明する……私達の出会いと馴れ初めを……!」
「なれ……そめ……!」
予想していたものとは少し違ったものの……それはそれで興味津々と目を輝かせるカルミナの表情には一切の陰りも無く、期待で子供らしく爛々としていた。
「ひどいと思わないカルミナ? 私が毎朝毎朝わかりやすく門の前で待っていたというのにアルムったら毎日毎日、私が偶然来たと思っていたのよ? 今思うと少しくらい……少しくらい察してくれてもね?」
「本当ですわ! 鈍感にも程があります!」
「でも当時はそれでもアルムに会えただけで嬉しくてですね……そんなアルムでも全く嫌いになれず不満にも思わず……。ただ隣にいるだけで嬉しかったんですよ?」
「子供の頃のお母様ってばなんていじらしいんですの……! ああ、もうお二人は結ばれているはずなのにカルミナは子供の頃のお母様を応援したくなってきましたわ!」
「ふふ、ありがとう」
どれだけの時間話し込んだのか、日はすでに傾き始めていた。
久しぶりに母親と長話が出来たのが嬉しかったのか、それとも両親の馴れ初めがよほど面白いのか。
ミスティの腕をぐいぐいと掴みながらカルミナは子供らしくはしゃいでいる。
「とても凄いお話ですわ……仲睦まじい学院生活と魔法生命という怪物との戦いから深まるお母様達の信頼関係……。どれも現実で起きたお話だというのに今まで読んできたどのお話よりも心が踊りました」
「ふふ、よかったわ」
「お母様の話を通じて伝わるお父様への愛情……。カルミナはまだ子供ですが充分にわかります……。変なお話をしてごめんなさい。私ったら妙な噂に振り回されて信じ込んでしまって……誉れあるカエシウス家として失格です」
「そんな事は無いわ。人に不安はつきもの……悩み苦しむ事は誰にだってあるもの。カルミナはたまたまそれがアルムの事だったというだけ。私の可愛い娘を失格だなんて言わないで」
ミスティに頭を撫でられて、カルミナは自分の誤解に落ち込みながらもせがむように頭をミスティのほうへとせがむように寄せる。
「ですが……お母様はいつからお父様を好きになったのですか? お母様がどれだけアピールしたか、お母様が告白したかまではわかったのですが……きっかけは何だったのです? 出会いのお話ではまだベネッタ先生のようにご友人のように聞こえましたが?」
「……ええ、少し飛ばしている話があるの。それが私がアルムを好きになったきっかけよ」
自分の頭を撫でるその手がぎこちなくなって、カルミナは顔を上げる。
先程までとは違う雰囲気なのが手に取るようにわかった。
「アルムと出会った【原初の巨神】の事件、そしてミレルでの戦いの後の話……カエシウスの当主継承式があったの」
「当主継承式……? ですが、お母様は卒業後に当主になられたのですよね?」
「ええ、それが……カエシウス家最大の事件だったわ。カルミナにとって少しショックな内容かもしれないから気分が悪くなったら言って。カルミナは、私と同じ妹だから」
「妹、だから……ですの?」
――ミスティの口から語られるのはカエシウス家最大の事件。
北部をカエシウス家がかつて統治していた国ラフマーヌとして独立させる目的で行われたグレイシャ・トランス・カエシウスによるクーデター。
当主継承式と銘打ってマナリルの有力貴族を招待し、氷漬けにして人質にした……近代マナリル史において人間による事件の中ではマナリル最悪といってもいい事件の話だった。
先程のような和気あいあいとした空気は凍り付き、カルミナも息を呑む。
カルミナにとっては祖父であるノルドを祖母セルレアを人質に脅迫し、まだ幼い叔父アスタを敵国に売り……そして母であるミスティをその手で殺そうとした自分の伯母グレイシャの凶行。
今トランス城で平和に暮らしている人達全員がいなかったかもしれない事件の全容は家族を愛しているカルミナには理解が出来なかった。
「グレイシャ御姉様は血統魔法を除けば私よりも優秀で面倒見もよくて、私は尊敬していたの……でもそんな私をグレイシャ御姉様はずっと憎んでいた。それこそ生きているのが許せないくらいに」
「そんな……私には、わかりません……。私もティアお姉様と自分を比べて、少し思う所はあります……でも、ティアお姉様とはずっと仲良しでいたいですわ……」
「うん、私もそうよ。でもグレイシャ御姉様はそうじゃなかった。私はそんな事も気付けなくて……理解できなくて……そのまま心が折れて負けてしまったの」
「お、お母様が……!?」
「でも、そんな時に来てくれたのが……アルムだった」
アルムの名前を口にして、途端にミスティの表情が晴れる。
時は夕暮れ。温かい橙色の光が部屋の中を照らしていた。
「失意の中にあった私を救って、グレイシャ御姉様と対話して……あの二人はその時が初対面だったのに、お互いがお互いを理解し合っていた。あなたのお父様はそういう人なの。どんな怪物でもどんな人でも、どんな敵であっても誰かの欲望を否定はしない。認めた上で、自分の大切な世界のために戦える人……そんな誠実な人は初めてだったわ」
ミスティはそう言いながらカルミナに小指の指輪を見せる。
隣の薬指に嵌められている結婚指輪とは違う、小さな魔石が付いた指輪を。
「その後にこの指輪を貰ったの。今でも私の宝物よ」
「そんな、事が……」
「勿論、私にとっては一番悲しい出来事だったかもしれない。けれど悲しいだけじゃなかったの。世界で一番愛しい人に出会えた日でもあったから」
ミスティはショックだったのか、受け止めきれていないカルミナを抱き寄せる。
「だから、私がアルム以外の異性を愛する日は来ないわ。十歳の頃からの孤独とグレイシャ御姉様の凶行から救ってくれた"魔法使い"……あの日から、私の隣に立っているのはアルム以外に有り得ない。そしてそんなアルムとの間に出来たあなた達を何よりも愛している。だからあなた達が悲しむような隠し事は絶対にしないって伝えたかったの。カルミナはお利口だから、このお話をする前から誤解の事を謝ってくれたけどね」
「そ、そんな事はありません……お母様からお話されなければ私は……。カエシウス家の次女だというのにまだ子供で……ごめんなさい……」
「当たり前よ、まだカルミナは十歳になったばかりなんだもの」
窓から差し込む夕暮れの光がミスティを照らす。
銀の髪は橙色の光に照らされて、温もりを髪に織ったかのよう。
もう雪原に一人でいた少女はどこにもおらず、家族と手を繋ぐ母の姿がそこにはある。
「私が十歳の時は、ただの子供でいられなかった。だからカルミナはもう少しだけ子供でいていいの。カエシウス家だからなんて関係無いわ、あなたが成長していく姿を私達はずっとずっと見守ってる」
まるでカルミナの心に言葉が溶けていくように、カルミナは噛み締める。
子供でいていいとミスティは言うが、その愛に満ちた言葉はカルミナを一歩前に進ませた。
語られた両親達の話、自分が生まれる前に起きた大事件。
そこから伝わるミスティから家族への愛情。
そんな母親の大きさに、カルミナは初めて自分の夢の輪郭を見る。
「お母様……私……。お母様のような女性になりたいです」
「なれるわ。私なんかよりもずっとずっと素敵に。なんだってカルミナは、私達の娘ですもの」
とある誤解から始まった騒動はカルミナの心に母親の姿をより強く刻んで終わりを告げた。
終わってしまえばなんてことの無い話、子供らしい盛大な勘違いから始まった……とある家族の一幕だった。
「指輪が欲しい? カルミナにはまだ早いような……」
「お願いしますお父様……! 小さいのでいいので……いえ、むしろ小さいのがいいですわ! 宝石もいりません!」
「宝石がいらない……? そうだな……カルミナが何か欲しがるなんて珍しいし、サンベリーナに相談してみようか……」
後日、アルムに指輪をねだるカルミナの姿があったそうな。
お読み頂きありがとうございます。
今回の短編はこれにて終わりとなります。今月もう一度、短編を投稿する予定ですのでその時にまた覗きに来てやってください。




