幕間 -子は親を見て育つ-
「ポピーさん! ちゅー! です!」
「あら! ティア様のちゅーを頂いてもよろしいんですか!」
「はい! ちゅー!」
「まぁ! 嬉しいです、朝からご褒美を頂いてしまいました」
「えへへ、いつもありがとうございます」
マナリル北部カエシウス領トランス城。
朝からカエシウス家領主の一人娘ティア・トランス・カエシウスが城内を子供らしく元気に歩き回っていた。
上級使用人のポピーを見かけたかと思うと、ティアはねだるように言ってかがんで視線を合わせてくれたポピーの頬にキスをする。
「イヴェットさんもちゅー! していいですか!」
「ええ、喜んでティア様」
「ちゅー!」
同じく上級使用人のイヴェットにもキスしようとするティア。
イヴェットは笑いながら頬を差し出し、ティアはそこに遠慮なくキスをする。
「ジュリアさんもちゅー!」
「え!? 私もでございますか!?」
「はい! ほっぺください!」
「で、では失礼して……!」
「ちゅー!」
アルムの部屋のベッドメイク中の使用人ジュリアにも突撃して頬にキス。
今年で五歳になる子供の無邪気さに朝からトランス城は幸せそうに翻弄される。
見かけた使用人の頬にキスして回るティアはその可愛らしさで次々に大人を陥落させていく。
その姿は銀色の髪を揺らして飛び回る妖精のよう。
父であるアルムが朝早く出発してしまったので寂しいのかもしれないと、いつにもまして使用人達はティアに甘く接していた。
「セルレアお婆様もちゅー!」
「まぁ! まぁまぁまぁ! ティアちゃんたらなんて嬉しい事を!」
「えへへ! ちゅー! ノルドお爺様も!」
「おや、いいのかいお姫様? ではお願いしてもいいかな?」
「はい! ちゅー!」
「はっはっは! 間違いなく、今私達は世界で一番幸せだろうな!」
祖父母の二人の頬にもしっかりキスをして、ティアはトランス城の魅了していった。
全員にキスしようと走り回ってもしっかり勉強の時間になれば部屋に向かうなどスケジュール管理も完璧だ。
「ベネッタお姉様も! ベネッタお姉様もちゅー!」
「えー? いいのー? 言っておくけど、授業を優しくしたりはしないよー?」
「ベネッタお姉様はいつも優しいですよ?」
「うっ……! この可愛らしさ……子供ってすごいやー……じゃあお言葉に甘えて! ちゅーくださいなー」
「はーい! ちゅー!」
勉強を見て貰っているベネッタにも休憩時間にしっかりキスを頬にする。
された側は勿論ついにやけてしまっているのだが、ティアもまたやけに嬉しそうにしていた。
どうして頬にキスして回っていたのかは誰にもわからないままティアは城中を駆け回る。
子供の気まぐれか。はたまた新しい遊びなのか。
どちらにせよ子供らしく可愛らしいと今日のトランス城はいつもよりほんわかとした緩い空気に包まれていた。
日が沈み、夕食の時間となった時……今日のティアがどう過ごしていたかを報告されたミスティは夕食中の雑談としてティアに問う。
「ティア、今日はいつにも増して可愛らしい遊びをしていたようですね?」
「遊び……でしょうか?」
「城の人達のほっぺにちゅーをして回っていたと聞きましたよ? 私にはしてくれないのですか?」
「お、お母様にもしていいのですか!?」
目の前の豪勢な料理よりもミスティのその言葉のほうが嬉しいのかティアは今日一番の目を輝かせる。
城中を走り回って疲れもあるだろうに、そんな様子は微塵も感じさせない。いくらお昼寝をしたからといって元気が有り余っているようで、子供の体力は無尽蔵である事を実感させる。
ティアはすぐに椅子から下りようとしたが、食事中にお行儀が悪いと気付いたのかぴたりと止まって背筋を伸ばした。
「うふふ、偉いわティア。後でね?」
「はい! やったー! あ、ちゃんと歯磨きしてからします!」
「ええ、そうね」
「そ、それと……お、お母様も、ティアにしてくださいますか……?」
「寝る前にいつもおでこにしているでしょう? 足りない?」
「はい! 足りません!」
「あらあら。じゃあ今日はおでこにもほっぺにもしてあげるわ、今日はお父様がいないから、その分多くしてあげなくちゃね?」
「うわぁ……! ありがとうございますお母様!」
傍に控えている使用人達もティアの姿が微笑ましいのかいつもより表情が柔らかい。
夕食が一通り運ばれて、最後にデザートが運ばれてくる頃……ミスティは一つ気になる事があった。
「そういえばティア……どうして急にみんなのほっぺにちゅーしようと思ったのかしら?」
普段のティアは素直で可愛らしいが、いつもこんな事をしているわけではない。
何故今日に限って城中の人達の頬にキスして回っていたのか……最初はベネッタの入れ知恵かと思っていたが、ベネッタも知らないようだった。
ミスティがそう聞くと、ティアはスプーンを手にしながら満面の笑みを浮かべる。
「今日の朝、アルムお父様がお見送りしているミスティお母様のほっぺにちゅーしたらお母様がとっても嬉しそうにしていらしたので、私もトランス城のみんなにしてあげたかったのです! ちゅーされたら嬉しいんですよねお母様!?」
思いがけない答えにピシッと石のように一瞬固まるミスティ。
輝くような笑顔でそう言い放つティアに周りの使用人達が色めきだす。
今日アルムの出発は朝早く……ティアが普段起きていない時間帯、のはずだった。
「ミ……ミテタノ?」
「はい! 窓からお二人の姿が見えました! 私もお父様のお見送りがしたかったので早起きしようと思ったのですが、起きた時にはもうお二人が外で……いつもより早起きは難しいですね……」
何と健気な娘だろうという感動と見られていた羞恥でまぜこぜになるミスティ。
どうやら部屋からアルムを見送るミスティの姿は見られていたようで、出発の間際にアルムがミスティの頬にキスをするのを見てティアは真似をし出したようだ。
まさか自分達が発端だったとは思わず、ミスティの顔がみるみる赤くなっていく。
あまりに純粋な娘の暴露に、カエシウス家の女主人ミスティは耳まで真っ赤にしながら、誤魔化すようにデザートを口に運ぶ。
「お母様? どうかされたのですか?」
「な、なんでもないわ……なんでもないの……」
「アルムお父様が早く帰ってきてくださるといいですね! そしたら二人でちゅーしてもらいましょう!」
「う、うん……そうね……うん……」
娘の屈託のない笑顔と羞恥で消え入りそうな母。使用人達の視線が心なしかいつもよりも集まっているような気がする。恐らくはこの後の湯浴みの時間の間には城中に今の話が広まっている事だろう。
ティアは決して悪くない。この場で質問したのはあくまでミスティ本人なのだから。
仲睦まじい領主夫婦の下、今日もトランス城は平和である。
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