あの日見た灰のドレス3
「や……ってられませんわー!」
シュニーカは幼いながらも目一杯の声を上げてその場に倒れこむ。
ダンロード家の訓練場のど真ん中でシュニーカは疲労を感じながら青空を仰いだ。
そんなシュニーカをエルミラはリゾート気分で椅子に座り、優雅にジュースを飲みながらちらっと視線をやる。
「何だ、意外と根性ないのね」
「根性の問題なんですのこれ!? 朝からずっと無属性魔法の練習で……私は火属性魔法を使いたいんですのに!」
じたばたと文句を言うシュニーカ。
しかし、すぐに淑女らしくないと自分で思い直して起き上がる。
「無属性魔法の練習しろなんて言ってねえわよ」
「はい!? あなたがやらせたんじゃありませんか!」
「私は、無属性魔法くらい無意識に”変換”できるくらいになりなさいって言ったの。私があなたに教えてるのは普段からできる基礎訓練よ」
「私は四大貴族ダンロード家の長子! 無属性魔法なんてとっくの昔に完璧ですわ!」
「やっぱ子供にこういう反復練習やらせんのは無理か……」
「子供ではありませんわ!」
「はいはい。完璧じゃないからアドバイスしてやってんでしょ」
エルミラは呆れるようにため息をつきながらジュースの入ったグラスをテーブルに置く。
そして、自分の右手をシュニーカに見えるように掲げた。
九歳の子供を黙らせるのなら、実演するのがやはり効果的だと。
「『魔弾』」
エルミラの右腕に六発の魔力の弾が現れる。
無属性魔法の中でもポピュラーな魔法。何を自信満々に唱えているのか、とシュニーカが文句を言おうとすると、
「『魔針』、『魔剣』、『魔弾』、『魔剣』、『魔針』、『防護壁』、『魔弾』、『魔剣』、『防護壁』、『魔針』、『魔剣』」
エルミラは掲げた右腕の中で無属性魔法を目まぐるしく切り替えていく。
針、剣、玉、壁……一つ一つは無属性魔法という基本中の基本であり、難しくはない。
だが、この速度でイメージの“変換”を損なわずに魔術を瞬時に切り替えるとなると話はまた変わってくる。
いつの間にかシュニーカの言葉は途中で止まっていて、シュニーカはただただその流れるような魔法の構築技術をただただ呆然と見ているしかない。
三十秒ほど続けると、エルミラは唱えるのをやめてその右手でグラスを再び手に取る。
「これが、完璧ってことよ」
涼しい顔でストローからオレンジジュースを飲むエルミラ。
今見せた芸術的な魔法の切り替えも、彼女にとってはただの魔力遊びに過ぎない。
シュニーカの才能はピカイチだ。四大貴族に相応しいセンスもある。
だからこそ、今エルミラがやっていた事がどれだけ難しいかがわかってしまう。
もちろん一つ一つの魔法はシュニーカも余裕で出来る。回数だって頑張ればこなせるだろう。
だが速度は……いつ追い付けるようになるか、想像もつかなかった。
“充填”。“変換”。“放出”。魔法の三工程については反復が物を言う。
「そ、そ、そんな事できるからって何なんですのよ!」
悔しさからか、シュニーカは思ってもいない悪態をつく。
エルミラはそんな子供らしいシュニーカを見て小さく笑った。
「ええ、別にこれができるから有事に役に立つわけじゃないわ。でも、これができないと魔法使いとして有事に動けるような腕にならないのよ」
「う……」
魔法使いの戦場は常に魔法が飛び交う。
一定以上の魔法使いともなれば、一手一手が必殺もしくは必殺への布石。
魔法の三工程が完璧というのは魔法戦において前提条件なのだ。
そしてその魔法の三工程を効率よく練習できるのが、魔力消費が少なく、単純な効果ばかりを持つ基礎である無属性魔法。
この国一の魔法学院であるベラルタ魔法学院でも訓練に採用されている。
「言っておくけど、私の友達はもっと速いわよ。ミスティなんか舌噛むまで唱えられるだろうし、アルムに至ってはそれ以上の速度で無限にやるわ」
「そ、そんな救国の英雄達を引き合いに出されても……」
「その救国の英雄の一人に教えてもらってんのよあんたは」
シュニーカとて、聞いた事がないわけではない。
“灰姫”——エルミラ・ロードピス。
魔法大国マナリルにおいて、火属性最強の女魔法使い。
いわく、千の雹を止めた。
いわく、隕石を食い止めた。
いわく、怪物を焼き尽くした。
いわく、数分なら頂点と肩を並べる。
学生時代にダンロード領を救ったというエピソードもあり、南部の魔法使い達に聞けば全員が知っていて否定しない。知らない話さえ、あの女ならやるだろうな、と否定しないくらいだ。
この反抗心はやはり、父に教えてもらえなかった腹いせなのだろうか。
それとも、地味過ぎる反復練習を指示された飽きからだろうか。
「ま、私はアルムのおまけみたいなもんで大したことやってないから英雄なんて思わなくていいわよ。本当に世界救ったのはあいつだし」
「まぁ……あなたもちゃんと謙遜とかできるんですのね」
「謙遜じゃなくて、本当の事よ。世界を救ったのはアルムで、私達はちょっとお手伝いしただけ」
「最強なんじゃないんですの?」
「ええ、私は最強よ。そりゃ負ける気はないけれど……負けるかもって思う連中はいるのよ。少なくともこの国に四人ね」
そう言いながら心の底からの笑顔を浮かべるエルミラに、シュニーカはますますわからなくなった。
何故負けるかもと思う人達の話をしているのに、そんないい笑顔ができるのか。
無性にその笑顔が気になったせいか、シュニーカはますます反抗したくなる。
「ふん! 最強って言っても大した事ないじゃないですの!」
「あはは! 確かに!」
エルミラは笑いながらジュースを飲み干す。
自分を最強と言ってのけるエルミラに一瞬見惚れた昨日の自分が馬鹿みたいだと、シュニーカは少し落ち込みかける。
「でも、その四人以外にならまず負けないわよ。少なくとも国内ではね」
だが堂々とそう言ってのけるエルミラに、その落胆は一瞬で消え去った。
ようやく、シュニーカにもわかった。
先程の四人には負けるかもしれないという発言は決して、弱気からではない。
魔法使いとして客観的に見た結果、負ける可能性があり得る人物が国内に四人いるというだけの話。
彼女は驕っているわけではない。ただの事実を述べているだけ。
「さ、続きやるの? やんないの?」
「や、やりますわよ! やればいいんですのね!」
「そうそう、がんばがんばー。私はジュースのおかわり貰ってこよっと」
シュニーカは負けじと練習したが、結局無属性魔法を連続で唱えられるのは三回が限界だった。
それでもエルミラは褒めてくれて、少し顔がにやけたのは彼女だけの秘密である。




