661.すべきこと
グレースとの食事を終えたアルムはグレースの提案で別々に帰路に着いた。
アルムにはそうする意味がわからなかったが、グレースなりの対策だ。一緒にレストランから出て帰るなんて所を事情の知らない生徒に見られて噂にでもなったら今より状況は複雑になってしまう。
グレースは最短距離で先に帰り、アルムは少し遠回りしながら帰っていく。
夜だが魔石のお陰でまた明るく、侵入者であるチヅルの影響でパトロールも多い。
すれ違う兵士達に会釈して、昔を思い出して振り返ったりしてみる。心配せずとも背後から短剣を投げつけられるような事態にはならないようだった。
「来たばかりが懐かしいな」
二年前とベラルタの街並みはほとんど変わっていない。
居住区には建物と中庭に生える木々が調和した古都のようで、学院に近付くにつれて建物が新しくなっていく。
古さと新しさのグラデーションのような構造は観光の事など考えていない不思議な造りだ。来たばかりの頃はこれが都会だと驚いていたのを覚えている。
変わったのは魔石の街灯が建てられた事くらいだろうか。
「……たまには悪くないな」
ゆっくり遠回りをするという無駄はアルムには新鮮だった。
街並みを眺めながら歩いていると、焦っていた心が緩やかになっていくようで夕食後の腹ごなしにもなる。
いつも通り。普通。
アルムにとってベラルタはそんな言葉が当てはまる場所になっている。
「……?」
そんな普通の中に、何かが混じったような感覚が近付いてくる。
前から歩いてくるのは背の高い女性だった。
街灯に照らされたその女性は黒い髪と黒い瞳をしていて……その顔に表情は無かった。
(自分で言うのも何だが……珍しいな)
黒髪と黒い瞳に、ついそんな感想が内心で漏れる。
見慣れない女性だが、チヅルではない。
時折ベラルタを訪れる商人か。
だが、それにしては妙な感覚だった。
言語化できない不可解。
歩いているだけにも関わらず拭えない異物感。
髪色が自分やあのアブデラ王と同じだからだろうか。
初対面にもなっていない人にこんな事を思うのは失礼だなと、アルムはつい目を逸らす。
その申し訳なさからか、向こうから歩いてくる女性にアルムは声をかけた。
「暗いのでお気をつけて」
アルムがそう言うと、その女性はアルムを見て微笑んだ。
「ああ、貴様も精々気を付けろ」
そうして二人はすれ違う。
互いに振り返る事はしない。
アルムはその声を聞いて、普段ならばただ男らしい女性だなと思う程度だったかもしれない。
しかし、この時だけは何か違った。
振り返らないのではなく、振り返りたくない。
おやすみなさいという挨拶すらかけたくならず、声をかけた事を何故か後悔してしまっていた。
初めて意味も無く、誰かに嫌悪を抱いたと気付くのに時間はかからなかった。
アルムはそんな自分の中に生まれた嫌悪に困惑して、第二寮へと帰る足が速くなる。
最近見続ける悪夢の中で必死に叫ぶ……誰かの声が聞こえてきた気がした。
「デートはどうだった?」
「あれをデートと呼ぶ女はいないわ」
一方、ベラルタ第二寮の共有スペース。
一足先に第二寮に帰ってきたグレースを待っていたのはエルミラだった。
ミスティの家から帰ってきてそのままグレースを待っていたのだろう。
グレースはソファに寝そべるエルミラを一瞥する。
「初デートににんにく使う料理頼む女いないでしょ」
「ああ、そりゃいないわ」
「でも一応口説いてみたわ」
「うそ!?」
エルミラはあまりの驚きに叫びながら飛び上がる。
もう遅い時間だが、少し騒いだところで第二寮には顔見知りの数人しかいない。
「いつかあなたの本を書かせてってね」
「あ、そういう……ってあんたそんな事言ったの?」
「ええ、面白そうだと思って」
「……もしかして私達にアルムの話聞いたのって台本の為だけじゃない?」
「そこまで計算できるほど賢くないわ。ただ結果的に参考にできる話が増えて助かったかしらね」
悪びれもなくグレースはさらっと答えた。
演劇への臨み方といい、今聞いた本の件といい、エルミラは今まで抱いていた印象からは考えにくいグレースの行動力に驚いて……つい問いかけた。
「何でそんなにアルムに入れ込むの? あんたって、たまに挨拶して一言二言話すような事はあるけど……基本人を遠ざけているような感じだったじゃない。それが急にどうして?」
「……」
エルミラとグレースの視線が交差する。
大きな眼鏡の奥にあるグレースの瞳は、揺れることなくエルミラを見つめている。
余計な質問をしちゃったか、とエルミラが若干の気まずさに耐えていると……グレースは小さくため息をついた。
「悪い?」
グレースは主張するように腰に両手をあてて、エルミラと正面で向き合った。
「あなたの言う無愛想な私が、正しい事をした人間が報われない事に苛立つような人間なのはおかしいかしら?」
グレースの口から出てきた主張にエルミラは目を丸くした。
自分に似合わない主張だという事を自分でもわかっているのか、グレースは少し照れていて……ほんのり頬が染まる。
「努力はしなければいけない事だけれど、必ずしもその努力が結果に繋がるわけではない。悲しいけれどそれは認めるわ。
でもせめて……正しい事をした人間が報われるくらいは望んだっていいでしょう。彼は結果だって出しているんだからなおさらよ。なのに自分がなにもできない人間だなんて勘違いをしているんだから、そんな馬鹿を見過ごしていいはずがない。
あの男がやってきた事は私達が目指すべき魔法使いの行いそのもの。弱き者の為に戦い、助け、救う……そんな正しい行いをしてきた彼の答えが、無価値であっていいはずがない。自分のやってきた事に胸を張って誇り、賞賛を浴びて笑うべきなのに……貴族と平民という身分をきっかけに隔てられた呪いの壁によって彼はそれができないでいる」
グレースは照れているのを誤魔化すように鼻で笑う。
若干早口になっているグレースに唖然としながら、エルミラはただ聞き続ける。
「自分を石ころだと思っている宝石を川で見つけたのなら、気付いた誰かが掬うべきだと思わない? 私はそう思うだけ」
グレースは息継ぎをしているかどうかもわからず、つらつらと出る言葉の波にエルミラは口を挟む間もない。
ただ口と目だけが忙しなく動いていた。
「今回はそれがたまたま、私だっただけのこと。私はただ正しいと思った事をしたいだけ。
根暗で不格好な眼鏡をかけたブサイクな女にだって……正しい事をすべき時くらいわかる。自分が何もできないと思い込んでいるクラスメイトに、手くらいは差し伸べるべきでしょう。違う?」
一息に話し終わって、グレースは唖然としているエルミラに何か文句あるかと言いたげに、じとーっと視線を送る。
エルミラはそんなグレースを新鮮に思いながらも、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「何? 似合わないって言いたい? 知っているから言わなくて結構よ」
「いや……あんたが三年まで残れた理由がわかった気がしたわ」
「そう。それはどうも」
グレースはぷいっとエルミラから逃げるように女子棟の階段のほうへと早足で歩いていく。
そんなグレースの背中に、エルミラはにやにやしながら声をかけた。
「後もう一つ……あんた自分の事ボロクソに言ってるけど、自分が思ってるより可愛いわよ」
「それはどうも。フロリアにも言われた事あるけれど……嫌味にしか聞こえないわ」
「あ、そういうとこは可愛くないわねー」
いつも読んでくださってありがとうございます。
めっちゃ早口。




