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第三十五話― 派茶目茶高校 卒業式と新番長就任式(1)

 寒さも幾分か和らいできた三月一日。今日は派茶目茶高校の卒業式である。

 時折お日様が顔を覗かせるまずまずのお天気。卒業生の門出をそれとなく祝福してくれたようだ。

 勉強、スポーツに励んだ三年間の高校生活との別れ、進学、就職へと向かう新たなる旅立ち。それほど勉学やスポーツに打ち込んでいないこの学校の卒業生にとっても今日は思い出深い一日になるであろう。

 思い出深いのは何も卒業生だけではない。後輩に当たる在校生も先輩との決別の日を迎えて嬉しさもあれば寂しさもあるだろう。どの学校でもそうだが、卒業式にはいろいろなドラマがあるというわけだ。

 ここは二年七組の教室。椅子に腰を下ろしている二人の女子生徒がいる。

「いよいよ来月には、わたしたちも三年生になるんだね」

「そうですわね。最終学年というのは何だか切ないですわ」

 進級を前にして少しばかりセンチメンタルに浸っているのは、二年七組のマドンナの夢野由美と大富豪のお嬢様である伊集院舞香の二人だ。

 二年生と三年生の違いはいろいろとある。教科も三つ増えてますます授業に専念しなければいけない学年だ。

 さらに最終学年ともなれば、後輩から注目を浴びて目標にされる存在だ。学業だけではなく、生活態度でもきちんとしなければならないプレッシャーもある。

 ――といいつつも、そんな生真面目な思いを抱いているのは優等生の由美ぐらいで、他の生徒たちは特段気持ちも装いも新たにすることなどまったく考えていなかったりする。

「そういえば、ケンゴさんたちは?」

「どこかしら? 登校してるのは間違いありませんけど」

 キョロキョロと教室内を見渡す女子二人。お目当てのハチャメチャトリオは今頃どうしているかというと……。


* ◇ *

 三月とはいえ、屋上ではまだまだ冷たい風が吹き抜けていた。

 卒業式を迎えて気持ちも装いも新たにしない、いや新たにできないハチャメチャトリオの三人がここにいる。

「卒業式か……。かったるいな」

「本来なら俺たち、送る側じゃなくて送られる側だったのになぁ」

 愚痴なのか小言なのか、任対勝と関全拓郎の二人は屋上の地べたにどっかり座ってポツリと漏らした。

 残る一人の勇希拳悟も、言葉こそ口にはしないものの視線は上空に向いており空しさを強調するような顔であった。

 ご承知の通り、ここにいる三人は一年間留年しており本来なら今年卒業するはずだった。自分たちが学業を怠ったことがそもそもの原因なのだが、同級生が先に旅立つシーンを在校生側で見送る気持ちは決して穏やかではないだろう。

 そんな彼らにとって、穏やかではいられないもう一つの理由がある。それは――?

「さすがにもう二年生はゴメンだぜ」

「また留年したら俺らに未来はないぞ」

 実際のところ、彼ら三人とも進級できるかどうかまだ決まってはいなかった。

 つい先日実施された学期末テストの結果次第によっては留年が決定してしまうのだ。日頃から勉強を疎かにしている彼らが戦々恐々とするのは無理もない。

(……俺、マジに卒業できるんだろうか?)

 拳悟はどこか諦めている感覚すらあった。正直、テストの出来が芳しくないのは目に見えているからだ。とはいえ、成人になっても高校生なんて冗談では済まない、ついつい目に見えぬ神に祈りを捧げてしまう彼であった。

「ケンゴくん」

「ん?」

 屋上の出入口付近から聞こえてきたのは女子生徒の優しい声だった。

 その方向へ視線を移した拳悟。そこにいたのは卒業生の一人、彼とはかつて同じクラスの女子生徒だ。肩先まで伸びてる髪の毛をゴムで縛っており、晴れの舞台ということもあってほんのりとお化粧をしていた。

「よう、ミユキか」

「うん、お別れの挨拶しようと思ってね」

 ミユキという名の女子生徒は、俯き加減でちょっぴり頬を赤らめていた。

 この二人はクラスメイト時代、よく下校デートをして親睦を深めてきた仲だった。そういう理由もあって、別れを意味する卒業イベントが名残惜しいのだろう。

 そうはいっても卒業が別離となるわけではない。卒業後だって会おうと思えばいくらでも会えるはずだが、彼女にはそれが叶わない事情があった。

「……あたしさ、就職先が県外なんだ。だからこうして会うこともできなくなるかも知れないと思って」

 ミユキは顔を持ち上げて笑って見せるも、その表情の裏側には悲しさを映していた。そこには、かつてのクラスメイトへのほのかな恋心が隠されていたようだ。

 そんな女心をまったく理解できない拳悟ではない。彼女が声にして伝え切れない気持ちをしっかりと汲んであげることができるのだ。

「春休みになったら電話するよ。引っ越す前に最後のデートしようぜ」

「ホントに? うん、待ってるね!」

 パッと晴れやかに明るく振る舞うミユキ。念願も叶って、これで彼女も心置きなく卒業できるというものだ。

「最後のデートだからさ、夜のこともちゃんと考えておけよな」

「もう! ケンゴくんったらー!」

 片手を振ってミユキは卒業式本番へと向かっていった。

 それをニタニタとにやけながら見つめている拳悟、そのすぐ後ろでは、腹立たしさを表情に示している勝が独り言っぽく毒づいていた。

「へっ、羨ましい野郎だぜ。クラスのアイドルとも呼ばれたミユキとデートできてよ」

 拳悟ばかりがなぜもてる?勝の捨て台詞はどう考えても嫌味にしか聞こえない。

 こういう展開で彼がイライラするのはすっかりお馴染みの光景だが、ここで拳悟が嫌味たっぷりに応戦するのもすっかりお馴染みの光景だ。

「そういえば、スグルくんは前のクラスの頃からもてなかったよねー」

「やかましい! てめぇ、ぶん殴るぞっ」

 屋上という狭いトラックで拳悟と勝の追いかけっこが始まった。こうなってしまうと拓郎も呆れ果てて放置するしかない。

 いつしか時間も過ぎており、校内のスピーカーから卒業式開始を告げるアナウンスが流れてきた。在校生は速やかに体育館に集合せよと。それでも足を止めようとはしない拳悟と勝の二人。

「おい、聞こえただろ? 早く体育館に行くぞっ」

「うるせー! おまえをぶっ倒してから行く」

 いつまでも続く追いかけっこ。それを尻目に、たった一人で校舎内へと消えていく拓郎の姿があった。

「俺、付き合い切れないから先に行くわ。じゃあな~」


* ◇ *

 卒業式開始五分前。体育館には卒業生と在校生が一同に顔を揃えていた。

 式典ともなれば教育関係者の来賓が来校するのが通常だが、ここ派茶目茶高校ではそういった顔ぶれはどこにも見られない。

 理由は単純で、自由気ままな校風らしく式そのものが脱線したりかつ進行もすこぶる悪いので、学校側から諸般の事情という名目で来校のお断りを申し入れているのである。

 そういうわけで、まもなく式が始まるというのにガヤガヤと私語が漏れており、どの学生も緊張感がまるでなくて落ち着きがない。そのざわつきの中、拳悟と勝の二人がこそこそと忍び足で席に着いた。

「ケンゴさん、遅かったですね。どこへ行ってたんです?」

「屋上で時間潰ししてたんだ」

 心配していた由美の隣の席で、拳悟はポリポリと頭を掻きながら苦笑した。急いでここまで来たせいか、それとも追いかけっこが原因か、彼の額からいくつもの汗が滴り落ちている。

「それはいいですけど、その顔の傷は……?」

「これ? ははは、屋上から急いでここへ向かう途中転んじゃってね」

「転んでできるような傷には見えないけど」

 それは無数の引っ掻き傷。勝の逆鱗に触れてネコのごとく引っ掻かれたのだと、みっともなくてとても言い出せない拳悟であった。

「おっ、そうだ、そうだ」

 まるで話をはぐらかすようにパチンを手を叩いた拳悟。彼は何かを思い出したような素振りだ。

「そういえばさ、ユミちゃんが送辞を読むんだよね」

「そうなんです……。今からすごく緊張しちゃって」

 卒業生へ送るメッセージのことを卒業式では一般的に送辞と言うが、何とこれを読み上げる在校生代表として由美に白羽の矢が立った。

 この学校では数少ない優等生であり、文書作成能力も意見文発表などでもお墨付き。担任である斎条寺静加の推薦もあって、他の教職員の反対意見が一つも出ないままあっさりと決議したらしい。

 代表と決まってからというもの、何度も何度も鉛筆と消しゴムをかけて作り上げた贈る言葉。それをしたためた便箋が今、彼女の両手にしっかりと握り締められているのである。

 卒業生だって緊張しているのだから自分もがんばろう。そう心を奮い立たせた矢先、彼女も何かを思い出したようだ。

「あの、ダン先輩は卒業できるんですか?」

「うん、奇跡的にね。この学校創設以来の仰天ニュースだね」

 ”ダン先輩”――。そう、つまりあの人のことだ。

 この不真面目な学校の中でも群を抜く落第者。その名を碇屋弾といい、派茶目茶高校の番長でもある。

 彼も恥ずかしながら二年間留年しており、現在二十歳の高校三年生。学内でも学外でも平気でタバコをふかし、女子教師の下着を盗んだりと悪行の数々で学内では評判の悪い生徒だった。

 風紀の乱れや生活態度から卒業の資格を剥奪されて、このまま学校の用務員へ就職なんて噂も流れたものの、判定テストにぎりぎり合格してどうにか卒業へとこぎつけることができたそうだ。

 卒業できるのはまさに奇跡。この拳悟の発言はもちろん冗談交じりではあったが、実際のところはまんざら冗談でもなかったりするのだ。

「そうでしたか、それなら良かった」

「そうだね。これで学校も少しは平和になるんじゃないかな」

 拳悟にしたらホッとする理由はたくさんあるが、由美にはそれが二つあった。一つは無事に卒業が叶ったこと、もう一つは女神と呼ばれてしつこい付きまといから解放されること。いずれにせよ、二人にとっては喜ばしいニュースと言えよう。

 いよいよ卒業式開始まであと一分ほど。それでもまだ体育館内は無駄話や笑い声に埋め尽くされていた。

「おい、静かにしやがれっ」

 ここで一喝――。

 司会進行役の教員、ヤクザのような風貌をした反之宮がいきり立って声を張り上げた。マイクを通したその怒声は、体育館のすぐ脇を散歩する老人の腰を抜かせるほど大きかった。

 これにはさすがの悪ガキたちも瞬時に縮こまってしまう。おかげさまで、卒業式を滞りなく始められそうだ。

「それでは、これより何回目だったか忘れたが、卒業式を開催する!」

 反之宮の開会宣言に続くのは学校長の祝辞である。ところが……。

 ここで数秒間、アナウンスもなく体育館がシーンと静まり返ってしまう。それもそのはずで、祝辞を読むはずの校長がじっと着席したまま動かないからだ。

 これでは一向に式典が進まないと、見るに見兼ねた静加が慌てて彼の傍へと詰め寄った。

「コウチョウ、コウチョウ。出番ですよ、早く登壇しないと!」

 薄い髪の毛と牛乳瓶の底のようなレンズの丸メガネが特徴的な校長。どうやら彼は自らの出番を忘れていたようだ。というよりも、認知症が進行して理解できなかったと言った方が正解かも知れない。

「ほ~~、つまり~、あそこに立って一曲歌えばいいのかね~~?」

『カポーン!』

 体育館内にこだまする打音は聖なる鉄槌。校長のボケに得意技でツッコミを入れる静加。

「ほら、早く。祝辞を呼んでくださいな」

「ほ~~、つまり~、あそこでダンスしたらいいのかね~~?」

『カポ、カポーン!』

 またしても聖なる鉄槌によるツッコミが炸裂した。しかもダブルで。

 教え子ならまだしも、学校長相手に鉄槌を食らわすなんて大胆不敵。しかし、ボケの治療という名目で手を下す教員は静加だけではなかったりする。

 ヨボヨボな足取りでようやく壇上に立った校長。そこで祝辞を読み上げたわけだが、内容があるのかないのかよくわからないスピーチが十分ほど続き、ここにいる全員が式の前半からぐったりと疲れてしまうのであった。

「校長のボケ、ますます悪化してるみたいだね。大丈夫かな」

「来年のわたくしたちの卒業式がどうなることか、今から不安ですわ」

 由美と舞香が小声でヒソヒソ話をしている中、次はいよいよ卒業証書授与に移る。

 この学校では一人ひとり卒業生の名前を呼び上げて卒業証書を手渡したりしない。代表者一人が登壇して学校長より受け取っているのだ。

 司会進行役の反之宮が卒業生の人数を伝えた後、授与される代表者を発表する。

「代表者、碇屋弾。壇上に上がれ」

 卒業生代表は何と、あのお騒がせな番長の弾であった。

 ――それから数秒間が経過した。だが、登壇するどころか返事一つも聞こえてこない。卒業生も在校生もにわかにざわつき始める。

「寝てんじゃねーよ!」

『ポカッ』

 どうやら弾は居眠りしていたらしい。代表に選出された者として、責任感も緊張感もまるでないから本当に困ったものだ。

 配下のノルオにげんこつを落下されて、弾は不機嫌そうに目を覚ました。

「……ちっ、あと少しでハーレム王国を実現できたのによ」

「卒業式に下らない夢見てんじゃねぇよ。さっさと行け」

 配下のコウタにより無理やり起立させられて、さらにお尻にキックまでお見舞いされてしまった弾。周囲から笑い声と拍手が漏れる中、ぶつくさと小言を呟きながら壇上へと向かう。

(最年長だからって代表にされたらたまったもんじゃないぜ)

 代表者はもちろん教員が集まる重要な会議で決定するわけだが、毎年人選に時間を要するものの今年はあっさりと決まったらしい。

 二年間の留年の末、やっと卒業してくれる落第生へのはなむけという思いもあったのだろう。当人にしたらさぞいい迷惑であろうが。

 学校の代表者である校長、ならびに卒業生の代表者である弾が机を挟んで向かい合う。卒業生に在校生、そして教職員も一斉に押し黙った。

 机の上にあるのは卒業生全員分の卒業証書と一輪の花が挿してある花瓶。校長は何を勘違いしたのか、卒業証書ではなく花瓶を手にして弾に手渡そうとした。

「はい、卒業おめでと~~」

「こっちだろうがっ!」

『バシッ!』

 弾はツッコミとばかりに、卒業証書の束を校長の薄毛の頭に容赦なく叩き落とした。

 本来であれば、この行為は校内暴力の一つとして厳重に注意されるべきなのだが、校長のあまりのボケっぷりに擁護し切れずどの教職員も黙って見過ごしてしまうのだった。

 晴れの舞台でここまで醜態を晒してしまうと、尊厳も偉大さも微塵にも感じられない哀れな校長であった。

 そんなこんなで進行が滞ったりしながらも、校長から恒例通り卒業証書の全文が読み上げられた。

「え~~と、三年間の課程を修了したことを証明する~~」

「俺は三年以上だったけどな」

 弾は嫌味を言いつつ卒業証書をしっかりと奪い取った……ではなく受け取った。すると、卒業生が控える背後へと振り向き代表者らしく卒業宣言を張り上げた。

「この碇屋弾、しかと証書をゲットした! これでおまえらも立派な卒業生だーっ」

 卒業生もそれに応えるように気勢を上げた。在校生も一緒になって盛り上がり、派茶目茶高校の体育館が拍手喝采に包まれた。

 腰に手を宛がい偉ぶっている弾の姿は、派茶目茶高校の最年長でありかつ誇り高き番長の風格さえ感じさせた。日頃から煙たがられていた存在であっても、今日ばかりはスターのごとく敬いの目で注目を集めていた。

「きみ~~。用が済んだらさっさと戻りたまえ~~」

「わかってる。最後のパフォーマンスぐらい大目に見てくれよ」

 弾は卒業生たちの声援を受けながら自席へと戻っていく。それを遠巻きに見つめて感慨深そうな顔をしているのは、彼を三年間担任として指導してきた一人の男性教師であった。

 実は彼、弾が無事に卒業できるようにと補習授業と称して猛特訓を受けさせていたのだ。それがこうして結実したのだから喜びもひとしおというわけだ。

 本当に良かったですねと、彼に優しくて温かい言葉を投げ掛けたのは静加だった。彼女も三名の留年生を抱える者として、落第生を見送るその男性教師の気持ちがわかるのだろう。

 いよいよ卒業式も後半に差し掛かり、次は在校生代表による送辞だ。そう、由美が登壇する出番がやってきた。

 司会進行の反之宮の声に弾かれて由美は飛び上がるように起立した。両隣にいる拳悟と舞香に励まされながら、彼女は緊張の面持ちで自席から離れていく。

 壇上へと向かう途中、彼女の正体に気付いた卒業生がいた。彼はおもむろに、隣に座って寝息を立てている仲間に声を掛けた。

「おい、ダン。あの子じゃないか?」

「……ん~?」

 ノルオに起こされてそっと目を開いた弾。

 視界に飛び込んできたのは女神と見間違えるような美少女――。卒業生の横を通り過ぎていく彼女の美しい横顔は、弾にとって思い出深い高校生活の青春の一ページだった。

 彼を含めた全校生徒が見つめる中、彼女は壇上への階段を一歩、また一歩と上っていった。

 きちんと着こなした学生服、きちんと整えた長い黒髪、彼女は在校生の模範として化粧気のないナチュラルな姿勢で全校生徒の前に立った。

 シーンと静まり返る体育館内。雑音すらなくなる独特の雰囲気が彼女の心理をより不安にしていった。しかし、ここまで来てもう弱音を吐いたり逃げ出したりなんてできない。

(落ち着いて……。お家で練習する気持ちで気楽に行こう)

 由美は緊張の息をゴクッと呑み込んだ。そして、汗のせいでしわくちゃになった便箋を広げて、長い時間を掛けて書き綴った贈る言葉を読み上げる。

「――送辞。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」

 若干ながら声を震わせていたものの、由美のスピーチは見た目よりも堂々としたものだった。

 三年前の早春、初めて校門を潜ってからの三年間はあっという間の出来事ではなかったか、さまざまな活動、行事に取り組み、生涯忘れることのできない素晴らしい経験となったのではないか。

 頼りがいがあり、憧れの先輩方にたくさんのことを教えてもらって学べたこと、そのおかげで人間的に成長できたことに後輩を代表して感謝の気持ちを贈りたい。

 卒業後、進学する人もいれば就職する人もいる。試練と困難が待ち受けていても、この学校で体験してきた知恵と勇気さえあればきっと乗り越えられる。そう信じていると。

(…………)

 由美の送辞は一分少々は続いたであろうか。

 眠りたい衝動に駆られながらも、卒業生代表の弾は後頭部に両手を宛がいそのメッセージに最後まで耳を傾けていた。

「卒業生の皆さんがどうか希望の光に導かれますよう心よりお祈りしています。在校生代表、夢野由美」

 それはとても優秀な送辞だった。こんなことを言ってはいけないが、このハチャメチャな学校に不釣り合いなほどに。

 由美が姿勢正しく丁寧にお辞儀をすると、卒業生だけではなく在校生からも大きな賛辞が巻き起こった。本日初めて卒業式らしい展開となり、教職員もうんうんと頷いて温かな拍手で称賛を示した。

 クラスメイトである拳悟と勝も立ち上がって絶賛のエールを送っていた。まるで自分たちの功績のように振る舞いどこか誇らしげだ。

「いいぞー、ユミちゃーん!」

「お見事! サイコーだぜっ」

 照れくさそうに階段を降りていく由美。重要な任務を無事に終えることができた彼女の表情には、たっぷりの安堵感とちょっぴりな優越感が表れていた。

 優等生を称える割れんばかりの拍手の波が収まった頃、次は全校生徒が起立しての校歌斉唱である。

 校歌を斉唱するのは学校行事しかないので、生徒含め教職員ですらその歌詞をほとんど忘れていたりする。というわけで、壇上に手書きの歌詞がごく当たり前のように垂れ下がってきた。

「ああ~、北に向かえば矢釜海岸で波乗りだ~、矢釜川では舟下りもできて楽しいぞ~」

「ああ~、矢釜中央駅周辺ではいろんなものが揃ってる~、お買物もお食事も嬉しいぞ~」

「ああ~、自由気ままな学園生活するなら派茶高だ~、やっぱり派茶高はよいとこだ~」

 体育館にいる誰もが声高らかに歌い上げた校歌。しかしながら、その意味不明で奇抜な歌詞に疑問を抱く生徒が少なからずもいた。それは何を隠そう、この学校の卒業式に初めて参加した由美だった。

「この学校の校歌って変だよね。何だか、矢釜市の観光ピーアールみたい」

「それは仕方ありませんわ。歌詞を考えたのは今の校長ですもの」

 舞香曰く、この学校の校歌は創立して以来、歴任の学校長が歌詞を考えているのだという。

 実はここの校長、裏で矢釜市の観光推薦委員に任命されていたりする。それを校歌に使うなんて職権乱用に他ならないのだが、校歌そのものがすでに淘汰されているのでほとんど役に立っていない。

 校歌斉唱も終わり、これにて卒業式は閉幕の時を迎える。予定時刻を十五分ほどオーバーしているが、これぐらいは想定内で許容範囲といったところか。

 卒業生退場――。司会進行役の反之宮の声に反応して、卒業生全員が体育館から歩き去っていく。教職員と在校生の割れんばかりの拍手に見送られながら。

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