716.報告の不安
「そもそも反対されたらあんたどうするわけ?」
アルムやルクスから遅れる事三十分。
風呂上りでミスティの部屋に集まったエルミラはミスティのベッドに寝転がりながら問う。
ミスティはソファで隣に座るベネッタの髪をいじっていたが、その手が止まった。
「どう……するべきなのでしょう……?」
「いや、それを聞いたんだけど……」
「わかっているのですが……反対されてどうすべきなのか……。それどころか今の今まで反対される可能性を少しも考えていなかったのです……」
ベネッタの髪から手を離し、ミスティは膝の上で両手を握る。
緊張か不安か。俯いた視線の先にある握られた両手は何故だか心細い。
「いやいやいや……そりゃあんたや私らからすると反対する理由はないけどさ……」
「他の人からすると反対する理由ありまくりだよねー……特にミスティのお母さんはそうなんじゃないのー? ミスティのお父さんや弟のアスタくんと違ってカエシウス家を救って貰った実感もないだろうしー」
「やはり……そうでしょうか……」
近年、マナリルで起きた事件の中でも特に注目されたグレイシャのクーデター。
あわやマナリルの上級貴族がいくつも滅び、ミスティの命も奪われかけた事件をアルムは食い止めた。
ミスティの父親ノルドや弟のアスタはその場に居合わせており、グレイシャの凶行を阻止したアルムに感謝しており、平民でありながら一目置く存在として認めているが……最近まで昏睡状態だったミスティの母親であるセルレアにはアルムが恩人という実感はない。
他人から聞いた話だけで、果たして平民であるアルムをすんなり認める事ができるだろうか?
エルミラの質問はそんな懸念もあっての事だった。
「あんたのお母さんってそこんとこ寛容なの?」
「どちらかと言えば厳しいかもしれません……お母様は普段優しいのですが、カエシウス家としての在り方や貴族としての自覚を持つという点においては何度も釘を刺す御方でしたから」
「それって一番やばいんじゃないのー?」
「ですが、そうやって教えられた私を救ってくれたのも、変えてくれたのもアルムです……私の成長と今に不可欠な殿方をお母様が反対するなんて思いたくありません」
「いや、あんたの言い分はそうだろうけどさ……お母さんが本当にそう思う?」
不安そうなミスティの表情がさらに曇る。
ミスティの母セルレアとアルムは初対面なわけではない。
昏睡から目が覚めた時に一緒に会ったが……その時はミスティ自身泣きじゃくっていて母親とアルムがどんな会話をしていたのかすら思い出せなかった。
思い出せるのは再会の喜びとアルムに背中を押された事だけ。
お母様はアルムにどんな印象を持たれたのだろうか?
……アルムがグレイシャ御姉様を殺した事をどうお考えなのだろうか?
考えていく度に、ミスティの中に不安が蓄積していく。何故さっきまでアルムが反対されるわけないと自分が思えていたのかが不思議なくらいだった。
「ど、どど、どうしましょう……!」
「しっかりしなさいよ……今回ばかりはアルムは助けてくれないわよ?」
「ミスティがアルムくんを貰ってくる側だもんねー……アルムくんがやれる事ほとんど何もなさそうー」
「そ、そうですわよね……私が何とかしなくては……!」
ミスティの今更ながらの決意にエルミラはため息を零す。
「てか……ミスティって本当にこういうとこはベネッタよりポンコツね」
「ちょっとー! さりげなくボクに飛び火させてない!?」
「してないしてない」
「というか、エルミラってボクの事ポンコツって思ってたのー!?」
「思ってない思ってない」
「くぅ……返事がかつてないほどてきとうだー……!」
エルミラはミスティのベッドの上でごろごろしながら生返事をするばかり。
ポンコツと言われたベネッタの晴らしどころのないもやもやは解消されない。
「ベネッタはポンコツなんかじゃありませんよ。私が保証します」
「うんうん! 言ってやってミスティ! 今ポンコツなのはミスティだけだって!」
「はい! …………あれ? もしかして今私だけがポンコツ扱いされておりませんか……?」
なので、隣で今ポンコツ筆頭のミスティで解消する事にした。
ミスティは言い返す事ができず、ぐぬぬと自分の甘い認識ごと飲み込むしかない。
ミスティに遠慮なくポンコツなどと言えるのはこの二人くらいなものだろう。
そんなやり取りもあってか、ミスティの緊張の部分だけは少し和らぐ。不安のほうはそのままではあるが少しだけ気が楽になったのか膝の上で握っていた手の力がほんの少しだけ抜けていた。
「話を戻すけど……少なくともミスティのお父さんと弟のアスタはアルムの事気に入ってるのよね?」
「はい、それは間違いないと思います。去年アルムが来た時もお父様は機嫌がよかったですし……アスタもアルムをとても敬っていますから」
「娘の交際に反対するのは父親ってのが定番らしいけど……逆、か」
「定番なのー? ボクとか結婚しろしろ言われるよー?」
「よく考えたらむしろ若い頃から結婚を勧められるから、貴族には当てはまらないか」
置いてあった枕を抱きしめながらエルミラは考える。
何でこんないい匂いするのかしら、などと思考の邪魔をされながら。
「やっぱりミスティのお父さんとアスタに援護してもらうのが一番現実的な策というか……それくらいしかない気がしてきたわね」
「お父様はお母様にはとてつもなく甘いのですがどうでしょう……?」
「アスタに頑張ってもらうしかないけど……冷静に考えたら報告の時にアスタって同席するわけないわよね」
「エルミラの策もう駄目だねー」
「策の一つも出してないやつが文句言うんじゃありません」
エルミラがそう言うと、ベネッタは得意気に胸を張る。
そんなベネッタを見る視線が二つ冷ややかなものへと変わる。
「何? 巨乳アピール? むかつくわね」
「違うよー! 策ってほどじゃないけど、ボクも一個考えてあるのー!」
「ベネッタ……あなたを初めて見損ないました……」
「ええ!? 今!? ボクこれで見損なわれちゃったの!?」
「それで? 何よ?」
ベネッタは冷たい視線を感じながらわざとらしく咳払いをする。
「気休め程度のミスティのお母さんのアルムくんへの印象を悪くしない方法なんだけどー……アルムくんにあんまり喋らせないほうがいいと思うんだよねー」
「ああ、それは同感ね。あいつの言葉って基本強いし、価値観もちょっと違うから……下手なこと言わせると悪く捉えられそうだもの」
「そうですか……? アルムはいつも優しいと思いますが……」
「普段は穏やかってのは私もそう思うけどね……他人の意見を頭ごなしに否定しないし、自分の意見も否定させないって感じじゃない? なんだろ……柔軟な頑固さっていうの?
もし反対されるようならあいつの強さは裏目に出そうだわ」
自分で言っておいて笑ってしまうエルミラ。
もっと他に言いようはなかったのかと思うが、他に言い方が思いつかなかった。
「とにかく、アルムには基本喋らせず……反対されてもあんたがしっかり説得できるように用意しときなさいよ」
「万が一に備えてアスタくんに協力してもらうように話したりねー」
「はい……頑張ります……!」
不安げにミスティが言うと、エルミラはベッドから起き上がってミスティとベネッタが座るソファに歩いていき……ミスティの隣に座った。
「言っておくけど……私もしっかり応援してるからね。不安になったら私がハグしてあげる」
「うふふ、ありがとうございますエルミラ」
「ボクもぎゅーってしてあげるよー! そのためにここまで来たまであるからねー!」
「はい、ベネッタも……スノラまで着いてきてくれて本当にありがとうございます」
ミスティは二人にそれぞれ一礼したかと思うと、今度は両手をもじもじし始めた。
「どしたのよ?」
「あ、あの……早速で申し訳ないのですが……」
ミスティは少し恥ずかしそうにしながらエルミラに向かって両手を広げる。
エルミラは口元で笑うと両手を広げているミスティを抱き寄せた。
「あんたが甘えてくれて嬉しいわ。大丈夫。反対されたって死ぬわけじゃないし、アルムとの仲が壊れるわけでもないんだもの。少し肩の力を抜きなさい」
「はい……ありがとうございます」
「エルミラずるい! ボクもー!」
ベネッタがそう言うと、ミスティはエルミラを抱きしめていた手を離して今度はベネッタに向けて両手を広げる。
「はい、ベネッタもお願いしていいですか?」
「うん! おいでー!」
そして同じようにベネッタが両手を広げると、ミスティはそのままベネッタの胸に飛び込む。
ベネッタはミスティを抱きしめながら満足気な様子だった。
「えへへ……」
「あんたね……それだとどっちが甘やかしてるのかわからないでしょうが……」
エルミラはそんなベネッタに呆れながら、二人が抱き合っているのを見守っていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
エルミラには甘えてベネッタには甘えさせるミスティ。
アルムとミスティのお母さんは実はこっそり会ってたりします。気になる方は第七部「幕間 -遠い場所-」をどうぞ。




