1.白毛の乙女
「おい……何か聞こえなかったか?」
「外か? いや、ここがばれたなら見張りが気付くだろう」
マナリル北部カエシウス領北西地域。
廃村となって長い集落の小屋の中であるはずのない火が焚かれている。
小屋の中には獣の気配ではなくまごうことなき人の気配。マナリルの住民ではない。
ではそんな廃村の小屋にわざわざいるのは誰か? その正体はマナリルの北に位置する傭兵国家カンパトーレの住人達だった。
「それにしても、早く帰りたいものだ……この二ヶ月、肝が冷えっぱなしだった」
「通信用魔石ですでに最低限の情報は送ってあるし、感知もされていない。私達の命はすでに役目を終えているんだ、もう少し気楽になってもいいだろう」
「ああ、だが帰れるなら帰りたいじゃないか」
「そう思うのは自由だが、大切なのは私達が得た情報がカンパトーレ再興の礎になるという事だ」
「わかってるわかってる……全く、固い女だ」
小屋の中でがたいのいい男が華奢な女を抱き寄せる。
女はきっと睨むも抵抗らしい抵抗はしなかった。
「夫婦ごっこは終わったはずだが?」
「カンパトーレに帰るまでだろ? 言っただろ、肝が冷えっぱなしだって……この情けない男をあっためてくれや」
「はぁ……全く、盛りっぱなしの猿め……」
華奢な女は仕方ないとため息をついて髪を纏めた瞬間――
「ワオオオオオオオオオ!!」
「!!」
「!?」
――遠吠えと共に小屋の壁を突き抜ける白い巨躯が飛び込んでくる。
放棄されていた小屋の壁はモナカ菓子のように軽く砕け散り、小屋の中と外の境目は無くなった。
二人の前に躍り出たのは白い毛並みに赤い目をした狼型の魔獣エリュテマ。
狼型の魔獣としては有名ゆえにその脅威も知られている魔獣である。
「え、エリュテマ!?」
「くっ――! 見張りはどうした!?」
エリュテマの唸り声を聞きながら、華奢な女は小屋の外をほうに目をやる。
そこには今まさにエリュテマに襲われている見張りの人間達がいた。
カンパトーレは人材不足が激しく、見張りまで魔法使いとまではいかない。野犬ならばともかく獰猛な魔獣であるエリュテマに抵抗できるはずがなかった。
「おいおい悲鳴も聞こえなかったぞ……!? 何で……!?」
「違う! 見張りを襲うと同時にここを攻撃してきたんだ!」
「んな馬鹿な! いくらなんでもそんな知能があるわけない!」
エリュテマは知能の高い魔獣ではあるがそれでも魔獣は魔獣。目に見えている見張りだけに同時に攻撃するならともかく、小屋の中で潜伏している自分達まで攻撃対象として襲うわけがない。
「私、のエリュテマ、にはある」
その声が、男と女を静まらせる。
小屋の壁を破壊して飛び込んできたエリュテマの横に、その声の主は現れた。
エリュテマの毛並みのように白い髪を揺らし、口元にフェイスベールを風に靡かせて。
「やっぱり、カンパトーレ……蛇神信仰、の、残党だな」
「その目に髪……ま、まさか……"魔獣令嬢"ネロエラ――!?」
「な……! よりによって危険指定だとっ!?」
「自己紹介、は必要、ないみたいだな。お前達を、捕縛、する」
フェイスベールの下から聞こえる声に男も女も戦意を失う。
有象無象の魔法使いならばともかく、相手はネロエラ・タンズーク――アルム世代の十一人の一人であり獣化のスペシャリスト。
国力が落ちているカンパトーレでは対処できる使い手は限られる。ましてやただの偵察部隊の力で太刀打ちできるような存在では無かった。
「撤退だ! 一人でも多く祖国へ!! 『火竜の息』!!」
華奢な女は見張り含めた偵察部隊の指揮を執る魔法使い。
即座に撤退の合図として魔法を空に飛ばす。空に向かって放たれた火柱は火属性の輝きをもって周囲の雪原を照らすが……この廃村で他に立っているのはもう数体のエリュテマしかいなかった。
「そ、そんな馬鹿な……まだ数秒も……」
「私のエリュテマが、ただの平民を気絶させる、のに……数秒必要とでも思ったか? 私達が捕まえるのは……後、二人だけ……だ」
その二人が誰を指すのかは言うまでもない。
生きて帰るためにと焚いた焚火の燃える音があまりのも弱弱しく、エリュテマの唸り声にかき消された。
「逃げろペリトン!! うおらああああああああああああああ!!」
「よせザリュエン! 犬死だ!! くそっ!!」
がたいのいい男がネロエラに向けて突っ込む。
その隙にペリトンと呼ばれた華奢な女は小屋の裏へと駆け出した。
「追ってカーラ。殺さないで」
ネロエラは傍らに座るエリュテマ……カーラに指示し、カーラは外へ。
ザリュエンと呼ばれたがたいのいい男はネロエラへと両手で掴みかかり、ネロエラはその両手と組むように両手を前に出した。
互いの両手をがっつりと掴み合い、ザリュエンは押し潰すように力を入れていく。
「馬鹿が! 魔法ならまだしも力で……ち、から……で……!?」
「どう、した? 力比べ、がしたいんでしょう?」
二人の体格差は明白。普通に考えればザリュエンの圧勝だ。
しかし……ネロエラは獣化を得意とする魔法使いであり、獣化が得意という事は同系列である強化も得意だという事。
ザリュエンの掴むネロエラの両手はまるで鉄の塊。どれだけ力を入れてもびくともしないネロエラ本人はそびえ立つ鉄柱のよう。
その細腕から繰り出されるとは思えない力で、今度はネロエラがザリュエンの両手を握り返す。
「あ!? ぎやあああああああ!?」
「自棄になって、強化もかけず……魔法使いに挑むなんて、自殺行為だと……お前達の国で教わらなかったか?」
万力のような力でザリュエンの両手は音を立てながら潰されていく。
ぶちぶち、とまるで皮膚や筋肉の繊維をちぎるような音がし始めて、ザリュエンは魔力を込めた。
「っ! 『魔炎の砲撃』!」
ザリュエンは突如、大きく口を開く。
直前に唱えたのは火属性の攻撃魔法。大きく開かれたザリュエンの口からその魔法はネロエラ向けて放たれた。
「!?」
「危ない、な」
「ごふっ!」
ネロエラは掴んだ両手をぐるんと回転させ、勢いのままザリュエンを床に叩きつける。
ザリュエンの体勢は完全に崩されて、口から放たれた攻撃魔法は床に向けて放たれた。魔法はネロエラではなく小屋の床を燃やし、周囲の雪を少しずつ溶かしていく。
「この……マナリルの犬がああああああああああ!!」
「犬じゃない。誇り高い、狼、だ」
立ち上がり、襲い掛かってくるザリュエンの腹部にネロエラは拳を叩きこむ。
ザリュエンの顔は青くなり、冷や汗を垂らしながらその場に倒れ込んだ。
「う、ぶ……ペリトンの言った通り、犬死か……」
「殺さない。捕縛、する。色々喋って貰わないと」
「はは……悪いな……。俺はカスだが、流石にそこまで、落ちてねえ……!」
「!!」
ザリュエンは懐から短刀を取り出し、すぐさま自身の喉笛に突き立てる。
あまりによどみない自決。笑いながら死んでいくザリュエンの瞳からはすぐに光が消えていった。
「自害したか……カンパトーレ、の、このやり方は嫌いだ……」
ザリュエンの遺体の目を閉じさせて、ネロエラは燃える小屋に残された資料のほうへと目を向ける。
――この北部で何を調べていた?
奇襲のおかげか荷物はそのまま残されていて、壁にも資料らしき紙が貼られたままだった。
「ミスティ様とエルミラのスケジュール……? いや、スケジュールですらない……外出回数と行った場所……? 後は……カンパトーレが参考にしてる危険指定のリストが貼られてる……?」
壁に貼られているのはアルムにミスティ、ルクスにエルミラ、そしてベネッタの五人。
ネロエラにとっては顔馴染みの名前が貼られている。この五人が警戒されているのは当然と言える。
十年ほど前、魔法生命達を主に退けていたのはこの五人……魔法生命と手を組んでいた(支配されていたとも言うが)カンパトーレにとっては最も危険と言っていい。
「何故、今この五人をピックアップしているの……?」
そう、十年前の大蛇迎撃戦を最後に敵となる魔法生命はもうこの世界にはいなくなったはず。
残っている魔法生命は常世ノ国を統治しているモルドレッドと人間と敵対せずに空を回遊し続けているケトゥスの二体だけ。
ならば対魔法生命を得意とする魔法使いを今更特別に警戒する意味とは。
ネロエラは火が資料に燃え移る前にかき集めて、火に呑まれていく小屋を脱出した。
「ワオオオオ!」
「カーラ、よくやった」
脱出するとカーラが先程逃げたペリトンと呼ばれていた女を口に咥えながら駆け寄ってくる。
ネロエラはカーラの首を撫でると、その加えられたペリトンのほうに目を向けた。
「……」
「こっちも自害したか……」
毒か呪いか。物言わぬ肉の塊になったペリトンの首に触れながらネロエラはため息をつく。
見張りはまだ生きているが、自害していないという事は大した情報は持っていないだろう。念のため捕縛はするが収穫は無いに違いない。
ともあれ任務はこれで終了。カーラ以外のエリュテマもネロエラの下に集まってくる。
「カーラ、ヒルドル、スリマ、フロック、よくやってくれた」
雪原の上、雪と見紛う白毛をネロエラは順番に撫でる。
四匹のエリュテマに囲まれながら、ネロエラは燃えていく小屋を振り返った。
「何をしようとしてる……? 今更、何を……?」
こうしてネロエラは王都へと帰還した。
蛇神信仰の残党の捕縛という任務を終えて。
お読み頂きありがとうございます。
予告通り、二月から番外断章の更新を開始します。
毎日更新とはいきませんが、是非楽しんでやってください。




