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第三十八話― 春のキャンプは危険がいっぱい!?【後編】(2)

 時刻は夜九時になった。キャンプ場周辺はますます静かになり、ここにいる誰もがそろそろ眠りにつく頃だろうか。

 いつもは夜更かしの高校生たちもいよいよ就寝の時。派茶目茶高校のメンバーはそれぞれテントの中で寝袋に包まっていた。さすがに疲れていたのだろう、みんな静かな寝息を立てている。

 ――それでも、落ち着かなくて眠れない者も一人や二人はいるもので。

「イッチニー、サンシー、ゴーロク、シチハチ」

 両手を伸ばして体操をしているのは拳悟であった。常日頃から元気一杯な彼らしく、まだまだ遊び足りなかったようだ。

「うん、綺麗な星空だな。なんて素晴らしいんだろうか」

 キャンプ場の夜空は都会とは違った美しさがある。星座にさほど興味がない拳悟でもつい見惚れてしまうぐらい、見上げる空には宝石を散りばめたような星がたくさん煌いていた。

「おっ、あれは北斗七星じゃないか」

 ひしゃくのような形をしている北斗七星は、ほぼ一年中見つけることができる。ちなみに北斗七星は星座の名前ではなく、正式にはおおぐま座の背中から尻尾に当たる部分である。

 春の星座としては、おおぐま座の他にもかに座、しし座、おとめ座といった黄道十二星座や、うしかい座やからす座といったものもある。ただ、このキャンプ場ですべての星座が見えるわけではない。

「わぁ、ステキな星空ですね」

「よう、ユミちゃんか」

 拳悟と同じく、眠れない夜を過ごしていたのは由美だった。彼女の場合、テントや寝袋といったアウトドア環境に馴染めない部分があったのだろう。

「ケンゴさんも眠れなかったんですか?」

「何となく体がなまってるっていうか、ちょっと目が冴えちゃってね」

「そうでしたか……」

 それから数分ほど、拳悟と由美の二人は春の星座を眺めていた。

 幻想的でロマンチックな星空の下で男女二人きり。その距離はほんの十五センチメートル、手が触れ合ってもおかしくない間隔。意識しまいと思っても意識してしまうシチュエーションだ。

 不思議と会話も途切れて沈黙が続いてしまう。さてどうしようかな。せっかくの機会だから、もう少しだけ一緒の時間を楽しみたいと考えていた彼が思い付きで提案したものとは。

「散歩にでも行かないか?」

「えっ、散歩ですか」

「遊歩道をぐるりと一回りね。どうかな」

 由美は即答することができずに考え込んでしまった。拳悟からのお誘いなら喜んで了承したいところだが、彼女には一つだけ懸念があったのだ。

 夜道を出歩くのは危険――。それは彼が信用できなくて警戒しているのではなく、人間にとって脅威とも言うべき恐るべき生物、そうアレのことだ。

「もしかして、クマのことを気にしてるのか?」

「……気にしてないと言えば嘘になるかな」

 人食いグマがキャンプ場周辺に生息している。オーナーの息子がそう話していたことを由美はまったく無視することができずにいた。

 テント内でさやかが話していたこと、食料欲しさにクマは人里まで下りてくるという事実がよりリアリティーを強めていたのは間違いない。

 不安で表情を曇らせる彼女だったが、一方の拳悟はというとまったくそれを信じてはいなかった。オーナーの息子が注目されたいがために、イタズラ半分にでまかせを言ったのだろうと。

 それでも、彼女は躊躇い続けて二の足を踏むことができなかった。根っからの怖がり屋さんなのでそれも当然と言えるが。

 遊歩道を一周するぐらいならまず大丈夫、いざという時は自分が守ってみせる。彼からそう猛アピールされてしまっては、彼女もとうとう観念して首を縦に振るしかなかった。

「よーし、行こうか」

「本当に離れないでくださいね」

 拳悟と由美の二人は遊歩道に向かって歩き出す。他のキャンパーに迷惑を掛けないよう静かな足取りで。


* ◇ *

 ほぼ同時刻、ここはキャンプ場からそう遠くない雑草が生い茂る林の中。

 派茶目茶高校の連中を脅かしてやろうと、わざわざクマの着ぐるみを装着したオーナーの息子とその仲間の小太りの少年は、かすかな月明かりを頼りにしながら目的地に向かって歩いていた。ところが――。

「おい、本当にこっちの方角なんだろうな」

「間違いないよ。この辺りでカレーの匂いがしたんだ」

 実際のところ、彼らは目的地に辿り着けずに迷子になっていた。そもそも、地図も持たずに夜の草むらを歩き回るなんて無謀もいいところ。これなら迷っても文句は言えまい。

 カレーの匂いというアバウトな記憶を辿って歩き続ける彼ら。無事に到着できるか何とも不安である。

 そうはいってももう後戻りなんてできない。彼らは進行方向に目を凝らしながらキャンプ場を目指した。

 ――この時、この二人は前方ばかり気にしていて気付かなかった。背後から、真っ黒な毛並みをした獣の姿をした何かが追い掛けていたことを。


* ◇ *

 キャンプ場の遊歩道をお散歩している拳悟と由美の二人。夜という時刻だけに、すれ違う人も追い越していく人もいない。

 遊歩道には照明の明かりはあるものの、周囲はほとんど真っ暗で闇の中だ。草むらからは時折虫の声が聞こえるだけで静けさに包まれている。昼間の明るくて賑やかな雰囲気とはまるで別世界のようだ。

「怖くなんかないだろ。とっても静かじゃないか」

「かえってこの静けさが怖いですよ……」

 拳悟の感覚と由美の感覚は対照的だ。この不気味なほどの静寂の中でのんびり構えていられる拳悟の方がちょっぴり感覚がズレていると言えなくもない。

 彼女は恐怖のあまり心臓がバクバクと音を立てている。いくら彼の誘いとはいえ、ここまで来たことを後悔してももう遅い。今はただ、彼の傍から離れないようしっかりと付いていくしかない。

 遊歩道を半分ほど歩いてみると、照明の明かりが届かなくなるぐらい周りの林がより深みを増してきた。深みが増したということは、当然ながら気味悪さも増してきたというわけで。

(…………)

 ドキドキ、バクバク――。由美の心音が止まらない。

 彼女は無言のままキョロキョロと左右を見回している。拳悟の声などまるで聞こえておらず、暗闇と静寂という脅威から身を守ることに必死だった。

 こういう時ほど、いろいろなものが脅威に感じるものだ。風で木の葉を揺らす大木が魔物の形に見えたり、林を抜けてくる風の音が怪物の鳴き声に聞こえてきたりと。

 警戒していたまさにその時、それはいきなり起こった。

『ガサガサ――』

 草むらが大きな音を立てた。まさかクマが出現か――!?

「キャアアア!」

 由美はその音に驚き、すぐ傍にいる拳悟の腕にしがみついた。

「ユミちゃん、どうしたんだ!?」

 悲鳴とともに抱き付かれたものだから、拳悟は何が起きたのかわからず戸惑ってしまった。感情が高ぶり由美のことをそのまま抱き締めてしまおうと考えたが、そのすぐ直後、彼女が驚いた理由がわかって冷静さを取り戻した。

「なーんだ、野生のウサギじゃないか。びっくりさせてくれるぜ」

 草むらから飛び出してきたのは一匹のノウサギ。山間のキャンプ場なら、野生のウサギが生息していても何ら不思議ではないだろう。

 ノウサギは夜行性の動物で、昼間は大木の根本や草原、森林などを住みかにしており、普段は群れを作らずに単独で生活している。草食性なので草や木の葉などを食料としているが、季節によっては樹皮や木の枝なんかも食べる。

 何はともあれ、クマのような猛獣ではなく小動物で良かった。由美は安堵の吐息をついてホッと胸を撫で下ろした。

 さて、ノウサギはどうしているかというと、見慣れない人間の姿を見てびっくりしているのか、長い耳をぴんと立てて警戒しているようだ。

「こっちへおいで~。ほーら、おかしをあげるぞ~」

 拳悟はノウサギに向かって手招きをした。野生の動物がおやつでやってくるなんて何と浅はかな考えであろうか。犬や猫ではないのだから。予想の通り、ノウサギはそれに興味を示すこともなく再び草むらの向こうへと消えていってしまった。

 逃げられると追い掛けたくなる性分なのか。別に捕獲したところで一文の得にもならないのだが、拳悟はノウサギが飛び込んでいった草むら目掛けて駆け出していった。

「あっ、ケンゴさん!」

「ユミちゃんはそこで待ってて!」

「ま、待ってて……って言われても~」

 由美は遊歩道のど真ん中で一人ポツンと残されてしまった。怖くて、寂しくて、心細くて全身の震えが止まりそうにない。

 そのまま数秒間じっとしたままで考えてみる。動かない方が迷子にならずに済むだろう。だがしかし、もし拳悟が戻ってこなかったどうしよう。このまま独りぼっちになって帰られなくなるかも知れない。

 帰れなくなって死ぬなんて絶対にイヤだ。極端ではあるがそう結論付けた彼女は、彼を追い掛けるという行動を選択せざるを得なかったのである。

「置いていかないでくださ~い!」

 さて、ノウサギを追い掛けていった拳悟はというと、月明かりしか届かない深い林の中にいた。さすがは運動神経抜群、草むらに足を取られたりせずそれこそ縦横無尽に走り回っていた。

 ノウサギもノウサギで早く逃げてしまえばいいのだが、どうやら知らないところに迷い込んでしまったようで草むらの中をじたばたを駆けずり回るだけだった。そうはいっても、ノウサギも俊敏なだけにそう簡単に捕まったりはしない。

 夜の林の中で、人間と野生動物の追いかけっこはそれからもしばらく続いた。

 そして――。夜の林の中に紛れていたのは何も彼らだけではない。そうだ、派茶目茶高校の生徒たちを驚かせようと人食いグマになりきっているあの少年二人組もいたのである。

「おい、テントがまったく見えないぞ」

「おかしいな~。そろそろキャンプ場だと思うけど」

 彼ら二人は迷子から脱出できないでいた。今は昼間とはまったく違う夜の世界だ。目が利かない中で、月明かりだけを頼りに目的地まで辿り着くのは容易なことではないだろう。

 しかもクマになりきっている手前、堂々と遊歩道を歩いていくわけにもいかない。暗闇に身を隠しながら獣道のような細い道を突き進むしかなかったのである。

「おい、あれを見ろよ」

 その道中、小太りの少年が何かを発見した。数メートル先で、雑草を踏み付けながら走り回っている少年の姿を。

「あっ、アイツじゃないか!」

 オーナーの息子はついにその目でターゲットを捉えた。

 こんな夜更けの林の中をドタバタと走り回っている拳悟、それを見つけるなり彼ら二人は唖然とした顔をした。

「……アイツ、あんなところで何してんだろう?」

「知るかよ。小便でも近いんじゃないか?」

 彼らから見たら、拳悟がノウサギを追い掛けて林に入ってきたことを知らないのでとても不可解に思えるはずだ。

 それはさておき、このチャンスを逃がす手はない。キャンプ場まで行くのは諦めて、ここで作戦決行という結論となった。

 姿勢を低くしてゆっくりと歩いていく。背の高い草むらを掻き分けながら、気付かれないように慎重に歩いていく。

 拳悟がいる位置から距離にして五メートルほど。ここで彼らは大木の幹に身を隠した。拳悟が近づいてきたタイミングを見計らい、一気に飛び出していこうという魂胆だ。

 人食いグマが待ち伏せしていることなど露知らず、拳悟は狩人のごとく獲物を狙って草むらを捜索していた。

「ちくしょ~、さすがに逃げ足が速いな。どこに行ったんだ、あのウサギめ」

 一度立ち止まって静かに耳を澄ましてみる。すると、カサカサと雑草が揺れる音がわずかに聞こえてきた。風が揺らしている音とは少しばかり違う。これを聞き分けられるなんて狩人のプロの境地ではなかろうか。

 抜き足、差し足、忍び足。彼は一歩、また一歩とゆっくりと足を動かしていく。ノウサギがいるであろうポイントを目指して。

「そこだ!」

 そこへ飛び掛かってみると、ノウサギは素早い身のこなしでそれをうまくかわした。まるで拳悟をあざ笑うような仕草をして、林のさらなる奥の方へと紛れていった。

「くそっ、待ちやがれっ」

 まだ諦めるつもりはないようだ。拳悟はノウサギを追い掛けてどんどん林の奥へ突入していくのだった。この調子だと、無事にキャンプ場まで帰れるのかどうか心配になってしまうが。

(…………)

(…………)

 大木の幹に身を隠している少年二人。拳悟が近づいてくるチャンスを今か今かと待っているが、耳を澄ましてみても足音らしき音はさっぱり聞こえてこない。

 時間が緩やかながらも流れていく。静まり返った薄暗い林の中で、息を殺した少年二人はひたすら辛抱していた。

 小太りの少年はまだいいが、オーナーの少年は着ぐるみ姿が思いのほか蒸し暑くて大変だった。あと十分もこのままだったら熱中症で倒れてしまいそうだ。

 もうそろそろ限界だ。こうなったらタイミングに関係なく飛び出してやろうと思い立った矢先、カサカサと小さな足音が遠くからやってきたので慌てて踏み止まった。

 その小さな足音は弱々しいものの、ゆっくりながらも彼らが隠れている大木まで近づいている。

(ケンゴさん、どこに行っちゃったの? 離れないって言ったのに、ひどい……)

 大木に近づいていたのは何と、拳悟の後を追い掛けてきた由美だったのだ。独りぼっちの恐ろしさと寂しさと心細さで、彼女の表情からすっかり血の気が引いてしまっている。

 周囲をキョロキョロと見回してみても拳悟の姿はどこにもない。大声で名前を呼んでみたいのだが、いわゆる動物、特に獰猛な動物と遭遇してしまう危険性を感じているせいでそれがなかなかできないのだ。

(クックック、待っていたぜ、この瞬間を)

 オーナーの息子はゴクッと生唾を呑み込んだ。大木の幹の影から飛び出すタイミングを窺っている。もちろん、彼は驚かそうとしている相手が由美であることに気付いていない。

 当然だが、彼女もまさか人食いグマに扮装した人間が大木の裏に隠れているなんて想像もしていないだろう。小さな歩幅ながらも、一歩ずつその大木へと近づいていった。

 お互いの距離、おおよそ一メートル。時間にしてあと五秒……四秒……三秒……二秒……一秒……ついにその瞬間がやってきた――!

『グオォォ~!』

「キャアアアア!!」

 牙と鉤爪を剥き出し、人食いグマがいきなり飛び出してきた。

 闇夜を切り裂くような悲鳴を上げて、由美は後ろ向きのまま卒倒してしまった。

 してやったり――!と思ったのも束の間、オーナーの息子はクマの頭を外してから草むらに倒れている少女を見てびっくり仰天した。

「なっ! アイツじゃなかったのか!?」

 作戦が失敗に終わり、オーナーの息子は呆然としながらその場にひざまずいた。そこへ合流してきた小太りの少年が倒れている少女を見てあることに気付いた。

「おい、この女の子、ヤツらと一緒にいた子だぞ」

「ホントだ。俺たちにカレーをご馳走してくれた子じゃないか」

 彼ら二人はひざを落としたまま、由美の様子をじっと観察していた。彼女は完全に気を失っているようで声を掛けても目を覚ましてはくれなかった。

「どうする? このまま放っておくわけにはいかないぞ」

「わ、わかってるよ。とにかくキャンプ場まで運ぶしかないな」

 驚かせて気絶させてしまった以上、きちんと責任は取らねばならぬ。彼ら二人は由美の頭と両足を持ち上げてこの場から立ち去ろうとした。だが、そのすぐ直後。

「ちょっと待て」

「な、なんだよう?」

 オーナーの息子は突然ストップを掛けた。すると、彼は由美のことをじーっと見つめながら頬を赤らめていた。

「よく見てみると、メチャクチャかわいいな」

 わずかな月明かりに照らされた少女の顔。瞳を閉じて眠ったようなその表情はまるで眠り姫のようだ。

 何を思ったのか、ここでいきなりオーナーの息子はいけない行動を起こした。それは何と、無抵抗の由美に向かってキスをしようとしたのだ。

「バ、バカッ、やめろって!」

「うるさい、起きちゃうだろ!」

 もう衝動を抑えることはできない。オーナーの息子は口を突き出してゆっくりと由美の顔に近づいていく。

 今まさに、彼女の麗しい唇が汚される――!

『ドカッ』

「うわっ!?」

 オーナーの息子は何者かに蹴飛ばされて草むらへと吹っ飛んだ。

 由美の傍に立っていたのは、眠り姫にとって王子様のような存在である勇希拳悟その人であった。

「てめぇら、何してやがる。内容によっては容赦しねーぞ」

 拳悟の表情は憤怒に満ちていた。大切な親友である由美に万が一のことがあれば黙ってはいない。彼は握り拳を固めて今にも殴り掛かっていきそうな様相だ。

 オーナーの息子と小太りの少年はそれに恐れをなして平謝り。もともと気が弱い性格らしく、やり返そうなんて気は毛頭ないようだ。

 少年二人の証言により、この場の顛末を知ることとなった拳悟。人食いグマのことをバカにされた仕返しにクマに変装して驚かそうとした。そのあまりの幼稚さに彼も呆れ返るしかなかった。

 拳悟は由美の両肩を優しく揺らしながら何度も名前を呼び掛けた。それから数秒後であろうか、彼女は深い眠りから目覚めるように意識を取り戻した。

「ユミちゃん、大丈夫か?」

「……ケ、ケンゴさん?」

 おぼろげな視界に映ったのは、血眼になって探していた王子様。由美は安堵と感激のあまり自然と涙が溢れてきた。

「どこに行ってたんですかぁ、とっても怖かったんですよ~。もう、バカ、バカァ~!」

「ゴメン、ゴメン。もうどこにも行ったりしないから。怒らないでくれよ」

 由美は泣きべそをかきながら、拳悟の胸を両手で何度も何度も叩いた。泣き止むよう宥める彼であったが、彼女を放置して危険な目に遭わせてしまったことを猛省するしかなかった。

 それから数分ほど経過し、彼女はようやく泣き止んでくれた。とはいえ、顔色にはまだ明るさは戻っておらず心は恐怖感に縛られたままのようだ。

「本当にゴメンなさい! どうか許してください!」

 オーナーの息子と小太りの少年は土下座して謝罪した。いくらイタズラとはいえ、一歩間違えれば犯罪行為と捉えられ兼ねない。彼らにしたら、警察沙汰にだけはしてほしくない一心だった。

「……もういいですよ。でも、こういうのは二度としないでくださいね」

 いつまでも恨みつらみ非難したところで何も解決しない。由美は内心穏やかではないものの彼ら二人を許した。そんなことよりも、早くキャンプ場に帰りたいというのが本音であろう。

「それにしても、これよくできてるな。これじゃあ本物と見間違ってもおかしくないわな」

 拳悟はクマの頭を触ったり撫でたりしてまじまじと観察していた。大きさや毛並み、鼻の辺りの質感までとてもリアルな代物だった。実際に、本物のハンターに命を狙われたところからもそれを証明している。

 オーナーの息子が語るところ、このクマの着ぐるみは彼の父親であるオーナーの特注品らしい。たかがコレクションのためだけに、大金をはたいてその道の専門家に作ってもらったそうだ。

「そもそもよ、こんなキャンプ場の近くにクマがいるわけねーだろ」

 驚かそうとしても無駄、だって信じていないんだもの。拳悟はそう言いながら、オーナーの息子の頭をコツコツ叩いてお灸を据えた。

 口にパイプをくわえてアロハシャツを着た、ビッグ・フェアリーという別名を持つ人食いグマ。そんなサーカスのショーに出てきそうなクマが現実にいるわけがない。そう思うのが普通であろう。

 それはオーナーの息子もわかっていた。父親から人食いグマの人相書きを見せられた時はまだ幼児だった。だからそれを信じたが、今になってみたらあまりにも恥ずかしくてバカらしい。

「たぶん、俺が夜に外出しないようにするために脅かしたんだろうな」

 イタズラ半分で人を驚かすものではない、後から手痛いしっぺ返しを食らう。それを身にしみて感じたオーナーの息子はしきりに反省するしかなかった。

 こうして、派茶目茶高校の生徒たちを巻き込んだ人食いグマ騒動は幕を下ろした――かに見えたが、まだ騒動は終わらなかった。

『ガサガサ――』

 草むらから何やら音が聞こえてきた。

 それに反応し、ビクッと全身を震わせる彼ら。

「……な、何だ今の音は?」

「ああ、ウサギだろ、きっと。さっきまで追いかけっこしてたから」

 拳悟が言う通り、この音の正体は先ほどのノウサギであろうか。それならば、ノウサギもとんだイタズラ好きである。

『ガサガサ――』

 またしても聞こえてくる草むらを掻き分けてくる音。どうも様子が違う。ノウサギにしては音がやたら大きいからだ。

 音がする方向へ目を凝らしてみる。わずかな月明かりに照らされたのは、ノウサギなんかよりもずっと大きい体長が二メートル近くある動物の影であった。

「――――!!」

 何とそこに現れたのは、真っ黒な毛並みの獣。口にパイプをくわえてアロハシャツを着こなした、あの人相書きとまったく同じ姿をしたクマだったのだ。

「ガアアアー!」

「ぎゃあ~、ホントにいた~!!」

 男女四人は大慌てでその場から逃げ出していく。それこそ、キャンプ場で就寝しているキャンパーの目を覚まさせるほどの大絶叫を響かせながら。

 さて、このクマの正体であるが、いたずらっ子を懲らしめるためにわざわざクマの着ぐるみに扮装してまでここまでやってきたオーナーだったりする。どうやら彼が一番のイタズラ好きだったようだ。

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