651.決定的な一言
「サンベリーナさんって本当に何でも出来るわね……悪い魔法使い役のフラフィネさんを冒頭に登場させるってアイデアもよかったし、言う事無いわ。後はファニアさんから演技指導して貰って、演出の練習に回って貰ったほうがよさそうね」
「おーほっほっほ! もっと褒めてもよろしいんですのよ?」
授業後、アルム達三年生は台本全てを通しで行った。
未だ空白の台詞部分はあるがその部分を飛ばしても一時間程の時間がかかった。最初に全員で台本の読み合わせした時よりも演技するようになり、間なども意識するようになったからであろう。
全員が毎日練習していたのもあって全体的にレベルが上がっており、台詞を読むだけだった当初とは違って演劇らしくなってきている。
その中でもサンベリーナは序盤の出番で構成が固まっているからか、グレースも舌を巻くほどだ。
「そう言われると褒めたくなくなってくるけれど……たった九日で仕上げてくるのは素直に凄いわ。没落したら役者になったら?」
「……さりげなく縁起でもないこと言わないでくださいますかしら?」
「ああ、ごめんなさい……そうよね。あなたが家を没落させるとは思えないから有り得ない話か」
勿体ない、と呟くグレースに少し怯えるサンベリーナ。
あろう事か上級貴族に向かって取り繕う事無く没落というワードを出す遠慮の無さが少し怖かったようだ。これも同級生同士の気安さという事だろうか。
グレースは続けてネロエラとフロリアのほうに目をやる。
「ネロエラとフロリアも思ったよりいい感じで助かるわ。特にフロリアは大丈夫そうね」
「でっしょー? フロリアちゃんもこっちの才能あるかも?」
「うーん、才能……」
「あ、ちょっと……真面目に言われるとへこむから……」
「あらそう? ならあなたもサンベリーナと同じで演出の練習も始めてくれる? ネロエラは後で私と台詞について固めていきましょうか」
ネロエラは恥ずかしそうに頷いた。人前で喋るのが苦手なネロエラだがフェイスベールを着けながらなら何とかやってくれている。
(本番ではフェイスベールは外させないといけないけど……)
グレースは本番の事を考えるが、一先ずの問題は後回しにする。まだ完成度はそんな事を考えられる段階ではない。
一人一人に指示を出すグレースの大きな眼鏡の奥ではまた隈ができていた。台本の細かい所を変更したり、全体の進捗を見たりと忙しい日々が続いているのがよくわかる。
しかし、グレースは自らその役目を望んでいるように見えた。最初は半ば無理矢理押し付けられたというのに。
「次に――」
「おいグレースちゃん、こいつらに色々言うより他に言うやついるだろ」
順番に指摘していこうと考えていたグレースの声を机の上で寝そべっているヴァルフトが遮る。
およそ話を聞く姿勢ではないが、ヴァルフトはそのままとある三人を指差した。
「あいつら結構ポンコツだぞ! 何とかしろや!」
「ご、ごめんてー!」
「面目ない」
「な、何も言えません……」
ヴァルフトが指差したのはアルム、ミスティ、ベネッタの三人。
三人はしっかり名指しされる理由がわかっているのか、各々申し訳なさそうにしている。
「ベネッタの盲目の魔法使いは棒読み! 主人公のアルムは途中まではましだがラストがへぼ! そんでもって姫様役のミスティもラストの度に慌てふためいて口が回らねぇ!
あんだこりゃ! 俺なんかよりよっぽど練習しててこれかよ!?」
「ヴァルフトは悪役がはまってて結構できてるからなぁ……」
「珍しくヴァルフトに同意せざるを得ないわね、ひどいし」
指摘されたアルム達の後ろに座っていたルクスとエルミラまでもヴァルフトの意見に頷く。
二人どころか、他の全員もアルム達三人を擁護する言葉が出てこないようだった。
「ごめんー! ボクこういうの苦手なんだって初めて気付いたよー!」
「まぁ、あんた器用なタイプじゃないわよね」
「慰めてよー! エルミラのバカー!」
ベネッタは自分の演技のひどさに台本を抱きしめながら瞳を潤ませる。
自分の役について疑問を抱き、色々と考えた結果……逆にわからなくなってしまった自分の演技のひどさを自覚しているがゆえだった。
「一人の時は出来るんです……一人の時は……」
「意味ねえんだよそれじゃあよぉ! 人と話すのが下手くそなネロエラの嬢ちゃんですらできてんだぞ!」
「うう……申し訳ありません……返す言葉も……」
ヴァルフトの言い分がもっともすぎてあっさり言い負けてしまうミスティ。
こんな光景を見れる事はここを逃せば未来永劫無いであろう。
引き合いに出されたネロエラはできてると言われて少し嬉しそうだったが。
「ちょっとヴァルフト! ミスティ様に乱暴な言葉使わないで!」
「てめえはややこしくなるから入ってくんじゃねえよ!?」
フロリアに怒られながらもヴァルフトは頭をガシガシと乱暴にかいて続ける。
「後はてめえもだアルム! ラストがあれじゃあ締まらねえだろうがよ!」
「申し訳ない。ファニアさんにも色々考えろと言われたんだがよくわからなくてな……」
「だからって台詞だけ言えばいいってなるわけねえだろうが! 試行錯誤しろや!」
朝ファニアに指摘された事と同じ事をヴァルフトにも言われてアルムは顎に手を当てて考え込む。
「ヴァルフトがまともな事言ってるし……どう思うサンベリっち?」
「当日は雪でも降るのでしょうか……嫌ですわね……」
「一々うるせえな!? お前らの中で俺はどんだけやべえやつだよ!?」
まともな事を言っているだけで驚かれるのは普段の素行からか。
ヴァルフトに向けられる視線は感心と戸惑いが半々といった感じだった。
しかし、今回は間違いなくヴァルフトが正しいという事は全員がわかる。
グレースがいつものようにヴァルフトを、うるさい、と一蹴していない所を見てもグレースも同じ意見のようだった。
「言い方は乱暴だけど、ヴァルフトの言う通りね。ベネッタは単純に役柄を掴めていないからでしょうけど……」
グレースはアルムとミスティの二人に目をやる。
「問題はこっちの二人ね」
「すまない……」
「申し訳ありません……」
「ふふっ……ご、ごめん……」
アルムとミスティが揃って小さく頭を下げる光景が面白かったのか後ろに座るエルミラが噴き出しそうになる。
この二人がどちらも弱弱しい様子が珍しいのだろう。
「この二人は最後のシーンまではそんなに演技に問題無いから……無意識か意識的かは置いといて、役柄をある程度掴んでるのにひどいってのが厄介ね」
「アルムは急に棒読みになるし、ミスティ殿は照れて壊れた楽器みたいになるしね」
ルクスの言う通り、この二人はラストのシーンだけひどくなる。
主人公リベルタが囚われたお姫様を救い出し、互いに想い合い、語り合うシーンをクライマックスにこの劇は終わる。
このシーンになるまでは演技が苦手そうなアルムでもしっかり形になっているし、ミスティに至ってはここ以外は中々の演技力を見せるのだ。
(他は概ね予想ができるけど……)
大きな眼鏡をくいっと上げながら、グレースは頭を抱える。
この演劇はグレースにとって最早押し付けられた仕事ではない。
主人公役となるアルムの事については聞き込んでストーリーを描き、役からシーンまでを同級生十人を思い浮かべながら書き上げた。どれだけ演技が下手でも練習すれば自然と心を込められるように。
しかし、ラストのシーンだけは違う。ここだけはグレースの誤算が含まれている。
……人間関係だけは大丈夫だと思っていたのだ。学院で過ごす姿を見れば、そこだけはと。
グレースは自分の認識の甘さを実感する。
まさか……ここまで根深いものだとは思っていなかったから。
「ごめんなさい。責任は私にもあるわ」
「い、いいえ! 私が上手くできないのが悪いんですよグレースさん!」
「私があなた達二人を恋人と勘違いしていたから、少しここのシーンが難しくなっているのかもしれない」
グレースがそう言うと、アルムの表情がどこか難しいものに変わる。
「今日の朝ファニアさんにも言われたが……よくそんな勘違いができるな」
呆れたような声に隣でミスティの表情が少し曇る。
事実勘違いなのだが、アルムを想っているミスティからすれば複雑だろう。
後ろで見ていたエルミラはそんなミスティの心情を察してフォローに入る。
「まぁ、仲いい男女二人ってなるとそう思われるんじゃない? 私とルクスだって二人でいると色々言われるけど、実際仲いいし、実際付き合ってるし」
「え、エルミラさん!? 急に惚気ですの!?」
「いや、惚気とかじゃなくて……あれ? これ惚気になる、かしら?」
サンベリーナに言われて急に恥ずかしくなったのかエルミラの頬が少し染まった。
三年生達の視線がルクスとエルミラに集まり、何も言ってないルクスも同じように頬が桜色に染まっていく。
「ルクスとエルミラはわかるが、それとは訳が違うだろう」
「そうかなー?」
「そうだろう」
ベネッタは納得いかないように首を傾げるが、アルムは素っ気無く納得させるように言う。
そんなアルムの態度を照れ隠しと捉えたのか……ヴァルフトはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「とかいってアルムも満更でもねえんじゃねのか?」
「やめろヴァルフト」
予想もしていなかった否定の声に、教室内の数人が嫌な予感を感じ取って空気が張り詰める。
藪を突いたと思った時にはもう……遅かった。
「俺とミスティが恋人だなんて有り得ないだろう」
「っ――!」
ただからかうつもりだけだった問いが、決定的な一言を引き出してしまう。
こんな時でもアルムは無表情で、声の中に嘘や誤魔化しも無い。
悪気もなければ照れ隠しではないとわかってしまうのが、隣に座る少女にとってこの上なく残酷だった。
「アルム……あなた……」
「ん? どうした?」
「……いいえ」
グレースはミスティのほうをちらっと見る。
(ああ……強いな……)
付き合いがほとんど無いグレースでさえわかった。
ミスティは取り乱す事無く、貴族が自然とする笑顔の仮面を着けて、ショックを隠しながら平静を保っている。
しかし瞳と唇は耐え切れずに震えていて……堪えるように下唇を上唇で噛み、宝石のような瞳からは輝きが消えていた。
ミスティほどの変化はないが、教室にいる他の全員も表情が一変している。
サンベリーナとフラフィネ、ヴァルフトは驚愕で目を丸くし、エルミラとベネッタ、フロリアとネロエラは心配そうにミスティに視線を向け、ルクスは悲しそうに目を瞑っている。
なにより、全員が体が固まって動けないでいた。
「おう、やってるな……って、なんだこの空気は……? どうしたグレース?」
そんな尋常ではない空気が流れる三年生の教室にヴァンが勢いよく入ってくる。
チヅルという侵入者の一件で忙しくなったのか疲れがとれていない顔をしていたが、教室内に流れる空気の異質さには気付いたようだった。
何が起こったかを今説明するわけにもいかず、グレースは作り笑いを浮かべる。
「い、いえ何も……それより、ご用件は?」
「……ああ、忙しそうなとこ悪いがアルムを貸してくれ。ラーニャ様来訪時の段取りについてだ。こればかりは後からてきとうに伝えるってわけにはいかなくてな」
「ええ、大丈夫です。丁度、通しの練習も終わったので」
グレースが頷くとアルムに視線をやり、アルムは立ち上がる。
ヴァンは教室の様子をざっと眺めると、何かを察したのかくいっと親指を上に向けた。
「学院長室に行くぞ。演劇やらせたりお迎えさせたり忙しくて悪いな」
「いえ、何とか頑張ります。じゃあすまない、行ってくる」
「ええ……」
「しばらくの間借りるぞ。だから……アルム抜きで色々話すべきことを話しといてくれ」
ヴァンは事情こそわかっていないが何かがあった事はわかったようで、教室に残る全員にわざわざ含みのある言い方をしてアルムと教室を後にする。
二人が廊下を歩く音が聞こえなくなるまで……教室内は全員無言のままだった。




