第三十四話― 阿修羅工業高校編⑤ バトルロードの勝負の行方(2)
阿修羅工業高校の校舎から道路を挟んで数十メートルほど先にある第二実習棟。
そこには実習で使う製造機器が並んでいる。鍛造で使うプレス機、材料の仕上げに使う旋盤機など無機質で冷たい機械が目白押しだ。
出入口の扉をこじ開けると、実習棟特有の鉄錆と油のにおいが鼻に付く。
平日にも関わらず、実習棟内は照明の明かりもなく静かなものだった。授業時間ではなかったのか、はたまたただ単純に生徒の誰もがボイコットしているだけであろうか。
機械科四天王の実質的のリーダー、決斗大期はここにいるはずだ。そう確信しつつ、拳悟は警戒しながら慎重に歩を進めていく。
(…………)
細い通路で連絡された実習棟の部屋を一つ、また一つと奥へ進んでいく。奥に向かうにつれ、張り詰めた緊張感がにわかに頬を突き刺してきた。
辿り着いた先は実習棟の最深部。そこには大型の機械はなく、長めのテーブルに十数個の万力が陳列されていた。ここは部品を総仕上げする部屋のようだ。
『ガリ……、ガリ……、ガリ……』
一定のリズムで聞こえてくる何かを削る音。その方向を注視してみると、万力に何かを挟んでヤスリを掛けている一人の男子学生がいた。
学生服の背中に虎の刺繍――。間違いない、デンジャラスカラーズ”黒猛虎”の異名を持つ決斗大期である。
「お勉強の邪魔して悪いな」
拳悟が数回呼び掛けても、決斗は振り返りもせずヤスリで何かを磨き続けていた。これだけの静けさの中で、人の声が耳に届かないなんてあり得ない。
立ち止まっていても仕方がないと、拳悟は決斗の傍へと近づいていく。背中の虎に睨まれる錯覚なのか、その距離が縮まるほど緊張が高まり鼓動が早くなっていた。
「おい、来客なんだからさ丁重にもてなしてくれよ」
「…………」
決斗は無視を決め込んでいた。阿修羅工業高校の頂点に君臨する機械科四天王、その中でもトップの男が敵の襲来で見て見ぬ振りとはいかがなものか。
無礼なもてなしに苛立ちを覚える拳悟。無理やり振り向かせようと決斗の肩に掴み掛かろうとした瞬間だった。
「どうだ、この仕上がり具合。立派なもんだろう?」
「――――!」
拳悟は驚きのあまり数歩後ずさりした。
それもそのはずで、決斗の手に握られていたのは鋭利な刃物、刃渡り五センチ以上はあるサバイバルナイフだったからだ。
「心配するな。これ使って脅そうなんて考えちゃいねぇよ」
口角を上げてニヤリと笑った決斗。
彼は実習棟の窓から漏れる小さな日差しにサバイバルナイフをかざす。すると、それが鋭利な刃に反射して拳悟の視界に眩しく飛び込んだ。
「俺はな、このナイフのようになりたいのさ」
ナイフの刃は使っていくうちに磨耗していつか刃こぼれする。だから使い続けるためには、日頃から刃を研いで磨く必要があるのだ。
それは自らの行く末と照らし合わせることができる。口ばかりのからっきしではただの役立たず、幾多の喧嘩で腕を磨き続けなければいざという場面で実力者として認めてはもらえない。
決斗のような不良など将来は決まったようなもの。闇社会でも幹部として迎えてもらうには、このナイフの刃のように眩い光を放たなければならないのだ。
「なるほどな。まぁ、磨いていくのは間違いじゃねーよ」
でもな……。拳悟がそう続けて語る次の一言に、決斗はピクッと眉が動いた。
「ナイフになっちゃいけないんじゃないか?」
刃物というものは諸刃の剣、使い方によっては自らに災難が降り掛かる。
触れる者を傷付けるだけの存在になっていいのだろうか?人間らしい感情を持たない冷たい凶器になってしまっていいのだろうか?拳悟は純粋にそんな疑問を投げ掛ける。
「フン、知ったような口を利くんじゃねーよ」
阿修羅工業高校のならず者を纏め上げる者の気持ちなどわかるものか。決斗の強い口調には嫌悪感が混じっていた。
拳悟も世間からは不良と呼ばれたりする。だが、犯罪に手を染めたり他者を無闇やたらに傷付けたりはしない。愛嬌や人情といった人間らしさだけは捨てたりしてはいないからだ。
「気に障ったら悪かったな。俺はさ、おまえみたいな極悪人じゃねぇからよ」
「デンジャラスカラーズの青色がよく言ったもんだぜ」
「何だよ、そこまで知ってたのか」
学生服を脱ぎ捨てる決斗、そしてジャケットを脱ぎ捨てる拳悟。デンジャラスカラーズのメンバー同士、いよいよ拳を交える時がやってきた。
喧嘩は痛みと空しさばかりが込み上げてくる。しかし、ここまで来たらもう回避することはできないだろう。戦うことしか選択できない二人なのであった。
「始めるか、どっちが強いか勝負だ」
「久しぶりにマジなバトルになりそうだぜ」
戦闘準備万端とばかりに両手の拳を強く握り締める二人。
表情から余裕が消え失せ、緊迫感のせいで強張っている。
視線を逸らすことなく、じりじりと間合いを詰めていく。
「おらーっ!」
かかとを蹴り出し、お互いがほぼ同じタイミングで攻撃を仕掛けた。
彼ら二人のパンチは空を切った。立て続けに二の手が繰り出されるも、それも素早い身のこなしで避ける。さすがは天性なる戦闘能力の持ち主である。
いったん距離を取って体勢を立て直した二人。それでも間髪入れずに次なる攻撃を仕掛けていく。
『ガッ、ガッ、ガッ――!』
実習棟内に轟くのはお互いの攻撃をブロックする音。クリーンヒットもスマッシュヒットもない膠着状態がしばらく続いた。
拮抗している戦いでは、ちょっとした差が有利に傾くもの。
実習棟を熟知している決斗は床の上を滑らかに移動して、拳悟のわずかな隙を突いて背後を取った。
「これでどうだっ!」
『ドカーッ!』
「うぐっ!」
拳悟は蹴りによる痛打を背中に食らった。息苦しさを覚えて動きがピタリと止まってしまう。
そこへ畳み掛けるように右フックまで顔面に炸裂する。この衝撃により、彼はよろめきながら片足を床の上に落としてしまった。
圧倒的に不利な状況に立たされてしまった拳悟。決斗は勝機とばかりに、渾身の力を込めて右ストレートパンチを振るい落とそうとした。
「くたばれ、勇希拳悟ぉ!」
これで万事休すか――と思いきや。決斗のパンチがどういうわけか空振りした。
よく見てみると拳悟がそこにいない。彼は咄嗟の防衛反応により、床を転がってそこから逃れていたのだ。
ここから拳悟の逆襲の連続攻撃が始まる。すぐさま決斗の背後に回って前蹴りから右フックのお返しをお見舞いしてやった。
『ドカッ、バキーッ!』
反撃をもろに食らった決斗は両足をふらつかせたものの、気迫と根性を知らしめるかのごとくどうにか踏み止まった。
「くっ……! 殺してやるっ」
「おう、やれるもんならやってみろ!」
お互いの手数もヒット数も互角。この勝負も長期戦となってしまうのだろうか。
* ◇ *
「ねぇ、学校ってまだ着かないのかな?」
「うん、地図によればこの辺りに間違いないんだけど」
「もう! あなたたちは頼りないですわね」
熾烈なバトルが展開されている最中、阿修羅工業高校の周辺を彷徨っている学生の集団がいた。
この男女数人の正体だが、学校を飛び出していったクラスメイトの身を案じてここまで追い掛けてきた派茶目茶高校の二年七組の生徒だった。
担任の静加から特別に許可をもらって足を運んできたのは由美に舞香、そして勘造と志奈竹といった物語上でも主要な面々だ。
学校までの道のりの地図を拓郎に描いてもらったのはいいが、方向感覚を失ってしまってすっかり迷子状態となっていた。見知らぬ土地へ初めて来たらこんなものなのかも知れないが。
「周りが工場ばかりだから校舎が全然見えないんだよね」
「こんなことなら、タクさんに駅からの地図描いてもらえば良かったな」
今頃になって途方に暮れても仕方がないが、志奈竹と勘造の二人は顔色を曇らせてガックリと肩を落としていた。
「落ち込んでるぐらいなら探そうよ。みんなで探せばきっと見つかるよ!」
由美がみんなを励まそうと精一杯の大声を張り上げる。お嬢様の舞香も愚痴を漏らしながらも足だけは止めたりはしなかった。
地道な努力は報われるものなのか、いやただ幸運なだけかも知れないが、由美たちの近くに学校まで導いてくれるナビゲーターが登場してくれた。
「あれ、おまえらどうしてこんなところに?」
「あっ、地苦夫さんたちじゃないですか!」
これこそが渡りに船というやつだ。
激戦を終えて、拳悟に加勢すべく合流しようとした地苦夫とその仲間たちに偶然出会うことができたのだ。
「ケンゴさんは? どこにいるんですか? 無事なんですか?」
「お、おいちょっと待ってくれ。俺たちもそれを確かめるためにここまで来たんだ」
由美から興奮気味に質問攻めされては、さすがの地苦夫でも事実を伝えるのが精一杯でしどろもどろになってしまうだろう。
落ち着いてもらおうと、まずはわかっている状況をかいつまんで告げる彼。一つ目は機械科四天王のうち二人は撃退できたこと、そして二つ目は勝が負傷して病院に運ばれたことだった。
「えっ、スグルくんが!?」
「心配ない、加療は必要だが意識不明とかじゃないから」
大事に至らずホッと胸を撫で下ろした由美。だが、拳悟の所在がわからない限り彼女の不安が取り除かれることはない。
ただ一つだけわかっていること、それは機械科四天王の総大将を撃破するため、数人の同志と一緒に阿修羅工業高校へと乗り込んだということだけ。
「校舎はこの工場のすぐ裏側にあるんだ。たぶん、ケンゴはもう到着してるはずだ」
「わかりました。この工場の裏側ですね!」
それはもう衝動的とも言える反応だった。地苦夫からの情報を耳にした瞬間、由美は髪の毛を振り乱してそこから駆け出してしまった。
「待てっ、女一人で行く場所じゃないぞ!」
地苦夫の制止などお構いなしに、由美は工場の敷地を通り抜けて学校へとひた走る。拳悟が無事であることを心から祈りながら。
こうしてはいられない!彼女に追従するように走り出した勘造と志奈竹といったクラスメイトたち。地苦夫だって置いてけぼりなんてまっぴらご免、慌てて彼女たちの背中を追い掛けていくのだった。
* ◇ *
乾いた砂埃が舞うグラウンドでは、阿修羅工業高校の毒架津と、派茶目茶高校の弾と流子のバトルがいまだに続いていた。
長期戦に突入したせいもあるのだろう、三人とも両足が止まってしまい肩で息をしている。まさに一進一退の攻防戦、疲労感と緊張感で全身が激しく汗ばむ。
「フッ、どうした? 二人がかりでもそんなもんか」
それでも毒架津は不気味なほど余裕を見せていた。いくつものパンチやキックをもらってもダウン一つしない彼の実力は目に余るものがある。
「……冗談じゃない、まだまだ終わっちゃいねーぞ」
「そうさ。あたしの本当の恐ろしさはこれからだ……」
弾と流子も見下されまいと口では威張ってみせたが、体力の限界はさすがにごまかし切れずその表情は一様に険しかった。
(おい、リュウコ。足がガタガタ来てもうヤバイ。おまえは?)
(あたしだってそろそろヤバイよ。これでも女の子なんだぞ)
人数的に有利であっても敵が想像よりも強かった。弾と流子の二人は小声で弱音を漏らすしかない。
とはいえ、毒架津も動きを止めたということは体力に底がある何よりの証拠だ。勝機は必ずあると確信できよう。
数少ないチャンスを狙うべく秘策を練る二人。それからわずか数秒後、とある妙案を思い付いたのは流子の方だった。
(ダン先輩、ちょっと耳を貸して……)
それが一か八かの賭けであっても他に思い付く案はない。弾は渋々ながらも頷くしかなかった。
流子が耳打ちする妙案とは?これで長きバトルに終止符が打てるのだろうか?
「おい、何をしてる?」
不審を抱く毒架津を尻目に、弾と流子が取った行動は意外なものであった。
「フン、番長のくせにだらしないわね。泣き言なんてみっともないわよ」
「おまえこそカンフーの使い手とかいって、たいしたことねぇじゃんか」
二人はどういうわけか、お互いを罵り合う口喧嘩を始めてしまった。普段から馬が合わなくて毛嫌いする者同士なので意外でも何でもないのだが。
やれ短足だ、やれ男勝りだと、プライドを崩壊させんばかりの文言が留まることなく飛び交う。体力こそ限界に達していても、こういった悪口だけは疲れ知らずに出てくるのだから不思議なものだ。
この醜態を目の当たりにして呆気に取られてしまう毒架津だったが、かなり用心深い性格なのか警戒心だけは解こうとはしなかった。
「この期に及んで仲間割れか。無様だな」
毒架津が呆れようが嘲笑おうがまったく気にしない。弾と流子の二人はどんどんエスカレートして取っ組み合いの喧嘩にまで発展させてしまう始末だった。
「やい、謝れコイツめっ!」
「うるさい、あんたこそ土下座しろ!」
ポカポカとお互いを殴り合う男女二人。本気なのか冗談なのか知る由もないが、それが数分間も続いてしまうと、部外者の毒架津も痺れを切らして文句一つでも言いたくなるものだ。
「おまえら、いい加減にしろ。痴話喧嘩なら他の場所でやりやがれ」
下らない茶番に付き合わされるなんてまっぴらご免。天を仰ぐポーズをしながら呆れ果ててしまった毒架津。
――そこに生まれたほんのわずかな一瞬の隙、弾と流子の二人がそれを見逃すはずがなかった。
胸倉を掴む取っ組み合いの最中、弾が流子のカンフースーツの結び紐を引っこ抜き、それをムチのごとくしならせて毒架津目掛けて放り投げた。
「――――!?」
結び紐が毒架津の右腕に絡み付いた。そう簡単に解けないほどきつく、そして頑丈に。そうである、これこそが弾と流子が考え出した決定打を繰り出す作戦だったのだ。
弾はこれでもかという力を振り絞って結び紐を引っ張った。それにより、毒架津は意図しないままに流子の間合いまで引き寄せられてしまう。
「見せてやるよ、あたしの究極の一撃をね!」
『バキーッ!』
流子は毒架津の顔面にエルボーバットを狙い撃ちした。
俗に言うカウンター攻撃。四天王に君臨している彼でも、これをまともに食らっては体力や気力どころではない。痛撃のあまり一瞬で気を失ってしまい地べたにうつ伏せてしまった。
二人の協力プレーによる完膚なきまでの勝利。弾と流子は疲労感と緊張感から開放されたのか、萎んだ風船のようにひざからズルズルと崩れ落ちていく。
グラウンドの上で座り込んでいる彼ら二人。はぁはぁと小刻みな呼吸をしながら疲れ切った表情で上空を見上げていた。
「あのよー」
「何?」
清々しい微風が吹き抜ける中、弾と流子は向き合うこともなく会話を交わす。
「いくらなんでも、あそこまで悪く言うことねーだろ? さすがに番長の誇りに傷が付いちまう」
「よく言うわ。あんただって散々言ってくれたわね。これでもあたしは年頃のレディーなのよ」
陽動作戦だったとはいえ、それはもう思い付くままの悪口を言い合った弾と流子。
お互い仲良しにはなれないかも知れないが、共同作業で勝ち取った余韻に浸りちょっぴり苦笑している二人であった。
「ダン先輩、リュウコさん!」
グラウンドにぐったりと座り込む二人の傍へ駆け付けてきたのは由美であった。
よく目を凝らしてみると、地べたにひれ伏して戦線離脱している男子生徒が一人。それが派茶目茶高校の生徒ではなく見覚えのない顔だったことに安堵する彼女。
「この人は……?」
「四天王の一人だ。まぁ、俺たちの敵じゃなかったけどな」
二人が無事だったことは喜ばしいが、由美はなぜか焦りの顔色を浮かべてキョロキョロと周囲を見渡している。彼女のことだ、ここにいるはずの拳悟の行方が気になるのだろう。
無論、由美の密かな想いをここにいる二人が気付かないはずがない。
「ケンゴなら向こうにある第二実習棟にいる。大ボスと戦ってるはずだ」
「早く行ってやりな。アイツを救えるのはユミしかいないからね」
阿修羅工業高校のピラミッドの頂点、機械科四天王の決斗大期と最終決戦を繰り広げているであろう拳悟。
派茶目茶高校の運命を背負った勇者を救えるのは、助太刀よりも親愛なる者の声援だけなのかも知れない。拳悟を勝たせてやってほしいと、弾と流子はそう期待を込めて晴れやかに笑った。
「わかりました、行ってきます!」
由美は土埃の汚れも振り払わぬまま一心不乱に走っていく。道路を挟んだ向こう側にある第二実習棟を目指して――。
* ◇ *
『ドカッ、バキッ!』
骨と骨がぶつかり合うような、そんな痛々しい音が不定期なリズムで鳴り響く。
「ま、まだまだー!」
「こ、この死に損ないがっ!」
男二人の息せき切った荒々しい怒鳴り声がこだまする。
ここは第二実習棟の最深部。拳悟と決斗のバトルは今もなお続いており、まさに生きるか死ぬかといった死闘の様相を呈していた。
「はぁ、はぁ――」
「ぜぇ、ぜぇ――」
殴り合ったり、動き回ったり。熾烈な攻防戦により体力を消耗して息切れ寸前の拳悟と決斗の二人。
彼らの顔は腫れぼったく痣だらけだ。鼻や口からも血が滴り、誰が見ても激痛を堪えているのがハッキリとわかる。
だからといって一歩たりとも退いたりはしない。守るべき学校の看板を背負った己のプライドか、それとも喧嘩で頂点の地位を極めたいだけなのか。
「……やっぱり強いな。どうだ? 派茶高からウチの学校へ来ないか」
喧嘩の道を極めることこそ頂点への道。これほどの実力があれば、高校どころか矢釜市を牛耳ることだって夢ではない。
ここ阿修羅工業高校は腕力で権力を掌握できる学校だ。喧嘩に明け暮れていればいくらでもバトルの力を高めることができる。決斗が手招きしつつ好意的にスカウトしてみたが。
「……せっかくの誘いだけど、断るよ。俺さ、これでも派茶高が好きなんだ」
いくら喧嘩好きの拳悟でも、格闘界のピラミッドの頂点に立つことにまったく無関心であった。彼は格闘家でも暴力団でもない、青春を謳歌するただの高校生なのだ。
あっさりと袖にされてしまった決斗だが、彼は感情を露にしたりせず呼吸を整えながらにわかに頬を緩めた。
「フッ、バカな男だ。この世は弱肉強食、強き者だけが支配者となり、弱き者は最後まで下っ端としてこき使われる」
決斗は右手の拳を小刻みに震わせる。
数々の苦難と試練を乗り越えて阿修羅工業高校のトップに登り詰めた彼。そこではたくさんの血と汗と涙が流れたはずだ。
統括者にしか知り得ない快楽がある。人から崇められて、人を支配できることはこの上ない優越感に浸ることができる。天下統一をしたかつての先人たちがそうであったように。
「おまえはそのチャンスをみすみす逃しているんだぞ」
もう一度考え改めよと、決斗は血で塗り固められた右手の拳を突き出した。ところが、統治者が力説したところで拳悟の心はまるで揺れ動くことはなかった。
「言っておくけど、俺は戦国時代の武将じゃないんだぜ。切った張ったの任侠もんでもないしな」
ちょっぴり嫌味っぽく反論した拳悟も、おもむろに決斗に向けて右手の拳を突き出した。
「俺が拳と拳をぶつけ合う理由が、おまえにわかるか?」
拳悟からのいきなりの問い掛け。決斗は訝しげな表情で小首を傾げる。
「俺にとって喧嘩はな、男同士の友情の証なんだ」
運動神経は抜群でも頭脳明晰ではない。口よりも手が先に出てしまう不器用な拳悟にとって、友情を構築していくには喧嘩という選択肢しかなかった。
もちろん、ただ闇雲に暴力を振るうわけではない。お互いが納得するまで拳で語り合い、勝ち負けにこだわらない対等の友情を作り上げる。だからこそ、彼はたくさんの親友に囲まれているのだ。
他校同士であっても、たとえ抗争状態であっても、拳で語り合えれば友好な関係を築けるはず。拳悟は握手を求めるように握り拳をゆっくりと解いた。
「…………」
予想外だったのか、決斗は唖然とした表情で数秒間押し黙っていた。
暴力でしか存在感を示せない彼にはそれが腑に落ちなかったのだろう、理解を示すどころかあしらうように鼻で笑った。
「フン、たいした美談だな。そんな綺麗事、俺たちの世界には通用しねぇよ」
決斗の住まう世界、それは暴挙が蔓延する殺伐とした闇社会――。阿修羅工業高校の生徒である限り、その世界が常識かつ当たり前なのだ。
所詮、この世の中には勝つか負けるかの二つしかない。彼は自らの宿命を語りながらこの戦いの決着を求めた。そう、友情なんて机上の空論だと言わんばかりに。
「勇希拳悟、おまえもデンジャラスカラーズの一員ならば、最後まで誇らしく戦え!」
突き出した拳はどちらが強いかを決する敵対の証だ。決斗は残り少ない体力を振り絞ってファイティングポーズで威嚇する。
友好関係を築けるほど柔軟な相手ではなかった。拳悟は残念そうに大きく溜め息を零してこの対決にピリオドを打つべく戦闘態勢を整えた。
彼ら二人は野獣の眼で睨み合う。お互いの距離は約一メートルほどか。
体力的にも次が最後の攻防戦、デンジャラスカラーズとして雌雄を決する瞬間がついにやってきた。
「行くぞ!」
決斗と拳悟はほぼ同じタイミングでかかとを蹴り出した。
右手の拳を握り締めて、渾身のパンチを振り放とうとする男二人。だが、ここでちょっとしたアクシデントが発生した。
(――――!)
拳悟が床に転がっていたコンクリートブロックの縁に足を引っ掛けてしまったのだ。
バランスを崩して前のめりになってしまう拳悟。運動神経抜群の彼だったらこの危機を乗り越えることができそうだが、エネルギー切れ寸前ではさすがに持ち堪えることは不可能だ。
当然ながら、このアクシデントを決斗が見逃すはずもなく。
「バカめ、くたばれっ!」
勝機ありと見た決斗がナパーム弾を投下した。
拳悟は避けることも防御することもできず、その弾丸をまともに食らってしまうのだろうか――!?
(――さーん!)
実習棟の遠くから誰かの声がかすかに耳に届いた。
(――ケンゴさーん!)
その声はどんどん大きくなった。それはクラスメイトの由美の声援であった。
こんなところで聞こえてくるはずもない彼女の声、これは夢か幻か。拳悟は負けを認めると同時に、意識を失っていく錯覚を覚えた。
「ケンゴさん、負けないで!」
――いや違う、これは夢でも幻でもない。すぐそこに、自分のために声援を贈ってくれる由美がいてくれているのだ。それを感じ取った拳悟は、喪失しかけていた戦意に再び炎が宿った。
生まれつきの運動神経により、片足を駆使して倒れる寸前で踏み止まった彼。迫りくる敵の動きを瞬時に読み取り、ある一点に狙いを定めた。
「くたばってたまるかー!」
それこそ起死回生、俗に言う一発逆転の一撃であった。
限りある力を込めて振り上げた拳が、がら空きだった決斗の鳩尾に直撃した。
これにはさすがの決斗も激痛に表情をしかめて腹部に両手を宛がった。むせ返る吐気を催し、ゲホゲホと苦しそうに咳き込んでいる。
警察からも一目置かれるデンジャラスカラーズ、いや阿修羅工業高校の頂点としての意地なのだろう、彼は全身を震わせながらも持ち堪えていたがそれも長くは続かなかった。
「……こ、これが勇希拳悟というヤツか。フ、フフフ……。派茶高には、もったいない逸材だぜ」
決斗はひざから崩れ落ちていった。阿修羅工業高校の機械科四天王のリーダーである彼がひれ伏した今、派茶目茶高校の勝利がここに確定した。
勝利を掴めたとはいえ、体力も気力もすべて使い果たした拳悟もフラフラと足元をふらつかせていた。今にも倒れてしまいそうな様相だ。
「ケンゴさん、大丈夫ですか!?」
実習棟の最深部、探していた拳悟がいる場所へようやく辿り着くことができた由美。大怪我を負ってるとはいえ、彼が無事だったことに感涙のあまり瞳を潤ませてしまう。
「……ユミちゃん。やっぱり来てくれていたんだね」
緊張感から解放されたせいか、ふらついていた拳悟の両足が体勢を維持できなくなり崩れていった。前のめりになった上半身が意図せぬままに由美の胸元へと覆い被さる。
「ケ、ケンゴさん!?」
由美の胸に身を埋めている姿勢の拳悟。こればかりは彼女も冷静ではいられず、顔が真っ赤になるぐらい紅潮し心音がバクバクと激しく高鳴った。
「ありがとう……。キミのおかげで勝つことができたよ」
その時、拳悟がポツリと漏らしたお礼の一言――。
派茶目茶高校を守るために必死になって戦ってくれた英雄がここにいる。仲間たちの期待を背に受けて、最後まで誇りを捨てなかった勇者がここにいる。
拳悟の安らかな表情を見るなり由美は静かに瞳を閉じた。火照っていた体が冷めていくことを感じながら、拳悟の背中にゆっくりと両手を回して抱きかかえた。
「おめでとうございます、ケンゴさん。そして、みんなのためにありがとう」




