796.星生のトロイメライ4
人間の匂いがする。
霊脈の気配がする。
この先に我等が求める者があるのだと大蛇は進む。
木々を薙ぎ倒し、地面を削って、この星は自分のものだと我が物顔で這い続ける。
【がががが……人間にしてはよく粘る】
大蛇が進む先には馬を駆り、抵抗を続ける人間。
この二日、大蛇に攻撃を仕掛け続ける魔法使いがいる。
「はっ……! はっ……! あ……【夜空駆る光華】!!」
ファニアは馬上から背後に剣を向け。切っ先を向けた方向に血統魔法を放つ。
夜が明ける前、白み始める空を雷撃が駆ける。
距離を取って休憩は挟んだ。仮眠も十五分とっている。魔力の回復も図った。
それでもこの二日、緊張に晒された精神はひどく疲弊している。
宮廷魔法使いであるファニアは他の魔法使いよりも強靭だが……まるで幽閉されたかのように頬はこけ、目は薄っすらと窪んでいる。望んだ形の作戦とはいえ、大蛇という怪物に追われ続ける状況がストレスとなってずっとファニアを襲っていたのだろう。
三十近くいた部下もファニアに着いてきてくれているのは三人しかいない。
少なくとも三人は死んだ。十人はその死を見て逃げ出した。残りはどさくさに紛れて逃げ出したか途中からはもう把握していない。そんな余裕は無かった。
それでも、ファニアの目は未だ力強く死んでいない。
「ファニアさん……! もう少しです!!」
「踏ん張れ……! 踏ん張って……!」
「後数分で目標地点です!!」
「ああ、君達こそ……よくここまで、着いてきてくれた……。この戦いが終わったら君達は英雄だ……」
自分と同じく今にも恐怖に負けそうな部下を鼓舞する事も忘れない。
部隊長として……上に立つ者としての在り方を示し続ける。
負けるものか、とファニアは歯を喰いしばりながら耐えていた。
――逃げれば楽になれるよ。
そんな誘惑が今にも聞こえてきそうだ。
「だが……もう少し……! もう少し……!」
後もう少し。
自分達の役目はまだ終わっていないと走る。
喜々として自分達を追い掛けているあの怪物にこの二日どれほどダメージを与えられたか。どれだけ魔力を削らせる事ができただろうか。
もしかしたら、無意味だったかもしれない。無駄だったかもしれない。
(もしかすれば私の行動に……)
価値なんてないのかもしれない。
「それでも……」
ファニアは牢の中で涙を流すアルムを思い出す。
「それでも……!」
子供が泣いていた。
ずっと強く振舞ってきた子供の心が折れた姿を見てしまった。
「私は……私のやるべき事を為す!!」
魔力を振り絞る。
自分の行動がどれだけ無意味だったとしても……苦しむ子供のために戦わない大人になるよりはましなのだと――!
「【夜空駆る光華】!!」
積み重ねるように、ファニアは残った魔力全てを使って血統魔法を唱える。
切っ先の先にいる怪物に向けて。夜明けが終わる前、輝く閃光が空を裂いた。
「か……ぐっ……! 待たせた、な……! 引継ぎの時間だ! 離脱する!!」
「了解! 【孤独隠す夢の霧】!!」
「【火鳥舞う黒の息吹】!!」
最後までファニアに着いてきた部下達二人が血統魔法を展開する。
一人は今にも力尽きそうなファニアの馬を誘導して一足先に離脱した。
何せ二つの血統魔法は黒い霧と黒煙の血統魔法。闇属性と火属性が織りなす目くらまし。
昇った朝日の光すら寄せ付けない疑似的な暗闇だった。
ただの暗闇と違う点は……この二つの魔法は闇であって夜ではないという事。
【む……?】
展開された二つの血統魔法を見て数分後にその場所を訪れた大蛇も流石に疑問を抱く。
大蛇は本来であれば夜でも周囲の状況を理解することはできるが、この二つの血統魔法は完全に中の状況を遮断している。
【だからどうしたというのだ……】
この二日遊び続けた結果がこれかと大蛇は落胆にも似た冷たい呟きを残し、躊躇う事無くその血統魔法の中を突き進む。
やはりな、と大蛇は変わることなく這い進んだ。
確かに周りの状況はわからないが、ただそれだけ。
自分の巨体を包み隠すほどの規模である事は称賛に値するが……二日遊んだ集大成がこんなものかとも思わざるを得ない。
恐らくは離脱用の目くらまし。いいとこ自身の侵攻を遅らせようという足掻きだろうか。
自身は絶対なる魔法生命【八岐大蛇】……視界が遮られたからといって人間のように何かを恐れる必要がない。
【暗闇を恐れるなど……人間の発想だ】
絶対なる個であるがゆえに大蛇に躊躇は無い。する理由が無い。
なにせこの先には目的地であるベラルタとそこに住む多くの人間という餌が待っている。
この黒い霧と黒煙はむしろ霊脈への期待を煽るスパイスといったところか。
八本ある大蛇の首は舌なめずりをしながら、黒の中を突き進む。
山のような巨体を揺らして……黒い霧と黒煙の混じった魔法の目くらましを抜ければそこにはベラルタが見えるはず。
大蛇は数分かけて、二つの血統魔法から抜け出した。
【……ほう? 我等がここに向かったのは二日前……二日で用意したにしては周到過ぎないか?】
黒い霧と黒煙の混じった目くらましを抜けると……確かにベラルタの姿が見える。
研鑽街ベラルタ。城壁に囲まれた堅牢で魔法学院を中心に栄える都市。そこには多くの餌がいるはずだった。
だが大蛇を出迎えたのはそのベラルタを守るように、或いは大蛇に立ち塞がるように隊列を揃えて並ぶ人間の軍勢だった。
騎乗型の人造人形や馬に乗り、すでに臨戦態勢を整っている。
「んふふふふ! おやおや、こちらの情報も把握できていないと!? 敵陣を叩くにしては随分と杜撰じゃあないか魔法生命……私達より優れている生命だというのにあまりに迂闊だねえ!!」
大蛇の巨体からしてもまだ遠くに見える城壁の上で、小うるさい男が笑っているのを大蛇は見る。
自分のこの姿を見て笑い飛ばす?
矮小な人間に比べ、三百メートルの巨体。時代が時代なら信仰の対象になる自分の姿を見て?
畏怖ではなく嘲笑を浮かべられる胆力がある人間がまだいると?
「私が誰かって? いや……私達が誰かって? 決まっているさぁ!!」
大蛇に認識されてなおその男は笑みを崩さない。
「ベラルタに攻め込んだのならならば当然! ベラルタ魔法学院が相手ってものだろう!?」
黒煙を抜けた大蛇を迎え撃つはベラルタ魔法学院の教師陣、そしてミスティ達三年生の面々。
主力になるであろうミスティ達七名に学院長オウグスとヴァン、治癒魔導士のログラに加えて……対大蛇のために招集されたマナリルの魔法使い達。
大蛇討伐隊の隊長にクオルカを据えて……百名以上の魔法使いが大蛇を出迎えた。
無論、歓迎のクラッカーなど鳴らす者はいない。
「――【白姫降臨】」
クラッカーの代わりに響き渡る千年の歴史。
マナリルを守り続けてきた頂点の血統魔法が展開される。
ミスティの頭に白い王冠が現れてその姿は変貌し、大蛇はそれ以上の変化を見せる。
魔力が地を這い、空を奔り、世界を変えて……戦線に辿り着いた大蛇は一瞬で氷漬けとなった。
「放てぇ!!」
すかさずクオルカの号令によって、氷漬けになった大蛇に向けて討伐部隊の面々が各自の血統魔法を大蛇に放つ。
集った魔法使いが大蛇への恐怖を心に置いてしまう前に、ミスティの血統魔法によって心に置くものをカエシウス家の頼もしさに置き換える。
オウグスによる印象的な宣言とミスティによる常識外の力の行使、そして魔法生命が初見である討伐部隊の魔法使い達による大蛇への先制攻撃。
予期せぬ遠距離攻撃によって射程距離外から戦線を崩されればそこから総崩れになってしまう……目くらましは大蛇と討伐部隊の接触を唐突なものにするための布石。
これら全てが揃ってようやく、人間は大蛇との戦いのスタートラインに立った。
「全員……気合い入れて行くわよ!!」
「よっしゃー!!」
「行きますわよフラフィネさん!!」
「行くしサンベリっち!!」
「はーはっはっはー! 的がでけえなあおい!!」
振り切るようなエルミラの合図でミスティ以外のベラルタ魔法学院の面々も戦線に参加する。
先制攻撃となった討伐部隊の血統魔法の轟音と共に……氷漬けになった大蛇の氷が割れた。
【がががが! 盛大な歓迎をありがとう諸君……! だが……たかだか百五十足らずの人間で我等を倒せるかぁ!? この【八岐大蛇】を!!】
「倒す……! 僕達が今ここで!!」
作戦開始を告げたファニアの連絡から二日。
大気を震わす怪物の咆哮、そして人間の怒号。
――大蛇迎撃戦はその火蓋を切った。




