697.それは遺言などではなく
「……?」
その魔法で大蛇を呑み込んだアルムは違和感を感じ取る。
確実に大打撃となった一撃。その確信はある。
エルミラの灰と爆炎で視界を遮り、ルクスが街から引き離し、ミスティで数秒拘束することで確実に自分の魔法を当てる。
魔法生命が直前のミスティの血統魔法を防御すればアルムの魔法相手に後手に回らなければならず、能力を使わなければそのまま拘束された相手にアルムの魔法が直撃するという効率よく魔法生命にダメージを与えられる流れを四人で作り出した。
ならばこの違和感は何だ?
魔法から伝わってくる虚無感は?
下手すれば敵はすでに今わの際。致命傷になり得る一撃を浴びていながら、アルムの精神には一切の苦痛がなかった。
鬼胎属性の特性である魔力を通じて相手の精神に恐怖を植え付ける力がない。
アルムの魔法が命中しているこの瞬間、アルムと大蛇の間には魔力を通じて経路が繋がっているはずだというのに……抵抗が全く感じられない。
「諦めた……わけじゃないだろうに」
大蛇を呑み込んだ魔力の砲撃を撃ち切って、アルムは怪訝な表情で呟きながら歩いていく。
アルムの魔法によって西門の一部は破壊され、大蛇はその勢いのままベラルタの外へと吹き飛ばされていた。
地面に倒れる大蛇の体ははたから見ても戦闘を継続できる雰囲気はない。
黒い鱗は焼け焦げたように破壊され、金色の瞳は片方潰れている。
起き上がろうとはしているものの、その動きからは全く脅威は感じない。
アルムは城壁だった場所まで歩いていくと、大蛇の動きを待つ。
起き上がる大蛇を待っていると、炎となったエルミラがアルムの所まで降りてきた。
「アルム、流石に核の破壊は無理だった?」
「そう……なのか?」
「え?」
遅れてミスティとルクスも同じ場所に。
アルムの様子に気付いたのか、起き上がろうとする大蛇に手を出そうとしない。
「アルム? とどめは?」
「……わからん」
「わからないとは……どういう意味ですか?」
大蛇は起き上がり、片目となった金色の瞳で四人のほうを見る。
魔力を纏っていた鱗は破壊され、肉が剥き出しになった死に体だというのに……大蛇が口元で笑ったのがわかった。
『たった四人の劣等な生命に歯が立たないとは……なるほど、舐めていた。一つでは相手にならんな。これでは街に侵入させた使い捨ての信者達ごときでは歯も立つまい』
大蛇の体が消えていく。
カタチを保てていないかのように、体の端々が霧散して……ただの魔力に変わっていく。
ゆっくり、ゆっくりと。
瞳だけは四人を見据えたままだった。
『いかれ女と同じく我等を焼く者』
エルミラを。
『血を受け継いだ者』
ルクスを。
『我等と同等の存在を宿す者』
ミスティを。
『そして、蘇った我等の同胞を葬ってきた天敵』
アルムを。
大蛇は記憶するように見つめ続ける。
『劣等なる生命ゆえに時折生まれる才。不完全な円環だからこそ発現する異端。そしてそんな存在が生まれるとわかってなお強者と弱者が共存する社会を保とうとする欠陥……蒙昧というには賢しい。無力と呼ぶには強欲。度し難い。貴様らはやはり度し難い』
大蛇の体が消えていく。
死に際の言葉にしては、雲の上から語り掛けるような口調。大蛇の言葉はまるでアルム達を憐れんでいるようだった。
存在を構成する属性魔力がほどけていき、ただの魔力に変わる中……大蛇は人間を見下し続ける。
『我等の天敵よ。この場で最も歪な者よ。その身に相応しくない使命を背負おうとする者よ。"分岐点に立つ者"よ……我等は貴様らの生存を赦す。それでもなお我等を殺すか? 年に数千の無能を犠牲にすれば、確実な繁栄が約束される。我等の下で人間という種は庇護され、神と共に歩む星で在れるというのに』
「それは共存と呼ばない」
『無論。支配とはそういう事だ。犠牲を強いて、存続だけを約束するのが道理』
「価値観が違う。少なくとも、俺とお前は相容れない。死が当たり前でもあるように、生きるというのもまた当然でなければならない。生かされているのと、生きるのは違う」
『ガガガガガ! そう言うと思っていた。やはり、貴様も劣等なる生命か』
最後に残った大蛇の瞳とアルムの瞳が交差する。
その瞳もただの魔力に変わって消えていく。
四人の心にすっきりしないものを残して、その巨体が霧散する。
大蛇がいた所には、女性が倒れていた。
「あれが宿主? てことは……核は破壊できてたって事かしら」
「……違う。あいつは本当に嘘は言っていなかったんだ」
「どゆ事?」
エルミラが首を傾げる。
大蛇がいた所に倒れている宿主らしき女性は起きる気配が無い。
「あいつは言っていた。確認と宣戦布告のために来たと」
「……言っていましたね」
ミスティもアルムと同じ結論なのか、影が落ちている。
魔法生命を撃退できたというのに浮かない表情だった。
「あいつは魔法生命が現れれば、俺達が出てくるとわかっていた。そういう能力なのか……本当に、確認だけをしにきたんだ」
「勘弁してほしいね全く……」
ルクスが嫌になると言いたげに髪の毛をかく。
アルムは【幻魔降臨】を解除して自分の手を見る。
完全な無傷。精神に与えられた苦痛も無く、植え付けられた死の記憶も無い。
被害はミノタウロスの防衛によって西門近くの一角だけであり、被害者も教師陣と衛兵の誘導によって最小限に抑えられただろう。
それでも、確信を持った予想が勝利の喜びを四人に与える事は無かった。
「俺達が倒したのは、本体じゃない」
最初の侵攻は宣言通りの宣戦布告ただそれだけ。
破壊も殺戮もそのついでに過ぎない。瓦礫の上で、アルムは近いうちに大蛇と再びぶつかる事を確信した。
「みんなー! 大丈夫ー!?」
「ベネッタ、そっちは?」
「ぜんぜんよゆー! それよりねー!」
大きく手を振りながら、どこからかベネッタが四人のほうへと走ってくる。
音が止んで戦闘が終わったのがわかったのだろう。
まだカンパトーレの魔法使いが潜んでいる可能性はあるものの……念のためか、眼はしっかり開けたままなので油断している様子はない。
そのままエルミラの胸にダイブでもするかと思ったが、真剣な様子は崩さずにベネッタは四人に告げる。
「あの人捕まったってー! ほら! アルムくんとルクスくんが戦ったっていう侵入者のチヅル? って人ー!」
現状、最も有力な情報源であるかもしれない侵入者チヅルの捕獲を。




