第四十一話― 不良たちの恋する季節 春②(1)
春は恋の季節である。満開だった桜の花びらが散り始めると、恋の盛りが終わってしまうのではないかと寂しい気持ちになる。それでも、まだまだ恋が実るのではないかと淡い期待もしてしまう。
前回、一つの恋が実ったエピソードを紹介したが、今回はもう一つのエピソードを紹介しよう。
物語の舞台は派茶目茶高校三年七組の教室から始まる。
「そうか、そうだったのか。それは助かったぜ」
腕組みしながら椅子に踏ん反り返っているのは、このクラスの委員長を務める勝であった。そんな彼を取り囲んでいるのは、親友である拳悟と拓郎、そして由美の三人である。
「俺たちが必死になって頼んだんだぞ」
「そうだぞ。俺たちに感謝しろよな」
「次回はちゃんと準備して、しっかり受検しないとだね」
この四人は何の話をしているのだろうか。それを説明しておこう。
勝にとって卒業の条件であった英語検定の受検と合格。彼はそれを捨ててまで、引っ越しで遠くへ行ってしまうさやかの元へ走った。卒業よりも、いつも傍にいてくれようとした彼女を失いたくなかったからだ。
その現場に居合わせていたのが由美だった。拳悟と拓郎は彼女からその事実を聞かされると、すぐさま英語検定の担当である静加のところへ急行するなり直談判した。
どうか卒業のチャンスを与えてやってほしい、不器用な男が初めて素直になったのだから。拳悟と拓郎の親友を思う熱意にさすがの静加も突き動かされたのだろう、何とか対応策を練ってくれた。
その結果、今期にもう一回実施される英語検定に受検し合格できれば卒業の資格を与えるということになった。
これは当然、校則に反しており本当なら認められてはいない。だから静加は静加で、教頭やら学年主任相手に特例措置にしてもらえるよう奔走してくれたおかげなのである。
「感謝してるに決まってるじゃん。おまえらは最高の友だよ。はっはっは」
勝は拳悟と拓郎の肩をポンポンと叩いて労をねぎらった。卒業のチャンスが与えられて嬉しさいっぱいの勝であるが、高笑いする理由は何もそれだけではなかったりする。
「それにしてもよ。さやかとはうまくいってるみたいだな」
「やってくれるよな。まるでドラマみたいな展開じゃねえか」
拳悟と拓郎の話題はもちろん勝とさやかのことだ。
勝が引っ越し前の彼女を連れ出して矢釜川の河川敷まで逃げ出したあの日、あれからどうなったのかというと――。
河川敷を離れてから矢釜中央駅周辺をぶらぶらと歩き、ファミリーレストランで食事を済ませた。これからどうしようかと相談したが、さすがにいつまでも逃げ続けるなんてできない。
彼ら二人はしばらく悩んだ末、しばらく話し合った挙句、行く場所も思い付かず結局彼女の自宅へ戻ることにした。
当然ながら、自宅に待機していた彼女の両親にこっぴどく怒られてしまった。勝はそれこそ殴られる覚悟で必死になって詫びた。土下座をして、何度も何度も頭を地面に打ち付けながら。
どうか許してほしい、どうか交際を認めてほしい。勝の掠れた声とさやかの泣き叫ぶ声を聞いて、父親と母親もどうにか怒りを静めてくれた。
それぞれが冷静になるまで多少の時間が掛かった。それでも何とか話し合いの場を設けてもらい、条件付きではあるが勝はさやかとの交際を認めてもらうことになった。
「さやかは転校が決まってたから引っ越しちまったけどな。会えないのは寂しいけど、毎日のように電話で仲良くやってる」
条件というのもそんなに複雑ではなく、単純に”お互いがきちんと高校を卒業すること”であった。高校卒業後は進学だろうが就職だろうが、お互いが好きなようにやればいいだろうとのことだった。
というわけで、勝とさやかの二人は晴れて恋人同士の関係となり、ただいま遠距離恋愛中なのである。
「おまえらもさ、とっとと俺みたいに彼女作れよ。楽しいことがいっぱいだぞ。はっはっは!」
「このやろう、調子に乗りやがってっ」
「よし、少しばかりいじめてやろうぜっ」
拳悟と拓郎の手によりくすぐりの刑に処された勝。これも、幸せ者の親友を祝福してやろうという粋な計らいであろうか。
時々ケンカしたりいがみ合ったりもするが、ハチャメチャトリオ三人の友情は固い絆で結ばれている。それを知っているからだろう、由美はニッコリと微笑みながら男子三人のじゃれ合いを眺めていた。
* ◇ *
とある日の放課後。ここは派茶目茶高校。
屋上に向かって階段を上っていく女子生徒が一人、それは由美。彼女は放課後に屋上へ来るよう呼び出されていた。
(スグルくん、何の用事なんだろう?)
由美を呼び出したのは勝であった。思い当たる節もなく、彼女は少しばかり緊張気味で屋上までやってきた。
屋上に一歩出てみると、強い風がしなやかな黒髪を乱れさせた。彼女は髪の毛を整えながら待ち合わせ相手の勝を目で追った。
彼を見つけるまでそう時間は掛からなかった。彼は手すりにもたれかかり、東方向に流れていく白い雲をぼんやりと眺めていた。
「スグルくーん、お待たせ」
「悪かったな、ユミちゃん」
屋上には、勝と由美の他に生徒の姿はどこにも見当たらない。人気の少ないこういう場所を選んでいるということは、それ相応の事情があったということなのだろうか。
わざわざ放課後にここへ彼女を呼び出した理由、それは話しておきたいことがあったからだと彼は言う。
「さやかのことでは世話になったね。ありがとう」
「ううん、とんでもない。さやかちゃん元気ですか?」
「ああ、アイツはいつものまんまだよ」
さやかにとって、由美は何でも話せる良き相談相手であった。離れ離れになった今でも、彼女たち二人は心を通わせる親友同士だ。
さやかの相談の中心は当然ながら勝のことだった。突き放されて心が折れそうになった時、由美がいつも親身になって応援してくれたおかげで、さやかと勝は相思相愛の仲になれたのかも知れないわけだ。
こればかりではなく、由美は卒業のチャンスに関しても救世主となってくれた。人に礼をすることに慣れていないせいか、彼はちょっぴり照れくさそうにしながら感謝の気持ちを伝えた。
それを見て、由美は謙遜しながら照れ笑いを浮かべた。彼女自身、クラスメイトとして当然のことをしたつもりだ。彼女だって彼と一緒に卒業したいと思っている者の一人なのだから。
「お話ってそのことだったんですか?」
「いや。話はこれとは別だ」
いよいよ、ここからが本題のようだ。わざわざ屋上で二人きりになった理由がこれから明らかになる。
「ユミちゃんさ、好きな男はいるのかい?」
「え――?」
由美の心臓がドキッと高鳴った。思ってもみない質問だったのか、表情に少しばかり動揺の色が見える。
「――い、いないですよ」
好意を寄せる男性の存在を由美はすぐさま否定した。それが自分自身に嘘を付いていると気付いているはずなのに。
「本当にか?」
「う、うん。いないよ……」
勝はミラーグラス越しの目でギロッと由美のことを睨み付ける。後ろめたさがあるのだろう、彼女は彼から視線を逸らすように顔を俯かせた。
「…………」
「…………」
――しばしの沈黙。正直に答えてくれない由美に勝はとうとう痺れを切らした。
「正直に言え!」
「ひえっ!?」
あまりにも怒鳴り声が大きいものだから、由美は心臓が破裂しそうなほどびっくりした。慌てて顔を持ち上げると、ほんの十数センチメートル先には彼の仏頂面があった。
「ケンゴが好きなんだろ?」
「……は、はい」
半ば脅されたとはいえ、ついにひた隠ししてきた想いを口にしてしまった。恥ずかしさのあまり、由美は蒸気を吹き出さんばかりに顔を真っ赤にした。
「やっぱりか。あんなヤローのどこがいいのかねぇ」
薄々感じてはいたが、こうして由美の本心を知るに至った勝は呆れたような顔をして溜め息を漏らした。
女の子にだらしなくて軽薄を絵に描いたような男、勝には拳悟がそんな風に映っていたであろうが、由美にしてみたら男らしくてたくましくてカッコいい、おしゃれな快男子に映っていたであろう。
「告白しないのか?」
「恥ずかしくてできないよ……」
由美は真っ赤な顔を俯かせる。男性不信だったせいもあってこの歳まで交際経験はゼロ、だから男性に告白なんてしたことがない。
「ずっとこのままでいいのかい?」
「……本当のところ、よくわからない」
拳悟に好意を寄せているのは事実だが、恋人同士になりたいかと聞かれるとはっきりと肯定できない自分がいる。とはいえ、拳悟もいずれは彼女を作るだろうと勝からそう言われると気持ちが焦ってしまう自分もいる。
きっとそれこそが、男性と一度も交際したことがない純情な少女の戸惑う本音なのかも知れない。
「……それに、ケンゴさんが好きかどうかわからないもん」
告白ができない理由はもう一つ、それは拳悟の本心がわからないこと。
彼は女の子の誰にでも優しい紳士だ。だから自分にも優しく接してくれるから、彼が好きなのか好きではないのかはっきりしない。
好きなのかどうか知りたいが、知ってしまうことへの恐れもある。恋愛に奥手な少女の揺れ惑う心を象徴しているかのようだ。
そんな女心などまるっきり理解できないのは勝だ。短気のせいもあるのだろうが、いつまでも煮え切らない由美の態度に苛立ちを覚えてしまいつい声を荒げてしまうのだった。
「自信を持てよっ。ケンゴだってユミちゃんが好きなんだぜ!」
執拗に告白するよう急かしてくる勝。どうしてここまで真剣になるのだろうか?由美にはそれが理解できなかった。それを問うてみると、彼から意外な答えが返ってきた。
「俺が、ユミちゃんを好きだからだよ」
勝は確かに由美のことが好きだった。拳悟に奪われるぐらいなら、ダメでもともとでもいいから告白してしまおうとさえ考えていたぐらいに。
好きという気持ちはなかなか忘れられるものではない。さやかと付き合い始めてからも、その想い焦がれていた気持ちが心のどこかで引っ掛かっている。だからこそ、由美に彼氏ができればそれも綺麗さっぱり忘れられるだろう。
「さやかと付き合ってるくせに、何を言ってるんだって思うかも知れないけどさ。これが男心なんだってわかってほしいんだ」
由美はますます戸惑うばかりだった。勝からまさかの告白をこんな形で受けてしまったのだから。それでも、深い意味ではないと聞かされて彼女は少しずつ冷静さを取り戻していった。
「俺も協力するからさ。告白しちゃいなよ」
今の勝としては、さやかとの仲を応援してくれた由美にもハッピーになってもらいたいという思いがあった。ただ、相手が拳悟なのはいささか納得がいかないところだが……。
拳悟への告白――。もしかすると、これまでの人生で一番勇気が試される場面ではないだろうか。由美は葛藤に苛まれつつも、たった一つの答えに辿り着いた。
「……うん」
由美は決心した。たとえ想いが届かなくても、それがきっかけでぎこちない関係になったとしても、このまま黙っているよりも正直な気持ちを伝えた方がきっと後悔しないだろうと。
* ◇ *
その日の夜。
成り行きとはいえ、想いを寄せるクラスメイトである拳悟へ告白をすることを決意した由美は、自宅へ帰ってからも不安と戸惑いの心境であった。
果たして彼は受け入れてくれるのだろうか。軽くあしらわれてしまったらどうしよう。学校に居づらくなってしまうのではないか。考えれば考えるほど、結果が悪い方向へ進んでしまうのは自信がない証だろうか。
テレビを見るでもなく、読書をするでもなく、ただただ焦点の合わない何かを見つめながらボーっとしている彼女がそこにいた。
「ユミ、どうかしたの?」
「――え?」
姉の理恵に声を掛けられて、妹の由美はハッと我に返った。
「ううん、何でもないよ……」
「そう? それならいいんだけど」
妹の様子がいつもよりおかしい。一緒に暮らしている姉であればそれなりに気付くものだろう。ただ、しつこく問い詰めるつもりはなかった。
これから夕食ということで、テーブルの上に料理の品々が並んだ。理恵と由美は向かい合い、いただきますと声を揃えて両手を合わせる。
今夜の料理、メインディッシュは豚肉の生姜焼きである。ちなみに味付けは市販の生姜焼きの素を使っている。OLである理恵に下ごしらえから準備するほど時間に余裕はないというわけだ。
「うんうん。市販の素でもなかなかいい味になるものね」
豚肉とご飯を頬張りながら、理恵は料理の出来具合に満足げな表情だ。市販の製品や即席のお惣菜は、会社勤めで忙しい人にとっては強い味方といえるだろう。
おいしい料理でお腹を満たしている姉をよそに、お箸を握ったままボーっと料理を眺めているだけの妹がいる。いわゆる、箸がまったく進んでいない状態であった。
これはどう見てもおかしい。理恵はそれに気付くなり由美に声を掛ける。
「ユミ、何かあったの?」
「え? う、ううん、何でもないよ」
手を振ってごまかそうとした由美だったが、これが二回目、相手が姉ともなればそう簡単にごまかせるものではない。
「嘘おっしゃい! お料理に手が付かなくなるほどボーっとするなんてそうあるものじゃないでしょう」
「…………」
由美は押し黙ってしまった。箸を置いて伏し目がちになる。
ここですべてを打ち明けるべきであろうか。告白の相手は、姉の理恵が執拗に毛嫌いしているあの拳悟である。もし打ち明けるや否や、真っ向から反対されてしまうかも知れない。
だからといって、このまま内緒にしていたとしてもいずれは姉の耳に入ってしまうのではないか。それならば、拳悟という人物を何とか理解してもらうためにもここで正直に打ち明けるべきではないだろうか。
彼女は意を決してそう思い立ち、理恵に洗いざらいすべてを告白することにした。
「お姉ちゃん、あのね。……わたし、好きな人がいるの」
ごくありふれた言葉なのに、今の由美にしたらとても勇気のいる告白だ。表情も真剣そのもので緊張感すら伝わってくる。
その一方で、理恵はというと唖然とした顔で衝撃を受けていた様子だった。妹に好きな男性ができたのなら、普通だったら喜んだり冷やかしたりするものだが彼女の場合は少しばかり違う。
それもそのはずで、由美はこれまで男性との交際経験はなし、しかも男性不信なのである。それを知っていただけに、理恵が衝撃を受けてしまうのも無理はない。
そうは思っても、由美だってもう高校三年生で年頃の女の子だ。好きな男の子ができても何ら不思議ではないだろう。
「そうなの。まさかあなたからそんな話を聞くなんて予想もしてなかったわ」
妹に好きな男性ができるのは悪いことではない。理恵は食事を一時休止して由美の話に耳を傾けることにした。
「それでね、その人に告白することに決めたの」
「へぇ、それで相手はどんな人?」
「クラスメイト……。お姉ちゃんも知ってる人……」
クラスメイトで知っている人物とは――?理恵は腕を組んで思案してみる。
よくよく考えてみたら、由美がクラスメイトを自宅アパートへ連れてきたことなど一度もなかった。ということは、自宅アパートとは別の場所で顔を合わせているということか。
それから数秒後、彼女の脳裏に浮かんでくる人物像。それは、派茶目茶高校というハチャメチャな高校ならではの不良たちの顔ぶれであった。すると、彼女の顔色がみるみる青ざめていく。
「ま、まさか……。あの不良たちじゃあないでしょうね?」
「…………」
由美は返答できずに口をつぐんだ。その沈黙こそ、理恵の言う通りだということを暗に示すものだった。
「ダメよ、ダメダメ、ダメに決まってるでしょっ!」
理恵は目くじらを立てて怒鳴り声を張り上げた。過去の苦い経験により彼女は筋金入りの不良嫌い、妹が不良を好きになるなんて当然許せるはずがない。
「あんな連中を好きになるなんて! 告白だなんてとんでもないわ!」
大方の予想通り、姉に真っ向から反対されてしまった。ここでいつもの妹ならおとなしくなるところだが、今夜ばかりは感情が高ぶっているせいか黙ってはいられなかった。
「お姉ちゃんに反対される筋合いなんてない!」
「な、何ですって!?」
「誰を好きになろうが、誰に告白しようがわたしの勝手じゃない!」
由美の言うことは正論だ。いくら姉とはいえ、妹の恋路を邪魔する権利はない。誰を好きになろうと誰と付き合おうと本人の自由だ。そもそも恋愛とはそういうものである。
自由恋愛を訴え、真っ赤な顔をして反抗する妹。それを見た姉はショックを隠せなかった。あのおとなしい由美が、まさかここまで口答えするなんて想像もしていなかったからだ。それだけ真剣だったとも言えるだろう。
それからというもの、話は平行線を辿るばかりで結局物別れに終わった。姉妹水入らずの賑やかになるはずの夕食が、居心地が悪くてひっそりとしたまま過ごすという結果となってしまったのは言うまでもない。
* ◇ *
翌日の朝、由美は身支度を整えるなりいつもよりも早く自宅アパートを出た。
自宅アパートにいたら姉との会話がなく居心地が悪い。とはいえ、学校に着いたら着いたで拳悟への告白という勇気ある決断が迫っている。彼女の心境はまさに混迷を極めていた。
それでも、どんなに足取りが重たくても登校しなければいけない。彼女は戸惑いを浮かべながら矢釜東駅から矢釜中央駅行きの電車へ乗り込んだ。
(昨日はあんなに大見得切っちゃったけど、正直言って自信ないなぁ)
由美は吊り革に掴まりながら、車窓から流れる外の景色をぼんやりと眺めていた。
昨日の放課後、勝からさも誘導させられた挙句の果て告白することを決心した。そして、姉の理恵の前で告白するとさも自信満々に豪語した。勢いに任せてしまったことを今になって後悔してももう遅い。
引っ込みが付かなくなった彼女はちょっぴり途方に暮れていた。もしかすると、拳悟との関係は親友同士のままでいいのではないか、そんな考えが頭の中で浮かんでは消えていった。
気持ちの整理が付かないまま、彼女を乗せた電車は矢釜中央駅へ到着した。通勤通学の人々に紛れながら、彼女は混雑する改札口を抜けていく。
(もう一回、スグルくんに話してみようかな……)
学校に到着したら真っ先に勝に相談してみよう。告白の撤回について――。
そうと決まれば急がねば。由美の歩くペースが速くなっていった。それこそ、競歩のレースに出場しているかのごとく。
それから十分少々経過し、彼女は派茶目茶高校まで辿り着いた。目指す先はもちろん三年七組の教室だ。
始業時刻まで三十分ほどあるが、いつもの勝だったらすでに登校しているはずだろう。彼女の歩調はどんどんペースアップしていく。
いよいよ三年七組の教室の前までやってきた。彼女は逸る思いで教室のドアを開けた。
「よう、おはよう」
「あっ、スグルくん、おはよう」
由美の期待を裏切らず、勝はいつも通りにすでに教室内にいた。クラス委員長である彼は、遅刻回数の少なさだけなら優等生だったりする。
彼がいてくれたことに安堵の吐息をつく彼女。挨拶もそこそこにして足早に彼の元へと向かう。
「あのね、スグルくん。昨日のことなんだけど……」
拳悟への告白を振り出しに戻したい、もう少し慎重に考えさせてほしい。由美がそう言おうとした直後、勝はニカッと歯を見せて自らの胸をドンと叩いて見せた。
「おう、俺にすべて任せておけよ。告白のチャンスを作ってやるからさ!」
「いや、あの、そのことなんだけどね……」
「今考えてるのが、教室の移動のタイミングを見計らって――」
由美の気持ちなどお構いなしに、勝はどんどん告白大作戦のプランを口滑らかに語っていく。告白までのお膳立てを考えるのが楽しくてたまらないのだろう。
そんな彼の精力的な協力も、今の彼女にしたら余計なお世話というやつだ。ありがたいという思いとは裏腹に、自分の揺れ動く気持ちもわかってほしいと願うばかりだ。
「スグルくん、待って。わたしの話を……」
とにかく切り出さなければ。勝の話を遮るように由美は冷や汗を飛ばして声を張り上げた、その次の瞬間――。
『ガラガラッ』
教室の後方のドアが開いた。勝と由美は反射的にそちらの方向へ目を向ける。
(えっ――!)
由美は思わず心の中で叫んだ。教室へ入ってきた人物に驚いたからだ。
教室に入ってきたのは、彼女たちの親友である拓郎と麻未、そしてこんな早い時刻に登校するなんて大変珍しい遅刻常習犯の拳悟だったのだ。
始業開始ギリギリではないことに加え、話題の中心人物がやってきたものだから由美の驚きもそれはもう半端ではない。当然ながら、勝との会話も中断せざるを得なかった。
「ようケンゴ。おまえ今日はやけに早いじゃないか」
これには勝もびっくりしたらしく、その理由を問いたださずにはいられなかったようだ。
拳悟は大きなあくびを一つしてから、すぐ隣にいる麻未へ目配せをする。さも、コイツのおかげと言わんばかりに。
「新学期になってから最初にどっちが遅刻するか賭けてんだよ」
麻未もご存知の通り、拳悟と同じく遅刻組と言われる者の一人だ。幸運なことに、彼ら二人は三年生になってからまだ一度も遅刻がなかった。最終学年ということで心を入れ替えたのかも知れないが。
ちなみに賭けというのは、先に遅刻してしまった方がもう一方に高級焼き肉店でディナーをご馳走するというもの。お互い、なけなしのお小遣いをかけた熾烈な争いを展開しているというわけだ。
「ケンちゃんに負けるわけないと思ったけど。お金がかかるとムキになるんだもん。困ったもんだわ」
「俺は負けねぇぞ。絶対に焼肉おごらせてやるからな」
どちらが負けるにせよ、この二人が遅刻をしないのならばそれはそれで結構なこと。日頃から頭を悩ませている担任の静加にしてみたら、賭けでも何でもどんどんやってほしいと願いたいところだろう。
それはさておき、拳悟への告白大作戦の延期が叶わなかった由美はどうしているかというと、彼のことが直視できずに顔を俯かせていた。心臓がドキドキバクバクと高鳴り、顔も真っ赤に染まっていた。
それもそのはずだ。まさに今、告白を迫られている意中の男子がすぐそこにいるのだから。照れ屋さんの彼女でなくても緊張してしまうのは無理もない。
「よっ、ユミちゃん、おはよう」
拳悟は由美を見掛けるなりさわやかな挨拶をした。すると、彼女はまごまごしながらそれに応答する。
「お、おは、おはよう、ご、ございます……」
「ん? どうかしたのか、顔がずいぶん赤いけど」
いつもよりもおどおどしているから異変を感じたようだ。拳悟がそれを心配して具合を尋ねてみると、由美は内心を悟られまいと躍起になってごまかそうとした。
「だ、大丈夫だよ。ちょっとリンゴ病にかかっちゃって。で、でも、す、すぐによくなるから!」
もちろん、由美はリンゴ病など発症していない。ちなみにリンゴ病とは、幼児の頃に好発するウイルスが原因の感染症のこと。両頬が真っ赤になるので別名でリンゴ病と呼ばれている。
それが嘘だと当然気付くはずもなく、拳悟は早く治るといいなと彼女のことを気遣った。彼はそもそも、リンゴ病が病気であるとわかっていてもそれがどんな病気なのかまったく知らない。
どうにか深く追求されないまま事なきを得た彼女であるが、彼への告白という重大なテーマは継続中のままだ。
彼女の本心そっちのけで、勝の全面的な協力により告白大作戦は一時限目と二時限目の間の教室移動の時に決行される。果たして、この結末はいかなることになるのやら。




