21.九尾絢爛2
魔法には構築に必要な魔法の三工程に加え、追加で唱える詠唱が存在する。
"充填開始"、"変換式固定"、"放出用意"、"放出領域固定"など……強化したり時に弱体化させたりと構築に極端な方向性を加える目的で使われる事が多い。
聞こえだけなら便利に聞こえるが、現代で使用している者はほとんどいない。
「そもそも三工程の段階で構築を変化させるべきなのでは?」
あくまでこれらが使われていたのは魔法が今ほど発展しておらず、系統も分類されていなかった時代の話……技術が確立されたここ二百年ほどでは余計な隙と遅れを生むとして瞬く間に廃れていった。
現在では世界改変魔法の使い手が制御しきれない自分の血統魔法を抑え込むのに使う"放出領域固定"くらいしか使われておらず、この技術を知らない者も現れ始めているほどだ。
しかし――不便だからと廃れたとしても、かつて隆盛していた技術には必ず利も存在する。
一般的でなくなっただけで、その技術は決して死んだわけではない。
拾い上げるものにとっては誰よりも有用な矛になる事だってある。十年前、誰もが捨てた魔法でこの国を救った男がいるように。
「人造人形か――?」
ネロエラの姿がエリュテマの姿に変化する。
カーラ達と姿を同じくする白毛赤眼の狼となる中、イリーナの周りの地面から氷が生えていく。
恐らくは水属性。六つの氷が踊るように形状を変えていった。
「さあ、一緒に踊りましょう。あなたが壊れるまで」
「!?」
氷は姿を変えて人型に、そして次の瞬間その全てがイリーナの姿に変化する。
同じ髪、同じ目、同じ服装、同じ存在感。
全部で七人のイリーナが同時に微笑む。
他六つは模倣とわかっているのにその全てが命を持ったそ生き物のようで、エリュテマとなったネロエラの鼻でも嗅ぎ分ける事ができない。
この場に残る本物のエリュテマでもあるカーラ達ですら判断がつかないようだった。
「"襲撃"」
七人のイリーナが一斉にネロエラに飛び掛かる。
手にはいつの間にか氷の剣。魔法の名称が聞こえなかったという事は血統魔法の能力か。
七人のイリーナは同時に飛び掛かっては来たが、全てが同じではなくどれも挙動が細かく違う。
ネロエラを囲むように、それぞれが独立した人間のよう。
(声の方向から個体を判断できない……! 幻影系の"現実への影響力"まであるのか……!)
エリュテマの五感となっても判別できないイリーナの血統魔法に内心で舌打ちする。
同時に同じ魔法使いとして賞賛すらしていた。自分を強いと言うだけあって血統魔法の練度がそこらの魔法使いとまるで違う。ここまでだけでも複雑な"現実への影響力"を持つ血統魔法なのがよくわかる。エルミラと同じ使い手の力量で強くも弱くもなるタイプの血統魔法に違いない。
"オオオオオオオンン!!"
「!!」
だが魔法の在り方に驚いたとしても圧倒されるかは別の話。
ネロエラが吠えるとカーラ達が動き出す。血統魔法による普段以上の意思疎通。
思考が同期しているレベルのエリュテマ達の統率はイリーナの集団を遥かに超える。
ネロエラを狙うイリーナ達を散開していたカーラ達は後ろから襲い掛かり、それに対応するように何人かのイリーナは反転して対応した。
「魔獣如きに一人やられた……?」
カーラ達にイリーナの姿となっていた氷像が噛み砕かれ、イリーナの声には初めて驚愕の色が帯びる。
イリーナ自身、魔獣に後れを取るような使い手ではない。自身の血統魔法を使っているとなればなおさらだ。
しかし、目の前にいるのはただの魔獣ではない。
『十年前なら、一方的だったかもしれないがな』
「!!」
その声がイリーナの耳に届けられる頃にはネロエラは目の前から姿を消す。
【気高き友人】はネロエラをエリュテマに完全に変化させる獣化だが……今はそれだけではない。
日々の鍛錬。血統魔法を磨き続けた時の積み重ね。それが血統魔法の"現実への影響力"を上げていく。
「この速度……まさか」
生み出した分身が一つ欠けてイリーナも異変に気付く。エリュテマの速度があまりにも速すぎる。
草原を切り裂くような四つの白き影。
まるで過剰魔力による暴走のような速度だが、やたらめったらに走っているわけではなく、互いに援護できる距離を保ちながら分身を含めたイリーナ達を速度の檻で取り囲む。
そう、血統魔法発動中の今――ネロエラの統率下にあるエリュテマ全ての身体能力は強化されている。
「これは予想以上……ですがぁ!」
「!!」
地上戦では不利と見たのか、六人のイリーナが一斉に跳躍する。
飛び掛かろうとした牙は空を切り、ネロエラ含めた四つの頭が上を向く。
「"美の体現"」
(空中で静止した!?)
跳躍したイリーナ全員がぴたりと止まる。
六人のイリーナ全員がこちらに氷の剣を向けて、
「"頭を垂れよ"」
切っ先から青い閃光が地面目掛けて放たれる。
エリュテマ達を狙う六本の魔力の光線は放たれた先の草原を凍らせていく。
("変換式固定"か! こんな使い方を……!)
ネロエラは即座に空中で静止しているからくりに気付く。
アルムとはまた違う活かし方。魔法を自分に固定するのではなく現実に固定する。
でなければ風属性でもないイリーナが空中で静止で来ている説明がつかない。
普通ならば考え付かない発想。完成していない血統魔法だからこそのアプローチ。
並の魔法使いならば混乱で揺さぶられてもおかしくない。
"オオオオオオン!!"
しかし、目の前にいる彼女は違う。
その光線の速度はエリュテマに追い付けない。
指示を含めた咆哮が一つ鳴り響く。呼応するように二つ、三つ、四つ。
確かにイリーナの血統魔法は驚くべき魔法だ。短時間でここまで多種多様な能力を披露できる血統魔法はそう多くない。
だがイリーナが相手するのはマナリル初の魔獣部隊。
率いるはアルム世代の獣化のエキスパート――ネロエラ・タンズークである。
「ただの魔獣が"頭を垂れよ"を――!?」
エリュテマの一匹、スリマが空中で静止するイリーナ達に向けて跳躍する。
当然イリーナが放つ六本の光線はスリマに集中するが、纏った魔力が光線を弾きながらイリーナへと向かう。
ネロエラは守護を得意とする信仰属性。
そしてエリュテマが寒冷地の魔獣だからこその無謀に見える突貫だった。
『耐えろスリマ!!』
ネロエラの魔力を借りても限度はある。スリマの頭が徐々に凍り付く。
スリマが光線を受けている間、ネロエラ含めた他のエリュテマも跳躍する。
イリーナは空中で静止しているだけで"飛行"できるわけではない。
スリマを地面に叩き落とす頃にはもう手遅れ。
並の魔法使いと勘違いするなカンパトーレ。
彼女が見てきた魔法使いはこんなものではない。
同じ世代に頂点がひしめいていたネロエラにとって多彩なだけの魔法使いなど敵ではない――!
「"跳躍"!」
『遅い!!』
空中で静止していたイリーナがさらに空中を蹴るように跳躍する。
その跳躍を一蹴する白き影。
目にも見えぬ速度で駆ける速度のまま跳躍したネロエラ達の勢いを跳躍だけで躱せるわけもなく、三体のイリーナはその牙の前に噛み砕かれた。




