9.嵐の前の蠢き
「ええと……この子がカーラでこの子がスリマ……」
「グルル……」
「ひい!」
「その子、は、ヒルドル、だな」
ネロエラとジェイフは北部を離れ、牧畜が盛んな町ドラーナに滞在していた。
ジェイフが輸送部隊の臨時副官となって一か月以上経ち、そろそろ四匹のエリュテマの違いがわかるかどうか試しているが……どうやら二匹目ですでに間違えてしまったようだ。
草原に並ぶ四匹のエリュテマの中で、間違えられたヒルドルという名の一匹のエリュテマが唸り声をあげている。
「エリュテマは、知能が高い上に、個体によって性格も様々、だ。間違えれば、怒る子もいる。ヒルドルは、特に若いエリュテマ、だからな」
「怒って自分を食べたりは……しませんよね?」
「知能が高い、と言っただろ? そんな理由で、人間に危害を加えれば、いけない事くらい、わかってる」
「な、なるほど……そうでなければ部隊として認められるわけありませんよね。ははは……」
目の前のエリュテマが危害を加えないとわかっていても、ジェイフは笑顔が引きつったままだった。
依然としてヒルドルはぐるると牙を見せながら威嚇している。
「特に、カーラの前で、そんな事はしない。エリュテマ達のリーダー、だからな。怒ると恐いぞ、カーラは」
「あ、はい! 自分もカーラだけはどの個体かは見分けられております」
「一月にしては、上出来だ。まぁ、フロリアは出会って一月もしたら、全員見分けてた、がな」
「そんな高位の魔法使いと比較されましても……」
ネロエラはさらっとフロリアを自慢しながらカーラを撫でる。
長年エリュテマと交流しているフロリアと比較されてしまうのは不憫ではあるが、臨時とはいえ今はジェイフが副官の立場なので仕方ない。
「カーラはお前を不本意ながらも私の副官として立ててくれている。そしてお前を威嚇しているヒルドルは普段は生意気そうな目でお前を睨んでるからわかりやすい。全く興味無さそうなのがスリマで、お前を警戒していて少し尻が浮いているがフロックだ」
「うっ……わかってはいましたが好意的な個体はいないのですね……」
「そこは、仕方ない。警戒心が強い、魔獣でもある、からな」
「それにネロエラ隊長も……この子達の事を説明してくださっている時は声がたどたどしくならないのも初めて知りました」
「え?」
ネロエラはついフェイスベールの上から自分の口を押さえる。
指摘されても自分ではそうだったかよくわからず驚くばかりだった。
「そ、そうだったか?」
「ええ、やはりネロエラ隊長はこのエリュテマ達が心から好きなんですね」
「そ、それは当然だ。私の大切な友人、で、家族だから、な」
魔獣は人間にとっては恐ろしく、魔法使いにとっても駆除対象になる事が多い。
だが魔獣と交流する事で発展したタンズーク家で育つネロエラにはそんな感情は無かった。
むしろ子供の頃に人間の輪から外されていたネロエラにとって、幼少から交流のあるエリュテマ達はかけがえのない存在である。
「い、言っておくが、喋るのが、嫌な、わけじゃないぞ。長い間、喋ってなかったから、得意じゃ、ないだけでだな……」
「あ、申し訳ありません。喋り方を責めているわけではありませんのでご安心を」
「そ、そうか。すまない、な」
「喋るのが不得意なくらいでネロエラ隊長の人柄や能力は損なわれませんから」
そう伝えるとジェイフは改めて並んでいるエリュテマの前で視線を合わせる。
ジェイフの前に座る四匹のエリュテマ……リーダーであるカーラは子と接するような温かい目を、人間との付き合いが長いスリマは無関心で、新入りであるヒルドルは若干の苛立ちを、同じく新入りのフロックは警戒心を抱いている。
よく見れば視線が少し違うのだが……しかし悲しいかな、それでも見極められるほどの違いはジェイフにはまだわからない。ジェイフの眼にはやる気だけは宿っていたが、やる気だけでは解決できない事もある。
「なんとなく……カーラ以外が自分をよく思ってない事はわかる、かも……しれません?」
「一応、ロータっていう人懐こいエリュテマもいるからロータがいればよかったんだが……その、特にフロリアに懐いていてな、一緒に常世ノ国のほうにいるんだ」
「人懐こいエリュテマですか……想像がつきませんね……」
「ロータも最初はフロリアの腕を食い千切ろうとしていたんだが、色々あって仲良くなってな……ふふ、今となってはいい思い出だな」
「食い千切る!? そんな血生臭いシーンから懐かれるパターンがあると!?」
ネロエラはくすくすと笑うばかりで詳細は話してくれない。
ジェイフの目の前には変わらぬ表情で四匹のエリュテマが座ったまま。
「さあ、シャッフルして、もう一度、当ててみようか」
「男ジェイフ……! 不肖ながらチャレンジさせて頂きます!」
「ふふ、次は、ちゃんとわかると、いいな」
ネロエラが合図をすると四匹のエリュテマは草原を縦横無尽に駆け回る。
途中までどのエリュテマかを覚えていたジェイフは次第にエリュテマ達のスピードにわからなくなっていき……十分後、再び前に座ってくれた四匹のエリュテマの前で気合いを入れて個体当てに臨んだのだった。
マナリル北部北東地域。
北部の国境近くは山が多く、マナリルに比べて小国に過ぎないカンパトーレが攻め込まれずにいるのはその過酷さが一つの要因である。
今の季節が春であってもまだ雪が残っており山々は馬車では通る事は出来ず、特に国境近くともなると整備もされておらず普通の人が登るには険しい。
通る事さえ出来ればマナリルへの道をかなり短縮できるのだが、がめつい商人だったとしても雪の下から岩肌が覗くこんな場所を通ってまで商いをしようとは思わないだろう。命あっての物種だ。
……そんな険しい山を、平然と登る男が一人いた。
「……」
男は慣れたように、まるで整備された山道のように歩いていく。
身体能力が高いだけでなくまるでどこかを明確に目指しているかのような動き。
恐らくは魔法で身体を強化しているのだろうが、それにしても雪で隠された安全な足場を見つけたりと無駄が無い。
寒冷対策か、全身を覆う厚手のフードローブを頭から羽織っているがそれすらも苦にしていないようだった。
しばらく登って、斜面がなだらかになる場所に辿り着くと男はフードを取る。
男の髪は黒く、日差しを反射するほど白い雪とは正反対の色をしていた。
「ここら辺か」
男はしばらく辺りを探索すると、近くに雪が不自然にへこんでいる場所を見つける。
恐らくは足跡だったもの。その痕跡を辿っていくと、岩肌の間に洞穴があった。
洞穴といっても自然に出来たものではない。近くにはごろごろと削り出されたであろう岩や石が転がっている。
周囲の状況から察するに、力ずくで作られた場所だろう。
男はその洞穴に入っていく。やはりというべきか、洞穴には人の痕跡が多数あり、奥には開けた空間が広がっていた。そして……その痕跡を作った主も。
「いくらなんでも、国境を警備しているはずの北部に偵察員が来すぎだと思っていた……警備の目をかいくぐれるようにしている奴がいると踏んでいたが、やはりいたか」
その空間は壁に取り付けられていた魔石で照らされていた。
この洞穴を作った主は食事中だったのか、鹿らしき魔獣の腹に口をつけて啜っていた。
身なりは世捨て人のようだったが、首元には蛇を模した高価そうなネックレスがぶら下がっており、目の下には蛇の頭のタトゥー。服もボロボロだがその素材の良さから元は高価だったのが窺える。
口元は血で染まって、髭まで真っ赤にさせながら……侵入者に向けて声を荒げた。
「黒いガみ……黒い目……! お前が、貴様、ガ――アルムか!」
叫びを肯定するように黒髪の男――アルムはフードローブを放る。
互いが互いを敵だとわかりきっているからこそ、共に戦闘態勢になるのは早かった。
「何故――! 何故ナゼなぜナぜ何故! スノラ、にイタハズ!」
「お前だな、偵察員の侵入ルートを作っていたのは。感知系魔法の使い手が潜んでいると思ったが……」
アルムは洞穴にいた男を一瞥する。
男の不安定な喋り方、微妙に音の違う声、そして魔法が使える様子にもかかわらずわざわざ鹿の腸を生で啜っている姿。
「違うな。お前、何個入れられてる?」
洞穴にいた男はアルムのその問いに血で染まった口元を大きく歪める。
「ザあ!? 数えテミレバいい! 【異界伝承】!!」
開けた空間に男の声が響く。
男の眼が黒く染まり、眼から溢れたかのような黒い魔力が男を包む――!
「【項垂れる邪視水牛】!!」
膨大な魔力が爆発するように広がって洞穴は崩壊する。
アルムは即座に外へと飛び出して、崩壊した洞穴から這い出てくる黒い何かに視線を向けた。
崩壊した洞穴から這い出てくる二メートルほどはある六本の脚。その六本で山を踏みしめたかと思えば、次に出てきたのは体ではなく長い首とゆらゆらと揺れる角のあるアルムと同じ大きさほどもある巨大な頭。その巨大な頭には小さな口と頭と同サイズほどあるであろう巨大な瞳がアルムをじろじろと見つめていた。
『イダ! いダ! アルム! ゴレを殺せば! 大蛇ザまも! イリーナ、も! よろゴブ! ヨろこぶ!! 俺モ! ウレジイイイイイ!!』
「やはり……カンパトーレの人工魔法生命か」
春風を遮って、肌を不快に撫でる鬼胎属性の魔力。
六本脚と巨大な顔全体が目玉の怪物。不意にそんな怪物が現れてもアルムは狼狽する様子はなく戦意はそのまま向き合って懐から魔石を取り出す。
「魔力解放申請。アルム」
淡々と魔石にそう伝えながら、蓋していた自分の魔力を解放した。




