未来への頁9 -魔法創世暦1719年-
「無属性魔法は基本的には使えない」
ベラルタ魔法学院の実技棟に集まった三十人弱の生徒達の前でアルムは言い切る。
集まっている生徒達は皆、アルムに魔法を見てもらうために集まっている生徒達だ。学生時代にボランティアでやっていた実技指導が特別講師となったアルムの授業そのものになっている。
今日は二年生を対象とした指導で、アルムの後ろには補佐のセムーラが控えていた。
「周囲を察知する便利な感知魔法はないし、召喚のような転移魔法も効率が悪い。魔眼は魔力効率が最悪で獣化はハリボテになりやすい。攻撃魔法は魔法を使えない平民を相手にするのが精一杯で、防御魔法は下位の攻撃魔法にすら破壊される。闇属性の攻撃魔法ですら防げないと言えばその脆さはわかるだろう」
闇属性の攻撃能力は一般的な八属性の中でも一番下。信仰属性よりも低い。
その闇属性の攻撃すら防げないのだから魔法戦において無属性魔法の防御魔法がどれだけ使えないのかがわかる。
貴族なら基本知識として知っているであろう無属性魔法についての説明をアルムは続ける。
「現実に魔法のカタチを"放出"しない補助魔法だけ有用だが、それも各属性の補助魔法とは比べるべくもない。唯一有用性があるのは属性の特性を軽減する『抵抗』くらいなもんだろう。そんな無属性魔法だが……魔法戦を考えなければ有用な使い方がある。それが君達が日々行っている練習で使うケースだ……さて、何で今更こんな説明をしたかというとだな」
アルムは左端に座る男子生徒のほうに目をやる。
自然と集まった他の生徒達の視線もそちらにいった。
「そこのオヴィラに昼休み質問されたからだ。属性魔法ではなく無属性魔法で練習させる意味はあるのかってな」
「まさかオヴィラくん……! アルムおじさんの指導に不満があるの!? 二年生になるまで指導を受けておいて!?」
厳しい目をしたエミリーが立ち上がる。
普段、このように怒る事のないエミリーのその剣幕にオヴィラは慌てて手を横に振った。あまりの慌てように眼鏡もずれている。
「ち、違います! ただ何故かなと質問しただけでして……」
「アルムおじさんを――」
「先生だ」
「はい、ごめんなさい! でもアルム先生を疑うなんて……!」
エミリーが言いかけるとアルムが口を挟む。
「いや疑問を持つのはいい事だ。漠然とやる練習と意味を理解した練習ではモチベーションも効率も変わってくるからな。だからこの質問の答えは普段から来てくれているみんなと共有すべきだと思ってこの場で答える事にしたんだ」
「そう! 大事な事だよね! 流石オヴィラくん!」
「エミリーもう座れ」
「はい!」
普段は優秀で同期の仲間達からも頼られているエミリーだが、アルムが絡むと見事にから回る様が生徒達の笑いを誘う。四大貴族の息女とは思えないこの等身大の雰囲気が近寄りがたいどころか親近感を抱かせるのだろう。
生徒達からくすくすと笑い声がする中アルムが続ける。
「オヴィラだけでなく他のみんなも少しは思った事があるかもしれない。あの先生、自分が属性魔法使えないから自分の使える無属性魔法を使わせる指導をしてるんじゃないか、とかな」
アルムが言うとエミリーを含む生徒の半数以上がぶんぶんと首を横に振る。
残りは黙って聞いていたり図星を突かれたという顔をしていたり。
「そんな疑念を払拭するために改めてこうして説明する機会を用意したわけだ。何故無属性魔法が練習で有用なのか理由は二つ。一つは低コストで魔法のカタチをイメージする事ができる点だ……セムーラ」
「はい、『魔剣』」
アルムの指示で今回補佐に回ってくれるセムーラが無属性魔法を唱える。
セムーラの手には魔力で作られた剣が現れる。勿論、誰にでも唱えられる攻撃魔法だがしっかり柄に装飾まで掘られているようなデザインになっている。
「君達も二年になると実感してくるだろうが、魔法式の構築速度に差があると一気に実力差が開き始める。その構築速度を高めるために魔法のカタチを即座にイメージして"変換"する練習として無属性魔法は最適なんだ。見本を見せてくれたセムーラのように咄嗟に剣のデザインを考えられるくらい手慣れてきたら属性魔法を使う時に相当楽になっているはずだ。
懐かしいな。学生の時にセムーラにこれを説明したら疑うような目で俺の事を見てきて……」
「あ、アルムさん! 私の話はいいですから!」
「すまんすまん。ともかく、より少ない魔力消費で魔法の構築速度を上げる練習として無属性魔法は最適ってことだ。そしてもう一つの理由だが……これはお節介かもしれないが、咄嗟に唱えられる魔法として体に染みつけておくと便利だからだ」
生徒の何人かが怪訝そうに首を傾げる。
「無属性魔法はさっきも言った通り基本的には使えない。属性が無い分、才能がある君達からすれば簡単すぎて子供の頃に覚えたような魔法だろう。だが実戦において咄嗟のシチュエーションで唱えられる選択肢に入れておけば生き残る確率がほんの少し上がる時がある。
他の魔法よりも簡単ゆえに属性魔法よりも咄嗟に唱えやすく、迫る相手の魔法の軌道をほんの少し逸らしたり衝撃を和らげたり、魔力切れ寸前になった時に唱えられたりと、もしかしたら命拾いする……かもしれない」
「かも、なんですか?」
生徒の一人が複雑そうな声色で問いを投げかける。
アルムは薄く笑って頷く。
「ああ、そうだ。曖昧な物言いなのはわかっているし、ピンと来ないかもしれないが……練習を通じて君達の選択肢の一つになるなら俺の意図は伝わっても伝わらなくてもなんでもいい。勿論そんな状況にならないのが理想ではあるんだけどな。
俺は才能が無くて何回もギリギリになったから。けどこうして生き残ってるわけだから俺自身が説得力ある存在……というには微妙だがそう言う事だ。わかってくれたか? オヴィラ?」
「は、はい……! お答え頂いてありがとうございます!」
「オヴィラ以外のみんなも疑問に思った事は口に出してくれていい。何でも答えられるとまでは言わないが、ある程度は答えられるはずだ」
アルムが言うと生徒達が少しざわつく。周りと一緒に何かあるかと探しているようだ。
やがて一人の女子生徒が震える手を挙げた。アルムが促すと、その女子生徒は恐る恐るアルムに向かって問う。
「あの、無属性魔法が限定的なシチュエーションでしか使えないというのはわかったのですが……ではアルム先生はどうやってマナリルの英雄と呼ばれるほどの功績を打ち立てる事ができたのですか……?」
「ああ……そうか、確かに疑問に思うか」
生徒達の視線が一気にアルムに集中する。
マナリルの英雄アルム。平民として生まれながら様々な功績を挙げ魔法使いに上り詰め、カエシウス家に婿入りした生きる伝説。
だが今の生徒達はアルムの事は文献でしか知らない。
果たして本当なのかと疑念を持つ者も当然いれば、当時まだのさばっていた行き過ぎた権威主義者達を抑えるために王族が打ち出したただのプロパガンダだという過激な噂さえあるくらいだ。
だからこそ、一人の女子生徒の疑問は今の世代全員を代表するものだったかもしれない。
「まぁ言っても問題ないだろう。俺はただ無属性魔法を使ってるんじゃなくてとある技術を使って無理矢理に無属性魔法の"現実への影響力"を底上げしているんだ。今は完全に廃れてる大昔の技術でな、膨大な魔力量が無いとできなかったり……それとリスクがとても大きいんだ」
「リスク、ですか?」
「ああ……そうだな。実際に見せるか……」
アルムは少し考えたかと思うと少し離れる。
「"放出領域固定"――【一振りの鏡】」
生徒達の知らない無属性魔法をアルムが唱えるとどこからか武器の形をした魔力の塊が落ちてくる。突然現れたその形に生徒達がびくっと震える。
床に突き刺さったその魔力の塊をアルムは手にした。
「これは俺の世界改変魔法だ。一般的な世界改変とは違って自分そのものを一つの世界と認識して人体を魔法化して敵の世界改変に対抗するのに使ったりする」
「無属性魔法って世界改変できるんですか!?」
「普通は無理だが、今も言った通り自分を魔法化する事と膨大な魔力量を突っ込む事で無理矢理に概念を成立させている。そしてこの魔法のリスクだが……」
「あれ、光って……?」
説明する中、アルムの右腕が白く光っている事に生徒達が気付く。
魔法の効果だろうか? と生徒達が思う中アルムは服の袖をまくって【一振りの鏡】を握る右腕を見せた。
「これは魔力濃度が過剰になると起こる現象だ。地面とか湖が光っている霊脈を見たことはないか? あれと同じ現象を起こすくらい今俺の体内では魔力が迸ってるんだ」
「え、大丈夫、なんですか?」
「いや? 大丈夫なわけないだろう? 君達の使うような魔法に対抗しようと思うとどうしても無理がある必要があったんだ。つまりリスクというのはどういう事かというと……もうすぐか」
瞬間、アルムの右腕が内部から破裂したように皮膚が裂ける。
裂けた衝撃で白い魔力の宿った血がアルムの足下にぽたぽたぽた、と落ちていった。
「きゃあああああああ!?」
「過剰な魔力が体内を駆け巡るのに耐えられなくなってこうなる。血液が白い魔力を帯びる現象は過剰魔力で狂暴化した魔獣にも似たような状態が報告されていて魔力を運ぶ不可視の器官は血管に沿って存在しているという説も……」
「アルムさん治癒! 治癒魔法を先に!」
「後でな。これを使ってるときは治癒魔法の"現実への影響力"も弾いてしまうから」
セムーラが止めようとするもアルムは説明を続ける。
生徒達はアルムの右腕を見て騒然としているが、アルムが変わらぬ表情で説明しているためどうしたらいいのかもわからない。
説明している間もアルムの右腕は輝いていて、ぼたぼたと血は流れ出ている。
「やっている事は魔法の三工程を常に唱え続けて"現実への影響力"を底上げし続けるってだけの話なんだが……膨大な魔力を使わないといけないから非効率な上に属性魔法のような安全性も無い。この魔法もずっと使い続けるといずれ右腕みたいに全身が爆発して死ぬ」
「全員で止めよう! 駄目だこの先生!」
「薄々わかってたけど変なところで馬鹿だこの人!」
「まじでいかれてる!」
「お前らが聞いたのに……」
右腕からぼたぼた血を流しながら更に物騒な事をいうアルムに生徒達から暴言に近い声が飛び交う。
今にも魔法を止める為に飛び掛かってきそうな生徒達の雰囲気にアルムは解せないと言いたげにしながら魔法を止める。勿論、腕の怪我が治るわけでもない。治癒魔法を使える女子生徒が一人前に出てきてアルムの治癒をし始めた。
「ああ、そうそう。治癒魔法で思い出したが……君達も知る聖女ベネッタが生身の眼を失ったのもこの技術を使った反動だ。俺の右腕を見ればベネッタの目がどうなったかわかるだろ?」
アルムに言われて想像してしまった一部の生徒が吐き気を催して口を押さえる。
当時のアルム達がどんな怪物と戦っていたのか……もしかすれば本や文献に書かれているアルム達の功績は誇張どころか過小に書かれているのかもしれない。
「質問にも答えたし……そろそろ解説も終わりにして訓練を始めようか。正直言って才能がある君達にはそっちのほうがよっぽど効率がいいからな。解説が終わりといっても聞きたい事があればどんどん聞いてくれていいのは変わらないぞ」
アルムの号令で生徒達はいつものように各自で訓練を始める。
そんなアルムはというとセムーラに床を汚した事について小言を言われながら、自分の血をタオルで拭き始めていた。先程とは打って変わって普通の人間のように素朴な印象だ。
だが先程目の前で起きた事が生徒達の目にはしっかりと焼き付いている。
普段の生徒達にとって優しく丁寧な先生であるアルムがやはり逸脱した"魔法使い"の一人なのだという事を実感したからか、生徒達はその日少しだけ訓練に集中できていなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
アルム先生による魔法講座でした。




