第四十話― 不良たちの恋する季節 春①(1)
季節は春。
春は曙、春うらら、春眠暁を覚えず、プラハの春。春にはさまざまな趣のある言葉がある。それぐらい、春は人にとって印象深い季節なのだろう。
春は恋の季節でもある。桜がピンク色の花びらを咲かせる頃、誰もが恋の予感を意識してしまう。成就する恋もあれば儚く散ってしまう恋もある。恋にもいろんな形があるものだ。
ここにも、なかなか恋が実らない男女二人組がいる。二人は矢釜中央駅の近くにある映画館「矢釜シネマ」へとやってきていた。
鑑賞していた映画はアメリカのハリウッド作品。本国で大ヒットとなり、日本で公開されるや否や初日から行列ができて話題沸騰。日本でも有名なハンサム俳優が活躍するその映画のタイトルは「バック・トゥ・ザ・バーチャン」という。
時刻は正午を少し回ったばかり。映画鑑賞を終えた二人が映画館の雑踏の中から姿を現した。
「おもしろかったね、バック・トゥ・ザ・バーチャン。ラストシーンのお婆ちゃんの演技が素敵だったな」
映画の感想を語るのは高校二年生の女の子。茶色に帯びたショートボブの髪型、パッチリとした丸い瞳が特徴の彼女の名前は錦野さやか。聖ソマラタ女子学院という女子高校に通っている。
今日は男の子とデートということで、胸にリボンのワンポイントがあるセーラー服っぽいトップスとフリルをあしらったミニスカートでおしゃれをしていた。
デートのお相手である男の子の方はというと、機嫌が悪そうにぶすっとした表情をしながらパンツのポケットに手を突っ込んで前を見据えたまま歩いていた。映画が余程おもしろくなかったのだろうか。
彼の名前は任対勝。ショートウルフの髪型が特徴で、ミラーグラスとスタジアムジャンパーをこよなく愛する派茶目茶高校に通う高校三年生だ。
この二人は本日デートをしているのだが恋人同士というわけではない。さやかが一方的に好意を寄せているものの、勝は彼女にあまり興味がないのかいつも邪険な態度ばかり取っていた。
「ねぇ、スグルくん。お腹空いてない? 駅前にさ、おいしいケーキがあるお店があるんだけど行こうよ!」
「腹減ってねーわ」
さやかに声を掛けられると、勝は素っ気ない返事をする。
「そう? それじゃあ、どこか遊べるところへ行こうか?」
「いや、もう疲れたから帰るわ」
さやかは乗る気でも、勝はまったく乗る気でない。この二人からはデートを楽しんでいる様子を見て取ることができなかった。
「ちょっと待って、せっかくのデートなんだよ。あたしと一緒にいるのがそんなにつまらないの!?」
勝の素っ気ない態度にイラッときてしまい、さやかは口を尖らせて苦言を呈した。
デートであれば、映画を見たり食事をしたり買い物を楽しんだりしたい。それが彼女の本音なのであるが、彼にも彼なりの言い分があった。
実際のところ、彼は無理やりデートに引っ張り出されたのだ。彼女から緊急の用事があるから来てほしい、今日でないと大変なことになる。そう懇願されていざ来てみたら、緊急の用事などなく先ほど鑑賞した映画の公開最終日だった。
それを知った時点で怒り爆発ですぐにでも帰宅するところだが、直情型の彼だって思いやりぐらいは持ち合わせている。映画だけなら付き合ってやる、だから感謝ぐらいしろ。彼は言葉にこそしなかったがそう言いたかったわけだ。
「というわけで、今日はこれにておしまい。じゃあな」
さやかの気持ちなどお構いなしに、勝は一人きりでそこから去っていった。
映画館前の路地で一人残されてしまった彼女。悔しさと寂しさが混じったような表情を浮かべながら、しばらくその場で途方に暮れるしかなかった。
彼女と離れてからというもの、勝は行くあてもなく賑やかな市街地を彷徨い歩いていた。家に帰る気分でもない、だからといってゲームセンターに行って遊ぶ気分でもない。その表情から空しさすら感じられた。
(さやか、すまんな。俺にだって俺の気持ちってもんがあるんだ)
さやかのことは嫌いではないが、好きという感情でもない。どちらかといえば妹のような存在であろうか。年齢が二つ年下であり、性格が甘えん坊という理由もあるからなのかも知れない。
それでは、勝の気持ちにあったものとは――。彼には好きな女の子がいる。それは同じ学校のクラスメイトであり一つ年下の女の子。清楚で愛らしく、優しくてお淑やかな美少女。その名前は夢野由美という。
彼は焦っていた。告白すべきなのか、それとももう少し待った方がいいのか。もし告白したとしても断られた時の精神的ダメージに耐えられるのだろうか。彼は自分の気持ちに正直に向き合うべきか悩んでいた。
(どうしたらいいんだ。このままだと、あのヤローに取られちまう――!)
あのヤローとは誰なのか。彼女との淡い恋路を邪魔してくる人物、それは彼と同じクラスメイトで親友でもある勇気拳悟。度胸も根性も筋金入りで人望もあり、しかも女の子にモテモテのプレイボーイだ。
――そんなプレイボーイの彼だが、今頃どこで何をしているのかというと。
「ハックション――!」
人の往来の少ない住宅街の公園にて、大きなくしゃみが一つこだました。
それは鼻から鼻水が飛び出てしまうほどの勢いだった。それをごまかすように、拳悟は慌てて鼻をすすった。
「び、びっくりしたぁ、大丈夫? 風邪か何か?」
「はははっ、大丈夫さ。誰かが俺の噂でもしてるんだろうね」
公園のベンチで腰掛けている拳悟、そのすぐ隣には一人の女の子が座っている。彼と彼女はついさっき知り合ったばかり。つまり、ナンパでゲットした女の子ということになる。
ナンパ師の彼はブラウンのウルフカットの髪の毛をきちんと整えており、ホワイトのジャケットにブルーのインナーシャツという取り合わせ。そこにレッドのネクタイを合わせて大人っぽく決め込んでいた。
あともう少しでキスまで行けるところだったのに。人の噂をするなんていったい誰だ?またとないチャンスを邪魔されて彼はあからさまに不服そうな顔つきだ。無論、それが親友の勝の仕業だったとは到底気が付くまい。
そんな拳悟もまた、春という季節にどことなく恋心を感じていた。街に繰り出しては女の子をナンパしている彼でも、意中の女の子のことをどこかで意識しているのに間違いなかったのだから。
* ◇ *
翌日の朝のこと。ここは派茶目茶高校の三年七組の教室だ。
始業開始三十分前だというのに、勝はすでに登校しておりきちんと着席していた。さすがはクラス委員長と言いたいところだが、遅刻をしないからといってお利口さんというわけではない。それだけはあえて付け加えておこう。
彼が眠たそうな顔でうとうとと居眠りをしていると、教室の扉を乱暴に開けて入ってくる男子生徒がいた。
それは彼の親友でありハチャメチャトリオのメンバーの一人、黒髪と金髪のメッシュのパーマヘア、レザー製のジャケットとパンツを着こなしたおしゃれな男である関全拓郎であった。
いつもの拓郎は時間に余裕があれば、矢釜中央駅付近の喫茶店で時間を潰してから学校へやってくる。今日はいつもよりも早い登校のようだが、何か急用でもあるのだろうか。
「おい、スグル!」
拓郎に大声で呼び掛けられて勝はパッと目が覚めた。いきなり起こされたものだから少しばかり機嫌が悪い。
「タクロウか、俺の貴重な睡眠時間を邪魔すんな」
「寝てる場合じゃねーよ!」
焦りの表情で声を荒げる拓郎。やはり何かしらの急用があったようだ。
「おまえ、英検の話を聞いてるか?」
「はあ、エイケン? なんじゃそりゃ」
英検というと全国規模で実施されている「英語検定」と思われがちだが、拓郎が語る英検とは派茶目茶高校単独で実施しているオリジナルの英語検定のことだ。
年に二回実施されているらしく受検そのものは強制ではない。ただ、卒業年次生である三年生に限っては二回のうちどちらかを受検しなければならないとのこと。
当然ながら、この二人はこれまで一度も受検したことがない。だから、言葉を聞いてもちんぷんかんぷんなのは仕方がないのである。
「何でもな、留年生はその英検に合格しなくちゃいけないらしいんだ」
この英語検定、通常の三年生であれば合否に関係なく受検さえすれば無事に卒業できるのだが、留年生については合格が卒業の絶対条件らしいのだ。
ご承知の通り、勝と拓郎は落ちこぼれて一年間留年している。つまり卒業のためには英語検定に合格しなければならず、もし不合格となったら彼ら二人とも卒業の資格をはく奪されてしまうのだ。
「じょ、冗談じゃないぜ! そんなアホな話があるか」
「スタロウたちから聞いた話だから、俺もどこまで本当なのかわからねーんだ」
勝と拓郎の留年生二人にしたら最悪の事態であろう。焦りと不安、怒りと苛立ち、あらゆる感情が混じり合って頭の中がパニックに陥っていた。
ちなみに、スタロウたちというのは彼らの友人であるお隣の三年八組の生徒のことだ。知部須太郎、馬栗地苦夫、中羅欧の三人組であるが、彼らも全員留年生なのである。
「ふざけるんじゃねーよ! こんなの納得できるかっ」
『ガツ――!』
勝はいきり立って机の上に拳を叩き落とした。やっとの思いで進級できたというのに、卒業までも高いハードルを設定されたらたまったものではない。
とはいうものの、そもそも日頃から勉強を疎かにしていたことが悪いわけで。文句を言える立場ではないことをきちんと認識してほしいものだ。
「ちくしょ~、告白しなくちゃいけないっていうのに、余計な心配事を増やしやがって~」
「告白? 何だよ、それ」
「あっ、いやその、な、何でもねぇ!」
思わずいらないことまで口走ってしまった。拓郎に悟られるまいと思って、勝は冷や汗を飛ばしながらその場をはぐらかすしかなかった。
「そんなことよりも、シズカちゃんに聞いてこようぜ。英語の教師なら、英検のことわかってるだろ」
シズカちゃんとは、勝と拓郎が在籍する三年七組の担任の斎条寺静加のことだ。
生徒たちをこよなく愛する熱血教師の彼女だが、必殺技の「聖なる鉄槌」を振りかざして強引な指導をすることもあったりする。英語の担当教師で、ただいま二十四歳の独身だ。
――というわけで、彼ら二人は真相を突き止めるべく彼女がいるであろう教務室へと急ぐのであった。
「その話ね。まったくもってその通りよ」
いざ教務室へやってきて、始業前にのんびりお茶を飲んでいた静加に声を掛けて尋ねてみたら、きっぱりとこんな答えが返ってきた。教師がその通りと言うのだから、もう噂でも予想でもない。それが真実なのである。
今になって言われても困ると文句ばかりの勝と拓郎であったが、英語検定の開催時に毎回それについて触れてあるし、生徒手帳にもきちんと書いてある、彼女からそう一蹴されて生徒手帳を見るよう言われてみると……。
「おまえ、手帳なんて持ってるか?」
「いや、たぶん俺、捨てたかも知れない」
「あなたたち、担任の前でよく臆面もなくそんなこと言えるわね」
生徒手帳すら見たことがないという怠慢な生徒を前にして、静加は頭を抱えて呆れたような重たい吐息を漏らすしかなかった。
それよりも、検定に合格しなければ卒業できないルールこそ納得できない、ということで勝は顔を真っ赤にしながらクレームを突き付けるしかないわけで。
「どうして卒業できないんだよっ」
「コラコラ、誰も卒業させないなんて言ってないでしょう?」
静加の言う通りだ。いくらハチャメチャな高校とはいえ、留年生を卒業させない規則があるなんてそんな理不尽な学校ではない。あくまでも英語検定を受検し合格すればいいだけのことなのだ。
ちなみに合格点は七十点。派茶目茶高校のレベルに合わせた検定ということで、ある程度の英語の基礎がわかれば合格は不可能ではないのだ。
そうはいわれても、英語に自信がない勝はやっぱり納得ができない。他の生徒は受検するだけで卒業できるという点も釈然としない。これこそ差別だと言わんばかりに憤慨して、静かにすべき教務室内で怒鳴り声を撒き散らした。
「それが不可能だって言ってんだ! この俺はな、英語の試験で今まで五点から三十八点までしか取ったことがないんだぞ」
実は、勝は英語がとにかく苦手なのだ。これまでの学期末テストで英語だけは低い点数だったりする。それはそれとして、教務室の中でそれを自信満々に告白するのもどうかと思う。
教え子があまりに騒がしくするものだから、静加もさすがに我慢できなくなって堪忍袋の緒が切れてしまった。
「やかましいわ、このボンクラがーっ!」
「うわぁ~!?」
勝に負けず劣らずの怒鳴り声。彼だけではなく、周囲の教員たちもびっくりして呆然としてしまっている。
「あんたはそれでも男か? やる前から諦めていたら意味がないでしょう!」
「ゴ、ゴメン、俺が悪かった。謝るから落ち着いてくれっ」
一度火が点くとなかなか鎮火しないものだ。怒りっぽい性格もあるのだろうが、静加はそれはもう鬼の形相で捲くし立てた。付近の先生から宥められるまで、それから三分少々お説教の時間が続いた。
すぐに感情的になってしまう勝も反省すべきだろうが、教師でありながら感情を露にしてしまう静加も少しばかり反省しなければならないと思える一コマであった。
「きちんと勉強すれば、合格できないテストではないわ。卒業したかったら一生懸命やりなさい。いいわね?」
「は、はい……」
静加にこっぴどく叱られた挙句、英語検定の受検と合格を確約させられてしまった勝と拓郎の二人。ただでさえ勉強嫌いともあって、気持ちとしてはお先真っ暗というやつであろう。
彼ら二人はガックリと肩を落としながら教務室を後にする。
「絶望だ……。破滅だ……。俺の人生もおしまいだ……」
「いくらなんでも、人生までは終わらんだろうよ。どうやって勉強すっかな~。それにしても七十点は厳しいなぁ」
ここで嘆いていても何も始まらない。というわけで、拓郎は開き直ってやるだけやってみようと提言した。比較的冷静でクールな性格の彼らしいところだ。
その一方で、英語にまったく自信のない勝は落胆するばかりだ。教室へ戻る足つきも重たくて、やけくそになってこのまま授業をエスケープしてしまいたい気分だった。
「おまえはまだいいぜ。英語でいい点数取ってるじゃねーかっ」
「いい点数っていっても、五十八点が最高だぜ?」
「バカヤロウ、俺なんて三十八点だぞ。二十点の差は大きいぞ」
勝と拓郎の二人の会話からは、意地でも合格してやろうという前向きな姿勢が見て取れない。考えれば考えるほど気持ちがへこんでしまうのだからそれも仕方がないのだろうが。
それでも、合格しなければ卒業できない現実は覆しようがなかった。
* ◇ *
「あ、そうなの」
勝と拓郎が三年七組の教室へ戻るなり、今日は遅刻せずに登校していた拳悟を掴まえて事情をぶちまけたところ、拳悟からさらりとこんな答えが返ってきた。
予想では愕然として慌てふためくと思った。ところが平然と構えて余裕すら感じさせるではないか。これには勝と拓郎の二人も肩透かしにあって唖然としてしまった。
「あ、そうなの……じゃねぇだろうが。おまえだって俺たちと同じ留年生なんだぞ」
「わかってるよ。俺さ、これでも英語はがっつり勉強したからね」
拳悟は自信があると言わんばかりの笑顔であった。それはどうしてか?彼は正面の席に腰掛けている一人の女子生徒へ視線を送った。
その女子生徒こそ勝と拳悟が密かに想いを寄せており、清楚を主張した紺色のブレザーとスカート、胸元にある赤色のリボンが愛らしい三年七組のアイドルである夢野由美だ。
「ユミちゃんと二人でたくさん勉強したもんね」
「そうですね」
由美は照れくさそうにクスッとはにかんだ。
この二人が勉強に勤しんだのは三年生の進級がかかった追試の時だった。拳悟一人ではとても勉強に集中できない、そこで無理やり頼み込んで先生役をお願いしたのが彼女だったのだ。
そのおかげで彼は無事に進級することができた。彼女にとっても役に立てたこと、そしてこうして同じクラスメイトでいられることが何よりも嬉しかった。彼女の微笑みからもそんな想いが伝わってくる。
笑顔を向け合う彼ら二人はまるで恋人同士のようだ。いくつもの事件や出来事がきっかけで、お互いの親密さが深まり距離が縮まったことは間違いない。
それを横から見ていた勝は内心穏やかなはずがない。拳悟と由美が親しくすればするほど焦りに囚われて苛立ちばかりが表情に出てきてしまう。
「けっ、それはよござんしたね。くそが!」
勝はふて腐れながら自分の席へドカッと腰を下ろした。彼の心境を代弁すると、授業なんてやってられるか、いっそ誰かを殴ってうっぷんを晴らしたいといったところだろう。
卒業するために勉強しなければいけない。そして、由美へ自分の気持ちを告白しなければいけない。この二つが重く圧し掛かった彼は、何をするにも集中できない不甲斐ない一日を過ごす羽目となってしまった。
* ◇ *
それから数日経ったある日の夕方。
由美は派茶目茶高校からの帰り道、街中から少し離れた住宅街を一人きりで歩いていた。当てもなく歩いていたわけではなく、姉の理恵の言い付けで用事を済ませた後だった。
そこには、いつもの通学路とはまた違った景色が広がっている。お天気も上々で気温も穏やかな放課後。彼女はお散歩がてらぶらぶらと住宅街を散策していた。
「へぇ、こんなステキな公園があるんだぁ」
その途中、公園を見つけて由美はふと立ち止まる。
閑静な住宅街の中に佇んでいるその公園。緑豊かな樹木が生い茂り、花壇にはカラフルな色の花が生けてある。またジャングルジムやブランコといった遊具だけではなく、ウッドチップが敷き詰められた遊歩道まで整備されている。
彼女はせっかくなので、公園で少しばかり休憩していくことにした。
公園に入ってみると、その広さがよくわかる。遊歩道は途中でいくつも分岐しており、遊具や小高い丘、そして砂場などへと繋がっている。
夕方という時刻のせいもあり、遊具付近から小さい子供たちの笑い声が聞こえてくる。また、遊歩道沿いのベンチに腰掛けている年配の人もちらほら見られた。そよ風に当たって心地良さを感じているのだろう。
(あれ?)
由美は何かを見つけた。彼女の目線の先には、遊歩道沿いのベンチに座っている一人の女子学生がいた。
その女子学生が身に付けている制服は聖ソマラタ女子学院のものだ。よくよく思い出してみたら、この住宅街からさほど遠くないところに学校があるから何ら不思議ではない。
見覚えのある髪型、顔立ち。由美はそれに気付くなり、その女子学生が誰なのかはっきりとわかった。
(さやかちゃん、どうかしたのかな……)
由美とは親友の関係であるさやか。だからこそよく知っているわけだが、今日のさやかはいつもと様子が違う。明るさと笑顔が取り得の彼女が、落ち込んでいるのか顔を俯かせていたからだ。
ゆっくりとそこへ近づいてく由美。近距離になっても、さやかは由美の存在に気付かなかった。どうやら考え事をしているらしく、意識がどこか遠くへ飛んでしまっているようだ。
「さやかちゃん、どうかしたの?」
急に声を掛けられたから、さやかはビクッと全身を震わせた。慌てて顔をもたげてみると。
「あっ、ユミさんかぁ。びっくりしちゃった」
相手が由美とわかったからか、さやかはホッとしたような表情をした。見知らぬ人が相手だったらやはり怖いと思うのは当然であろう。
すぐ隣に腰を下ろした由美に向かって明るく振舞うさやかだったが、やはりいつもよりも元気がなく笑顔もどこかぎこちない。
「さやかちゃん、何か悩み事でもあるのかな?」
「あはは、やっぱりわかっちゃうよね」
さやかは陽気で楽天的な性格なので、ちょっとした心境の変化も顔色に現れてしまう。親友の由美であれば、それに気付いてしまうのも無理はないわけで。
「でも、初めて見たな。さやかちゃんが落ち込んでるの」
「ひどいなぁ、それ。あたしだって落ち込む時はあるよ~」
さやかは否定したりせず悩み事があることを素直に認めた。たいしたことではないと付け加えながら。
そうはいっても、由美にしてみたらとてもそうとは思えなかった。心配性の彼女が相談に乗ってあげると気遣いを見せてみるも。
「えへへ、心配ないよ。いつものことだし、きっと明日には忘れちゃうもん」
さやかはニコッと笑ってみせた。この前向きな思考が彼女の良さでもある。
いつものことだし――。そのキーワードに、前向きながらもひたむきさと我慢強さが垣間見れなくもない。いつもならそっとしておくところだが、今日の由美はつい詮索せずにはいられなかった。
「やっぱり、スグルくんのことでしょ?」
「……まあね」
若干の間隔を開けて正直に答えるさやか。悩み事のタネはもちろん、恋焦がれて片思いしている勝のことであった。
それは一目惚れだった。ひょんなことで出会ってからというもの、振り向いてくれるまでずっと追い掛けてきた。何度も何度もアタックしても、何度も何度もあしらわれてもしつこく追い続けてきた。
いつかきっと好きになってくれる。いつかきっと気持ちをわかってくれる。だから、諦めたくなかった。めげたりしたくもなかった。
だけど――。電話でお話していても、デートに誘っても、一緒にいる時も、彼の心は自分とは違う誰かを見ている気がする。いや、気がするのではなくそうに違いない。
「スグルくん、きっとユミさんが好きなんだよ」
「えっ!?」
そんなまさか――。由美は目を見開いて絶句してしまった。
彼女にしてみたら、彼がそんな素振りを見せていたという認識がない。ただの友達であり、頼れる一つ年上のお兄さんという印象であろうか。
「ど、どうしてそう思うの?」
「だって、スグルくんはユミさんと一緒にいると楽しそうだもん」
さやかの記憶の中から、いくつもの過去のシーンが思い起こされる。
これも片思いしている女の子の直感というやつなのか。好いている男の子の気持ちが何となくわかるから不思議なものだ。
彼女にとって由美は大切な親友である。恋のライバルになってしまったら責めるに責め切れないし、戦っても勝てる相手とは思えない。だから、口から漏れるのは自分自身の未熟さばかりだ。
「あたしなんてさ、子供扱いされてるし、まるっきり眼中なしって感じだもん」
勝よりも二つ年下であり言動も体つきも幼い。それに比べて由美は勉強もできるし体つきもさやかよりは成熟していて大人っぽい。
嫉妬心も負けん気も人一倍あるはずのさやか。由美へ対抗心を燃やしてもおかしくないのだが、どうしてか後ろ向きな言葉ばかりを口にしてしまう。まるで、彼のことを諦めてしまおうと考えているかのごとく。
「そ、そんなことないって。さやかちゃんは子供っぽくないよ」
「ありがとう、ユミさん」
さやかはおもむろに天を仰いだ。笑みを零してはいるものの、その表情にはどこか儚さが映っていた。
「あたしも、もう少しバストがあればな~」
幼稚な体型で一番気になっていたもの、それはバスト、つまり胸の大きさだった。ちなみに、さやかのバストサイズは公表できないが普通の高校生レベルだったりする。
彼女は自分の胸を見つめては、それと比べるかのように由美の胸をチラチラと見つめていた。ちなみに、由美のバストサイズも高校生レベルであるがさやかよりも少しばかり大きい。
「あたしも、このぐらいは欲しいなぁ」
「キャッ! ちょっとさやかちゃん!」
あまりに羨ましかったからか、さやかはいきなり由美の胸を鷲掴みにした。いくら相手が女の子とはいえ、これには由美もびっくりして悲鳴を上げてしまった。
「スグルくんはね、胸が大きい子が好きなんだって。だから、ユミさんが好きなんだよ」
胸が大きい子、お尻の形がいい子、はたまた太ももが細い子。男性の好みにはいろいろなパターンがあるだろうが、勝は胸の大きい子が好みらしい。もしかすると、男性の大半がそうかも知れないが。
純情そのものの由美にしたら、胸やお尻や太ももだけで好きになってもらうのはちょっぴり複雑な心境であった。女の子の魅力は体つきだけではないと励ましてみても、さやかの顔色はやっぱり冴えなかった。
「とにかく、元気出して。わたしも応援するから」
「大丈夫だよ。ほら、あたしは明日には忘れてるから」
作り笑いを浮かべていたさやか、そのすぐ直後、ポツリと言葉を漏らす。
「……本当の悩みは、他のことなんだけどね」
「え?」
他のこと――?由美がそれについて質問する間もなく。
「あっ、あたし、そろそろ行かなくちゃ」
急用を思い出したのか、さやかは慌ててベンチから腰を持ち上げる。
「ユミさん、元気付けてくれてありがとう。今度会ったら、おいしいものでも食べにいこうね!」
「さやかちゃん、他のことって何なの?」
「それも、その時に話しまーす」
結局真意を語ることなく、さやかは公園の出口に向かって駆け出していった。
公園のベンチで一人残された由美は、さやかの言葉の意味が気掛かりながらもその後ろ姿を見つめることしかできなかった。




