第三十三話― 阿修羅工業高校編④ 集いし誇り高き勇者たちよ(1)
ただいま朝八時四十分。
授業開始十五分前ともあって、派茶目茶高校の二年七組の教室では大半の生徒たちが揃っていた。
二年七組の生徒たちには喜ばしい出来事があった。それは、入院生活でしばらく欠席していた拓郎が教室に戻ってきたことだ。
それでも五体満足というわけには行かない彼。腕の怪我がまだ完治しておらず、石膏で固めたギプスをはめたままでの登校となった。
久しぶりに自席に座った彼を暖かく出迎えるクラスメイトたち。勘造に志奈竹が傍に寄り添い、そして由美と舞香がここ最近のニュースをかいつまんで話題として提供したりした。
「そうだったのか、いろいろ大変だったんだな」
執拗に追い詰めてくる黒い軍団の脅威、同じ学校からのまさかの裏切り行為。拓郎が欠席していたここ数日にさまざまな不安や焦燥や葛藤があった。
同学年のみならず、上級生や下級生でも怪我人がいることは彼も承知のこと。何よりも、大切な仲間と言うべきクラスメイトに被害者がいないことが幸いであろう。
「それよりさ、ケンゴとスグルの二人は?」
周囲を見回しながら拓郎はコクリと首を捻った。
拳悟は遅刻常習犯だけに理解できなくもないが、クラス委員長の勝の姿がないのは珍しい。
拓郎からそれを尋ねられても、勘造と志奈竹の二人はふるふると頭を横に振るだけで、由美と舞香の二人も何も知らないような素振りだった。
ご承知の通り、拳悟と勝の二人は朝から警察署にいた。今頃、キビシ警部補からお説教がてら阿修羅工業高校攻略法を伝授されているはず。
彼ら二人はそのことを誰にも連絡していなかった。これは意図的ではなく、時間がなくてただ伝え忘れていたというシンプルな理由だったりする。
「昨日の夕方は駅まで一緒だったんだけど」
「お見送りの後、ぶらぶらしながら帰るって言ってましたわね」
何も知らないクラスメイトは心配するばかりである。身の危険が付いて回る非常時なだけに、何かトラブルがあったのではないか……と顔色に暗い影が落ちてしまうのはやむを得ないところだ。
――というわけで、その罪作りの悪ガキたちがどうしているのかチラッと覗いてみることにしよう。
* ◇ *
派茶目茶高校を含む矢釜市の中心街を管轄しているのは矢釜中央警察署である。
犯罪都市ではない矢釜市でも、治安を守るべく警察官が日夜慌ただしく勤務に明け暮れている。それはどこの地方都市でも同じであろう。
警察署の中にある少年課。成人に満たない少年の犯罪に目を光らせている職員の仕事は決して安直なものではない。重要な書類を揃えて関係所轄に送付したり、電話対応に追われたりと多岐に渡る。
ここを束ねる警部補のキビシは朝早くから出動して会議室を借り切っていた。それはもちろん、呼び出していた不良学生たちに熱血指導するためである。
会議机の上にはさまざまな書類を束ねたファイルが散乱している。ホワイトボードには殴り書きのメモもあって、さも重役会議が開催されていると言わんばかりの雰囲気であった。
「連中も危険な色を持ったデンジャラスカラーズだったのか」
「暴力事件を再三起こした揚句、補導された回数もそれなりだしな。おまえら二人よりはたちが悪いってわけさ」
会議の主題はズバリ阿修羅工業高校の素性について。呼び出された拳悟たち四人は警察署特有の緊張感の中で認めたくない現実と直面していた。
機械科四天王全員が、警察機関から行動を監視されるデンジャラスカラーズとしてブラックリスト入りしていたこと。相手が類稀なるバトルの猛者だと知るなり、彼ら四人にますます恐怖心が広がった。
「連中は自由気ままに好き放題やってる。悔しいところだが、この俺でも手が出せないのが本音ってわけだ」
阿修羅工業高校がある中心街から離れた郊外、精密機器集積エリアは暴力団の根城となって矢釜市の中でも治安の悪化が懸念されていた。
所轄の警察署は掃討作戦を掲げて取り締まりを強化しているが思うような成果もなかった。そのため少年課の警官までそこに借り出されて、不良高校生の揉め事や後始末までは手が回らないのが実情であった。
ファイルから抜き取られた資料はすべて極秘情報ばかり。それを安易に公開してしまうキビシの表情には、これといった収穫も上げられないお粗末な警察に対する嘆きと歯がゆさが滲んでいた。
「俺が言えるのはここまでだ。これ以上やっちまうと、俺の身分がヤバくなるからな」
「キビシのオッサン、助かりました。ありがとうございます」
「だから、オッサンはやめろって」
キビシの鉄槌を軽い身のこなしでかわした拳悟。大人をからかうように、悪ガキっぽく舌をペロッと出した。
お巡りさんと不良少年は水と油のような関係だ。それでも、どこか憎めない信頼関係を感じさせるそんなやり取りがここにはあった。
「で、どうするんだ? やるとなっても俺は責任を負えないぞ」
「ここまで来て逃げられんでしょう。知恵を絞って対策を考えますよ」
「フン、知恵らしい知恵もないのによく言うぜ」
諦めなのか潔さなのか……。皮肉めいた捨て台詞こそが、拳悟と勝の今の心情だった。彼らにはまだ、いざ決戦!という勇気が持てずにいたようだ。
いざここまで足を運んでみたものの、機械科四天王の実力を知るだけでこれといった必勝法を見出すことはできなかった。ただ有用なシークレット情報はゲットできた意味ではまったく無駄足でもなかった。
「よし、本日の講義はこれで終わりだ。この後ちゃんと学校へ行けよ」
拳悟たち四人はこそこそと会議室を去っていった。さも、叱責を受けて猛反省しているといった表情を作りながら。
* ◇ *
「そういえば、アサミもいないな」
「アサミさんなら昨日の夜に電話があったの。午前中は休むって」
昨日の放課後に勇ましく活躍した麻未だったが、本日はいつもの遅刻組のようだ。
あの後の結末を聞こうと由美の自宅へ電話を入れていた彼女、無事に喫茶店から逃走することができたとわかってホッとしていたという。
「その時にね、今日の朝はたぶん生理痛がひどいから先生に伝えてほしいって」
「アイツは気分とか雰囲気で行動するタイプだからな」
いずれにせよ、麻未の所在がわかって良かった。残るはハチャメチャトリオの二人なのだが。
『――ドカ、ドカ、ドカ』
そうこうしているうちに、廊下の方から物々しい足音が聞こえてきた。
これこそ、遅刻してなるものか!と焦って走っている拳悟と勝ではないだろうか。そう期待してか、拓郎たちクラスメイトの表情がパッと明るくなった。
「アイツら、心配させやがって」
「タクロウさんを見たら、大喜びで抱きつくかも知れませんよっ」
「ははは、それは見たくない光景だな~」
安心感と興奮で喜びに沸く拓郎と勘造と志奈竹。――しかし、由美一人だけは異様な雰囲気を察知していた。
(あれ、おかしいな……)
怒涛のごとく鳴り響く足音。これは一人や二人ではない、もっと大勢の人数のものだ。
『ガララッ!』
(――――!)
由美の予感が的中する。
ドアを乱暴に開け放って乱入してきたのは、拳悟と勝とはまったく関係ない、派茶目茶高校を恐怖のどん底に突き落とす”阿修羅工業高校”という名の地獄からの使者であった。
二年七組の生徒は皆、思いも寄らぬ事態を前にして絶句する。それもそのはず、暗黒色の学生服を来た他校の生徒が何の前触れもなくやってきたのだから。
教室内に雪崩込んできたのはざっと十数名であろうか。その中には機械科四天王のメンバーもいた。
「勇希拳悟に任対勝! どこにいる!」
ドスの利いた怒鳴り声で威圧したのは、背中に鬼の刺繍を持つ極落締だ。彼は部下に命令をして二つある教室のドアを包囲した。誰一人とも逃さないように。
恐怖におののくあまり、シーンと静まり返ってしまった教室内。当事者二人ともこの場にいないからそれも当然なのだが。
だんまりが癪に障ったのだろう、阿修羅工業高校の連中はさらに暴徒化していく。机や椅子を蹴り飛ばすばかりではなく、ついには罪もない生徒にまで危害を加えようとする。
「早く出てこんかー!」
修羅場と化した密閉空間の中で、生徒たちは逃げ惑い、泣き叫ぶ。
頼りになるクラス委員長も副委員長も、いざという時に助けてくれるヒーローもここにはいない。二年七組は阿修羅工業高校の支配下に落ちてしまうのだろうか?
「やめろーっ!」
一人の男子生徒の大声により、黒い軍団の動きがピタッと停止した。
俺がやるしかない――。そう心に決めて勇敢にも立ち上がったのは復帰したばかりの拓郎であった。
「ケンゴとスグルはいない、だからやめてくれ」
「ほう、誰かと思えば、死に損ないのおまえか」
口角を上げて嘲笑するのは、鬼のように極悪非道な極落だ。
彼はズボンのポケットに両手を突っ込んで、先の尖ったローファーのかかとを鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。
「ヤツらはどこに隠れてる?」
「隠れてなんかいねぇ。まだ来てないだけだ」
「嘘付くんじゃねーよ。ビビって来れなくなったんだろ?」
拓郎と極落の口論はますますヒートアップしていく。鬼気迫る彼ら二人の間に割って入れる者など誰もいないだろう。
ついに時刻が八時四十五分を指し、始業を告げるチャイムがスピーカーから流れてきた。しかし、授業の準備を始められる状況ではないのは明白だ。
この異常事態、教室のドアの向こうにいる担任も気付いていた。
「あら、ドアが開かない?」
静加は眉根を寄せて首を捻った。老朽化で立て付けが悪いのはわかるが、開かないほど痛んではいないはず。毎日開けているのだから当たり前なのだが。
まさか他校の生徒がジャックしているなんて想像もしていない彼女、これはイタズラに違いないと、ドアをドンドンと叩いて怒鳴り声を張り上げる。
「こら~、子供みたいなマネはやめなさい! 減点しちゃうわよ」
廊下から聞こえてくる鬼教師のお説教。いつもなら恐れをなして従属するところだが、今日ばかりはそういうわけにもいかない。優等生でも劣等生でも誰一人として返事すらできなかった。
阿修羅工業高校の威圧感により黙り込んでいる臆病な生徒たち。ただ一人、クラスメイトを守りたい一心で勇気を振り絞る拓郎を除いては。
「シズカちゃん、ちょっとだけ待っててくれ! すぐに開けるからさ」
拓郎のメッセージは静加の耳にしっかりと届いた。しかしながら事情が把握できない以上、それを素直に認めることはできなかった。
彼女は職務遂行という名目でドアを叩き続ける。空しく鳴り響くその音が、逃げ場を失っている生徒たちの心をより苦しめてしまいそうだ。
「頼むから帰ってくれないか。お願いだ」
平身低頭で懇願するしかない拓郎。病み上がりで五体満足ではなく、さらにここまでの大人数を相手に戦うなんてそれこそ自殺行為だ。不本意ではあるが今は屈するしかなかった。
阿修羅工業高校に温情などあったものではない。極楽は目つきを鋭くして退去要求を拒んだ。任務を全うせずに帰れるかと言わんばかりに。
「帰れだと? おいおい、電車賃かけて遠くからはるばるやってきたんだぜ」
「電車賃なんか知るかよ。だいたい、おまえらが無理やり押し掛けてきたんじゃないか!」
「でかい口叩くんじゃねーっ!」
――次の瞬間、極楽の鬼の拳が火を噴いた。
顔面に痛打を受けた拓郎は、机をひっくり返しながら床へと吹っ飛ばされてしまった。
「タクロウくん――!」
由美は青ざめた表情で絶句した。他のクラスメイトたちも驚愕のあまり表情を強張らせてしまう。
阿修羅工業高校の連中、特に機械科四天王は容赦を知らない。極楽はさらなる追い討ちを仕掛けてきた。何と、仰向けになっている拓郎のまだ完治していない腕に足の裏を叩き落としたのだ。
「ぐわ~っ!!」
痛さが全身を駆け巡り、拓郎は悶絶の表情で絶叫した。
極楽はグリグリと片足に力を込めて痛め付けてくる。この残忍さこそが、誰からも恐れられる機械科四天王の地位を揺るぎないものとしているのだ。
「ケッ、舐めた口利きやがって。もう一度病院送りにしてやるよ」
誰一人して拓郎を助けようとはしない、いや、戦慄のあまり全身が硬直して動くことができないのだ。
(…………)
助けたいのに助けられないもどかしさ――。由美は奥歯を噛み締めて悔しがる。正義感が人一倍強い彼女は無意識のうちに行動を開始しようとしていた。
「そらよ、これであの世へ行きな!」
『ガツッ――!』
鬼が繰り出す渾身の片足が落とされて、鈍い打撃音が教室内に反響した。
その光景を目の当たりにしたクラスメイトたちは呆然として驚きを隠せなかった。それはどうしてか?
「……ほう」
極楽の片足の下にはなぜか由美の背中があった。そうなのだ、彼女が取った行動とは拓郎の身代わりなることだったのだ。
男性から振り落とされた足の力は半端ではないだろう。彼女は痛みを堪えているのか全身を小刻みに震わせていた。
「ユ、ユミちゃん。どうして――!?」
「だって、タクロウくんは怪我人だもん……」
弱々しい笑みを浮かべる由美。怖さに怯えながらも、大切なクラスメイトを守れた喜びが表情から小さく零れた。
とはいえ、脅威が去ったわけではない。彼女たちはまだ鬼の間合いの中にいるのだから。
「言っておくが、俺は女だろうが容赦はしないぞ」
「お願いです、タクロウくんには何もしないで!」
宣言通り、極楽の片足が由美の背中を直撃する。一回ではなく何回も。
由美は痛みと苦しみを必死の形相で堪えようとする。それと同時に、彼女に守られて何もできない拓郎の嘆きの叫びが繰り返された。
教室内でいったい何が!?何者かの叫び声だけが漏れてきて、静加は右往左往しながら慌てふためくしかなかった。
『ガツ、ガツ、ガツッ!』
いったい何回、足蹴が続いたであろうか。極楽の容赦のない攻撃により、由美はいつの間にか気を失ってしまっていた。それでも、拓郎の傍から離れることはなかった。
「見上げた根性だな。女にしておくのがもったいないぜ」
極楽はようやく攻撃を止めた。彼とて本物の鬼ではなかったということか。いや、由美の粘り強さに感服し敬意を払ったのかも知れない。
阿修羅工業高校の生徒たちは暴れるだけ暴れた挙句、後片付けもしないまま教室内から立ち去っていった。
廊下を走り去っていく真っ黒な集団。それを目撃した静加はただただ唖然としてしまってその場に立ち尽くすしかなかった。
こうして二年七組の教室に平穏が戻った。しかし、倒された机や椅子が過ぎ去った嵐の猛威を物語っていた。無論、床に伏している二人の生徒の姿も――。
「ユミちゃん、しっかり! 目を覚ましてくださいませ!」
由美のもとへ駆け寄る舞香。彼女だけではなく、他のクラスメイトたちも犠牲になった二人の安否を気遣った。
どんなに声を掛けても意識が回復しない由美。二年七組に襲い掛かったこの悲劇。それを拳悟と勝は当然知る由もなかった。




