795.彼の事5
アルムはクエンティと共に地下牢獄から王城へと駆け上がる。
階段を駆け上がっていくと、上がった先の廊下には二人を待ち構えるように座る人影があった。
「来たわね」
「グレース!?」
廊下の壁を背に本を読んでいたグレースはアルム達が現れると本を閉じる
一瞬、自分を止めるために待ち構えていたのかとアルムは身構えるが、グレースは顎でアルム達の行き先を指し示した。
「話はフロリアから聞いているわ。急ぎなさい。ここからは流石に人が多いわ。私とクエンティさんであなたを援護する。極力温存したいんでしょう?」
「お前も……協力してくれるのか?」
「私としては不本意だけどね」
グレースは不満そうに大きなため息をつく。
「本当にいいのね? あなたがどうなるか……私達は知っているわよ?」
アルムはいつもの無表情でグレースと向き合う。
「ああ、もう決めたんだ」
そう答えたアルムにグレースは目を見開き、そして目を伏せる。
「止めさせようとも、させてくれないのね」
「十分止まったさ。さっきまでな」
グレースが顔を上げると、アルムは微笑んだ。
そんな表情を見てしまったからかグレースはそれ以上アルムに何か言う気は無いようだった。
「……ネロエラとフロリアが待っているわ。最低限の強化をかけたら行きましょう、『闇の衣』」
「ああ! 『強化』!」
「私が先頭を務めます。一気に行きますよ」
クエンティを先頭に廊下を一気に駆け抜ける。
途中、王城で働く使用人達とすれ違うが無視して走る。
対大蛇に集中しているせいか、普段より王城内の人は少ない。止めに来る兵士だけを相手すればいい。
廊下を数度曲がり、しばらく走ると王城のエントランスホールへと出る。
流石にここまで来ると警備の兵士も多くなる。アルム達が現れた事に気付いた兵士達は臨戦態勢をとるが、ここまで来たらもう遅い。出口は目と鼻の先だ。
「おい待て! 止まれ!!」
「誰だ貴様は! 後ろにいるのは拘束中の――!」
「さあ? 誰でしょう?」
すかさずクエンティは自身の手足を巨大なタコの足に変身させ、武器を抜こうとする兵士達を壁に叩きつける。
明確な敵意を見せつけると、悲鳴と共に使用人達は廊下の向こうに引っ込み……悲鳴を駆け付けた兵士達が廊下のほうからぞくぞくとエントランスに集まってきた。
「一気に抜けます!」
「任せた」
閉まっている巨大な扉に向けて一直線。
クエンティは兵士達を薙ぎ払い、アルムとグレースはその後ろをついていく。
『見知らぬ恋人』と呼ばれる危険指定の魔法使い――クエンティの腕前は伊達ではない。特に今は対大蛇のために有力な魔法使いはベラルタに行ってしまっている。
王都に残されている最低限の戦力ではクエンティの相手にはならないのは明白。
王城の兵士は魔法を使える者もいるが、変幻自在のクエンティに有効な攻撃など出来るわけもなく薙ぎ払われていく。
「うおおおおおお!?」
「ごああああ!」
「な、なんだこれは!? た、タコの足!?」
「私を止めるなら宮廷魔法使いの一人や二人は用意しないと……ね!」
クエンティが扉を開き、アルム達は王城の外へ。
王城から追ってくる兵士達もいるがアルム達は振り返らず、正門へ続く中庭を駆け抜ける。
アルムは空を見上げて、今日の天気は曇りだと知った。
「アルム、私は自分のやっている事が正しいかわからないわ」
そんな中、アルムと並んだグレースが口を開く。
少し震えた声はいつも冷淡なグレースらしくない。
「あなたは止めさせてはくれないけれど……今からでも、あなたを止めたほうがいいと言っている自分もいるのよ」
「わかってる。グレースは優しいからな」
「……前にも、あなたはそう言ってくれたわね」
「それでも、力を貸してくれるんだろう?」
アルムが聞くと、グレースは呆れたように笑って眼鏡をとった。
「ええ、私は私のやっている事が正しいかわからない……それでもあなたがこうして動いているのなら、あなたが悩んだ末に出した答えはきっと正しいわ」
「そんな事自分じゃわからないさ」
「いいえ、私達は知っている。あなたはずっと……そうだったんだってね」
アルム達は中庭を抜けて正門に辿り着く。
アルムは先程まで相手していた以上の兵士が待ち構えているかと思っていたが、そこには新たな協力者たちが待っていた。
「来た! ネロエラ! 来たわよ!!」
《無事に脱出できたか》
「ネロエラ! フロリア!」
待っていたのはネロエラとフロリア、そしてネロエラが率いる四匹のエリュテマ達。
警備の兵士もいるにはいるが、ネロエラとフロリアがカルセシス直轄の仮設部隊という立場もあって堂々と待機していた。
「ふ、フロリア殿……これは一体……」
「ごめんなさい、私達……アルムを送り届けないといけないの」
「は、はぁ……?」
フロリアはさらっと警備の兵士にそう答えるが、その堂々っぷりに兵士も混乱してしまう。
当然警備の兵士にそのような話は伝わっていない。王城のほうが騒がしいのも含めてどこまで信じていいのか、本当にフロリア達が命令を受けて待機していたのかわからずにいた。
「さあアルム! 行くわよ!」
《客車に乗ってくれ》
「すまないな二人共……助かるよ」
アルムが客車に乗り込もうとすると、アルムの袖をネロエラが引っ張る。
止める理由をアルムが聞く前に、ネロエラはアルムに向けてとある物を差し出した。
「ベラルタ魔法学院の制服……」
「あ、アルム、の……だ」
ネロエラはフェイスベールの下でたどたどしいながらも口を開き、制服を手渡す。
投獄される時に着替えさせられたものだ。どこに保管されていたかは知らないが、恐らくは誰かが保管してくれていたのだろう。
「どうせ止めてもアルムは行ってしまう……」
ぽつりとネロエラは寂しそうに呟く。
「な、なら、私はせめて……お前を送り出してやる。今からベラルタに行くんだ……ひ、必要だろう?」
「ああ……ありがとうネロエラ、中で着替えさせてもらう」
ネロエラから制服を受け取るとアルムは客車のなかへ。
王城のほうからはアルム達を追ってくる兵士達が見えてきた。
「正門! そいつらを行かせるな!!」
「え? ど、どういう……?」
怒号に近い声に正門の兵士は戸惑う。
アルムが客室に入ったのを見てネロエラとフロリアは御者台に乗り、四匹のエリュテマはすくっと立ち上がる。
「みんなよろしく! 目的地はベラルタよ!!」
フロリアの号令と共に辺りに響く四匹の遠吠え。
同時に、エリュテマ達はアルムを乗せた客車を引いて町のほうへと駆け出した。
「止めろ! 止めろお!! 東門に連絡を――」
「【狂気満ちよ、この喝采に】」
エリュテマ達の遠吠えに続くように、歴史の声が鳴り響いた。
眼鏡を外したグレースの瞳……魔眼となった血統魔法が輝き、アルム達を追おうとする兵士達を捉える。
グレースの血統魔法の力は精神干渉……他者の意識に介入し、命令を一つ書き込む"現実への影響力"。
アルム達を追ってきた兵士達と正門を守っていた兵士達全員に"追う必要はない"という命令を書き込む。
「ええと、あ、あれ……? 何をすれば……あれを追って……でも追う必要はなくて……?」
自分の意識とグレースが介入した命令がごちゃごちゃに混ざり……兵士達はその場で右往左往し始めた。
アルム脱走を報告するにしろ馬で直接追うにしろ人を分けて役割を分担するべきだというのに、混乱だけが兵士の間に広がっていく。
「ひゅー! やるわね!」
「茶化さないで……これ疲れるのよ」
「ネロエラとフロリアもだけど……あなたもアルム様への協力ありがとうね。こんな反逆みたいな事させちゃって申し訳ないわ」
「反逆なんてしていないわ。フロリアから話を聞いた時は確かに驚いたけど……私はただ友達の見送りをしただけ」
エリュテマの速度は馬以上。アルム達が王都を出れば決して追い付けない。
ここで数分、追ってきた兵士達を足止めすればアルム達は確実に王都の外へと出ることができる。
「あなた達が彼を追う必要はないわ。彼は、この国を救いに行っただけなんだから」
「そうそう……本当に困った人だこと」
グレースとクエンティはアルムが乗る客車が遠ざかるのを見守る。
アルムの手助けを手引きするのが本当に正しかったのか……グレースにはわからない。
それでもアルムが選んだのならそれを後押ししてあげたいと心から思ったのも本心だった。
「頑張れアルム。でも……死んだらそれはそれとして恨むわよ」
聞こえるはずのない応援を呟いて、グレースは両手を挙げる。
自分の血統魔法が途切れる数分後、集まった兵士達にしっかりと投降の意を示せるように。
いつも読んでくださってありがとうございます。
三月ももう終わりだと……?




