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第三十一話― 阿修羅工業高校編② 機械科四天王 宣戦布告(2)

 その日の放課後。

 いつもと変わらない時間が過ぎて、いつもと変わらない学生たちが校舎を離れて校門を越えていく。それは平和という名の日常であった。

「さてと、今日は寄り道しないで早めに帰るとするかな」

 通学路の途中、たった一人で歩いているのは学校から真っ直ぐに自宅へ向かっている拓郎だ。

 ハチャメチャトリオの他の二人はまだ学校にいた。拳悟は遅刻したばかりに担任の静加からこっぴどく怒られており、勝はクラス委員の集会で時間を拘束されていた。

 懸念材料がある中、独りきりの帰宅というのも何とも落ち着かないもの。道草を食ってもおいしくないと思ってか、彼の歩調は心なしか速めであった。

 近道しようと住宅街を貫く遊歩道へと足を踏み入れた彼。――するとそこには、後悔してももう後戻りできない危険が待ち構えていた。

(――誰かいる!?)

 拓郎は背後から気配を感じて歩みを止める。

 遊歩道には人が見当たらないが、どこからともなく気配が漂ってくる。しかも、これまでに感じたことがないほどの殺気が。

 彼はゴクッと緊張の生唾を飲んだ。いつしか両足が震え出して動くこともままならない。

 それからすぐに気配の素性が判明した。彼のことを挟み込むように出現した真っ黒な学生服。阿修羅の金ボタンを光らせるあの連中だ。

(アイツらは昨日の……。やっぱりやってきやがったか)

 そこにいるのは阿修羅工業高校の番長とその配下。そしてもう一人。学生服に鬼の刺繍を縫い込んでいる男であった。

 眉を剃り落として一重まぶたの目から眼光を放つ機械科四天王の一人。その容姿はまさに鬼そのものである。

「おまえ、派茶高もんだな?」

 定番とも言うべき予想通りの質問。ここで白を切ったところで逃げられるわけでもない。拓郎は意を決して頭をコクリと縦に振った。

「だったら何だってんだ?」

「痛い目に遭ってもらおうか」

 派茶目茶高校という理由だけで袋叩きの刑――。これこそが、阿修羅の看板を背負った者の無秩序なやり方と言えよう。

 ポキポキと指の骨を鳴らして不気味に笑う鬼の刺繍を持つ男。そして、番長たちも虎の威を借る狐のごとく卑しくせせら笑っていた。

 遊歩道の真ん中で追い詰められてしまった拓郎。土下座して許しを請うなんて頼まれてもできない彼は、ここで迎撃に乗り出すことを決意する。彼にも派茶目茶高校の看板を背負った意地があるのだ。

「阿修羅だからって威張るんじゃねーよ。誰もが尻込みして逃げ出すと思ったら大間違いだぞ」

「たいした自信じゃないか。口先だけじゃないといいがな」

「この俺を甘く見るなよ。それならやってやるぜ」

 先手必勝!拓郎は根を張った両足を無理やり引き抜いて走り出す。阿修羅工業高校の鬼を懲らしめるために。

『ガッ!』

『ドカッ!』

 拓郎の素早さを生かしたパンチとキックが空を切ることなく多段ヒットした。

 よろめきながら地べたへと倒れ込んだ鬼の刺繍を持つ男。阿修羅工業高校の脅威とも言うべき機械科四天王の実力はこんなものだったのか?

「ケッ、口先だけなのはおまえらの方だろうが」

 勝利を確信したのか、拓郎は唾を飛ばして捨て台詞を吐いた。鬼退治を成功させた昔話の桃太郎の気分であろう。――だが、その高揚した気分も長く続くことはなかった。

 ニヤニヤと不敵な微笑を浮かべているのは配下の番長たちだ。四天王の一人が倒されたにも関わらずその余裕とはいったい……?

「何、笑ってやがる?」

 その直後、拓郎の表情に緊迫の二文字が浮かび上がった。それもそのはずで、退治したと思っていた鬼がゆっくりと起き上ってきたからだ。

「フッフッフ、おもしろいからに決まっているだろう」

「な、何だと!?」

 喧嘩というものは一方的ではつまらない。お互いの力を受け止め合って勝敗をつけるものだ。鬼の刺繍を持つ男はそんな持論を口にした。喧嘩で強さを誇れる者ならではの名言と言えよう。

 世の中打たれ強いタフなヤツなどいくらでもいる。次の攻撃で息の根を止めればいいのだ。拓郎はそう割り切って焦りを振り払いながら駆け出した。

「これですべて終わらせてやる!」

「おいおい、次は俺の番だろうが」

 ここで鬼の狂気に満ちた目がギラリと開眼した――!

 拓郎のストレートパンチを素早い身のこなしですり抜けると、鬼の金棒といっても過言ではない破壊力のある鉄拳を振るい落とした。

『ゴカッ!』

 鈍い音が遊歩道に響き渡った。それと同時に、拓郎の体が一瞬だけ宙を舞う。

 コンクリート舗装の大地に叩き付けられてしまった彼。ショックと激痛が全身に伝わり苦しそうに身悶える。

(い、いってぇ――! まるでハンマーで殴られたみたいだ)

 過去に味わったことがないほどの破壊力。これが機械科四天王の真の実力というやつか。

 たった一発で勝負が完結してしまった。拓郎は這い上がることすらできず痛みを堪えるしかない。そこへ輪を掛けるように鬼の靴底が頭上に落とされた。

「俺は機械科四天王の一人、極落締ごくらくしめる。ミラーグラスを掛けた野郎に伝えろ。これから一人一人地獄送りにしてやるとな」

 拓郎は悶絶しながら惨めさに震えている。このまま反撃もできずに敗北を喫する悔しさは計り知れない。悔し紛れの声を絞り出すことが精一杯だった。

「……ふざけんな、よ。派茶高が……そ、そんな簡単にやられる……と、思うな」

「やかましい、死に損ないがっ!」

 鬼の刺繍を持つ男、極落の合成皮革でできた硬いかかとが打ち落とされる。しかも一回ではなく何回も。

 それだけではなかった。極落の呼び掛けに応じた番長たち配下もこぞって拓郎に足蹴を始めたのだ。これでは完全にリンチ状態である。

 罵声と怒号が夕方の遊歩道に飛び交う中、一方的なリンチはしばらく続いた。拓郎の意識が遠のき、指先一つも動かなくなるその時まで。

「もうやめとけ。気絶してる」

「はい」

 四天王の一人極落締はやはり想像以上の実力を持った猛者であった。彼は怪我人を放置したまま部下を引き連れてそこから去っていく。

 阿修羅が繰り広げる地獄送りツアーの幕開け――。派茶目茶高校は選択権もないままそのツアーへの参加を余儀なくされることになった。


* ◇ *

「それにしても、マイカちゃんたくさん食べたねー」

「そうかしら? いつものわたくしなら、今日より三つほど多く食べてましたわ」

 夕方五時になろうかという時刻。学校帰りにケーキバイキングへ寄り道していた女子がいる。派茶目茶高校二年七組の由美と舞香の二人組だった。

 放課後、一緒に矢釡中央駅を目指していた彼女たち、おいしいケーキのお店を自慢し合っていたらいつの間にかこれから行ってみようと話がまとまった。ケーキをたっぷりとご満喫したようで、二人ともとても幸せそうな表情をしている。

 ちなみに由美がいただいたケーキは全部で四個、舞香が七個。バイキングという点では舞香が得したわけだが、ただ食べればいいというものではなく大食漢の友人を見て由美は呆れるばかりであった。

「とはいえ、糖分を蓄えてしまいましたわね。少し遠回りしていきましょう」

 年頃の女子だけに体重が気になるところ。舞香は一本指を突き出して遠回りのコースを指定した。

 そこは矢釡中央駅を目指して歩くと二十分ほどの道のりなのでウォーキングには丁度いいだろう。電車の発車時間にもゆとりがあるため由美も否定することなく賛同した。

「あら、救急車が停まってますわね」

「本当だ。あそこって確か遊歩道があるんだよね」

 女子二人の進行方向に一台の救急車が停車している。そのせいか、周囲には数人の野次馬が群がっていた。

 こういう時は意識していなくても気になってしまうもの。彼女たちも通りすがりにチラリと一瞥してみる。

(――――!)

 由美の視界にわずかに映った怪我人の姿。それは、出血して痣だらけの顔をしたクラスメイトだった。

「あれ、タクロウくんだよ!」

「何ですって!?」

 大慌てで方向転換する由美と舞香。野次馬を掻き分けて救急隊員の傍まで駆け寄っていく。

「すみません、この人、同じクラスの友達なんです!」

 由美と舞香の二人は事情を尋ねたが、拓郎が負傷した理由を誰も知らず、たまたま遊歩道を散歩していた一般人からの通報により現在に至ったという。

「マイカちゃん、このこと先生に連絡して。わたし、タクロウくんと一緒に病院まで付いていくから」

「わかりましたわ。ユミちゃんはこちらをよろしくお願いしますわね」

 拓郎を乗せた担架に寄り添う由美。傷だらけで痛々しい彼の顔を凝視することができず、悲痛の表情で視線を横へ逸らした。

(ひどい……。いったい誰がこんなことを)

 救急車はけたたましくサイレンを鳴らして出発する。

 舞香により、この事故が担任の静加に伝わったのはもう夜七時過ぎのことだった。そして翌日の朝、クラスメイト全員にも不安を煽るニュースとして伝わることになる。


* ◇ *

 翌日のお昼時。ここは矢釜市立中央病院。大怪我を負って病院送りにされてしまった拓郎が搬送されて入院している病院だ。

 朝一番でニュースを知った拳悟と勝は、拓郎の意識が回復したという報せを聞くなり一目散にここまで駆け付けていた。

 頭部に包帯が巻かれて、顔には大きな絆創膏がベッタリと貼られている拓郎。右腕の骨にもヒビが入っているらしく、石膏で固めたギプスをはめていた。

 ベッドで横になっている彼の表情は苦しそうだったが、頼れる親友たちの来訪に少しばかり顔色が良くなった。

「タクロウ、ホントに申し訳ない」

「気にすんなって。今頃後悔しても仕方がないだろ」

 阿修羅工業高校との抗争がついに決定的となり、勝は意気消沈としてうなだれていた。しかも、やられたのが同じクラスの仲間ともなれば罪の意識を感じるのも無理はない。

「どんなヤツだった?」

「俺よりも背が高くて体格が良かった。たしか、眉を剃っていたな」

 そういえば……と、拓郎はズキズキ痛む頭を巡らせて記憶を呼び起こした。機械科四天王の一人だとか何とかと。

 機械科四天王――。噂レベルでは耳にしたことがあるとはいえ、拳悟も勝もその詳しい正体までは知るに至らなかった。

「パンチがハンマーみたいだった。マジに死ぬかと思ったぐらいにな」

 とにかく強烈な印象だけが残っている。打たれ強さだけではなく身のこなしも腕力も相当なもので、間違いなく番長とは比べ物にならない実力者であろう。

 拓郎だって喧嘩を知らないわけではなく、そんな彼をたった一発のパンチで仕留めてしまうのだから、場数をこなしてきたプロフェッショナルと呼んでもおかしくはない。

 迫りくる敵の驚異を肌で感じたのか、拳悟と勝の二人は戦々恐々とするしかなかった。

「それよりもどうする? ヤツら、徹底的に派茶高を潰すつもりだぞ」

 身を持って知ったからこそ言える警告。このままではもっと怪我人が出てしまう。拓郎がそれを危惧するのは当たり前のことだ。

「わかってる……。しかしよ、今はどうするってアイデアもねーんだよ」

 勝は力なく頭を下ろして詫びるしかなかった。ただ責任は自分にある、それだけは放棄したりしないと力強く宣言した。

「とにかく気を付けてくれ。頼れるのはおまえらだけだ」

「わかった。おまえは何も気にせずゆっくり安静にしてくれ」

 顔も見れたし、それなりの情報も収集できた。これ以上は拓郎の容態に障ると思ってか、拳悟と勝はこのぐらいでお見舞いを終えることにした。

 病室を後にした彼ら二人は、清潔感のある廊下で真っ白な衣装をまとった病院関係者、そして入院患者とすれ違っていく。そのたびに、ここが自分たちにとって場違いであると感じてしまう。

 拓郎のような犠牲者はもう出したくはない。しかし、どう防いだらいいのだろう?彼らは今、それを思い付くほど冷静沈着ではいられない心境だった。

「なぁ、スグル」

 廊下を歩いている途中、拳悟が立ち止まってからおもむろに漏らした一言。勝もそれにつられて立ち止まる。

「……相談してみるか、ハンダさんに」

「ハンダって、あのハンダさんにか?」

 ハンダ、本名は半田強――。拳悟と勝とは顔見知りの仲だ。

 矢釜市の田園地帯に校舎を構える夜叉実業高校、そこで教師に暴力を振るって退学させられた曰く付きの男。喧嘩の実力も筋金入りである。

 彼ほどの猛者なら阿修羅工業高校に関する知見もあり、いざという時に頼りになるかも知れない。拳悟はそう考えたわけだ。

「なるほどな。相談してみる価値はありそうだ」

 拳悟の発案に納得の意思を示した勝。ここまで来たら藁でもすがりたい彼らは、今日の放課後に半田強が手伝っている中華料理店を尋ねてみることにした。


* ◇ *

 時は流れて放課後となった。

「ユミちゃん、タクロウくんのお見舞いに行きますわよね?」

「うん、もちろん。マイカちゃんもでしょ?」

 拓郎が病院に担ぎ込まれた時、彼の身内代わりになって奔走したのが彼女たち二人だった。

 ただ、意識が戻ってからはまだ一度も面会していなかった。そこで下校途中に、矢釜市立中央病院へ立ち寄ろうと打ち合わせていた。

「そういえば、病室とか知ってるかしら?」

「ううん、知らない。そうだ、ケンゴさんなら知ってるから聞いてみようか」

 キョロキョロと教室内を見回した由美。ところが、拳悟の姿も勝の姿もどこにも見当たらない。授業が終わるまではいたはずなのにどうしてか?

 それもそのはず。彼ら二人は授業が終わるなり教室を瞬く間に出ていってしまっていたから――。

 それから一時間ほど経過した頃、ここは矢釜中央駅から数駅ほど南方へ下った先にある郊外地。田園地帯が広がり、都市部とはまったく風景が異なる。

 季節はまだ春を迎える前、そういう理由もあり田んぼに緑はない。この時期となると、ビニールハウス栽培が中心であろうか。

 拳悟と勝が目指す先は小さな住宅街にある小さな中華料理店。見た目は古めかしいものの味は抜群、ラーメンよりもチャーハンがおいしいと評判のお店。

『ガララ……』

「どうも、こんちわ~」

 色褪せた暖簾をそっと潜ってみると、カウンターを陣取っている学生服を着た男子高校生たちがいた。

 ラーメンにチャーハン、さらにプラスメニューの餃子を食べている彼らこそ、現在の夜叉実業高校を牛耳っている番長クラス、福谷鬼太郎とその仲間たちであった。

 予告もない突然の来訪者。いくら馴染みがあるとはいえ、学区外の部外者でしかもデンジャラスカラーズのライバル同士、お出迎えの言葉は正直温かいものとは言えなかった。

「てめぇらは勇希拳悟に任対勝!」

 ラーメンの麺を口から飛ばしながら怒りを露にする鬼太郎。彼ら以外に客がいなかったせいもあって、その怒声が店内に鳴り響いてしまった。

「ようオニちゃん、久しぶり。相変わらず怖い顔してるな」

「やかましい! いったい何しにきやがった!?」

「用事はおまえじゃない、ハンダさんに相談があってな」

 直情型の鬼太郎はどうでもよく、目的とも言うべき半田強がいなければ意味がない。

 店内の様子を窺っていると、裏方の仕事をストップしてまでカウンターから顔を覗かせる一人の男性、幸運にも半田強が姿を現してくれた。

「おう、ケンゴにスグルじゃないか。久しぶりだな」

「お久しぶりです、ハンダさん」

 過去にさまざまな面でお世話になっており、背筋を伸ばして礼儀正しくお辞儀をする拳悟と勝。というよりも、怖い先輩に対して粗相がないよう注意を払う姿勢が見え隠れしなくもないが。

 半田強は素行が悪くてもきちんと仁義を通す男。他校の生徒であろうとも門前払いしないのが後輩から慕われる包容力というやつだろう。

「ハンダさん、忙しいところ申し訳ないけど少しだけ時間くれませんか?」

「何やら訳ありってヤツか? ちょっと待ってくれ」

 拳悟と勝の意味ありげな表情や口振りは由々しき事態か。それを察した半田強は協力しようとすぐに動いてくれた。

 親戚でもある店長に三十分ほど休憩時間をもらおうとお願いした彼。最愛にも、お客は鬼太郎たちしかおらず客足も遠のく時間帯ともあっていとも容易く了承を得ることができた。

 半田強は人差し指を天井に向ける。それは、打ち合わせスペースとも言うべきお店のベランダへと誘導を促すサインでもあった。

「おい、ちょっと待て!」

 ここぞとばかりに鬼太郎が出しゃばってくる。自分だけ仲間外れにされるのはまっぴら御免だと。

 数ヶ月前も似たような展開があったのだが、その時はすっかり蚊帳の外にされて拗ねてしまった彼。デンジャラスカラーズの一人としてこれだけは譲れない。

 こういう出しゃばりタイプは世間的に煙たがれるところだが、今回ばかりは拳悟と勝の二人から予想外の答えが返ってきた。

「オニちゃんも入ってもらった方がいいな」

「だな。悪いけど一緒に相談に乗ってくれ」

 牙を生やした口を開けっ放しにして唖然としてしまう鬼太郎。あっさり受け入れられて、むしろ気持ちが悪いといった心境か。

 中華料理店から一度外に出て、階段を上ってベランダへと向かう男子四人組。

 地上二階に当たるベランダでは冷たい風が吹き抜ける。彼らはブルっと全身を震わせつつ雨ざらしの椅子へと腰掛けた。

「それで、相談ってのは?」

「いや、実はですね……」

 拳悟と勝は事の顛末を包み隠さず洗いざらい告白する。

 阿修羅工業高校を敵に回してしまったこと。すでに仲間が一人病院送りにされてしまったこともすべて。

 まさか阿修羅の名前が出てくるとは――。半田強と鬼太郎の表情が瞬時に険しくなった。第三者である彼ら二人であっても、阿修羅の紋章が語る恐怖を知ってるだけに気が気でないのだろう。

「……なるほどな。相手がどこの誰だか知らないうちに番長までやってしまったわけか」

「もう少し早く気付いていたらと思うと……。もう今更何を言っても遅いけど」

 勝が言う通り、過去を振り返って後悔しても意味がない。今はこの窮地をどう乗り切るかだ。

 だからといって、これだという打開策などそう簡単に出てくるものでもない。半田強も鬼太郎も眉根を寄せて唸り声を上げるしかなかった。

「これは一大事ですよ、ハンダさん」

「そうだな。相手があの阿修羅だ。下手したら全滅だってあり得る」

 不良が群がるあの夜叉実業高校でも阿修羅工業高校のことを別格扱いしている。風紀が乱れている点では共通かも知れないが、破壊力や規模では相手の方が高校のレベルを超越しているからだ。

 あえて両校の特徴を例えるとしたら、悪ガキのグループがやんちゃしている夜叉実業高校に対し、組織化された暴力団のような阿修羅工業高校といった感じだろうか。

「特に警戒しなければいけないのが、機械科四天王だ」

 機械科四天王――。そう、拓郎を病院送りにした張本人だ。

 半田強でも避けて通りたい阿修羅工業高校の頂点に君臨する四人組だが、拳悟と勝は彼らの戦闘能力といった素性まではよくわからなかった。

「おい、マジかおまえら? 機械科四天王を知らねーのかよ」

「まぁな、悪いけど教えてくれ」

 ここで鬼太郎が機械科四天王について詳しく解説してくれた。

 まず一人目――。学生服に鬼の刺繍を持つ男、極落締。

 短髪のリーゼント、剃り落とした眉と一重まぶたの細目が特徴で機械科四天王の切り込み隊長だ。

 性格は至って残忍で女子供でも容赦なく弾圧する極悪さが持ち味。スピードもパワーもさることながら、どんな攻撃にも耐えうる頑丈な体格の持ち主である。

 そして二人目――。学生服に鯱の刺繍を持つ男、天上光次郎てんじょうこうじろう

 髪の毛を剃り落した丸坊主、こめかみ付近に縫い傷があるのが特徴。

 機械科四天王の中でもずる賢さでは群を抜いており、人を騙したり陥れることを得意としている。どちらかと言えば、力量よりも悪知恵だけで幹部に登り詰めた悪巧者である。

 そして三人目――。学生服に炎の刺繍を持つ男、毒架津勇次どくかつゆうじ

 ウェーブのかかった金髪、ギラギラとした三白眼の目が特徴で機械科四天王の参謀役。

 喧嘩の強さよりも配下を苛めたり虐げたりする凶暴さで恐れられている。割と気が短い性格の持ち主で、一度火が付いたらなかなか鎮火しない乱暴者である。

 最後に四人目――。学生服に虎の刺繍を持つ男、決斗大期けっとうたいご

 リーゼントカットに長い襟足、細く整えた眉で切れ長の目つきが特徴。

 阿修羅工業高校の頂点に君臨する剛腕。素手の喧嘩ならまだ一度も敗北がないと自負するほどの実力者だ。威風堂々としており冷静沈着、機械科四天王の実質的なリーダーである。

「……なるほど。とんでもない連中がいるんだな」

「機械科四天王に狙われたヤツはみんな病院送りにさせられている。つまり、おまえらも覚悟しろってわけだな」

 これは噂ではない、真実なのだ。鬼太郎からそう脅されてしまっては、怖い者知らずの拳悟と勝でもますます心が縮こまってしまう。

 このままではまな板の鯉。地獄の沼に片足を突っ込んだまま日々を過ごすしかないのだろうか?彼ら二人は曇り空を見上げながら溜め息を漏らすしかなかった。

「どうするんだ、やり合うつもりか?」

 半田強からの問い掛けには同情の気持ちがこもっていた。

 もしやり合うとしても無傷では済まない、とはいえ謝罪を申し出ても許してもらえるかもわからない。追い詰められたこの状況でいいアドバイスなどできるはずもなかった。

 鬼太郎は恥ずべきでも戦いに身を投じることを反対した。仲間や後輩を守る立場でもある彼だけに、犠牲者を最小限に食い止めるとしたらそれが最良の判断だと思ったようだ。

 それから数分間の沈黙が続いた。乾燥した冷たい空気が中華料理店のベランダを包み込んでいく。

 心の中まで荒んでいく拳悟と勝、寒さのあまり鼻水をズルッとすすった。

「なぁ、スグル。どーするかね?」

「わからん。今夜ゆっくり考えてみるわ」

 ずっとここにいたら風邪を引いてしまう。拳悟と勝の二人はおいとましようと腰を持ち上げる。情報提供に協力してくれた半田強と鬼太郎の二人にお礼を告げながら。

「二人ともありがとう。後は俺たちで考えてみる」

「いや、役に立てなくて悪かったな」

 影を落とした背中を向けてベランダから去っていく派茶目茶高校の二人。己のプライドと事態の収束、その天秤に揺れ動く悲壮感がそこには漂っていた。

「ヤツら、どうする気でしょうね」

「それは俺にもわからんな。だが、アイツらは負けん気が強いから、もしかすると……」


* ◇ *

 日も暮れて夕方五時前。派茶目茶高校の校門を潜り抜けて通学路を歩いている二人の男子生徒がいた。

「スタロウ。また明日な。気を付けろよ」

「……ああ、生きていたらまた会おう」

 女の子のナンパ生活に明け暮れている地苦夫と、サバイバル生活でいつも危険と暮らしている須太郎の二人。性格こそまるで違えど、常日頃から苦楽をともにする親友同士だ。

 今日の放課後もダラダラと学校で暇潰しをしていた彼ら。それぞれが違う曲がり角に折れて家路へと向かう。

「……さて、今日もいつものやつをやるか」

 須太郎は自宅へ帰ってもナイフ磨きや筋力トレーニングに明け暮れる毎日。この後も宿題そっちのけでブルーワーカーを使って上腕筋を鍛えようとしていた。

 これほどデンジャラスでパワフルな男子はそうはいない。それこそが寡黙な核弾頭と呼ばれる所以であろう。

 そんな野生感たっぷりでたくましい彼だが、趣味嗜好に没頭することができない理由があった。それは、阿修羅工業高校からいつ何時襲われるかわからないという目に見えない脅威だ。

(……今でも信じられん。あのタクロウがやられるとは)

 拓郎が入院していることはすでに伝え聞いていた。隣のクラスにいる仲間のまさかの負傷退場に、須太郎の心境は当然ながら穏やかとは言えない。

 たった一人で自宅に向かって歩くこと十数分、彼はとある工事現場に差し掛かった。

 夕方遅くのせいもあるのだろう、高所クレーンや工事車両は動いている気配がない。ところが――。

(……何だ、アイツは?)

 ふと、須太郎の横目の視界に入ってきた真っ黒な学生服。工事現場に学生服を着た人物がいるなんて普通ならあり得ない。

 その人物は坊主頭でこめかみの辺りに縫い傷がある男性だった。須太郎から目視することはできないが、学生服の背中には鯱の刺繍が刻み込まれていた。

 須太郎はただならぬ悪寒を感じて立ち止まる。すると、鯱の刺繍を持つ男、そう阿修羅工業高校機械科四天王の天上光次郎は口角を上げてニヤリと卑しく笑った。

(…………)

 男子高校生二人が目線をぶつけ合う時間がしばし続いた。

その数秒後、沈黙を破って痺れを切らしたのは、関係者以外立入禁止のロープを大きな足でまたいだ須太郎の方だった。

「……おまえ、そこで何してるんだ?」

 威嚇しながら野太い声で問い掛ける須太郎。しかし、天上はまったく臆することもなくニヤニヤと笑うばかりであった。

「へっへっへ、きさまが来るのを待ってたのさ。っていうか、派茶高もんをな」

「……ということは、おまえは阿修羅のものか」

 派茶目茶高校を狙っているのは阿修羅工業高校の連中しかいない。毎日サバイバル術を鍛えている須太郎でも、面と向かって出会ってしまうと動揺を隠しきれない様子だ。

 とはいえ、仲間の敵討ちをするには絶好の機会。彼は恐れる心よりも高ぶる心の方が優先されていることに気付いた。その時はすでに、宿敵に向かって猪突猛進で走り出していた。

「……ここで始末してやろう!」

 さすがは機械科四天王、天上は逃げるどころか堂々としている。一対一のバトルではあるが、筋肉隆々の須太郎を相手にしたら無傷では済まないと想定されるが。

「へっへっへ、あまり焦るといいことねーぞ?」

「……やかましい!」

 須太郎は無我夢中だった。それこそ脇目も振らず――。

 ドカドカとブーツのかかとを響かせて走っていた彼であったが、坊主頭の敵に集中してしまい足場にトラップが仕掛けられているのに気付くことができなかった。

『ズポッ!』

(…………!)

 工事現場の地面がいきなりパカッと大きな穴を開けた――!

 そうなのだ、これこそが天上が事前に準備していたトラップである落とし穴。須太郎はものの見事にその落とし穴の餌食になってしまったのだ。

 深さはおおよそ二メートル弱。背丈のある須太郎でも全身のほとんどが地面に埋まってしまうほどだった。そのせいか、彼は落ちたショックで両足を痛めてしまい抜け出すこともままならない。

「……お、おのれ、やることが汚いぞ!」

「へっへっへ、作戦に綺麗も汚いもないだろ?」

 天上の言う通り、敵を貶めるのに定められたルールなどない。どんなに卑怯と思われても最後に勝てばそれが正解なのだから。

 それでも、落とし穴といったえげつないやり方は男として断じて許せない。須太郎は沸々と怒りが込み上げてきた。

 痛みを堪えつつ両足に力を込める。そして両手を地面に押し付けて、苦痛の表情を浮かべながら落とし穴から脱出しようとした。

「……待ってろ、おまえのような下衆は俺がぶっ倒してやる!」

 ふてぶてしい笑みを零している天上は、何かの合図なのか右手を頭上に掲げた。

「あいにくだが、きさまはここで終わりだ」

 その直後、須太郎の頭上から黄色い色のヘルメットが落下してきた。当然ながら、動きを封じられている彼にそれを避ける術などなかった。

『ガッツーン!』

「……うぐぅ!?」

 重力のかかったヘルメットは重量級の凶器と言えよう。須太郎は脳天に大きなダメージを受けてしまい穴の中へと沈んでいった。

 ――それよりも、このヘルメットはいったいどこから?

 よく見てみると、ヘルメットの内側に粘土質の重りが仕込まれており、その作為的な点から見ても明らかに自然落下ではなかった。

 ――上空を見上げてみたら答えがそこにあった。

 無人のはずの高所クレーン、ところがクレーンの先端にゴンドラがぶら下がっていて、そこには何と阿修羅工業高校の番長の手下のジローが乗っていた。つまり、これも作戦の一つだったわけだ。

「ざまぁ見ろってんだ。阿修羅を敵に回した罰だと思え」

 こうして、須太郎までも阿修羅工業高校の報復によってリタイヤを余儀なくされてしまった。派茶目茶高校の学生は一人、また一人と病院送りにされてしまうのだろうか……?

「これで一丁上がり、へっへっへ。これからがおもしろくなってきたねぇ」

 機械科四天王の一人、天上の笑い声が空っ風の吹く工事現場にこだました。

 彼らは戦闘をゲーム感覚で楽しんでいる。ターゲットをじわりじわりと追い詰める地獄送りツアーはまだ始まったばかりだ。

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