810.白の平民魔法使い6
「"充填開始"!」
勇気をその手に、決意を瞳に。
アルムは閉じていた魔力の蓋を解放する。
全身を駆け巡る膨大な魔力が魔法の燃料となるべく噴き出し始めた。
「『誰か止めてください!! やめさせてぇ!!』」
大蛇の周りを飛んでいたミスティは縋るように叫ぶ。
自分で止めるべきだが、アルムはすでに魔法生命への変生を終わらせている。
ミスティの血統魔法は魔法生命には時間稼ぎにしかならず、いまや大蛇を一時的に止める手段が自分しかいない事を十分に理解している。
様子が豹変し、脇目もふらずに霊脈に向かってくる大蛇を前に味方に力を行使するなどという馬鹿な話があっていいはずがない。
なにより一度は乗り越えた壁とはいえ、血統魔法の力を身内に振るうのはミスティにとって最大の心の傷でもある。
今の自分の精神状態でそんな事が出来るはずもない。
『総員……大蛇への一斉攻撃! 少しでも侵攻を遅らせろ! ベラルタ魔法学院と大蛇の直線上には決して入るな!!』
「『ヴァン先生っ!!』」
まるでアルムの選択を受け入れたかのようなヴァンの命令が魔石から聞こえ、ミスティは声に殺意を乗せる。
睨んだ目は今にもヴァンを氷漬けにしそうなほど冷たく、そして鋭かった。
「駄目だ……あいつはもう覚悟を決めてる……。そして俺達だけで大蛇を倒せる可能性は限りなく低くなった……! あいつに賭けるしか手段がない……!」
「『でも!!』」
「学院長の"自立した魔法"で遠距離攻撃を封じられている今、大蛇はアルムを止められない! 学院長が命懸けで作り上げ、アルムが恐怖を押し殺してこの場に立ったこの状況を、俺は逃せない! 終わったら……俺を殺していい。恨まれて当然だ」
「『そんな……そんな……!』」
無力な自分への苛立ちかヴァンは歯を鳴らし、その表情を歪める。
学院長のように有効な手を打ち出すでもなくこんな事しか出来ない不甲斐無さ。
だが、クオルカに指揮を任された者として決断しなければならない。
アルム一人とこの国一つ。それが自分にとってどれだけ非情な天秤であると理解しながら。
「『いや……アルム……!』」
「アルム……駄目だ……」
「アル……ム……!」
「アルム……くん……」
ミスティ達が自分の生を呼ぶ声を聞きながら、アルムは加速する。
「"変換"」
集結させる燃料のイメージによってカタチを作り上げていく。
アルムの右腕から伸びる白い線。白を基調とした制服の上からでもわかる魔法式。
聞こえてくるミスティ達の声はアルムを引き止めるどころか、アルムの中で止まらない理由へと変わっていく。
故郷で拾われ、花畑で教えられ、この学院で共に歩んだ。
そんな優しい日々がアルムという人間を育み……今ここに立つ理由となる。
――魔法使いに憧れた。
本の中で誰かを助けるその姿に。
自分を助けてくれる師匠に憧れた。泣きじゃくっている自分の下に現れて、自分の夢を決して軽んじる事無く本当に向き合うべき言葉をくれた本物の魔法使いに。
「……みんなが、くれたんだ」
大切な人達が渡してくれた優しさの欠片がアルムという人間を作っている。
誰かを助けたいという思いも、魔法使いになりたいという夢も。
ゆえに――自分だけが生きる道をアルムが歩めるはずがない。
見捨てる事など出来るはずがない。そう思ったら簡単だった。
暗闇が晴れたように、恐怖で靄がかかっていた選択が吹き飛ぶように。
……それが牢獄で孤独になって気付いたアルムの"答え"。自分の中で生きているみんながアルムをここまで走らせた。
たとえ、自分がここから消えるのだとしても。
「誰かを守る理由なんて簡単だよ大蛇」
【なに……!?】
何故ここに来れたのか? 何故そこに立てるのか?
大蛇が投げかけた問いにアルムは答える。
「お前の言う通り人間は弱いよ。本当に弱い。でも弱いからこそ、何よりも大切に思えるんだ。誰かと過ごした時間が自分にとってどれだけ大切だと知っているから……俺達は誰かの為に動けるんだ。
この身に刻まれた時間がどれだけ非合理であっても俺達を突き動かす。俺達はそんな過ぎ去った時間を思い出と呼んで……自分だけの歴史に刻んで前に進んでいく」
アルムは左手を自分の胸に置く。
「確かにあったんだ。みんなと喜んだ日々が」
蘇るような感情が胸の中にある。
「確かにあったんだ。みんなと過ごした時が」
過ぎ去った日々が胸の中に残ってる。
「たとえ、見えなかったとしても――自分達の胸の中に!」
自分達はそんな大切な記憶のために、誰かを助けるのだと。
「何のために誰かを守るのか……決まっている。自分という人間が歩んだ幸福な思い出を、そしてこれから先に待つ未来の時間のために俺達は誰かを救うんだ」
――魔法使いとは他者を助け、守り、救う者。
血統魔法とはその象徴。人生という積み重ねによって守りたいものが増えていく人間の在り方そのもの。過去を積み重ねて成長し、未来に向けて続いていく。
かつて創始者は、人間の意思の強さとは思い出という過去と理想という夢から来るものなのだと信じていた。
【貴様は、この先から消えるのだぞ? 貴様が勝とうと負けようと!】
「それでも――俺の"答え"は変わらない!」
大蛇に突きつけられる変わらない自分の未来に全身が怖気づく。
叫びは強がりに等しく、本能がアルムの選択を否定する。
それでも、アルムは渦巻く魔力を走らせる。
叫びながら心の中でアルムは祈った。落ちた涙は無意識だった。
「"変換"、"変換"……! "変換"! "変換"――!!」
俺はみんなには何も遺せないけど、この優しい世界を残すために頑張るから。
「"変……換"!」
恐くてもこれだけは守るから。
「っ……! できる……できるできる……!」
みんなに幸せでいてほしいです。
そこに俺はいなくてもいいです。
誰も覚えてなくていいです。
自分はもう充分幸せでした。
十八年も生きられました。
ずっとずっと幸せでした。
シスターとの記憶も、師匠との記憶も。
ベネッタと一緒に満腹になるお腹も、エルミラと無駄話する口も、ルクスと同じ道を歩く足も、ミスティと繋ぐための手も全部あげます。
みんなと過ごした思い出も、全部……全部あげます。
みんなが幸せでいられるのなら、自分の夢も……夢も、いりません。
弱音も心の中だけにします。
だからお願いです――
「お前だけは道連れだ大蛇。お前の生存だけは許さない」
【何も成せずに野垂れ死ね……貴様が忘却の彼方に消えるのなら、我等はその愚かさを赦そう"分岐点に立つ者"よ! 貴様の消滅をもって我等はこの星の神となる! 貴様ら人間の時代の最後は貴様によって飾られる!】
――最後まで、頑張らせてください。




