番外 -ノブレスランベリー3-
五年前の大蛇迎撃戦の前哨戦とも言える魔法生命による襲来……当時から常世ノ国を纏めていた魔法生命モルドレッドはその四体の魔法生命達の情報と引き換えにマナリルと手を結んだ。
鬼胎と夜の二属性を持つ鵺はオルリック領にて討伐。
ジャンヌはエルミラ・ベネッタ両名との交戦後に魔力の消失を確認。
ケトゥスは今も地上を見守りながら空を泳いでいる。
……だが最後の一体は確認されていないままだった。
「『天嵐の鎧』!」
「くっ……!」
ロベリアとライラックは横に跳び、振り下ろされる岩の塊のような剛腕を躱す。
強化で風の鎧を纏ったロベリアは即座に視線を湖のほうへ。
突如現れた巨体の正体を確認した瞬間……まるで見てはいけないものを見たかのように背筋に悪寒が走る。
水面から出る三メートルを超える巨体は全身が暗い深緑の鱗に覆われており、濡れた長い髪の隙間から敵意の籠った赤い目がこちらを覗いている。
大木のような両腕にはまた別の鱗をあしらった籠手のようなものが装備されていて、体の色とはまた別に体全体が黒い魔力に覆われていた。
明らかに魔獣とはまた違う存在。ロベリアは頭に怪物の正体が浮かび上がる。
『触れだな女』
「あっ……!?」
「ロベリア!?」
怪物が笑い、鼻から血を垂らしながらロベリアの体がぐらつく。
感知から伝わってくる記憶。自分ではない誰かが味わった痛み。
ふらつく体を意思で支えて、ロベリアは怪物の正体を確信する。
「魔法、生命……!」
『ア! ア! ア! 人を食うには遠出しなぎゃいけながったが……わざわざごのグレンデルの住処まで人がくるどはありがたい!』
グレンデルと名乗る魔法生命が纏う魔力が膨れあがって、
『じかも女だあッ!!』
「『疾風の豪斧』!」
グレンデルの剛腕が再びロベリアに振り下ろされた。
鼻血を拭いながらロベリアは魔法を唱えて迎え撃つ。
『ア! ア! ア! 』
「ちっ――!」
ロベリアの放つ斬撃は振り下ろされる拳を少し傷付けるも勢いは殺せない。
巨体の見た目通りの大振りそして威力。風属性の攻撃魔法では分が悪い。
正面から戦えば難なく躱せるスピードだが気持ちの悪い違和感はその音。
接近を許した時も不意を討たれた時もそうだがグレンデルの動きは無音のまま振るわれている。
「感知止めて兄貴! 魔力に触れたらやばくなる!」
「わ、かっていますよ!」
「合わせて!!」
逆側に跳んで躱していたライラックに声を掛けて連携の合図とする。
無音の攻撃は厄介だが感知は使えない。攻撃は恐らく一発貰えばアウト。そして何より敵は五年前に各国を混乱させた怪物であり自分達は対魔法生命は初見。
風属性は他に比べて攻撃能力の劣る属性……様子見の魔法は魔力の浪費になる可能性が高い。であれば必要なのは短期決戦。初手から最大火力を叩きこむ!
「【軍神鳥の剣翼】!!」
「【軍神鳥の剣翼】っ!」
二人が唱える歴史の合唱。血統魔法によって魔力が羽根となって舞う。
重なる先祖の声と共に舞う羽根は荘厳な儀式のようだが、その無数の羽根は敵を切り裂く容赦の無い刃。
百、いや千を優に超える羽根はグレンデルへとその切っ先を向けて降り注いだ……が。
(兄貴のだけ遅い――!?)
子供の頃から最も多くライラックと連携してきたロベリアだからこそライラックのミスとしか思えない構築と拙さに気付く。
構築だけではなくタイミングまで遅れている。こちらの手の内を知らない相手に対する初撃は同時攻撃。そして寸分違わぬタイミングが理想のはずだが、ライラックの攻撃はタイミングどころか速度までロベリアの半分以下しかない。
『なんだぁ?』
グレンデルも"現実への影響力"の違いに気付いたのか最初に放たれたロベリアの血統魔法のほうは籠手や魔力を放出して防ぎ、遅れて辿り着くライラックのほうは意にも介さない。
ロベリアの血統魔法はグレンデルの体に突き刺さっているがライラックの血統魔法はそれこそただの羽根のように魔法生命の外皮に弾かれて消えていく。
血統魔法は同じように唱えても使い手によってその"現実への影響力"は別物のように変わる……まさにその差が目の前に現れていた。
「駄目だ固すぎる……! うちらの血統魔法と相性が悪い――!」
『ア! ア! ア! ベオウルフのようなこの世界の英雄が来たと思ったが……男のほうはただの人か』
ロベリアとライラックが対峙する魔法生命の名はグレンデル――その名はこの世界とは違う異界の叙事詩ベオウルフにて語られる巨人の怪物。
巨体にもかからず無音で忍び寄り、その巨体で怪力を振るう人喰い鬼。
毎晩一人ずつ、英雄ベオウルフが現れるまでの十二年、欠かさず人間を食らい続けていた生粋の怪物である。
「兄貴! 何やって――!」
何やってるのか、と怒鳴るつもりだったロベリアの声が一気に消えていく。
無音で攻撃してくるグレンデルから視線を外すという危険を冒してライラックのほうを見ると、その顔は青白く生気がなかった。
……ロベリアは学生時代、アルムから聞いていた話を思い出す。
鬼胎属性は初見で相手する際が最も厄介。今では火属性の使い手で五指に入ると名高いエルミラでさえ、初見の魔法生命相手にはまともに戦う事が出来なかったという信じられない話を。
力の源は人間に根強く恐れ。人間が奥底に隠している根源的な弱みを無理矢理暴いて恐怖に晒し、"現実への影響力"へと変える……それが鬼胎属性。
ライラックは今、グレンデルの鬼胎属性の魔力を浴びた影響でまともに戦える状態にない。いやむしろ動けているだけましだと捉えるべきだろうか。
「この馬鹿兄貴しっかりしろ! ただでさえうちらじゃきつい相性よ!」
「すいません、ロベリア……!」
『【呪血の酸波】』
「!!」
グレンデルが両腕を湖に突っ込むと背後に海を彷彿とさせる大波が湧き立つ。
動物達の集まる静かな湖は突如二人を呑み込む酸の津波に。湖畔の草が音を立てて焼けていく。
侮ったわけではない。だが怪力を警戒していた二人の前に現れた大規模魔法に一手思考が遅れた。
さらに、頭の中で巡る思考がロベリアの判断を遅らせる。
自分を守るかライラックを守るか。それだけではない。
魔法生命という怪物相手にそんな器用な事ができるのか? "魔法使い"として未熟な自分に?
ロベリアの頭の中を支配したのは恐怖ではなく迷い。酸の津波が目前に迫ってもなおロベリアは迷ったまま。
「ロベリア!!」
「ぐえ!?」
顔面蒼白のまま横から飛び込んで来たライラックの突進の勢いのまま、酸の津波から逃れる。
酸の津波は森の草木を木々を焼き、巻き込まれた小動物までも巻き込んで山からは白い煙が立ち昇っていた。
『しまった……骨にしたら食えねえ……』
グレンデルのおぞましい呟きを耳にしながら二人は難を逃れて森の中へ。
グレンデルは追ってくる様子はなく周囲を見回している。自分の酸の津波から逃れられるとは思っていないのか、湖畔に転がっているであろう二人を探し続けていた。
「ちょ、兄貴あんた……!」
「あ……ぐぁあああああ!」
「え……」
葉や折れた枝に塗れながら苦しみに悶えるライラック。
ロベリアを庇いながら津波を躱したと思っていたが、どうやら足に当たっていたらしく服は溶け、ライラックの左足は焼けただれている。
ライラックの足には黒い魔力。酸で溶けたような傷だがその本質は呪い……治癒魔法で治るような傷もその魔力は阻害する。
「あ、兄貴……そんな……」
「ロベリ、ア……当主に相応しいのは君だ……」
「は、はぁ? こんな時に何言って……! 関係ないでしょ!」
口を開いたかと思えば先程の話の続き。状況にそぐわないような会話を蒸し返すのは本当にらしくない。今はそんな事言っている場合じゃないとロベリアが言ってもライラックは続ける。
「いやあるんだ……僕は、ロベリアやフレンのためにしか……動けない。大切な人間のためにしか動けない、当たり前の……人間にしかなれない……」
グレンデルから離れたせいかひどい怪我をしているというのにライラックの顔色はほんの少し良くなったように見える。
それでも足の痛みは凄まじいのかライラックの額には脂汗が浮かんでいて、戦意なんてものは微塵も感じない。今ライラックを喋らせているのは兄としての言葉、そして精一杯の強がり。
「けれど、君の道は違う。僕は……アルムさん達には憧れられなかった。自分を捧げる事なんて出来ないと思った。誰でもない誰かのために自分を懸けるよりも貴族として優秀な自分達が生き残るべきなのだと」
「兄貴……」
「僕は未だに家名主義に囚われている……昔の君みたいに極端じゃないだけだ。冷静なようでいて、見捨ててるだけ……なんだよ。
けれど、君は違うロベリア。昔の君は……ふふふ、それはもうひどかったですね」
「う、うるさい!」
「でも……君はもう違う。過去の自分を過ちだとして、君は追い掛けた。石を投げた事に苦しんで……それでも憧れのままアルムさん達を追い掛けた勇気ある妹です。僕は、その道を走ることができなかった」
苦しそうに、けれど出来るだけ優しい声色でライラックはロベリアに語り掛ける。
"魔法使い"になりきれない自分の情けなさを抱きながら、それでも兄として妹に道を指し示さなければならないと彼の口を動かさせる。
双子でありながら明確な違い。本物とそうでない者のボーダーライン。もう何年も前からライラックは自分がそのラインを越えられないと感じていた。
「君こそ、"本物"のほうに立つ子だロベリア。僕が一番愛する妹、僕の誇り……パルセトマを"魔法使い"の家に変えるのは……それは、僕にはできないから……」
「でもうちは……」
視線を逸らそうとするロベリア。
それでもライラックは言葉を掛け続ける。
「いつまで迷ってるんです全く……君が恐がっているのはあの怪物相手にじゃないでしょう? 君が大好きな兄はお見通しですよ」
「……はっ、誰が大好きよ馬鹿兄貴」
逸らした視線を戻して、ロベリアはいつもの調子でライラックの軽口に答える。
そしてライラックをその場に置いて、振り返る事無く歩いていった。
「そう……君が肩を並べる相手は、僕なんかじゃない。もう置いていっていいんですよ……僕は違う道を行きますからね」
生まれた時からどこに行くにもずっと一緒だった双子。
ずっと後ろを気にして振り返っていた妹はようやく本気で駆け出した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
本人は五指に入るって評判に納得いってなくて三指には入ってるでしょ、って言ってる。




