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第三十二話― 阿修羅工業高校編③ 逃走、裏切り、そして背徳感(1)

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 激しい息継ぎをしながら、派茶目茶高校の校舎の廊下を疾走している男子高校生が一人。

 その尋常とは思えない様相を見てか、他の学生は皆廊下の端っこに避けて道を開けてしまうほどだ。

 グリースを塗って突っ立てた髪の毛を乱している彼、青ざめた表情をしながら一心不乱で二年七組の教室へと向かう。

 丁度その時、二年七組の教室の扉の前には一人の脇役の男子生徒がいた。物々しい足音が聞こえてきて、彼はびっくりしてそちらの方角へ顔を向けた。

「邪魔だ、どけぇ~!」

「うわぁぁ!?」

 脇役の男子生徒は飛び蹴りを食らってすっ飛んでしまった。たまたまそこにいただけでこんな災難に遭うなんて不幸としか言いようがない。

 それはさておき、息を切らせながら二年七組の教室へ飛び込んだのは隣の二年八組に籍を置く地苦夫であった。彼が大慌てでここまでやってきた理由とは……あれしかないだろう。

「おい、スグルはいるかっ!?」

「ど、どうしたチクオ。血相変えてよ」

 勝はクラス委員長だけに遅刻などせずすでに登校していた。授業までの休憩時間を仲間と世間話しながら過ごしていたところだった。

 勝がいる席までやってきた地苦夫。スピードスターという異名を持つ彼でも、それなりの長距離を走ってきたせいかすぐに言葉を紡ぐことができなかった。

 汗びっしょりでこの焦りよう、これはただ事ではないと勝の表情にも緊迫感が浮かび上がった。そして、ゆっくりと呼吸を落ち着かせている地苦夫からの報告を待った。

「た、大変だ。昨日の夕方、スタロウがヤツらにやられた」

「――おい、マジかよ!?」

 想像したくはなかったが、やはりただ事ではなかった。

 あの強靭でたくましい須太郎がやられてしまうなんてとても考えられない。それはクラスメイトである地苦夫が一番感じているはずだろう。

 地苦夫がその報せを受けたのは今朝だった。須太郎の身内から電話があったらしく、ただいま拓郎と同じ矢釜市立中央病院に入院しているとのこと。

 そればかりではない、地苦夫はさらなる事実を打ち明けた。昨日一日で被害にあった派茶目茶高校の生徒が一人ではなく複数、病院送りまで行かずともやられていると。

(ヤツらめ……。徹底的に攻めてくる気か!)

 勝は悔しさと憤りで表情が険しくなった。犠牲者をもう誰一人たりとも出したくないと思っていた矢先、こんな現実を付き付けられたのだからそれも無理はない。

 暗闇のような影が教室内を覆い尽くしていく。勝と地苦夫ばかりではなく、一緒に会話を聞いていた勘造や志奈竹の顔にも不安の二文字が刻まれていた。

「おいスグル、どうする?」

「どうするって言われてもな。正直言ってどうしてみようもねーよ」

 責任感が強くていざという時に頼れる勝ではあるが、今回ばかりは秘策も改善策も思い付かない。ただ手をこまねいてじっと待機するしかないといったばかりの言動だった。

 それも仕方がないのだ。彼の心情を覆い尽くしている罪悪感。たった一つの些細なきっかけが原因でここまでの騒動を招いてしまったのだから。

「スグルくーん!」

 二年七組の教室内に女子生徒の甲高い声が轟いた。

 名前を呼ばれた勝は反射的に顔を振り向かせる。そこには、慌てた様子で駆けてくる由美の姿があった。登校してきたばかりの彼女に何があったというのか?

「ユミちゃん、どうかしたのか?」

「教室前に三年生の人たちが押し寄せてきて。スグルくんはいるかって……」

 教室に入ろうとした瞬間、いきなり大声で呼び止められたという由美。上級生である三年生から厳つい目つきで睨まれて怖さのあまり教室に逃げ込んでしまった。

 それを聞いて勝と地苦夫の二人が複雑そうな表情で向き合う。滅多にやってこない三年生が押し寄せてきたということは――。

「これはやっぱり、阿修羅の一件か」

「間違いないな。さすがに秘密にするのも限界か」

 待たされて痺れを切らしたのだろう、三年生の生徒数名が扉を蹴破ってズカズカと教室に入ってきた。彼らが目指す先はただ一つ、対処すべき案を見出せずに困惑している勝の傍である。

「スグルよ、これはいったいどういうことだ?」

 二年七組の教室に乗り込んできた強面の三年生たち。どいつもこいつも不機嫌な顔つきで勝のことを問い詰めてきた。

 案の定、彼らがここまで足を運んだ理由は阿修羅工業高校との抗争のことだ。三年生の一部でも、殴られて怪我を負ったり脅されて金品を奪われたりした者がいたらしい。

 三年生に取り囲まれてしまった勝だが、留年していなければ彼も同学年だけにまったく怯えたりはしなかった。むしろ、直情型の性格もあってか舌打ちをして苛立ちを露にしていた。

「こっちはいい迷惑なんだよ。おい、何とか言ったらどうなんだ!?」

 三年生の怒号が教室内に鳴り響いた。張り詰めた空気に包まれてしまい、二年七組の生徒たちの誰もが口を閉ざして固唾を飲んでいる。

 由美も心臓がバクバクと大きく鼓動していた。上級生の容赦ない大声に萎縮したのだろう、そこから微動たりとも動けなくなって黙り続けるしかなかった。

 このまま何も反論できないのか……。いや、勝という男は言われるがままじっとしていられるほど素直でおとなしい人間ではなかった。

「……うるせーな」

「な、何だと?」

 とうとう苛立ちが頂点に達したようだ。勝は怒気の混じった声を漏らしながらゆっくりと立ち上がる。

「そんなことはわかってんだよ! ここは二年七組だ。おまえらが来るところじゃねぇ」

 三年生相手に怒号をぶちまけた勝。騒動のきっかけを作った彼に文句を言える権利はないかも知れないが、それでも他人から干渉される権利もないと言いたいのだろう。

 猛獣みたいにいきり立った彼は要注意だ。かつての同級生の連中もそれは承知のことで、思わず後ずさりして身構えてしまう。

 殴られたらたまったものではない。そう思ってはいてもつい口が滑ってしまう者もいる。三年生の一人が感情的になって危険を冒してまで口出しをしてしまった。

「そ、それならてめぇがきちんと責任を取るんだろうな!?」

『カチン――!』

 その時、堪忍袋の緒なのか、勝の理性の何かが切れた音が聞こえた。

 苛立ちを示すように小刻みに震えた握り拳。ミラーグラスで隠された目がギラッと見開かれた直後、マッハのごとく高速なストレートパンチが繰り出された。

「おまえに責任取れなんて一言も言ってねーだろうがっ!」

『バキッ!』

 顔面を殴られた三年生は勢いのままに床の上に倒れ込んでしまった。

 思ってもみない衝撃的な展開に騒然となる教室内。勘造と志奈竹の二人は口を開けたまま呆然とし、由美も両手を口に宛がって全身が硬直してしまっていた。

 勝は大声を張り上げながら断言する。自分で撒いた種は自分で刈り取るのが男というもの。すべての責任は自分が背負う、だからここから立ち去れと。

 一方的に攻撃を受けた三年生側も黙ってはいられない。彼らと勝の間に火花が飛び交い、まさに一触即発の事態だ。

 朝の始業前、同じ学校の仲間同士でも抗争が勃発してしまうのか――?

「取り込み中悪いが、今日のところは俺に免じて勘弁してくれ」

 ここで仲裁に入る男子生徒の声。誰もが注目すると、そこには藍色のネクタイを首からぶらされたクールな表情の拳悟が立っていた。

「ケ、ケンゴか……」

 二年七組でもっとも頼りにされる有名人のご登場。いや、ここにいる三年生からも信頼されている者の一人であろう。

 彼がやってきてくれたおかげで、漂っていた緊張感が緩やかに解けていき教室内に安堵の吐息が漏れた。

「申し訳ないな、俺がコイツの手綱をしっかり握り切れなくてさ」

「おい! 俺はおまえの飼い犬じゃねーぞ、バカ野郎」

 怒り心頭の勝を余計に怒らせてしまう拳悟。どうしてわざわざ火に油を注いでしまうのか?と思うところだが、こういうやり取りの方がむしろ自然でクラスメイトもホッとしたりするのである。

 拳悟が場を和ませたのはいいが、それでも三年生側の腹の虫が収まるものでもない。勝に一言でも詫びを入れさせろと要求してみるものの……。

「おまえらだって知ってるだろ? コイツの性格を」

「それはそうだが、やっぱり許すことができないぜ」

 勝という男は頑固者で不器用だ。しかし、誰よりも責任感があって人情にも厚い。拳悟はそういう理由からも自分たちに任せてほしいと説得する。迷惑を掛けた謝罪の弁を述べながら。

 三年生たちは一様に複雑そうな顔をした。実際のところ、抗争に巻き込まれてしまった以上、バトルにおいて戦闘力に長ける拳悟や勝に頼るしかなかったからだ。

「……わかった、ここはいったん引き上げる。後は任せたからな」

 肩を落としてすごすごと教室から去っていく三年生たち。蹴破った扉をしっかりと修復していくところを見ると、彼らも彼らなりに冷静さを欠いていたことを反省していたのだろうか。

 危うく仲間割れに発展しそうなところをどうにか丸く収めた拳悟。尽力した彼のことなんてそっちのけでたった一人黄昏てしまっている勝がそこにいた。

「スグル、あまり揉め事を大きくするなよ」

「ケッ、好きで揉めてるわけじゃねぇよっ」

 勝も虫の居所が悪いのだろう、憮然とした顔をしながら椅子にもたれかかっていた。事態がますます悪化の一途を辿ってしまえば、誰であっても不安と焦燥に暮れるのはやむを得ない。

 それはそれとして須太郎が怪我をしたという重大なニュースがある。二年八組の地苦夫がそれをつぶさに報告しようとしたが――。

「知ってる」

「何? どうして?」

 拳悟は今朝、学校へ来る前に拓郎のお見舞いに行っていたのだ。そこで同じ病院に入院している須太郎の存在を知ったのだという。

 そこで伝え聞いた最新情報によると、拓郎は回復も良好らしく数日後には退院できるが、須太郎は両足の骨にひびが入って頭部も強打しているせいで全治三週間ほどかかるそうだ。

「くそっ! ヤツら、これからも毎日仕掛けてくるつもりか」

「そうだろうな。俺たちだって明日は我が身だぞ」

 事実を知れば知るほど暗雲が垂れ込める。それが次第に大きく広がって教室全体まで覆い尽くしてしまう。

 もうここまで来たら隠し立てはできない。阿修羅工業高校から狙われていると知らなかったクラスメイトにもすべての真実がここで明らかにされた。

 戸惑いで動揺する者、恐ろしさで泣きべそをかく者、さまざまな印象を受けるクラスメイトの中、たった一人だけ状況を把握できていない少女がいた。

 それはもちろん、矢釜市に引っ越してきたばかりでまだ高校の勢力図が頭で描けない由美であった。

「ユミちゃん、混乱してるだろうから後で詳しく説明するよ」

「……タクロウくんとスタロウさんのこと、その阿修羅工業高校と深い関係があるんですね?」

 派茶目茶高校が危機に瀕していることは十分に理解できる。ただどうしてそうなってしまったのか、これからどうしたらいいのか。由美の表情からそんな当惑が見て取れた。

 今日の放課後、病院に顔を出しつつ馴染みの喫茶店へ行こう。拳悟はそう誘ってみた。この手の話題は学内ではなく静かな場所で話した方がいいと判断したようだ。

「はい、今日はお買い物もないので」

「よし、約束だ」

 拳悟と笑顔で触れ合ったとはいえ、由美は不安と緊張に囚われながら今日一日を過ごすことになった。

 もうすぐ始業のチャイムが鳴る時間。彼女は気持ちを切り替えて教科書や筆記用具などを机に並べていく。

 それぞれの教室でも担任教師が来るまでに生徒は机へ着席し、当然ながら廊下にも生徒の人影がなくなるはずだ。ところが――。

(あれ?)

 ふと、由美の視界に一人の男子生徒の顔が入ってきた。廊下側の窓の隙間からこっそりとこちらを覗き込んでいるように見えなくもない。

 いわゆる坊ちゃん刈りで、牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネをかけたその男子生徒。普段着ではなく学生服を着ているところからもガリ勉タイプのようだ。

 よく観察してみても見覚えのない顔だった。二年七組の生徒ではないということはどこの何者であろうか?

(――あっ!)

 その男子生徒は由美とメガネ越しに目が合った途端、びっくりしたのか慌てて顔を引っ込めてしまった。そして、パタパタと逃げるような足音を響かせて去っていった。

 何が何だかわからず、由美はコクリと首を横に捻るしかなかった。

(あの人、誰だろう?)


* ◇ *

 時間が流れて、あっという間に放課後である。

 派茶目茶高校から離れること一時間ほど、拳悟と由美の二人は矢釜市立中央病院を訪れていた。

 拓郎の退院の目処が立ちホッとしている彼ら。しかし、須太郎の方はベッドから立ち上がることすらできないぐらい容体が芳しくない。まだ手放しでは喜べない心情であった。

「そうか。タクロウの見舞いへは行ってたんだ」

「うん、マイカちゃんと昨日の学校帰りに」

 拓郎が入院した翌日、由美はクラスメイトの舞香を連れ立って早々に病院を来訪していた。

 その時、救急車に乗って病院まで付き添ってくれたのが由美だと知った拓郎。それはもう痛みを堪えながら精一杯の感謝を伝えられたという。

 照れ笑いしながら謙遜した彼女ではあったが、そのおかげですぐに入院手続きが済んで学校にも知らせることができたのは何よりの功績と言えよう。

 そうこうしているうちに、拳悟と由美は病室の前まで辿り着いた。しかし、ここで少しばかり違和感を覚える彼ら。

「お? 病室から笑い声が聞こえるな」

「本当だ、女の子の笑い声ですね」

 本来、病室というのは静かなもの。それなのに楽しそうな笑い声が廊下まで漏れてくる。ここは個室の病室ではないので、他の入院患者の声かも知れないが。

 ここまで来て入室しないわけにもいかない。疑問を抱きつつも、軽くノックをしてから病室のドアを開けてみた拳悟。すると、彼の目にびっくり仰天な光景が飛び込んだ。

 拓郎のベッドに寄り添う制服姿の女の子。しかも一人ではなく両側にざっと七人はいるであろうか。

「よう、ケンゴとユミちゃん、来てくれたのか」

 愛らしい女子高生から介抱されているようで、拓郎はほくほく顔ですっかりご満悦の様子だ。痛みすらも忘れているのか、発した声もどこか元気で張りがあったりする。

「うわ、女の子だらけだ……」

「これは聖ソマラタ女子学院の制服か。ははは、どうやら先客がいたようだ」

 聖ソマラタ女子学院は上品で清楚な印象を持つ矢釜市にある女子高校。勝のことを慕うあの錦野さやかが通う学校でもある。

 拓郎は派茶目茶高校ではそれほどでもないが、この学校の女子生徒にはなぜかもてるのだ。つい最近のバレンタインデーもたくさんのチョコレートをもらったのがそれを証明している。

 これほどのお見舞い客がいるならお役御免か。拳悟と由美の二人は居場所がないということで挨拶だけ済ませて引き上げることにした。

「待てよ、この子たちに気を遣う必要はないぞ」

「いやいや、状況からしてもそれは無理ってもんだ」

 七人もの清らかな女子に囲まれてどうリアクションしたらよいのか。女の子の扱いが得意な拳悟でも、これほどの大人数相手ではさすがに戸惑ってしまうようだ。

 それは由美も同様で、これだけ他校の女子生徒が陣取っていたら会話にも入れずに落ち着かなくて孤立してしまうだろう。

 元気な顔が見れたし、さらに明るい声まで聞けたらそれだけで満足だ。拳悟は照れ笑いを浮かべながら拓郎に別れを告げた。

「退院もうすぐだろ? 次は学校で待ってるぜ」

「わかった。悪かったな、わざわざ来てもらって」

 別れの挨拶を交わす拓郎だが一点気になることがあった。それは、阿修羅工業高校との抗争についてどういう選択肢を選ぶのかどうかだ。

 誇りを背負ってまで戦うのか、それとも誇りを捨てて謝るのか?去り際にそれを問い掛けられた拳悟は、ピタリと歩みを止めてから潔い横顔で返答をした。

「タクロウ、おまえは何も心配するな。後は俺たちに任せてくれ」

「……ケンゴ。おまえら、やっぱりやる気なのか」

 男だったらのたれ死ぬまでとことんやってやる。派茶目茶高校の命運を背負った拳悟の背中には、そんな捨て身とも受け取れる台詞が焼き付いていた。

 死闘の舞台に向かうのは拳悟だけではない。責任のすべてを受け入れる決意を固めた勝も同様だ。彼はその頃、親友たちとつるんで少しばかり早い夕食の時間を過ごしていた。

 いくら覚悟を決めたとはいえ、阿修羅工業高校の猛攻は極力避けたいところ。彼らはそれを考慮して、学校からできる限り離れた食堂までわざわざ足を運んでいた。

 ちなみにここに集いしメンバーはクラスメイトの勘造に志奈竹、それに八組の地苦夫に中羅欧といったお馴染みの顔ぶれだ。それぞれが空腹を満たそうとごちそうに舌鼓を打っている。

「よし、今日は特別に俺がおごってやる。ありがたいと思え」

 今日のディナーは、勝のなけなしのお小遣いから振る舞われることになった。その背景には、仲間に迷惑を掛けてしまったことによるせめてもの償いの気持ちがあるのだろう。

 歓喜を上げて喜びを表現する仲間たち。それならばどんどん注文してやろう、育ちざかりの若者は遠慮することなく店主に声を掛けてみたが……。

「ただし、今食ってる一品だけだ」

 残念ながら、そんなに都合良くはいかないもので。

 最初から豪勢な一品料理を注文していた者は良かったが、中には前菜とばかりに軽めのメニューを注文した者もいた。地苦夫は渋い顔をしながら不平不満を口にする。

「おいちょっと待てよ。それじゃあ、俺はこの餃子だけか?」

「当然じゃんか。追加すれば~、自分の金でな」

「ケッ、このケチやろう!」

 メニューが軽かろうが重かろうが、おごってもらえるのはありがたい。仲間たちは飢えた動物のごとくむしゃむしゃとタダ飯にありついていた。

 ――その最中だった。一人の男子高校生が食堂の扉を乱暴に開け放った。

「大変だよー!」

 息せき切って食堂へ飛び込んできたのは、遅れてからここで合流するはずだった派茶目茶高校の二年四組に在籍するサン坊であった。彼も仲間の一人として、勝から誘われていた者の一人だ。

「おい、どうしたんだ!?」

 驚きのあまり、食べていたラーメンの麺を吹き飛ばしてしまった勝。

 この慌てぶりはまさかの非常事態か?ここにいる誰もが表情が一変し、箸やスプーンの手を止めてサン坊の次の言葉に耳を傾けた。

「阿修羅の連中がここにやってくる!」

「そ、そんなバカな!?」

 そうなのだ、そんなバカな!?なのだ。

 この食堂は学生が滅多に来ることがない隠れ家的なお店。それなのに、同じ学校の知り合いならまだしも他校の生徒に気付かれるというのは合点がいかない。

 疑問と焦り、不安と戸惑いで頭が混乱し始める派茶目茶高校の生徒たち。あたふたと右往左往しているうちに、冥途の向こうからやってきた阿修羅がついに姿を現した。

「くたばってもらおうか!」

 陣頭指揮を執っていたのは、機械科四天王の一人である毒架津勇次であった。彼は手下を従えて食堂内に怒涛の勢いでなだれ込んできた。

 カウンター席しかない狭い店内ではそれこそ袋のネズミ。このままでは一人残らず地獄送りにされてしまう。さすがの勝でも、奇襲を仕掛けられてしまっては応戦に打って出る策が思い付かない。

 食堂の店主まで勝手口から逃げ出すほどの大事件。壁を背にした勝たちもいよいよ万事休すか――と思いきや。

「スグルさん、逃げてくれっ!」

 大声を張り上げてたった一人で防波堤を築いたのは何と二年四組のサン坊だった。二つの学校の境目にいたせいもあり、自分自身がやらねばなるまいと咄嗟に判断したのだろうか。

 それでも多勢に無勢、サン坊が阿修羅工業高校の猛攻を受けるのは明白であった。殴られて、そして蹴られて、痛みを必死に堪える彼はとにかく仲間を守りたい一心だった。

 とはいえ、どんなに気張ったところで津波を防げる時間などごくわずか。彼は袋叩きの刑により、コンクリート張りの床の上に撃沈してしまうのであった。

「サン坊!」

「待て、スグル! サン坊を助けてる余裕なんてないぞっ」

 サン坊を見殺しになんてできない、しかしミイラ取りがミイラになったらむしろサン坊が報われない。地苦夫に腕を引っ張られた勝は店内の奥へ奥へと逃げるしかなかった。

「次はおまえらだー!」

 阿修羅工業高校の連中に追い込まれていくものの、何もしないでやられないのが悪知恵の働く派茶目茶高校の戦術スタイルである。

 テーブルの上に置いてある調味料の瓶、割り箸、さらには自分たちが食べていた食器やお皿まで強引に投げ付け始めたのだ。お店にあるものはすべて武器、こうなったら何でも使ってやれ作戦だ。

『ガシャーン!』

『パリーン!』

 金属や瀬戸物が破壊される音が店内に鳴り響く。

 男子学生がわめく怒鳴り声が店内に鳴り響く。

 死ぬか生きるかの瀬戸際でうごめくソルジャーたち、昔ながらの食堂がバトルフィールドと化してしまった。

「そら、そら、そらー!」

 勝はカウンターに乗り上げて厨房の方へと回り込んだ。攻撃の手を休めてたまるかとばかりに、今度は空っぽのお皿まで飛び道具に変えてしまった。

 雑魚相手ならそれで十分迎撃できても、四天王の毒架津にはまったく通用しなかった。飛んでくる丼やお皿を素早くかわしたり手で弾いたりする彼。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというが、どうやらそれは無意味だったようだ。

「はっはっは、悪あがきはそこまでだ」

 数人は撃退できたとはいえ、毒架津の他にもまだ兵隊はたくさんいる。このまま戦闘を続行していても、いずれは弾薬も尽きて降伏しなければいけないだろう。

 この状況となれば勝つよりも逃げることを優先すべき。他の仲間たちがいる手前、それが最良の策と決断した勝。そんな彼の目に留まったのは、厨房の傍に横たわっていた厚紙で包まれた大きな袋であった。

(こうなったらこれしかねぇ!)

 勝はそれを抱え上げるなり先端を乱暴に破り捨てた。すると、真っ白な粉末がふんわりと眼前に立ち上る。

 その粉末の正体こそ、どんな食堂でも欠かすことのできない小麦粉。しかも業務用の大袋だけにボリュームも相当なものだ。

「おりゃあー!」

「うわぁ、何だこりゃー!?」

 放出された小麦粉が店内を瞬く間に真っ白な世界に変えていく。

 粒度の細かい粉のせいで、ゲホゲホと咳き込む阿修羅工業高校の生徒たち。視界すらも奪われてしまい、動きを止めるどころか後退を余儀なくされた。

 煙に巻くとはまさにこのこと。敵が足止めを食らっている隙を見計らい、勝たち派茶目茶高校の面々は勝手口からの脱出に成功した。粉塗れになって咳き込んでいる哀れな連中だけを残して。

「くそっ、逃げられたか」

 毒架津は黒い学生服に付着した白い粉を手で払いながら悔しそうに舌打ちした。

 今日はあと一歩のところで逃げられてしまったが、次こそはなぶり殺しにしてやる。彼は不気味な薄ら笑いを浮かべながら粉煙が舞う食堂を後にした。

 また一人、派茶目茶高校の生徒が阿修羅の毒牙に掛かってしまった。やり場のない焦燥感を引きずったまま、勝は汗びっしょりになってひたすら街中を逃走し続けるのだった。

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