第三十五話― 派茶目茶高校 卒業式と新番長就任式(2)
それから数分後、体育館から在校生も流れ出てきた。
やはり退屈だったのだろう、眠たそうにあくびをかいている生徒がちらほら見受けられた。肩が凝った、腰が痛いなど高校生とは思えないオヤジ臭い発言を口にする者もいる。
この後はホームルームがあるだけで授業はない。だから、嬉しそうな顔をしながら放課後の予定を話し合う連中も少なからずいたようで。
それぞれがそれぞれの教室へと戻っていく。二年七組のハチャメチャトリオ、さらに由美や舞香といった主要のメンバーも同様に。
「ん? 教室前にいるのって」
「見覚えがあるな」
隣同士で歩いていた勝と拓郎の二人が声を掛け合った。彼らの目線の先には三人の女子生徒が立っている。しかも、三人とも本日の主役である卒業生だった。
彼女たちは勝たちとは一年前の同級生、だから顔見知りなのは当たり前なのだ。ちなみに名前はミキにエナ、そしてカスミの仲良し三人組と紹介しておこう。
「よう。七組の前にいるってことは、もしかして俺に用かい?」
「あっ、スグルくん。う~ん、残念だけどそうじゃないの」
「そっ、あたしらケンちゃんに用があってね」
”ケンちゃん”とはもちろん拳悟のこと。ミキとエナがここまで足を運んだ目的はそういうことのようだ。
またケンゴかよ……。勝が眉間にしわを寄せてあからさまにひがんでいると、それに気付いた拳悟が会話に割り込んでくる。
「俺がどうかしたってか?」
「ケンちゃん、悪いんだけどさ、話があるんで付き合ってくれない?」
ミキとエナの二人は、後ろで一人黙り込んで俯いているカスミにそっと視線を向ける。実をいうと、拳悟に用事があるのはカスミでミキとエナはただの付き添いだったのだ。
コクっと頷いて快くそれに応じた拳悟。相手が女子という理由もそうだが、彼女たちとこれが最後の別れになるかも知れないからきちんと挨拶をしたいという思いもあったのだろう。
彼が元クラスメイトの女子生徒三人と教室の傍から離れていく。それを後ろから見つめているのは今のクラスメイトの由美だった。女心が揺さぶられるのか、その動向が気になるようだ。
「あれ、ユミちゃん、どこへ行く?」
「う、うん、ちょっとだけ……」
勝から声を掛けられても、由美は教室とはまったく別の方向へと歩き出した。揺れ惑う気持ちを抑えながら。
女子生徒三人と拳悟は階段の下にある狭いスペースまでやってきた。ここなら人通りもなく、ちょっとした内緒話をするには都合の良い場所だ。
「カスミ、あとは任せたわよ」
「しっかり、伝えるんだよ」
「……えっ? 待っててくれないの?」
ここで女の子たちの小声の相談が始まった。邪魔者は退散した方がいい、ここからは一人で勇気を振り絞りなさい、そんな恋する女子への応援メッセージのような台詞が聞こえてきたりする。
時間にして一分ぐらいであろうか。拳悟は事態が飲み込めないまま階段下でボーっと突っ立っていた。もてる男ほど恋心が読めないものなのか、彼の鈍感ぶりは相変わらずであった。
結局、後はよろしく~とばかりにミキとエナの二人はそこからいなくなってしまい、そこには拳悟とカスミの二人だけとなった。
それからしばらく時間が過ぎても、カスミは俯いて口を閉ざしたままだった。泣き虫でおとなしい性格のようで、いざ勇気を振り絞れと言われてもそう簡単に実行できるものでもない。
一方の拳悟も、いきなり連れてこられてどうしていいのかさっぱりわからないといった表情だ。コクリコクリと不思議そうに首を左右に捻るしかなかった。
シーンと静まり返った階段下で向かい合う男女二人。まず口火を切ったのは、勇気も実行力も人一倍ある拳悟の方であった。
「カスミ、いよいよ卒業だな。おまえは確か進学するんだよな」
「……うん」
それは当たり障りのない会話だったが、重苦しい沈黙状態から解放されて少しばかりホッとした空気が流れてくる。
「これからも勉強ばかりだけど、しっかりがんばれよな」
「……うん、ありがとう」
それでも、カスミの受け答えは沈んでばかりで本心をなかなか伝えてはくれない。おまけに涙ぐんでしまわれては、拳悟は深い溜め息を零してどう対処してよいのか困ってしまう。
そんな二人のことを壁の向こうから覗き見している女の子もいた。それは何を隠そう由美なのであるが、彼女もカスミと同じ気持ちを抱いているだけに胸が締め付けられる思いだった。
(そうだよな、カスミともお別れなんだよな)
卒業式と言えばお別れの儀式。同じクラスの頃から何かと気に掛けてきた友人がここを巣立っていく。離れ離れになるのはやっぱり寂しくて悲しいはず。それは拳悟も同様だった。
学校からも、そして自分の傍からも離れることになる少女に向かって、彼は自分にしかできない精一杯の激励の言葉を語り始める。
「よし、約束してやる。卒業してからもずっと、おまえのことを忘れないってな」
「――え?」
意外だったのか唖然とした顔を持ち上げるカスミ。しかしその数秒後、彼女は儚げに顔を俯かせてしまった。
「……ううん、無理だよ。あたしのこと忘れるに決まってるもん」
「おい、勝手に決めるなって。俺はな、名前を覚えてる子は絶対に忘れない自信があるんだからさ」
自信満々に胸を張る拳悟。女の子の記憶力に長けているのは素晴らしいが、この記憶力をもっと勉学に生かせないものかとついついツッコミを入れたくなる。
「俺が忘れないって証拠を見せてやる」
イケガミカスミ――。拳悟はカスミの名前をフルネームで読み上げると、住所や電話番号、さらに家族構成まで詰まることなく口にした。
そればかりではなく趣味や特技、スリーサイズに好きな男性のタイプまでどんどん出てくる。ここまで知っているとストーカーではないか?と疑われてもおかしくはないが。
「どうだ、みんな正解だろ?」
「…………」
カスミはまたしても唖然とした顔をしていた。いくら記憶力があるとはいえ限度があるというもの。彼女もさすがに引いてしまっていた――と思いきや。
彼女のつぶらな瞳が涙で滲んだ。いくつもの涙が頬を伝う。これは戸惑いを意味するものではなく、すべてを知ってくれている拳悟に対する嬉しさいっぱいの感涙であった。
「ケンちゃん、ありがとう……。あたしのこと、絶対に忘れないでね」
心置きなくきちんとお別れを伝えることができたカスミ。零れる涙を拭い、最後は満面の笑みを浮かべて階段下から走り去っていった。
その一部始終を壁の向こうから眺めていた由美も、気持ちがほっこりして嬉しそうに口元を緩めた。女の子への心遣いと優しさ、それを知ることができて拳悟により一層の好感を抱いたようだ。
「よう、こんなところで何してんだ?」
『ドキッ――!?』
いきなり背後から呼び掛けられて、由美は飛び跳ねるぐらいびっくりした。
慌てて後ろへ振り返ってみると、そこには卒業生の一人、彼女にしたらできれば会いたくはない男性が立っていた。
「ダ、ダン先輩! ま、まだいらしたんですか……?」
「いちゃ悪いか。あからさまに迷惑みたいな顔すんなよ」
由美から失敬なリアクションをされてしまい、派茶目茶高校の番長である弾は不機嫌そうな表情を突っ返した。
卒業式が終われば、卒業生はもう好き勝手に下校が可能だ。ただでさえ学校にいることが少ない人物が残っているのだから、彼女が驚いてしまうのも不思議ではないのだ。ではなぜ、まだここにいるのか?
彼が眉根を寄せてぶっきら棒に語るところ、帰りたいのは山々なのだが卒業前にやり残したことがあるのだという。
「あれ、ダン先輩とユミちゃん。どうしてここに?」
そこへ合流するのは、状況が理解できずに呆然としている拳悟だ。この二人が面と向き合っているシーンを目撃してしまっては、当然だが放っておくわけにはいかないだろう。
「おう、ケンゴ。そこにいたのか。悪いが、今から屋上まで付き合え」
「今からですか」
卒業したとはいえ、人生の先輩でもある弾の命令では絶対服従のみ。拳悟は渋々ながらも言う通りにするしかなかった。
面倒事に巻き込まれるのだろうかと、拳悟は頭を抱えて重たい足取りで屋上へと向かおうとする。それを同情の眼差しで見送るしかないと思っていた由美だったが、この後、意外な展開が待っていた。
「彼女も一緒に付き合ってくれ」
「えっ、わたし――も、ですか」
「当たり前だ。他に誰がいる?」
弾は多くを語ることもなく、先頭に立って屋上を目指して歩き始めた。拳悟と由美の二人を付き合わせていったい何を始めるというのか?
――次の瞬間、彼女の脳裏にとんでもない答えが浮かび上がる。
(ま、まさか、告白とか――!)
由美は驚愕と戦慄で手足が震えてしまった。やり残したこと、そして屋上というキーワードがある限り、考えたくもないがそれを否定することはできない。
ただ一人きりではない、拳悟が一緒にいるのならいざという時は安心だ。彼女は動揺と戸惑いを隠し切れぬまま屋上へ続く階段を上っていくのだった。
* ◇ *
正午前の屋上。微風ながらもやや冷たい風が吹き抜ける。
ここには弾と拳悟、そして由美の三人を除いて他には誰もいない。雑談する者も、愛を囁き合ったりする者もおらず静かなものだ。
手すりを背中にした弾はいつになく真剣な表情だ。拳悟も緊張のせいで表情が硬いが、それよりも表情が強張っているのは由美であろう。告白されるのではないかという危機感で頭がいっぱいなのだから。
この静まり返った屋上で、ここに来た目的、弾がやり残したことがついに明らかとなる。
「知ってるだろうが、俺はここを卒業する。ということは、番長の座を継承しなければならない」
派茶目茶高校番長組、そのメンバーである弾と仲間であるノルオとコウタは今日を持ってこの学校を去る。そうなれば、誇りある番長の跡目を他の者に受け継がねばならない。
番長ともなれば、喧嘩が強くて勇気も根気も人並み以上、統率力も兼ね備えたリーダー的存在が適任となる。この学校でそれをクリアする者はたった一人、そう勇希拳悟に他ならないのだ。
「つまり、次期番長はケンゴ、おまえってわけだ」
「なるほど、新番長就任式ってわけですね」
事の次第を知ってホッと胸を撫で下ろした拳悟。由美に至ってはフーッと大きな吐息を吐き出すほど胸を撫で下ろしていた。最悪な展開にならなくて本当に良かったと……。
良い意味でも悪い意味でも、生徒会委員よりも目立つ番長は重責と言えるだろう。番長の座を三年間守り抜いてきた弾のプライドは重みがあって貫禄も十分だった。
それでも、拳悟は迷うことなく番長の座を受け入れる覚悟を決めた。彼自身、このハチャメチャな学校が好きだからこそ守っていきたい。由緒正しき伝統を受け継いでいくことを自信を持ってここに誓った。
「いい返答だ。だがな、番長になるためには一つだけ条件がある」
「条件ですか?」
番長を継承するための条件――。それは果たしてどんなものか。
「簡単なことだ。この俺に一発かましてみろ」
弾曰く、拳一つで番長を越えろということだった。彼も三年前に前番長からそう言われて今の地位を勝ち取ったのだという。
「わかりました。ぶん殴ってもいいんですね」
「ケンゴよ。おまえ、何か目が輝いてないか?」
拳悟の目の輝きの理由はさておき、これより番長の座を継承すべく男二人の真剣勝負が始まる。
刃のように尖った視線をぶつけ合い、革ジャンとジャケットを脱ぎ捨てる彼ら二人。一発勝負に向けて気合は十分といったところか。
由美はただじっと押し黙り、勝負の行方を固唾を飲んで見守るしかなかった。どちらが勝っても嬉しいわけではないが、拳悟が勝ってほしいと願っているのは言うまでもない。
「それなら、遠慮なく行きますよっ」
「おう、本気でかかってこい」
いよいよ勝負が始まった――!
拳悟は一歩足を踏み出し、右手の拳を目一杯振り上げようとする。それをすぐに察知した弾は、食らってたまるかとばかりにカウンター攻撃を仕掛ける。
由美は無意識のうちに目を覆ってしまった。拳悟がやられてしまうのを見たくないという心理がそうさせたのだろう。
今まさに、弾が振り放ったカウンターパンチがヒットする――かと思った矢先、拳悟の姿がまるで疾風のごとく瞬時に消えてしまった。
『バキーッ!』
それはあっという間の出来事であった。
顔面にもろに拳をもらって吹っ飛んでいったのは拳悟ではなく弾の方だった。これを解説すると、弾の攻撃はあっさり空を切っており、拳悟がスウェーしながら放ったパンチが的確にヒットしていたのだ。
痛さと切なさと情けなさで屋上の地べたを転げ回る弾。あえて宣言するまでもないが、この一発勝負は拳悟に軍配が上がった。
「うわ~、マジで殴っちまった! ダン先輩、ごめんなさい」
「バカヤロ~! マジにも限度ってもんがあるだろうが~!」
高等なテクニックを駆使されては認めざるを得ない。弾は真っ赤に腫れた頬を擦りながら番長の継承を約束した。それはもう内心では悔しくて悔しくてたまらないといった感じだったが。
(ちくしょ~、あっさり決めやがって。この俺ですら、かますのに三時間もかかったってのによ)
これを少しばかり補足すると、弾が前番長から番長の地位を受け継ぐまでかかった時間は三時間ちょっと。しかも、頭にハチが止まっていると嘘を付いてようやくかました一発だったらしい。
それをわずか三分以内で決めてしまうのだから、拳悟の才能は恐ろしいものがある。番長としての実力も申し分ないだろうと、弾はそう太鼓判を押すしかなかった。
「おーい、ノルオ、コウタ。校旗を持ってこいよ」
屋上の出入口の扉を開けて、ノルオとコウタの二人が勇ましく登場した。
今まで憎まれ口を叩いたりする仲であった彼らと拳悟。今日ばかりは真剣な表情で固い握手を交わした。そして、学校旗の手渡しによって番長の座も正式に引き継がれることになった。
「これからも派茶高の名誉を守っていけよ。俺のように立派な番長を目指してな」
「任せてください。ただ、あいにく留年三回繰り返すような番長にはなりません」
最後の最後まで皮肉を言う拳悟に、弾は拳を突き上げながらもその表情はさわやかな笑顔であった。こういうふてぶてしさも番長の風格の一つなのだろうと。
その直後、弾はチラリと視線を横にずらす。そこには、新番長就任式へ同行させられて意味がまったく理解できずに困惑したままの由美がいた。
「彼女、いろいろ面倒を掛けたな。ケンゴとこれからも仲良くな」
「えっ……。あ、はい!」
やり残したことはすべて終わった。弾とノルオとコウタの三人が学校を去る時がやってきた。
彼ら三人は学生という鎧を脱いで、社会人として新しい道へ歩き始める。いつまでも子供のままではいられない、いろんな意味でも卒業しなければいけないのだ。
「あばよ、俺が愛した女神よ」
去り際、弾はポツリと言葉を残して一枚の写真を背後に放り投げた。それがひらひらと風に乗って拳悟の手元へと届いた。
「この写真は……」
「わ、わたしが写ってる……。どうして!?」
それは由美のスナップショット。弾がどうしてこんなものを持っているのか、拳悟は一度だけこれを拝見したことがあるから知っているが、これは盗み撮りした写真なのである。
よく見てみると、写真には黒いマジックで何やら書き込みがされていた。弾からのお別れのメッセージであろうか。
(いっぱい泣いた、いっぱい拗ねた、いっぱい食べてようやく踏ん切りがついた。達者でな、俺の愛した人よ、どうぞお幸せに。 永遠なる孤高の紳士 碇屋弾)
街中で偶然に出会った美少女、それが同じ学校の生徒だとわかり女神と呼んで執拗に追い回したが、拳悟の説得により一度は人違いでごまかされてはいたが、やはり真相は知っていたようだ。
由美は呆然としながら写真のメッセージを見つめていた。付きまとわれて散々迷惑だったにも関わらず、今日でお別れなのだと思うと胸の奥から込み上げてくるものがあった。
「ユミちゃん、もしかして泣いてるの?」
「……うん、自分でもどうしてかわからないけど」
潤んだ瞳から数滴の涙が零れた。もう会えなくなる寂しさだったのだろうか。それは由美自身も本当の答えはよくわからなかった。ただ……。
「わたし、矢釜市に始めて来て出会った人がダン先輩だった」
そうだ。由美が矢釜市にやってきて最初に出会った人物こそ弾なのである。
過去の忌々しい経験から不良を拒絶する彼女、しつこく迫ってくる彼からも逃れようとした。それから幾度となく現れるたびに、彼女はずっと逃げ続けた。
「ダン先輩のこと、すごく嫌だった。だけど、川で溺れてしまった時に命を救ってもらったんだよね」
思い出は何も辛くて悪いものばかりではない。番長ならではの知恵と勇気に救われたこともあったのだ。
不良は不良かも知れない、番長は番長かも知れないがそれでも頼りがいのある先輩の一人だった。由美は事件の一つひとつを思い起こしながら流れる涙をハンカチで拭った。
「そうだ、わたしもお礼のメッセージを書かなくちゃ」
由美は制服のポケットからボールペンを取り出すと、写真をひっくり返して弾への感謝の気持ちを書き綴った。それは送辞とは違って、至ってシンプルで堅苦しくない文章であった。
「ねぇ、どんなこと書いたのか見せてよ」
「ダ~メ、ナイショですよっ」
照れくさそうにメッセージ付きの写真を後ろに隠した由美。こればかりは親友の拳悟にも見せられないといったところか。
弾に直接手渡しなんてできるわけもない彼女は、屋上の手すりの傍までやってきて気持ちとともにその写真を風に乗せる。
「ダン先輩に届け~っ」
由美の手から離れた写真は風に乗って上空を舞った。
宛名のない写真は当然ながら誰の手に届くのかは知る由もない。しかし、拳悟と由美は弾のもとに届いてほしいと心から願っていた。
彼女が書き綴ったお別れの言葉――。それは次のようなものだった。
(短い間でしたが、どうもありがとうございました。わたしは先輩のことが、二番目に好きになりました)




