785.残りは二つ
「……これが我々が頼り続けた結果だというのか」
白を基調とした執務室で後悔に項垂れるのはマナリル国王カルセシス。
側近であり婚約者でもあるラモーナがその背中に優しく手を置く。
「陛下の責ではありますまい。これまでの情報から魔法生命というのは相手できる人間が限られる……怪物を前にして恐怖に負けぬ心を持っているかどうかなど判別できますまい。であれば打倒した経験のあるアルムや我が息子に頼るのはむしろ正しい判断だったはず」
アルムとルクスの間に起きたトラブルについて報告しにきていたルクスの父親クオルカも厳しい目をしつつもカルセシスを責める声を浴びせたりはしない。
「聞けばアルムくん本人もリスクを知っていて隠していた様子。ルクスのやり方は横暴でしたが、友という立場なら納得できる。ああ、だからといって罰を受けさせるなと言いたいわけではないですぞ」
「王城内で起きたとはいえ個人間のトラブル……過度な罰を与える気はない。それよりも対大蛇をどうするべきかを考えなければ」
「……国を想うのであればアルムに死んでくれと命令すべきでしょうな」
淡々とクオルカは最善案を語る。
王とは国のために在るべきもの。であれば、悩む必要などない。一人の犠牲で救える可能性があるのなら行うべきであろう。
そんな事はカルセシスもわかっているが、眉間に皺が寄っていて頷くことはしなかった。
カルセシスの血統魔法である魔眼の色が変わり、クオルカの心情を読む。口ではこう言っているがクオルカも本気でそう思っているわけではないのがカルセシスにもわかる。
「無論、私も息子のルクスも望んではいませんが王の立場であれば万が一の時はそう命令しなければいけないでしょう」
「わかっている。わかっているが……」
「……ですが、それも普通の相手であればの話。魔法生命相手に無理矢理命令して引っ張り出した所で恐らくは勝負になりますまい。それは最後の手段にすべきかと」
「意外だな。マナリルの英雄も息子の友では慈悲も出るか」
「そうではありません」
その進言はいざという時にはそんな心無い命令を出さなければいけないカルセシスへの気遣いのようにも見えるが、冷静に現状を見つめた上での意見だった。
一度魔法生命と対峙し、その脅威を肌で感じ取ったクオルカは魔法生命相手に心が弱っている者を矢面に立たせるのは一番の愚だと理解している。
魔法生命相手に大切なのは精神力。生への執着、理想への渇望、他者への愛……形はどうあれ強い想いを持った上で立ち向かわなくては鬼胎属性に心を押し潰されてしまう。
クオルカは謝罪を兼ねて牢獄のアルムの様子を一度見に行ったが……アルムは見違えるほど憔悴していた。ルクスに受けた仕打ちからだけではああはならない。
恐らくは真実を知ってからずっと悩み続け、そして周囲に悟られぬように誤魔化してきた心の疲労から来るものであろう。
「……今のアルムくんに大蛇とやらを任せられるほどの覇気は感じないというだけです。彼が再び立ち上がるのは難しいと思っただけの事」
「わかるのか」
「アルムくんの事を多く知っているわけではありませんが……それでも、心が折れた人間の目くらいはわかるものです……」
クオルカはかつての自分の姿とアルムを重ねる。
戦争をきっかけに友をすべて失った時の自分とアルムが同じ目をしていた。
あれは心の支えを失い、絶望と虚無感に耐えている目だと。
「クオルカ様の見立てではどちらに転んでもアルムには期待できないという事ですね?」
「その通りだラモーナ次期王妃。アルムくんは元々無属性魔法という曖昧な魔法を技術によって"現実への影響力"を補っている者……精神の乱れによる影響は他の者の比ではないはず。私情を抜きにしても一人の魔法使いとして今のアルムくんを戦力として組み込むのは賛成できませんな」
クオルカの冷静な意見にカルセシスは安堵してしまう。
王としては嘆くべきなのだろうが王とて個としての感情はある。いくら国のためとはいえ今まで魔法使いになるためにと歯を喰いしばってきた少年に、国のために死んでくれ、などという逃げにくい言い回しの命令はしたくない。
クオルカが今この場でその意見を口にしたのも、そのような命令を万が一にでも出さないようにするためだろう。
「問題は代替え案が思いつかない事か」
作戦は変えるわけにはいかない。
カヤを捕虜にした事によって可能になった戦力集中による迎撃戦。何よりそれ以上のシチュエーションが思いつかない。
だが切り札を一枚失った。しかも最も信頼のある一枚を。
マナリルは魔法大国だけあって当然魔法使いは多く、他国に名を馳せる者も多いが……それでも魔法生命達からして天敵とまで言わしめるアルムの存在に頼れないのはあまりにも痛手だ。
「それに関しては息子の――」
クオルカが言いかけると、執務室の机の上にある魔石が光る。通信用魔石だ。
カルセシスはすぐに魔石に触れて魔力を通す。
「俺だ」
『緊急につき失礼致します! ダブラマ王都セルダールよりマリツィア・リオネッタ様から伝令! 王都セルダールにて大蛇出現! ダブラマ国王ラティファ様の出陣により、国境付近の警備が弱化するとの事です!!』
「……!! わかった。復興支援の準備と万が一のため西部に避難先の確保だ。パルセトマ家に連絡を取れ。それと武運を祈る、と送れ」
『了解致しました!』
通信用魔石から光が消えて通信が途絶える。
ダブラマ王都セルダールはラーニャが霊脈の活性化が起きていると言っていた場所。出現した事自体には驚いていなかったが、大蛇の首の意味をカヤから聞いた今では多少の焦りを感じてしまう。
「後二つ、か」
カヤの情報通りであればこれで大蛇の首は後二つ。
それは大蛇の本体が現れるカウントダウンでもある。
ダブラマ・王都セルダール。
マナリルの首都アンブロシアに負けず劣らずの大都市であり、様々な文化を吸収して発展した統一感の無い様式の建物の数々がこの国が歩んできた懐の広さを表しているかのような町である。
文化が混在していながらも美麗な町並みとその混在した文化の中、首都の中心に聳え立つ王城セルダールは今日も太陽の輝きを浴びて金色に光り輝いていた。
そんな王家の威光を示すような輝きを放つこの町に呪いの塊がとぐろを巻いて現れる。
【ここがアポピスが死んだ地か……奴の食べ損ねになど興味は無いが、この国の人間にも我等の威光を見せねばならん】
セルダールの首都に響き渡る悲鳴。
商業区画に黒い鱗と黄金の瞳を持った巨大な蛇が現れ、店や通りに出ていた屋台はその巨体に踏み潰される。
大蛇は逃げ遅れた手近な人間を三人ほど喰らうと、王城のほうに向けて進んでいく。
ずるずる。ずるずる。
先程まで穏やかな生活を送っていた営みの跡を踏み潰しながら進むと――
「【禁足地は我が天球】!!」
悲鳴の中に響き渡る歴史の声。
魔力の壁に大蛇はその侵攻は阻まれる。
その魔法はダブラマの魔法使い『侵略者』の名を戴くルトゥーラ・ペンドノートの血統魔法。
「ったく、俺が敵の侵攻を防ぐなんてよ……アポとってから来いよな魔法生命!」
【そこの人間か】
展開された魔力の壁の中心に使い手であるルトゥーラを見つけ、大蛇は鼻で笑う。
【我等と力比べでもする気か? 単調な魔法ゆえに確かに強固ではあるが……時間稼ぎにしかなるまい】
「時間稼ぎでいいんだよ。俺ごときに勝てるくらいで粋がるとはセンスがねえな」
【ほう? 吠えるではないか。時間稼ぎをして何を――】
大蛇の声はそこで止まる。
人間を見下し、自身の食事としてしか見ていない大蛇が、その傲慢さをして見過ごせない力が現れた事に気付く。
もうルトゥーラの魔法など大蛇の視界には見えていない。
砂塵が舞う。
砂粒がカタチを成す。
カエシウスと同じく星の概念をその身に宿す魔法使いが現れた。
「私の国に攻め入るとは……無礼なお客様のようですね」
その血統魔法は"砂漠"そのもの。
大蛇の巨体以上の質量の砂を操りながら女王が現れる。
ダブラマの女王ラティファ・セルダール・パルミュラ。
玉座から離れ最前線に現れた女王の姿に民衆は避難しながらも勝利を確信して湧き立つ。
ラティファはダブラマの女王にしてダブラマの頂点に位置する魔法使い。大蛇は満足気ににやりと嫌な笑みを見せる。
【がががが! これがアポピスに支配された砂もどきか……吹いて崩れそうな精神で我等に近付くというのか?】
「冗談がうまいのね。砂漠を吹いて飛ばすのが無理だなんて……子供でもわかるけど?」
ここは砂塵防国ダブラマ。聖女に救われた砂漠の国。
その名を示す女王の血統魔法によって、大蛇は砂漠に呑まれていく。
二度と呪いに支配させまいと、太陽は強き女王と国を照らす。
いつも読んでくださってありがとうございます。
感想、誤字報告いつも助かってます。感謝です。




