761.花の町パルダムで4
「ベネッタ、そいつ最低限治癒して避難してる人達に預けてきて」
「うん!」
ベネッタはフィンをゆっくりと背負う。
少年とはいえ男の体重だが、鍛えている事に加えて強化をかけているベネッタは悠々と担いでいた。
「預けたら早く戻ってきて。私一人で片付けるって言ってやりたいけど……」
エルミラは自分の魔法をぶつけた女性を睨む。
得意魔法である『炎竜の息』は顔を狙ったが腕で防いだようで……その防いだ腕はほぼ無傷のまま、パッパッとほこりを払うように振っているだけだった。
「……ちょっとやばいやつっぽいわ」
「わかった! すぐ戻ってくるねー!」
「頼むわよ」
そう言い残してベネッタはパルダムの民が避難している方向へと走り始める。
先程とは違い、食事である人間が逃げても女性はそれを追おうとしなかった。
突如目の前に現れた少女を前に、本能が何かを感じ取ったのか。
「痛いのは久しぶりですね……どこから来たのでしょう……?」
女性はキョロキョロと周囲を見回して、次の空を見る。
空は変わらず快晴のまま……しかし、一般的には有り得ない異物が確かに浮かんでいた。
「ケトゥスさん……糧を運んできてくれたのですか」
空には巨大な怪物が飛んでいた。
ベネッタとエルミラをここまで運んできたのは魔法生命ケトゥス。
女性からすれば魔法生命という同族に敵を運ばれてきた裏切りだが……この女性にそんな考えは存在しない。
知っている食事が知らない食事を運んできた。ただそれだけの事だった。
『エルミラ・ロードピス。此方は呪法でその女とは戦えない』
「ここまで連れてきてくれただけで充分よ。ルクスの馬車の上に来た時はもう敵としか思えなかったけど、あんたが乗せてくれたおかげでこの町はギリギリ守れるタイミングで追い付けた。こいつがあんたが何とかしたかったやつでしょ?」
『そうだ。この女は"分岐点に立つ者"では救えない……であれば他の者の力が必要だ。君達でなければ対抗もできぬだろう。幸運を祈る』
ケトゥスはそう言い残して雲があるほうへと飛んでいく。
この場に留まろうとしない所を見るとそれほど"現実への影響力"の差があるのか。それとも別の場所に飛ぶ理由があるのか。
だがそんな事を気にしている余裕はエルミラにはなかった。
(トヨヒメが使ってた魔力残滓や百足と初めて会った時と似た雰囲気がする……魔法生命の中でもやばいやつってわけね……!)
エルミラと同じように、女性もエルミラを観察していた。
「……今まで見た糧の中でも、特に洗練されていますね。神の加護無しでこれとはどれだけ上等な糧なのでしょうか」
エルミラを見定めるように眼が妖しく光る。
洗練された魔力と活力の漲る肉体、そして恐怖に侵されない精神力。
魔法生命としてではなく、戦士としての判断が瞬きの間だけ宿っていた。
「あれ……? 私、何を思ったのでしょう?」
だがエルミラを完全に見定める前に女性の思考は途切れていた。
お腹が空いている。だから食べる。
味がしてくれれば言う事は無い。
まだ一度も満たされていない腹が鳴って、頭の中が塗り潰される。
「ああ、主よ……試練に集中すべきという啓示ですね?」
女性は申し訳なさそうに祈って、エルミラに問いかける。
「あなたが私に教えてくれるのですか?」
「教える……?」
「この空腹を満たす方法を」
「!!」
次の瞬間、向かってきた剣をエルミラはかわす。
「『炎奏華』!」
「どれだけの信仰を捧げても神の試練は終わらない……あなたを食べれば私は果たせるかもしれません」
女性の上空に無数の剣が出現し、エルミラへ向けて降り注ぐ。
剣一本一本はエルミラに防げる威力であり、速度も強化をかけたエルミラを捉えられるほど速いわけではない。問題は降り注ぐその量だった。
「『蛇火鞭』!」
ずどどどどど、と雨のように剣が四方八方から降り注ぐ。
息継ぎすら苦しくなりそうな絶え間ない攻撃。
常に降り注ぐわけではなく、エルミラの動きの緩急や重心移動のタイミングを狙っている。
町の住人やフィンを相手していた時のような一方的な殺戮ではなく、ここからは戦闘。
エルミラの危険度を見てか、魔法生命は明らかに攻撃の仕方を切り替えた。
火の鞭で剣を弾いていくも、それに合わせて剣の雨も変化していく。
(戦い慣れしてる……! まずい……!)
エルミラは対応に苦戦するもこの攻撃が様子見をしているようにしか見えなかった。
それは貴族が持つ切り札を警戒しての動きだろうか。
切り札を……血統魔法を使うのを待っているのか。
敵の能力も何もわからないエルミラにとっても様子見がしたい状況だったが……このままでは魔力も体力も浪費するだけ。
せめてベネッタと合流するまではと思っていたが、ここでただ削られるだけならばと覚悟を決めた。
「【暴走舞踏灰姫】」
剣が床に刺さる音をかき消して、歴史の声が重なる。
エルミラの体が燃え上がり、灰が舞い上がった。
高らかに鳴るヒールの音と共に降り注ぐ剣は燃え上がる――!
「"炸裂"」
エルミラに向けて一斉に降り注いだ残りの剣も爆発して霧散する。
ロードピス家の血統魔法その覚醒――呪詛を燃やし尽くす炎は当然小手先の攻撃では削る事すらかなわない。鬼胎属性であればなおさらだ。
そんな灰のドレスを纏い、炎と同化したエルミラを見て女性の動きが止まる。
「炎に……灰……」
「……?」
突然、女性の目から戦意が消えたのをエルミラは感じる。
自分を見ているようで見ていないような不思議な視線を疑問に思ったが、すぐに魔力が膨れ上がった。
黒い霧の中にいるかのような魔法生命らしく膨大で重苦しい感覚が辺りを満たす。
「ああ、これは試練ですね。神はやはり私を見ている」
鬼胎属性の魔力が広がる中、女性は手を合わせて祈りを捧げた。
その姿はあまりに魔法生命らしくない。魔法生命はこの世界にいない神の座とやらを目指しているはずなのに。
「まるで自分以外に神がいるみたいな事言うのね」
エルミラのその問いに、女性は首を傾げた。
「……? それはそうでしょう。私はただの人間ですから神に祈るのは当然の信仰では?」
「は……?」
女性の発言にエルミラの頭は一瞬混乱した。
今この怪物は自分の事を何と言った?
混乱した頭は答えを探して、モルドレットから聞いた四体の魔法生命の話を思い出す。
そう……一体、人間だった魔法生命がいるという話を確かに聞いていた。
「そうです。信仰を……そう……あれ? だから、お腹を……満たして……? そう……証明しなければいけないのかもしれません」
揺らめく炎の光を浴びて、女性は呟く。
「私は人間であると。そうすれば……糧の味も感じられるようになりましょうか」
それは欲望なのかそれとも使命なのか。
本人すらわかっていないまま言葉を紡いだ女性の魔力は収束する。
「――【異界伝承】」
周囲にあった鬼胎属性の魔力が消えたのをエルミラは感じた。
恐怖で精神を脅かす重圧が……異界とこの世界を繋ぐ文言と共に女性に集まって――
「【堕とされし聖女】」
――解放される。
怨嗟の声が魔法の名と重なっていく。
産声を上げた呪いはその場の生命を否定するように顕現した。
『私は人間……ただの人間ただの"ジャンヌ"。神に与えられた試練を果たし、神に与えられた日々の糧を得るために動くだけ。ああ、この場に集まりし民衆よ……その炎を喰らえば認めてくださいますでしょうか?』
魔法を唱え、軽装だった女性を甲冑が纏う。
黒い魔力光を纏った赤い鎧。赤黒い長髪は風に靡いて暗く輝く。
ただそれだけの変化で周囲の空気は凍り、感じる魔力は精神に焼き付くように重い。
僅かに残った花も、その生存を諦めたように枯れていく。
「この魔力……人間って言うには無理あるでしょ……」
冷や汗を流しながら、エルミラは対峙する。
敵対する魔法生命の中で人間らしいのは、ジャンヌと名乗るその名前くらいなものだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
とてもありがたい事にレビューを頂きました!雪さんレビューありがとうございます!これからも頑張ります!




