29.その咆哮は誰が為に3
荒れた大地を焼き尽くす灼熱を前にイリーナは勝利を確信していた。
黒炎はネロエラの血肉を燃やし、骨に変えたはずだと。
イリーナはすでに気付いているが、自身が狐の姿に変化するのと同時に、今纏っている九尾の"現実への影響力"も上がっている。
ネロエラが最初に対処していたものとはもう別物だ。
例えるのなら中位だった攻撃魔法が急に上位の攻撃魔法に変わったようなもの。
魔力も少なく、すでに死に体のネロエラでは耐えられない。
……はずだった。
【どう、やって……!?】
しかし煙の中から現れたのは予想に反して無傷のエリュテマ。
銀色の魔力光を纏っていて、そのエリュテマがネロエラが変化した姿である事は間違いないが……問題はそこではない。
【ナンデ、無傷でそこにタテル……?】
先程見せていたのと同じ血統魔法……なるほど、一撃くらいは耐えられるだろう。
しかしネロエラは四本の足でしっかりと大地を踏みしめこちらを見つめている。
攻撃の衝撃を受けた様子も、防御で消耗した様子もない。
今の一撃で、ネロエラは確実に消耗するはずだったのだ。
『血統魔法が、家の歴史そのものとはよく言ったものだな』
【ナニをした……? 信仰属性ダカラと、どうやって……?】
『どうやっても、何も無い……ただ、防いでもらっただけだ』
何かが違う。今までと何かが。
危険だ、とイリーナは即座に黒雷を落とす。
どれだけ不可解な現象が起きていてもネロエラが死に体だったのは間違いない。
あの血統魔法に治癒魔法の性質は無い。であれば、消耗させるのが最良。
同時に九尾の前足を動かし、風の刃もネロエラへと放つ。
【さっきまでと、チガウ……?】
黒雷と風の刃が同時にネロエラを襲う。
今度は何が起こっているのか、イリーナにも見えた。
ネロエラが吠えると同時に、狼の形をした複数の魔力の塊が黒雷と風の刃を代わりに受けていたのだ。
その光景にイリーナは安堵する。
不可解な現象が起きたと警戒していたが、蓋を開ければなんてことはない。
ただ魔力でエリュテマもどきを作れるようになったというだけのこと。
ならば消耗するのに変わりはない。むしろ本物のエリュテマと連携するよりも自分の魔力で補完している分、遥かに消耗は早くなる。
向こうはもはや風前の灯火となった蝋燭、対してこちらの魔力は有り余っている。
戦況は何一つ変わっていない。ボロボロの体の代わりに魔力を削って生き長らえているだけの悪あがきだ。
【アッハァ……! なんだ、今までとやっている事は変わらないワネェエ!】
ネロエラの魔力を削るべくイリーナは黒雷を頭上から落とす。
先程と同じようにエリュテマの形をした魔力の塊がネロエラを守る。
魔法そのものとは違い、"現実への影響力"を持つほどの魔力の塊となればその消費は更に大きい。
半透明で向こう側の景色が透けているエリュテマ達は次々と現れ、九尾の攻撃を受けて消えていく。
『……とう……。わた……家……』
その間、ネロエラはぼそぼそと何かを呟いている。
ネロエラの表情は険しく、勝利は間近。
血統魔法の別の能力を引き出せたようだが、もう手遅れ。
たかが知れている能力な上にネロエラの限界は近いとその表情が教えてくれている。
【フフ……! ははは! アーハッハッハッハ!!】
九尾の自然を操る能力を存分に振るい、雷と炎の嵐が襲う。
イリーナの笑い声で苛烈さを増していく。
【ハ……は……?】
しかし、どれだけ攻撃してもネロエラは倒れない。
絶えずエリュテマの形をした魔力がネロエラを守り続け、攻撃は何度放っても届かない。
…………いつまで?
いつまで、攻撃すればあれは倒れる?
もうとっくに限界は超えているはずだ。あれだけ高密度な魔力……"現実への影響力"を有する魔力を次々と生み出すのであれば、それこそ"魔力の怪物"たるアルム並の魔力量が必要なはず。
だがネロエラ・タンズークにそんな魔力量は無い。
平均よりは当然多いだろうが、先程までの攻防で完全に消耗しきっていた。
そして九尾の"現実への影響力"は高まり続けている。攻撃を防ぐのであれば先程までより消耗も激しいはず。
ならば、もうとっくに倒れてもいい頃なのではないか。
これではまるで……あのエリュテマ達が、ネロエラの魔力ではないかのような……。
『その様子だと、私の、血統魔法の事は、わからなかったようだな』
【!!】
俯いていたネロエラが赤い瞳をイリーナに向ける。
姿はエリュテマとなっているが、その瞳にはネロエラの意思が間違いなくあった。
【よほど、未練がアルラシイわねぇ? 気力だけで立っているような状態ダッタノニ!!】
『気力だけで立っている、とも。散々、お前にやられた、からな。痛くて、仕方ない』
なら、何故倒れない――!?
イリーナの苛立ちをネロエラは瞳から読み取る。
そう、ネロエラの体は回復しているわけではない。だが消耗もしていない。
【なっ――!?】
攻撃が止んだ瞬間、ネロエラの周りに半透明なエリュテマ達が次々と現れる。
一体、二体、三体……どんどんと増えていく。
ネロエラを守るかのように集まって、巨大な群れをなしていく。
【馬鹿、な……魔力が、もつはずが……!】
『そうだ、彼等は私の魔力なんかじゃない』
そこここから聞こえてくる敵意を剥き出しにした唸り声。
怒りを露わにしながらイリーナに向かって吠えたかと思えば、今度は共鳴するかのように咆哮する。
まるで本当にエリュテマの群れが狩りの準備をしているかのような。
『私だけでは、お前を倒すには足りない。私の血統魔法は、エリュテマという仲間がいて、真価を発揮する魔法だから』
そう、足りなかった。
ネロエラの血統魔法は一人で全てを解決できるような魔法ではない。
狼の狩りは単独では真価を発揮できず、群れでなければ格上を食らえない。
『ならば、探せばいい。血統魔法に刻まれたタンズーク家の記録から』
【なにを言って……】
イリーナにもネロエラの言っている事の意味はわからなかった。
『私を、危険指定にするほどだ、カンパトーレ。タンズーク家の血統魔法には当然、詳しいんだ、ろう?』
【完璧に近い獣化……オリジナルに近いがために、対話まで可能にした……】
ネロエラは首を横に振る。
違う。タンズーク家の血統魔法における獣化はただの過程に過ぎない。
タンズーク家の血統魔法はあくまで、エリュテマと対話をする血統魔法。
――対話する相手が生者だけだと誰が決めた?
【ま、さか……アナタ……!】
イリーナもようやくその恐ろしさに気付く。
ネロエラが今やっている離れ業に流石に一瞬言葉が詰まった。
【血筋の記録から、エリュテマの魂を、呼んだの……!?】
イリーナ自身、自分で言いながら信じられないと言いたげだった。
ネロエラは首を横に振らない。
『そうするしか、思いつかなかった』
【有り得ない、そんな、コトが……有り得る、わけがない……】
いいや、有り得ないはずがない。
鬼胎属性と信仰属性を基本とするマナリルで暴れていた魔法生命は元々異界で死んだ怪物達。
その魔法生命の核に触れたのも信仰属性のカヤ・クダラノの血統魔法。
『蒐集家』マリツィア・リオネッタは死者の記録から魔法を再生し、聖女ベネッタの眼は魔力ある者の魂に触れて固定する。
鬼胎属性と信仰属性が魂との接触を可能にしているのは何年も前からすでに証明されている。
ネロエラが行ったのは歴史の記録から辿り着いたエリュテマ達の魂との対話。
魔法式と自分の精神を接続して過去も今も受け止める一体化。
タンズーク家の血統魔法――その真骨頂は獣化の完成度などではない。
対話によって築いた異種の絆こそがこの魔法を血統魔法たらしめる。
この時代までタンズーク家が築き続けたその絆は今完全にネロエラに味方した。
『私はお前のように、統べることはない。支配、しない。タンズーク家は、彼等と肩を並べる道を選んだから……タンズーク家と生きた千を超える牙と共に!』
【せ――】
増える。増えていく。荒れた大地に次から次へと呼び声に応える過去のエリュテマ達。
その形を成すのはネロエラの魔力ではなく魂の欠片。タンズーク家が今まで築いた絆を楔に、彼等をほんの少しの間だけ生者の世界に呼び寄せる。
『どっちが、正しいかなんて、言うつもりはない。だが、逃がさない。
この国を陥れる災厄を私が……私達が! ここでお前を狩り殺す!!』
さあ狩りの始まりだ、神獣の力を操る聖王女。
ここに召喚されるは災厄を狩る白狼の群れ。
今代の友の"覚醒"に死者の世界より呼応した戦士達。
――どちらが獲物になるかを決めよう。




