22.九尾絢爛3
「ああ、素晴らしい」
賞賛の声と同時にイリーナの表情が歪む。
残る分身は二つ。本体含めて三人のイリーナが同時に笑う。
対してネロエラは地面に叩きつけられたスリマ含めて誰も脱落していない。数は完全に逆転した。
「"姫劇団"」
『なに……?』
優位を確信し、畳み掛けようとするネロエラだったが再びイリーナを見上げて警戒の指示へと変える。
今の数瞬で破壊したイリーナの氷分身は四体。エリュテマの牙で噛み砕いたはずだが……イリーナの唱えた文言で再び冷気が集まり、四体の分身が現れる。
結果、圧倒していたのはネロエラだったがイリーナの数は七体に戻って振り出しとなった。
『再生もするのか……本当に、多彩だな』
「腐った祖国で王を名乗るのであれば、何でもやれないといけませんのよ」
恐らくは覚醒していない血統魔法。自身と同じように圧倒的な"現実への影響力"を持っていないのがその証拠。
代わりに、過去からの"抽出"が桁違いに多いのだとネロエラは推測する。
使いこなしてはいるが、扉が開いていない状態。
祖国の現状を貶しながらも故郷を愛するような言動といい、カンパトーレでも歴史ある家柄に違いない。多彩な能力は歴代の使い手の軌跡というわけだ。
……だからこそネロエラの敵ではない。
ネロエラと相性が悪いのは"現実への影響力"の高い圧倒的な個や信仰属性のような守りの固い相手。
イリーナの魔法がどれだけ多彩であっても、牙が通るのなら魔法であれその"現実への影響力"で破壊できる。
「私と同程度という見立てでしたが……見くびっておりました。流石は危険指定、というわけですわねぇ」
『……』
冷気をもろに受けたスリマの無事を確認しながらネロエラは思考を巡らせる。
――どうやってルクスを殺す気でいたのか?
イリーナと同様、ネロエラもイリーナを自分と同程度の実力だと見ていた。
事実、ここまでは結果的にこちらの攻撃をいなされているので優勢に見えてもほぼ互角と言えよう。
しかし……やはりルクスを狙える実力には見えない。
アルムやミスティ、エルミラやルクスのような圧倒的な実力者に勝つのは不可能だと断言できる。比較的劣るベネッタとも相性の悪さから難しいだろう。
まだ二十前後だろうに自分と同程度の実力。練度も高い。間違いなく才はある。
それでも、アルム世代の中で勝てるのは真っ向からの戦闘に向かないフロリアやグレース辺りが限界のはずだ。
(私と同程度と認識できる眼もあるというのに……何故こんな無謀な策を……?)
この一か月北部に送られてきていた偵察員はマナリルの目を北部に集めるため。
常世ノ国の人間を使って海路を使って東部に侵入し、妨害用魔石まで持ち出した作戦にしてはあまりに最後の狙いが無謀過ぎる。
ルクスを狙うのならアルムやミスティと渡り合えるレベルは必須……自分如きに苦戦しているようでは夢のまた夢だ。
『やはり狙いは……』
人間状態であれば額に嫌な汗が流れていただろう。
エリュテマとなり、感覚が研ぎ澄まされた鼻と耳でネロエラは戦闘に参加していないもう一人の男の位置を確認する。
遠く離れた場所からこちらを見ているようで動かない。
アルムの推測通り、この二人の狙いが魔法生命の復活なのであればどちらが宿主になるはず。
今戦っているイリーナが自分を足止めしているという事は、宿主になるのはもしやあちらか。
こうしてイリーナが自分と戦っているのすら時間稼ぎの可能性がある。
ネロエラにはベネッタのように魔法生命の存在を特定できるような感知魔法は無い。
(ここはやはり狙いを変えるか)
ネロエラは三体のエリュテマに視線を送り、指示を出す。
宿主がどちらであろうが鍵を握るのはあの男。最悪の事態を避けるためにネロエラは狙いを絞る。
目の前のイリーナは確かに強いが、それでも一国を揺るがすほどではない。
国の脅威になるとすればまだ見ぬ呪いの影。イリーナの援護にすら参加していないキヨツラという謎の男に時間を与えない事を優先する事に決めた。
『カーラ』
ネロエラが名前を一度呼ぶだけでカーラは意図を察する。
必要なのはイリーナの虚を突きながら、キヨツラを狙う事。
イリーナを止めるための役割が二体は必要だろう。
カーラがまずイリーナへと走り出す。
まるでネロエラの指示がイリーナへの攻撃であるかのように。
それに続いてネロエラ含めたエリュテマ全員が動き出す。
イリーナも対応するように分身を動かし、あっという間に噛み砕かれたのを防ぐためか先程よりも分身たちを固めている。分身を盾にしたカウンター狙いに違いない。
少なくとも速度は圧倒している。ネロエラ達に遠距離攻撃が無い事を悟っている事を含めて、イリーナの対処は間違ってはいない。
"ワオオオオオオ!!"
カーラとフロックが分身へと突っ込む、と同時にネロエラとスリマが反転する。
イリーナの分身は予想通りカーラとフロックの二体に向けて氷の剣を構えるが、攻撃を目的としていないその二体はその速度のまま横に跳んでイリーナの反撃を透かした。
「フェイント……?」
ネロエラとスリマは少し離れた場所で立つキヨツラのほうへと駆ける。
そのトップスピードは風の如く。三秒でキヨツラの目前まで迫った。
あまりの速度、勢いにキヨツラは後退るが寿命が数瞬間伸びただけ。
ネロエラの牙がその喉元を食い破ろうと開かれた瞬間――
「ふはは……貴様を信じてよかった」
死を目前としているはずのキヨツラの眉間から皺が消える。
「【阿倉空暗】」
「なっ――!」
重く響く歴史の声。
飛び掛かろうとしたキヨツラの目の前に巨大な建造物が現れる。
それは扉の開けられた巨大な倉。中は目視できない闇で染まっている。
その闇から手が。無数の魔力の手がネロエラの体を掴む。
キヨツラ目掛けて飛び掛かったネロエラはその無数の手をいくつか噛みちぎるも全てを破壊することは出来ず、倉の中へと引きずり込まれた。
ネロエラを引きずり込んだ倉の扉が音を立てて閉まり、閂が二重三重で扉を封じる。
「悪いが"魔獣令嬢"……自分はイリーナや貴様のような強者ではない!」
まるでネロエラを下に見ていたような言動。物足りないと言いたげな態度。
全て、全てがこの一瞬のためのブラフ。
キヨツラはプライドが高い魔法使い。しかしネロエラやイリーナのように才を磨く道を選ばず、研究に全てを捧げたゆえだ。
そんな自分がもしネロエラに狙われて死んだ場合、計画が頓挫する。
相手は危険指定にしてカンパトーレを敗者としたアルム世代。イリーナは互角に戦えても、自身が不意を突かれたとなれば喋る間もなく殺されてもおかしくない。恐らくはネロエラもそう思っているはずだと。
だからこそキヨツラは待っていた。
魔力を練り上げ、"放出"直前まで体の中で魔力を"充填"し続けた。
全てはこの瞬間、一瞬だけネロエラの想定より早く血統魔法を唱えるために。
「イリーナぁあ! この獣女相手では一分も抑えられん! 遊びは終わりにしろ!!」
「ええ……ええ! ええ! ええ! 素晴らしい働きではないですか! キヨツラ!」
イリーナの声が歓喜と驚愕に震える。イリーナ自身も予想外の状況なのがよくわかる声色だった。
ネロエラにミスはない。ただ誤算だったのは歩調も思想も妙に噛み合っていないこの二人という組み合わせ。
故郷を魔法生命に支配させようとするイリーナと故郷が魔法生命に支配される事に憤るキヨツラ。二人は互いの目的がたまたま噛み合って組んだだけの歪なコンビ。
ネロエラは相対したイリーナから敵の動きを推測していたが、二人はあまりにかけ離れた人間同士……キヨツラの狙いが読み取れないのは当然だった。
しかしネロエラという頭がいなくなっても目的を見失わないのは流石の練度というべきか。ネロエラが消えた事に驚きつつもともに走っていたエリュテマであるスリマがキヨツラに飛び掛かる。
キヨツラはスリマの口内向けて腕を差し出し、スリマはその腕を噛み砕いた。
だが噛み砕いたのは腕だけ。その命は取れていない!
「我が、悲願を……!! 叶えよぉお! 【阿倉空暗】ぁ!!」
スリマに腕を噛み砕かれながらキヨツラはもう一度、血統魔法を唱え切る。
噛み砕かれた腕とは関係無く、鼻から噴き出す血は血統魔法を二つ同時に発動させた反動。
体内を魔力で焼きながら、キヨツラは自らの悲願のために魔力を捧げた。
「ああ、ようやくお会いできるのですね……! 彼の神よ!」
異変を感じたカーラとフロックもネロエラの指示無しで動く。
イリーナに飛び掛かろうとするが、もう誤魔化す必要すら無いかのように分身だけが動いて二体の動きを邪魔してくる。
積極的に二体を攻撃するのではなく、完全に時間稼ぎのために盾になる動き。
六体の分身を蹴散らした時にはすでに遅く……イリーナはキヨツラが出現させた巨大な倉の中に入り、その扉は固く閉じられた。
「かつて私の耳に届いた啓示! 桁が足りない! 質が足りない、と! ならばどちらも捧げましょう!
未だに蛇神を信ずる愚かな命。そして祖国を腐らせる豚の命。合わせて千の命を手にかけ、あの蛇の侵食すら退けたこの私を! 彼の神を、あなたを信仰するこの世界最初の一人にして国の王となる女! このイリーナ・ペレーフトの身を楔にぃ!!」
エリュテマ達が感じる確かな寒気。
敵を一人戦闘不能にしたというのに、巨大な倉の中から聞こえてくるイリーナの声にエリュテマ達の本能が警告を鳴らす。
「この身にはあの蛇ではなく、あなたこそ相応しいぃ!!」
空気が変わる。曖昧となっていた境界線に穴が開く。
来る。何かが。
来る。何者かが。
……来てしまう。ここにいてはいけない本物の化け物が。




