第四十二話― これぞ青春 派茶目茶高校よ永遠なれ!【前編】(1)
由美が拳悟へ告白した夜。ここは彼女の自宅だ。
ただいまの時刻は夜八時。いつもよりもかなり遅い時間の帰宅となってしまった彼女は、心配していた姉の理恵から説教を受けている最中であった。
夕食を口にすることもなく、制服さえも着替えないまま床の上に正座している由美。彼女の目の前には、眉を吊り上げて仏頂面をした姉がいる。ただでさえ、昨晩喧嘩していた二人だけに険悪な雰囲気が広がっている。
「遅くなった理由を言いなさい」
「……駅で、彼と一緒にいた」
「彼? 彼ってまさか」
由美は弱々しく頷いた。彼とはもちろん拳悟のことであり、理恵にとって犬猿の仲で敵視している相手だ。
怒りが爆発しそうになりながらも冷静さを保とうとする理恵。少しだけ声を震わせながら妹のことをさらに問い詰める。
「こんな遅くまで何をしていたの?」
「お話してただけだよ」
理恵は眉根を寄せながら由美のことを睨み付ける。ただのお話といううやむやな回答では当然納得できるわけがない。
「同じクラスメイトなら多少の交流は仕方がないわ。でもね、あの不良と仲良くするのは、わたしは絶対に認めないからね」
あからさまに嫌悪感を表情に示した理恵。なぜ彼女はそこまで拳悟という人物を毛嫌いするのか。
彼女は高校生時代、不良に拉致されて不幸な目に遭っておりその時のトラウマで不良が大嫌いになった。実をいうと、拳悟にも一度だけ会っておりその時に散々悪口を叩かれて気絶までさせられた過去があるのだ。
不良を嫌っている点では由美も同様だ。彼女も過去に不良に囲まれてイタズラされそうになった経験をしている。それがきっかけで男性が苦手になってしまったわけだ。
そんな男性恐怖症だった彼女が男性に憧れて、その男性に恋をし、そしてその男性に告白をした。彼女を変えたのは、他でもない拳悟という男性の存在なのである。
「……わたし、お姉ちゃんの指図は受けない」
「何ですって。それはどういう意味よ」
「意味なんてない」
姉に対して滅多に盾突くことのない由美だが、今夜ばかりは反旗を翻した。眉を吊り上げて、部屋中に響かんばかりの怒鳴り声を上げながら。
「わたし、彼に告白したもん! 彼も好きだって言ってくれたもん!」
『ガーン――!』
ショックのあまり、理恵は青ざめた表情で後ろへ仰け反った。
「それに、もうキスだってされちゃったんだからっ!」
『ガガーン――!』
ショックが二倍になり、理恵は真っ青な顔になってさらに後ろへ仰け反ってしまった。
それこそ放心状態の彼女。妹が不良と交際していること、さらに姉の意見に反抗したことのダブルパンチでノックダウンといった感じだ。
とはいえ、彼女もここでダウンしたままリングアウトするわけにもいかない。由美を不良の毒牙から救い出さなければ。間違いを正すのが肉親である姉の使命でもあるからだ。
「ダメに決まってるでしょう! あなたいつから不良になってしまったの!?」
「わたしは不良になんかなってないもん!」
男性と交際することそのものが問題なのではない、相手が不良でなければ文句など言うつもりはなかった。憤りを露にする理恵の本音はそんなところだろう。
一方で、由美にしてみたら当然納得できるはずがない。交際相手が不良だから不良呼ばわりするのはあまりに横暴だ。しかも、彼氏を不良呼ばわりされることにも不快感を示した。
由美は力を込めて訴える。彼は根は優しくて誠実でたくましくてとても男らしい人なのだと。外見だけで不良と判断されては困ると真っ向から反論した。
「街中で見知らぬ女性をナンパしたり、肩に手を回してきたり、あまつさえ愚弄したり気絶までさせるような男が不良じゃないと言えるわけ!?」
「それはたまたまお姉ちゃんだけが被害にあっただけじゃない! それだけで不良と決め付けないで。お姉ちゃんのわからずや!」
不良だ、不良じゃないの応酬が続く。姉妹どちらともエキサイトしてしまい口論がなかなか収まりそうにない。
このままでは埒が明かないと思われたところ、怒りが頂点に達し堪忍袋の緒が切れたのは姉の理恵の方だった。彼女は我を失ってついに右手を振りかざしてしまう。
「ユミ、いい加減にしなさい!」
「ぐっ――!」
ぶたれると思って、由美は反射的に目を閉じて全身を硬直させた、その直後。
『ジリリリリ……、ジリリリリ……』
部屋中にけたたましく鳴り響く電話の呼び出し音。
その音を耳にするなり、理恵は振りかざした右手をピタッと止めた。
「あら、電話だわ」
理恵が電話機の傍へ駆けていくのを見て、由美は安堵感からホッと胸を撫で下ろした。どういう理由であれ、姉からぶたれるのは誰だって嫌なものだ。
夜八時過ぎに電話してくるなんていったい誰だろう?理恵は不審に感じながらも受話器を持ち上げる。
「もしもし、夢野ですが……えっ、お父さん?」
電話の相手は由美と理恵の父親であった。父親からの電話はそれこそ数か月ぶりのことで、理恵が唖然とした表情をするのも無理はない。
彼女たちの父親は外資系企業に勤めている会社員。一年ほど前、海外への商圏獲得のため妻である母親と一緒に海外へ出張していた。由美が姉のアパートへ引っ越したのもそういう事情があってのことだった。
「ううん、大丈夫よ。ユミも元気。仲良くやってるわ」
久しぶりの娘との会話、というわけで根掘り葉掘りいろいろと聞いてしまうのが父親というものだ。
理恵自身、会社員として毎日がんばっている。由美も高校三年生として毎日きちんと学校へ通っている。父親に余計な心配をさせまいとそう答えてしまうのが娘というものだ。
電話の応対をしている理恵の後ろで、由美は四つん這いになって静かに動き出した。姉からの説教、さらに父親からも叱責を受けるかも知れない。それが怖くなってしまった彼女が向かう先は玄関である。
姉に気付かれないようある程度のところまで進んだ彼女、勢いよく立ち上がると猛スピードで玄関まで走っていった。
「あっ、ユミ、ちょっと待ちなさい!」
時すでに遅し。理恵が気付いた時には、すでに由美が玄関から飛び出した後だった。
受話器を手にしながらあたふたと慌てふためく理恵。部屋の中で大声で叫んでも、逃げ出した妹が戻ってくることはなかった。
いったい何事だ?電話の向こうで何かしらの異変を感じ取ったのだろう、父親がすぐさま事情を説明するよう問いただしてきた。
「お父さん、実はね。ユミが不良と付き合いだしたものだから叱ったの。そうしたらあの子……」
* ◇ *
夜の帳が下りた住宅地の一角。肩を落としてひっそりと歩く少女が一人。
姉と口論の末、アパートを飛び出してしまった由美は行く宛てのないまま暗がりの路地を彷徨っていた。
優しくて時には厳しい姉は何よりも頼りになる存在だ。そんな姉と仲違いになるなんて当然ながら望んではいない。だが、拳悟のことを不良と決め付けて交際を反対されたらやっぱり許せない。
まるで家出のような行動に出たものだから姉はきっと激怒しているだろう、そして父親も憤慨しているに違いない。由美はアパートに帰るに帰れず路頭に迷うしかなかった。
「あら、ユミちゃんじゃない」
「――え?」
路地のど真ん中で、いきなり由美の名前を呼んだ女性がいた。由美がビクッと全身を震わせてその声のした方向へ目を向けると。
「せ、先生?」
「こんな遅くにどうしたの?」
目を丸くして驚きの表情をしているのは、由美の担任でありよき理解者でもある静加であった。
彼女は学校の過重労働が終わったばかりで、少しでもストレスを発散しようと思って友人である理恵のアパートへ向かう途中だったのだ。ちなみに彼女は理恵の高校時代の先輩でもある。
担任との突然の出会いに呆気に取られていた由美だったが、それから数秒後、安堵感からか瞳から涙が溢れ出してきた。姉との確執、そこに独りぼっちの心細さが輪を掛けたのだろう。
「せんせぇ~」
由美はむせび泣きながら静加の胸に飛び込んだ。
何が何だかさっぱりわからない静加。とりあえず話を詳しく聞かせてもらおうと思って、由美を連れて彼女のアパートとは反対側にある公園に向かうことにした。
* ◇ *
「ふ~ん、そうかぁ。やっと告白したのね」
静加は由美からここまでの経緯を聞かされた。拳悟への告白、それが実り幸せに包まれていたところ、彼との交際を姉の理恵から反対されてしまい口論の末アパートを飛び出してきたことなど。
姉妹のいざこざは別として、静加はまずはおめでとうと祝福の言葉を贈った。彼女は彼女なりに、由美と拳悟との関係を遠くから見守っていたようだ。
「先生。もしかして、わたしがケンゴさんが好きだったこと知ってたんですか?」
「もちろん。あなたたちの態度を見ていればわかっちゃうわよ」
態度だけで悟られてしまうものなのか。ということは、他のクラスメイトにも知られていたのかも……。そう思った途端、由美は恥ずかしくなって泣き腫らした顔を俯かせた。
それはそれとして……と一言漏らし、静加は深い溜め息を零した。由美を心から応援したいが、理恵の不良嫌いの原因を知っているからこそ困惑の表情も浮かべていた。
「……それでも、頭ごなしに怒鳴るなんてあんまりです」
忌まわしい過去があるから不良嫌いになった。姉が頑固一徹で意固地になるのは由美にも十二分に理解できる。だが、人間的に成長したであろう自分の気持ちも少しはわかってほしかった。
交際を反対されたばかりか、彼氏となった拳悟のことを不良呼ばわりされたものだから姉への不信感は募るばかりだ。
「先生はどう思ってますか? ケンゴさんは不良なんでしょうか?」
拳悟は根は優しくて誠実でたくましくてとても男らしい人だ。由美はそれを信じてやまないが、長きに渡り保護者の役目として彼を指導してきた静加の答えはどうなのだろうか。
「あの子は不良じゃないわ。ただの悪ガキね」
親を困らせる悪い子と例えると、静加は意地悪っぽくクスリと笑った。そういう教え子がいるからこそ教師の冥利に尽きると付け加えながら。
「彼がお利口さんかと聞かれたら肯定はできない。でもね、彼は決して不良なんかじゃない。それはわたしが保証するわ」
不良とは――。何をするにも無気力で世間すべてに対して反抗し、他者の迷惑も顧みず自分勝手に行動する者だ。
だからこそ拳悟は違う。彼は人生そのものをエンジョイし青春を謳歌しているだけ。喧嘩することはあっても、むやみやたらに誰かを傷付けたり貶めたりしない。クラスメイトから信頼されて尊敬されている理由はそんな彼の人間性にあるのだ。
ただ、遊びばかりで勉強熱心ではないところと派茶目茶高校創立以来の遅刻魔であるところは褒められないが。
「そうですよね。彼は不良なんかじゃないですよね」
由美はホッと胸を撫で下ろした。静加からの言葉は、由美の心を救ってくれてとても勇気付けてくれる応援メッセージとなった。
「ユミちゃんは知らないだろうけど、二年ぐらい前かしら。こんなことがあったの」
静加が記憶を思い返しながら語り出したのは丁度二年前、派茶目茶高校二年七組での出来事に遡る。
あくまでも生徒から伝え聞いた話らしいが、当時担任として受け持っていた二年七組ではいじめの問題があったそうだ。
いじめられていた生徒とは、おとなしくて頭が良いいわゆるガリ勉タイプ、名前は”クリモト”という。そんな彼がクラス内の風紀や調和を乱したという理由だけで、一部の生徒たちから暴力や嫌がらせを受けていた。
そこまでの話を聞いていた由美が一つの疑問に辿り着く。拳悟に勝、そして拓郎といった面々がそんないじめなんて容認しないのではないかと。
「その時ね、ケンゴくんたちはちょっとした悪さが原因で停学中だったのよ」
ちょっとした悪さについては触れなかったが、静加がそういう事情があったことを教えてくれた。
当時から拳悟たち三人が二年七組をリーダーとして仕切っていた都合もあり、彼らがいないタイミングを見計らっていじめという行為が横行したのだろうということだった。
「それで停学が解けてね、彼らが久しぶりに登校してきた日だったの」
拳悟たちが教室へ入ると、そこはいつもと変わらないごく普通の日常のままだった。だが、一つだけ不審な点があった。
髪の毛が乱れて顔色も優れない、よく見ると頬の辺りに青あざが残っているクラスメイトが一人いる。それがいじめられていたクリモトだった。
これぐらいなら転んで打撲しただけかも知れない。そう思うところだろうが、拳悟たちはそれに敏感に反応した。それはなぜかというと、一部のクラスメイトたちがどうもよそよそしい態度を示していたからだ。
「おい、俺たちがいない間に何か変わったことはなかったか?」
「い、いや、何もなかったよ」
拳悟からの問い掛けにすぐに応じたのは、いじめていたグループのリーダー格の一人。他の生徒に目配せをして告げ口は許さないと暗に示していることがはっきりとわかる。
いじめの被害者であるクリモトは黙り込んだまま俯いていた。下手な態度を取っていじめが発覚したらどんな報復があるか計り知れない。彼が縮こまるのも当然であろう。
そこへふらりとやってきたのは勝だ。彼は腰を低くして、椅子に座って俯いているクリモトへ声を掛ける。
「よう、クリモト。おまえ、顔の傷どうしたんだ?」
「……あ、あの、これはその」
クリモトの口から途切れ途切れに出た答え、それは自宅にいる時に滑って転んでケガをした時のもの、ということだった。
「ふーん、そうか」
「…………」
真実を言えなかった負い目であろうか、クリモトは勝の顔を見ることができずにずっと視線を下に落としたままだ。
勝はミラーグラスを外してもう一度問い掛ける。本当に転んだ時の傷なんだな?と。
まるで鋭利な刃物のような目つきで凄まれると、クリモトでなくても怖くなって萎縮してしまうだろう。彼はガタガタと全身が震え出して、痙攣したかのように口をパクパクとさせてしまった。
そんな臆病な少年をさらに追い詰めるかのごとく、勝の怒号にも似た大声が教室内に響き渡る。
「はっきり答えろ! ぶん殴るぞっ」
「ひ、ひえぇ! い、いじめられてました~!」
恐怖のあまり、ついにクリモトは真実を口にした。
勝が放つ威圧感が相当のものだったらしく、殴らないで、殺さないでと許しを請いながらクリモトは机の上に突っ伏して泣きじゃくっていた。
その告白に教室内が緊張感に包まれた。水を打ったように静まり返る中、いじめていた生徒たちの表情が瞬時に強張った。
クラスメイトの面々を睨み付ける拳悟。隠し事をされたことに憤りと苛立ちを露にした。しかし、ここで事を荒立てるようなことまではしなかった。
「真相が明らかになるまで待ってやる。もし、関わっていたヤツで謝りたいなら後で俺のところへ来な」
拳悟の目的はいじめていた生徒の排除ではない。彼は一つの目的のために被害者であったクリモトの傍へと歩み寄っていく。
「クリモト。これからちょっと付き合え」
クリモトが涙で腫らした顔をゆっくりもたげると、目の前には眉を吊り上げて真剣な顔つきをした拳悟が立っていた。
嘘を付いてしまった報復としてリンチに遭ってしまうのか。できることならここから逃げ出したい。足がガクガクと震えてしまうが、クリモトにそれを拒否することなどできなかった。
「は、はい……」
絞首台へ向かう死刑囚の気分であろう。クリモトが拳悟に連れ出された先とは、風が吹いて砂埃が舞うグラウンドの一角であった。
体育の授業がないせいか、グラウンドには彼ら二人きり。いったいこれから何が始まるというのだろか。不安と恐怖に心が支配されるクリモトは両足の震えが止まらない。
「クリモト」
「は、はい……!」
殴られて許してもらえるなら……。いじめにも耐えたクリモトはそう覚悟を決めてグッと両目を瞑って身構えた。
痛い拳が飛んでくる――と思いきや、拳悟から飛んできたのは意外な言葉だけであった。
「済まなかった」
「――え?」
それは謝罪の言葉。拳悟はクリモトに向かって頭を下げていた。
このいじめにより、二年七組のバランスの均衡が崩れてしまった。その結果を招いたのは、停学中でしばらく学校を留守にしてしまった自分のせいだ。それが拳悟の謝罪の真意なのであった。
「だから、気が済むまで俺を殴ってくれ」
「そ、そんなこと……!」
殴るなんてできるわけがない。クリモトはぶんぶんと頭を振ってそれを拒んだ。そもそも、彼にしたら拳悟を殴るいわれも理由もないからだ。
とはいえ、言い出したら聞かないのが拳悟という男だ。とにかく殴れの一点張り。彼にもクラスを仕切っている者の一人としてのプライドがあるのだろう。
「さぁ、早く殴れっ」
「で、できませんよっ」
「パンチぐらいできるだろ。おまえは勉強以外何もできないのか?」
実際のところ、クリモトは真面目で勉強一筋の少年。両親に一度たりとも歯向かったことなどない。こんな優等生がどうして派茶目茶高校に?と疑問に思ってしまうが。
そんなおとなしい彼でも、拳悟から繰り返し繰り返しけしかけられると、心の中に押し込めていた何かが燻り始めた。それは暴力や暴挙といった行為をしてはいけないという価値観のようなものだ。
さぁ来い、さぁ来い、さぁ来い。その一言一言が暗示のようになり、クリモトの理性がどんどん狂い始めてきた。そして、気付いた時には握り拳を振りかざして突進を開始していた。
「うわ~~~!!」
『ガツッ――』
クリモトのがむしゃらの一撃が拳悟の顔面にヒットした。思った以上の勢いのせいか、拳悟は後方に仰け反りそのまま尻餅を付いてしまった。
その時、クリモトは放心状態に陥っていた。激しい息遣い、滴り落ちる汗、この上ない疲労感。まるで自分が自分ではないような感覚だった。
それから数秒後、いざ我に返ってみると、殴られて尻餅を付いている拳悟がそこにいるではないか。
「ひ、ひぃぃ~! ユ、ユウキさん、ごめんなさい……!」
とんでもないことをしてしまった――!クリモトは慌ててひざまずくなり土下座をした。
うずくまりながら全身をガタガタと震わせている彼。どんな仕返しが待っているのだろうか、死刑執行を前にしてただただ怯えるしかなかった。
「クリモト、顔を上げろよ」
拳悟に促されてクリモトは静かに顔を上げた。――すると、彼の潤んだ視界に映った拳悟の表情は、怒りに満ちたものではなくさわやかな笑顔だった。
「いいパンチ持ってるじゃん。おまえ、強いんじゃねぇか」
クリモトは唖然としていた。殴り返されるならまだしも、まさか励まされるなんて思ってもみなかったからだ。
キレがあって重みのあるストレートだった。拳悟はクリモトの潜在能力を高く評価した。これならいじめっ子に負けたりせず、相手を打ち負かすぐらいの力を持っているだろうと。
そういわれても、クリモトが素直に喜べるはずがなかった。暴力を振るうような悪ガキではないし、いじめていた生徒たち相手にやり返したり喧嘩するほどの度胸まではないのだから。
「クリモト、よく聞け。この世に生まれたからにはな、自分らしく生きる権利があるんだ。何者にも縛られない自由な人生をな」
自分らしく生きるとは――?それは誰にも命令されたり指示されたりせず、自分がこうと決めた人生を歩んでいくこと。その誰もがたとえ愛すべき両親や教師であったとしても。
もちろん、いじめっ子連中であってもこうと決めた人生を邪魔する権利はない。邪魔されるのであれば、自由を勝ち取るため、そして自分らしく生きるために闘わなければならない時がある。
「たまにはさ、親に反抗してみろよ。先生にだって文句言ったっていいんだぜ。おまえをいじめてるヤツに一発お見舞いしてみろよ」
拳悟は歯を見せて清々しく笑った。落ちこぼれと呼ばれていても、劣等生と汚名を着せられていても、彼はそれをまったく気にせず自分らしく自由に生きている。
そんなはつらつとした彼を見て、クリモトは目から鱗が落ちる思いだった。やられたらやられっ放し、勉強だけがすべてと教え込まれてきた己の人生に空しさを感じた瞬間でもあった。
「ユウキさん、ありがとうございます。できるかわからないけど、やってみます」
「ケンゴでいいって。俺たち同級生じゃねーか」
男子二人はここで固い握手を交わした。お互いの中に生まれた友情の絆が手を通してお互いの心に伝わった。
その後、多少時間は掛かったもののクリモトはいじめていた生徒を相手に抵抗するようになった。やられたらやり返す、自分らしく生きる自由をその手に掴むために。
――ここで、静加の記憶の回想シーンは幕を下ろす。
「ケンゴくんってそういう男の子なのよ。正義感が強くて仲間思いで。だからみんなから頼られて好かれるんだよね」
静加から一連の話を聞かされて、由美の心はほっこりとして暖かくなった。自分が好きになり愛した人が、誰からも好かれる魅力的で素敵な人だったのだと改めて実感できたから。
心の中はほっこりしても、ベンチに腰かけていたお尻はやっぱり冷たくなってしまう。彼女たちが公園で話し込んで早一時間が経過しようとしていた。
「どうするユミちゃん? あたしから理恵を説得しようか」
「たぶん、説得しても聞く耳を持ってくれません」
自宅に帰りたくない、でも帰らないわけにもいかない。家出となった今、当然ながら姉も心配しているに違いない。このままでは余計に家族の不和が大きくなってしまうだろう。
動くに動けずに途方に暮れている由美、それを見るに見兼ねた静加が一つだけ提案してみる。それは。
「ねぇ、今夜は先生の家に泊まる?」
「え。いいんですか?」
今の由美にしたらそれこそ渡りに船というやつだ。ホテルでの宿泊や野宿などできるはずもない彼女、身近な人の家で一泊できるのは願ったり叶ったりと言えるだろう。 しかも、姉の友人でもある静加の家ともなれば反対される可能性も低い。
静加からの提案を遠慮なく快諾した由美。そうと決まればということで、静加は公園内にある公衆電話から理恵へ電話を掛けた。
「――そういうわけだから、いいわよね」
「――ええ。先輩、今夜はよろしくお願いします」
事情を聞かされた理恵はいきなりのことで戸惑ってしまったが、相手が信頼のおける先輩ならば安心して預けられるだろうと思い了承の意思を示した。感謝の気持ちも伝えながら。
「よし、行こうか」
「はい。今夜はお世話になります」
帰路へ向かうために公園を後にする女性二人。まだ夕食を済ませていなかったということで、おいしいラーメンでも食べてから帰ろうと話し合いながら夜闇の中へ紛れていった。
* ◇ *
その日の夜、由美と静加の二人は枕を並べて楽しく語らった。
由美の実家のある街の話題。静加の学生時代の話題。そして女性二人ならではの恋愛観の話題など。
姉との確執で気を落としていた由美だったが、静加という心強い味方ができたことで幾分か気持ちが和らいでいた。そのおかげで、いつもと違う枕でもぐっすり就寝することができた。
そして、翌日の朝。
「それじゃあ先に行くわね。家の鍵は登校してから返してくれる」
「はい、わかりました。遅刻しないように出掛けます」
朝礼があるため静加は一足早く学校へ向かう。由美は彼女から少し遅れて登校することになった。
外泊を想定せずに飛び出してしまったので、由美は制服以外の身支度を静加から借用することになった。さすがは大人の女性のインナーウェア、サイズが若干合わなくて違和感は否めない。
時刻は朝八時を回ったばかり。由美が校門を潜ってみると、始業時間までまだまだ余裕があるということで校舎へ向かう生徒の群れは当然少ない。だが、人一倍朝が早い三年七組のクラス委員長は違う。
「スグルくーん!」
「おお、ユミちゃんか」
満面の笑顔を浮かべて駆けてくる由美、それを清々しい笑顔で迎え入れる勝。
「朝から随分と明るいな。昨日はあんなに落ち込んでいたのに」
「えへへ。それは明るくなれる理由があるからだよ」
明るくなれる理由――?その言葉に勝はピンと来た。これはもしかすると、拳悟にまつわる話で何かしら進展があったのだろうと。
「まさか、ケンゴに告白したんじゃあるまいな?」
「おかげさまで」
由美は照れくさそうにはにかんだ。その嬉しそうな照れ笑い、それを見るなり勝ははっきりとわかった。告白がうまくいったに違いないと。
「そうか、どうやらうまくいったようだな。おめでとう!」
「うん、ありがとう。スグルくんのおかげだよ」
「俺のおかげじゃねーさ。ユミちゃんが勇気を振り絞った結果だよ」
彼女であるさやかにもいい報告ができる。勝はうんうんと頷きながら、協力者の一人として由美のことを心から祝福した。
機会があれば、ダブルデートもできるなんて弾んだ会話をしながら校舎内へ入っていく彼ら二人。このお祝いムードは当然ながら、他のクラスメイトが集まってからますます盛り上がるのであった。




