第三十四話― 阿修羅工業高校編⑤ バトルロードの勝負の行方(3)
第二実習棟から道路を挟んだ先にあるグラウンド。そこには、阿修羅工業高校の生徒ではなく、派茶目茶高校の生徒ばかりが集まっていた。
機械科四天王の一人、極落締を粉砕した勝の姿はないものの、弾に流子、そして地苦夫に中羅欧といった仲間たち、さらには助っ人として参戦してくれた半田強と鬼太郎の姿もあった。
由美の肩を借りておぼつかない足取りながらもグラウンドまで戻ってきた拳悟。その瞬間、阿修羅工業高校を撃退したことを知り、みんながみんな拍手喝采で歓喜に沸いた。
「よくやったな、ケンゴ。さすがは次期番長候補だぜ」
「恐れ入ります、ダン先輩」
弾は頼りがいのある後輩を前にして誇らしげだったが、後輩が醸し出す脅威というものに若干ながらも恐ろしさも感じていたようだ。
半田強と鬼太郎もすっかり度肝を抜かれたようで、彼らは感服したかのように賞賛の拍手を送った。
「ケンゴ、お疲れさん。おまえには頭が下がるよ」
「いやはや、おまえを敵に回さなくて良かったぜ」
「いやぁ、まぐれだよ。俺って不思議と運がいい方だからね」
余裕を見せていても全身はもうボロボロのはず。弾の指示のもと、拳悟は数人の男子生徒から抱きかかえられて病院へと向かうことになった。
拳悟に寄り添い、松葉杖という役目をここで終えた由美。肩に掛かる重みから解放されたとはいえ、想いを寄せる人の温もりからも離れるせいかちょっぴり寂しそうな顔をしていた。
「ダン先輩、一つだけお願いがあるんですけど」
「何だ、お願いってのは?」
「派茶高の勝利を祝して勝ち名乗りを上げてくださいよ」
傷だらけのヒーローたちにとって、今日は阿修羅工業高校を撃破した記念すべき日。気勢を上げて勝利宣言する日であってもいいだろう。
「そうだな。よし、俺に任せておけ」
弾は上空に高々と一本指を突き上げる。すると、他の生徒たちも彼の周りを取り囲んで同じく一本指を突き上げた。これこそ、派茶目茶高校における伝統の儀式である。
勝利は我らの手にあり――。番長らしく威風堂々とスピーチを始める弾。
ここにいる勇敢な精鋭一人ひとりを褒め称える彼であるが、しかしその一人ひとりの力だけでは勝利は掴めなかったはずだ。
こうして派茶目茶高校の看板を守り抜くことができたのは、応援してくれた全校生徒みんなの勇気と根性があってこそのものだ。彼は力を込めてそう宣言を締めくくった。
「俺たち派茶高がナンバーワンだー!!」
「おおお~!!」
派茶目茶高校の生徒たちは雄叫びを轟かせた。阿修羅工業高校の校舎を震わせるぐらいたくましく、そして勇ましく。
たった一つの些細な出来事から始まった抗争劇。一週間にも及ぶバトルロードは、こうして終結の時を迎えたのだった。
* ◇ *
ここは矢釜市立中央病院のとある個室。三人の男子高校生がベッドを隣り合わせて横たわっている。
ぐるぐるに包帯を巻いている彼らこそ、派茶目茶高校でますます英雄として注目の的になっているハチャメチャトリオの三人だ。
拓郎は数日で退院できるが、拳悟と勝の二人は骨にヒビもあり退院まで数週間かかるとのこと。いずれにせよ、それまでは学校が静かになるのは言うまでもない。
「入院生活っていうのも悪くねーなぁ。ちょっと退屈だけど」
「授業もねぇし、シズカちゃんから怒られることもないしな」
「気楽だよな。俺なんて退院して早々に入院だぞ。ツライぜ」
このたびの騒動、本来であれば退学や停学といった処罰をされてもおかしくはないが、理解ある静加の働きかけもあって相手の暴挙に対する不可抗力という形で穏便に処理された。
痛みを抱えていると言えども、そういった処罰を免れてホッとしながら悠々自適の入院生活を過ごしている彼らなのであった。
「しかしよ、あの阿修羅をぶっ潰しただなんて今でも驚きだよな」
「まぁな。俺たちってここらで最強かも知れないぞ?」
武勇伝を振り返って満足げな拳悟と勝の二人であったが、その直後、高くなった鼻をポッキリとへし折るニュースが飛び込んできた。
個室のドアをノックし、反応すら確認しないまま入室してきた一人の男性。堅気とは思わせない風貌と佇まい、日夜少年犯罪に目を光らせている警部補のキビシその人であった。
「よう、元気そうだなお二人さん」
「わっ、オッサン――!」
拳悟と勝は横になりながらも背筋をピシッと伸ばした。いくら矢釜市で名を馳せる悪童でも、少年課のお偉いさんには頭が上がらないといったところだ。
これはお見舞いなのか、それとも表敬訪問なのか。キビシはニヤニヤと笑いながら、いつもの調子のままでベッドの横にある椅子にドカッと腰を下ろした。
「あの阿修羅にお灸を据えたらしいな。ご苦労だったな」
その第一声は労いの一言であった。矢釜市の裏側で好き勝手やってる阿修羅工業高校は、取り締まる警察でも眼の上のたんこぶだったからだ。
学校相手に無闇やたらに介入できないキビシにとってはまさに渡りに船、願ったり叶ったりであろう。これで監視体制を緩めることができてホッと一息といった表情であった。
「恩といってはなんだけど、それなりの見返りはあるんですよね?」
「おう、見返りならちゃんとあるぞ。心して聞いてくれ」
キビシは背広の胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。そこには数行の文字が記載されているが、これはいったい何を意味しているのだろうか?
「勇希拳悟と任対勝へ。このたびの活躍に敬意を表し評価すべきところである。しかし、要注意人物としてさらなる監視体制を強化することで合意に至った」
要注意人物――?
監視体制の強化――?
合意に至った――?
学習能力のない二人でも、こんなキーワードを耳にしたら嫌な予感しか思い付かない。拳悟と勝は小首を傾げてお互いの顔を見合わせる。
「おまえらは機械科四天王よりも要注意人物に認定された。これからは些細ないざこざでも連行するからそのつもりでな」
「うそぉ~!? そ、そんなご無体な~!」
こうして実力(?)が認められ、拳悟と勝の二人は学校のみならず警察機関からも注目の的になってしまったようだ。
彼らは不自由な体でジタバタしながらこの認定の解除を懇願したものの、キビシは紙切れをベッドの上に落としてそそくさと病室を後にしてしまった。
「ま、待ってくれ~!」
「ぐわぁ、いてて~!」
暴れたらそれだけ傷が疼く。拳悟と勝の二人は悶絶しながらのた打ち回った。
いくら解決できたとはいえ、やはり喧嘩は良くないという教訓だろう。他人事である拓郎含めて、これからはもう少しおとなしくせねばと猛省しきりのハチャメチャトリオの三人であった。
* ◇ *
一連の騒動から数ヶ月が経過した。これはもう一つのエピソード。
喫茶ランデブーのお店の前には、マスターと一人の女性が向き合って何やら会話していた。
その女性は肌艶と身なりからして三十代前半といったところか。よく見ると、すぐ傍には喫茶ランデブーに居候していたあの少女も立っている。
「本当にお世話になりました」
深々と頭を下げて一礼する女性。その表情には笑みなどなく、申し訳ない気持ちと反省の色が入り混じっていた。
彼女こそ、消息不明であった少女の母親だったのだ。
昨日、届け出をしていた所轄の警察署から一報が入った。身元の確認が済んだので面会の時間を取ってほしいと。
マスターの心境は複雑だった。父親代わりで面倒を見てきた少女への愛情はそれはもう半端ではなかったから。
「どんな事情があったのか知らんけど、今頃になってよくのこのことやってこれたな」
悲しみに打ちひしがれた少女の気持ちがわかるのか?マスターの言い回しは文句というよりもお説教に近かった。
苛立ちをぶつければぶつけるほど母親の心を苦しめるだけ。しかし、ここは黙っているわけにはいかない心情だったのだろう。
「理解できています。だからもう一度やり直そうとここまで……」
「信用できないんだよな。子供を平気で見捨てるような人間を」
母親とマスターの口論なんて見たらどんどん不安になるだろう、少女はそわそわと落ち着きなく大人たちの顔を見回していた。
このままでは進展なく物別れに終わってしまう。こういう状況で水を入れられるのは第三者的立場の者しかいない。
「ちょっと待ってよ」
痺れを切らして仲裁に入ったのは、マスターから事前に連絡をもらって面会に立ち会っていた拳悟であった。彼の隣にはクラスメイトであり親友でもある由美もいる。
「その子がどうしたいのか、しっかり気持ちを聞いてあげなくちゃ」
「そうです。大人同士で決めるのはあまりにも身勝手ですよ」
高校生二人から諭されて気まずそうに口をつぐんだ大人二人。それから数秒後、その視線はいたいけな少女へと注がれる。
ここにいる全員から注目されて、少女は恥じらうように俯いた。とはいえ芯の据わったしっかり者の彼女は、物怖じせず自分の気持ちを思いのままに声に乗せた。
「あたしは、マスターのことが大好きだよ」
マスターの表情がパッと明るくなった。嬉しそうにうんうんと頷いている。
「でもねー。ママの方がもっと大好きなんだー」
少女は一歩、また一歩とゆっくり歩を進めると、母親の腕に甘えるようにしがみついた。
「ママ、お家に帰ろう!」
屈託のない満面の笑顔は少女の本心を映していた。たとえ見捨てられても母親は母親、少女の心の拠り所に他ならないのだ。
母親は感激のあまりひざを落として泣き崩れた。慟哭し、声にならない謝罪の言葉を繰り返しながら。
どうやら答えは決まったようだ。マスターは寂しさをはぐらかすように上空を見上げる。そして、本日最後のお説法を口にした。
「あんた、いい娘を持ったな。もう一回でも見捨ててみろ、次は容赦しないからな」
もう過ちを犯したりはしない。土下座して何度もそう誓った母親は、叱咤激励への感謝の思いを涙声で綴った。
これにて一件落着であるが、これは少女にとっても決別を意味していた。マスターのところへ駆け出した彼女は、ペコリと頭を振り下ろして愛らしくお辞儀をした。
「マスター、今までありがとう。また遊びに来るからね!」
「おう、おいしいケーキ用意しておくからいつでもおいで」
マスターの次は拳悟と由美だ。少女は彼らにもきちんと感謝の気持ちを伝えた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、どうもありがとう。またお話してね」
「次に来るまで、ちゃんとお利口にしてるんだぞ」
「うん、また一緒にゲームしたりしよう。元気でね」
頭を撫でたり、手と手を取り合ったり、三人はスキンシップでしばしのお別れの抱擁を交わした。
少女は微笑ましく、あくまでも前向きに振る舞いながら母親と一緒に喫茶店から去っていった。いつでもまた来れる、そこには少女なりの安易な思いがあったのだろう。
母親と少女が視界から消えてもしばらくの間、マスターは喫茶店の前で立ち尽くしたままであった。
彼の寂しい心境が痛いほどわかるのだろう、拳悟と由美は掛ける言葉も見つからずその場に寄り添い押し黙るしかなかった。
「……ケンゴと彼女さ、コーヒーでも飲んでいけよ。今日はごちそうするからさ」
マスターはポツリと呟いて店内へと入っていった。このままお店で一人きりになりたくない遣る瀬無さを感じさせる一言でもあった。
曇りがちな表情を向け合う拳悟と由美の二人。
「……ケンゴさん、これで良かったんですよね?」
「うん、あの子の将来を考えたらそうだと思う。やっぱり親子は一緒にいるのが一番だもん」
拳悟と由美はマスターを追い掛けるように店内へ入っていく。ごちそうは別として、今日だけは騒がしくて追い出されるぐらい一緒の時間を過ごそうと二人で語り合いながら。




