第三十二話― 阿修羅工業高校編③ 逃走、裏切り、そして背徳感(3)
喫茶ランデブーにはすでに主要のメンバーが全員揃っていた。
目的の主旨は阿修羅工業高校との攻防戦。真っ向勝負はあまりにも命知らずだから、引きながら敵の雑魚クラスから叩いてみるか?それとも、いっそ幹部クラスを一人でも狙ってみるか?
いろいろとアイデアは出るもどれも決定打に欠けており、彼らの密談は数十分にも及んだ。コーヒーのおかわりが繰り返されるばかりであった。
「お待ちどうさまですー」
「おう、ありがとな」
温かいコーヒーを運んできたのは居候しているあの少女。もうまかないのお仕事も手慣れたものである。
彼女のあどけなさとひたむきさに思わず頬が緩んだ勝。かわいいね、年はいくつ?といった感じで馴れ馴れしく接していた。
「おい、スグル。その子に変なこと教えるんじゃないぞっ」
ここで即座にツッコミを入れるのは、少女のことを常日頃から気に掛けている拳悟だ。
母親が消息不明の今、保護者はこのお店のマスターであっても、お兄ちゃんと慕ってくれる彼女を心配してしまうのは当然なことだ。
とはいえ、勝はそんな拳悟の心情などまったく知らないわけで。ミラーグラスで隠された目はとても冷めたものだった。
「バカか、おまえは。この子に何を教えるっていうんだよ」
幼児相手に本気になる高校生がどこにいるのか。勝からからかわれてしまい、さらに他の仲間たちからも笑われてしまった拳悟はばつが悪そうに赤面するしかなかった。
マスターもそのやり取りを見てケラケラと笑った。自らの昔のおバカっぷりを帳消しにしてくれる後輩が身近にいてくれてさぞ嬉しかったのだろう。
「マスター、そんなに笑わんでくださいよっ」
「悪い、悪い。でもよ、あの子はしっかりしてるから心配すんなって」
お店のことはもちろんだが、食事の片付けや掃除も嫌な顔一つしないで手伝ってくれている少女。娘を置き去りにしたとはいえ、母親のしつけの良さを認めざるを得なかった。
拳悟はそれを聞いてホッと安堵の吐息をついた。母親が見つかってほしい気持ちと見つかってほしくない気持ちが交錯して、ちょっぴり複雑な思いであった。
「おい、ケンゴ。ユミちゃんたちもここへ来るんだろ?」
「ああ。そういえば遅いな、もう掃除は終わってるだろうけど」
店内の壁掛け時計を見やると夕方五時近く。掃除当番が終わって真っ直ぐ来るならもう到着していてもおかしくはない時刻だ。
心配の種が増えるばかりで表情が曇りがちになる拳悟。事態が事態なだけに胸騒ぎを抑えられないといったところか。
『カララ~ン!』
激しく打ち鳴らされるカウベルの音。それは、来訪客が来たことを告げるアナウンス。
ベル音の大きさに派茶目茶高校の生徒たちはビクッと心音が高鳴った。
拳悟も勝もすぐさまドアの方角へ目を向ける。やってきたのは待ち焦がれていた由美たちか?まさか、それとも――?
「おっ、いらっしゃい」
「こんにちは、マスター」
マスターと挨拶を交わした人物とは、近所に住んでいる常連客であった。年齢的には四十歳ぐらい、柔和な笑みを浮かべる主婦といった感じだ。
この常連客の女性だが、お店で取り扱っているコーヒーをいたく気に入っているらしく、こうして時々お邪魔してはコーヒーを豆ごと購入しているのだ。
カウンターに座ることもなくレジカウンターの前で立ち止まる彼女、どうやら本日もコーヒー豆の買い置きのために来訪したようだ。
「またよろしくね」
「いつも、毎度あり!」
拍子抜けして緊張感から解放される拳悟と勝の二人。ホッとした半面、由美たちの到着が遅くなればなるほど不安になってしまうのもまた事実。
――それから数十秒後、不安が戦慄となって彼らに降り掛かる。
「ケンゴさーん!!」
ドアを乱暴に開け放って、ついに由美がお店まで辿り着いた。すぐ後ろには疲れ切った顔をした舞香もいる。
無事で何より。安心感から胸を撫で下ろす拳悟と勝だったが、血相を変えて激しい息継ぎをしている彼女たちを見て表情が一変した。
何があったんだ?と、席を離れて彼女たちの傍へと詰め寄った彼ら二人。そこで、信じたくない最悪な事実を聞かされることになる。
「ここに阿修羅の人たちが――! 早く逃げてください」
「なっ! それはどういうこと!?」
「詳しい説明は後で。それよりも早く――!」
事態は一刻を争う。拳悟の呼び掛けのもと、他の仲間たちも大慌てでテーブル席から立ち上がって逃げる支度を始めた。
ここで気を利かせてくれたのは、いざという時に頼れる先輩のマスターだ。出入口のドアから逃げたら見つかるかも知れないと、勝手口から脱出するようアドバイスしてくれた。
確かにぞろぞろと大人数で正面から出ていけば発見されやすいが、勝手口であれば細くて暗い路地裏に出るため身を隠しやすいだろう。拳悟は迷うことなくそれに従うことにした。
「センパ……じゃなくてマスター、恩に切ります!」
「おう! 無事に逃げ切れよ」
拳悟とマスターは義理と友情を通わせるハイタッチでこの日の別れを告げる。
事情がさっぱりわからない少女に見送られつつ、彼ら全員はカウンターの奥から勝手口を経由してお店から出ていった。
『カララ~ン!』
激しく打ち鳴らされるカウベルの音。それは、やかましいだけの来訪客が来たことを告げるアナウンス。
タイミングというのはおかしなもので、拳悟たちが逃げてから数分も経たないうちに阿修羅工業高校の連中が喫茶ランデブーまでやってきた。
お店にいざ突入してみるも唖然とするしかない彼ら。そこにいるはずのターゲットどころか、お客の人っ子一人も見当たらないからそれも当然だ。
「どういうことだ、これは……」
どうしてみようもなく立ち尽くしている真っ黒な男たちに、マスターはコーヒーカップを手洗いしながらさりげなく声を掛ける。
「よう、いらっしゃい。あいにくだが、お目当ての連中ならとっくに帰ったぞ」
「な、何だと~?」
マスターの見透かしたような挑発的な態度に、阿修羅工業高校の面々は一様に仏頂面となって苛立ちを露にした。
相手が誰だろうと容赦しない不良のことだ。このままでは、派茶目茶高校に味方したという理由だけで理不尽な報復が想定される。マスターもそれは重々承知のようですでに対策は取っていた。
「悪いけどよ、店で暴れられたら困るんだわ。警察にも連絡してるから引き上げてくれや」
通報されてしまったら暴挙に出るわけにはいかない。悔しそうに舌打ちをして、阿修羅工業高校の連中はすごすごとお店から引き上げるしかなかった。
マスターの冷静なる助言、麻未の無謀とも言える勇気ある行動、そして由美と舞香の懸命なる努力により派茶目茶高校の生徒たちはどうにか危機的状況から免れることができた。
もうすぐ六時という時刻、人通りの多い道を避けながら矢釜中央駅まで到着した彼ら。電車にさえ乗ってしまえば襲われる心配もないだろう。ここでそれぞれの通学路に分かれることになった。
「ありがとうございます。ケンゴさんたちは?」
「俺たちもぶらぶらしながら帰るよ。気を付けてな」
由美と舞香の女子二人、他一部の仲間たちは改札を出てプラットフォームへと消えていった。駅構内に残っているのは拳悟と勝、そして地苦夫と中羅欧の計四人だった。
彼らはしばらく無言のまま、天井を仰いだり人の流れを見渡したりしていた。心労もあり思うこともあったのだろう、帰宅の足すら億劫なほど気持ちが滅入っていたようだ。
とはいえ、ずっとここにいるわけにもいかない。拳悟の溜め息混じりの一声により、彼ら四人は重たい足取りで駅構内を後にした。
「……いざ真実を知ると、やり切れんわな」
拳悟は雨が降りそうな鉛色の空を見上げてポツリと呟いた。
同じ学校の生徒からのまさかの密告。それは裏切り行為に他ならない。信じたくはないが、それが真実だと知ってショックを隠せなかった。
それでも、唯一の救いなのは密告者であるツトムが親友ではなくほとんど交流のない生徒だったことだ。
痛い目に遭うのは誰だって嫌だ。でも、自分一人だけが助かればそれでいいのだろうか?彼らは自らの心に自問自答するが、その答えに辿り着ける者は誰一人もいなかった。
「どーする? ゲームセンターで憂さ晴らしでもするか」
「いや、そんな気分じゃねーな。さっさと帰ろうぜ」
気分転換でもしようと寄り道に誘ってみる拳悟。だが、勝はもちろんのこと、他の二人も気乗りしないのか硬い表情のまま駅前のアーケードに向かって歩き始める。
もうすぐ夜の帳が降りるだろうし、それに雨が降る前に帰宅した方が懸命か。彼ら四人は少しでも時間を短縮しようとアーケードの途中から裏路地へと入っていった。
雑踏から遠ざかる裏路地は静寂としていた。アスファルトを鳴らす足音だけが周囲に響くだけだ。
老朽化が進んだ雑居ビル沿いの細い道を通り過ぎていく彼ら。すると、道のど真ん中でなぜかピタリと足が止まった。
(…………)
真正面で横に並んで立っている真っ黒な学生服を着た男たちがいる。
一人は、短髪のリーゼント、剃り落とした眉と一重まぶたの細目の男。
一人は、髪の毛を剃り落した丸坊主、こめかみ付近に縫い傷がある男。
一人は、ウェーブのかかった金髪、ギラギラとした三白眼の目の男。
一人は、リーゼントカットに長い襟足、細く整えた眉で切れ長の目つきの男。
彼ら四人は動こうともせずその場に佇んでいる。あたかも、この道を通り過ぎる拳悟たちを待ち構えていたかのごとく――。
(……いよいよ四人揃ってお出ましか)
(……ヤツらが機械科四天王ってわけか)
拳悟と勝はゴクッと生唾を飲み込んだ。
地苦夫と中羅欧も背中が汗で滲んでいた。
薄暗くなりかけた人気のない裏路地に、これまでに感じたことがないぐらいの緊張と戦慄が走る。
「勇希拳悟、それに任対勝だな?」
「そうだ。おまえら四人が阿修羅の四天王だな」
ニタリと余裕の笑みを零したのは、背中に虎の刺繍を持つ男、機械科四天王の事実上のリーダーである決斗大期だ。
彼のすぐ横に立っている男、背中に炎の刺繍を持つ毒架津勇次は真向かいにいる勝のことを食い入るように凝視している。
「この前は逃がしてやったけど、今日はそうはいかねーぞ」
先日の食堂での出来事が頭の中に蘇る。
弱虫呼ばわりされて悔しさを覚える勝だったが、逃走したのは紛れもない事実だけに何も言い返せない自分が恨めしかった。
「よくも好き勝手にやってくれたな。仲間の仇はしっかり取らせてもらうぜ」
拳悟は握り拳を作って怒りを露にする。それをせせら笑っていなすのは、坊主頭を片手でゆっくり撫でている背中に鯱の刺繍を持つ天上光次郎であった。
「へっへっへ、そういやバンダナ巻いた軍人みたいなのは元気か?」
”バンダナ”、”軍人”と例えられたのは明らかに須太郎のこと。彼は卑怯な策略にはまって両足を骨折するほどの大怪我を負ってしまったのだ。
病院送りにされたのは彼だけではない。拳悟と勝と一緒にハチャメチャトリオを形成する親友の拓郎もそうだった。
拓郎に大ダメージを与えた男、背中に鬼の刺繍を持つ極落締は目を細めながらその時の様子を冷静な口振りで振り返った。
「多少は喧嘩できるみたいだが、所詮はガキだな。俺たちには到底及ばない」
見下されてしまえば誰だって気分がいいものではない。それを証拠に、直情型の勝は全身をわなわなと震わせていた。
「くそやろ~、いい気になりやがって――!」
「落ち着け、スグル。熱くなった方が負けだ」
拳悟にすぐさま抑止された勝だったが、彼にだって人一倍のプライドがある。歯がゆさで闘争心が揺さぶられていたことは否めなかった。
阿修羅工業高校の頂点に君臨する機械科四天王の揃い踏み。それは派茶目茶高校にとって抗争の最終局面を迎えたことを意味していた。
両校とも人数は四人ずつ、不公平さはないが、もしここでバトルを始めたら無論かすり傷では済まない。それなりに喧嘩で修羅場を潜り抜けてきた連中だけに大怪我は必須だろう。
「どうした、派茶高もんはやっぱり意気地なしの集まりか?」
決斗は手招きのポーズでこれ見よがしに挑発してきた。機械科四天王に恐れるものはなし、いつでも掛かって来いと言わんばかりに自信満々の表情を浮かべている。
(もう勘弁できねー!)
ここまでバカにされて黙っていられるか!勝は苛立ちが爆発して衝動的に走り出した。
「おいスグル、待てっ!」
冷静さを欠いたら間違いなく不利になる。拳悟が慌てて制止しようとしたが時すでに遅し。勝の耳にはもう仲間の声も届くことはなかった。
たった一人で交戦の火ぶたを切った勝。事実上リタイアしてしまった拓郎に須太郎、そしてサン坊の無念を晴らさんばかりにただひたすらいきり立っている。
それを迎え撃とうと戦闘態勢を敷く機械科四天王の四人。閑散とした路地裏がレフェリーのいないリングと成り果ててしまうのだろうか?
「そこまでだ、悪ガキどもっ!」
大きな怒号が勝の両足を瞬時にストップさせた。他の面々も、いったい何事か?と顔をキョロキョロと動かして周囲を窺っている。
この裏路地には抗争を繰り広げる彼ら以外誰もいないはず、いや、いないと思っていたはずだった。ところが、どうやら悪ガキたちに叱責しなければいけない人物が隠れていたようだ。
「えっ……?」
「……チッ」
それを知った両校の反応はそれぞれ異なっていた。
派茶目茶高校の学生は唖然としており、阿修羅工業高校の学生は疎ましそうに舌打ちをしていた。果たして、彼らに声を掛けたのは何者であろう?
「キビシのオッサン……。どうしてこんなところに?」
「おい、いい加減オッサン呼ばわりは止めろ。侮辱罪でしょっ引くぞ」
派茶目茶高校と阿修羅工業高校の境界線、いわゆるデッドラインに立ちはだかったのは“厳しいキビシ”という異名を持つ少年課の警官のキビシ警部補だった。
少年課の仕事といったら不良学生の取り締まり。鼻が利く彼のことだ、学校同士の抗争勃発をかぎつけて抜き打ちで調査していたのかも知れない。
ポクポクと肩叩き棒で肩を叩きながら派茶目茶高校の少年たちを睨み付ける彼。さすがは警察機関に勤めているだけあって、その様相も佇まいも目に余るぐらいの威圧感があった。
「おまえら、この俺が見ている前で喧嘩なんてやる気じゃねぇだろうな?」
「ま、まさか~。ぼくたちお利口だもん、そんなわけありませんよ」
拳悟は苦笑いしながら両手を振ってごまかした。ここで下手なことを言ったら職務質問が長くなるし、それで帰宅が遅くなるのはまっぴら御免だからだ。
とはいえ、ごまかしたところで嘘が通用するほど単純な相手でもない。キビシは厳しい表情を崩さないまま阿修羅工業高校の連中の方へ振り返った。
「四天王、今日のところは引き上げろ。俺の後始末が増えたらたまったもんじゃないからな」
機械科四天王は不良とは言えど無知の輩ではない。キビシがここに登場した理由も発言も理解しているはずだ。彼らは颯爽と学生服を翻して反対方向へと歩き出していく。
「今日のところ……だけどな。明日になったらどうなるか知らねーけど」
意味深の台詞を残して去っていく機械科四天王のリーダーである決斗。たとえ今日が休戦となっても、まだまだ抗争が続くことを暗に告げていた。
こうして、派茶目茶高校と阿修羅工業高校の雌雄を決する激戦は回避された。緊迫感から解放されてホッとひと息をつく拳悟の姿がそこにあった。
『ゴツッ!』
「あいたっ!」
一人だけ興奮冷めやらぬ男が一人。勝はキビシからお叱りのゲンコツを脳天に食らってしまった。行き急いで死にたいのか?とお説教付きで。
「アイツらの強さを知らないわけじゃあるまい。戦争おっ始めて勝てるつもりでいるのか?」
「そ、そんなの……。やってみなきゃわからんでしょう」
勝は叱責されてもあくまでも強気の姿勢のままだった。感情的になってしまう側面も大きいが、クラス委員長という立場として弱気を見せたくない側面の方が大きかったようだ。
いくら他人とはいえ親心もあるのだろう。キビシは長らく面倒を見てきた悪ガキに無駄死にしないノウハウのようなものを伝授する。
もし本気で戦うのなら、闇雲に突進するだけではなく頭脳戦も考慮しろ。いにしえの時代から、戦略家こそ勝利を掴んで出世するものだと自信たっぷりに力説する。
「正直なところ、俺もアイツらには手を焼いている。だからよ、お灸を据えたいという気持ちもあるんだ」
本来警官は公平でなければいけないが、時と場合によっては依怙贔屓することもあるのか。阿修羅工業高校の攻略法をアドバイスしてやると、キビシは口角を上げてニヤリと笑ってみせた。
あの完全無欠の機械科四天王を攻略する糸口があるならぜひとも知りたい。拳悟を始め、他の連中も興味津々で耳を傾けてみたところとんでもないオチが待っていた。
「明日の朝、警察署まで来い。生活指導の後にたっぷりと教えてやるぞ」
腕組みしながら高らかに笑ってこの場を去っていくキビシ。職権乱用を振りかざすところはさすがは叩き上げの警部補である。
登校するのも嫌だが出頭なんてもっと嫌だろう。朝っぱらから耳が痛い教育指導が待っているとあってか、拳悟たちは肩を窄めて苦渋の表情を浮かべるしかなかった。
こうして翌日の朝、この四人は朝から警察署へ直行することになった。
――彼らが留守にしている間に、事態はさらなる戦乱へと拡大してしまうことも知らずに。




